2007-09-01から1ヶ月間の記事一覧
最近、日本国では政権与党たる自由民主党の総裁選挙があり、また「国技」を名乗っている日本相撲協会による力士死亡事件で慌しくなっている。 そうこうしているうちに、NPBのパシフィック・リーグでは、シーズン前は誰も予想していなかった北海道日本ハム…
国民の皆様、お待たせしました。 いよいよネターランド王国の国立図書館が設立しました。 その図書館とはこちら↓ http://neterlands.web.fc2.com/index.html さあさあ、すぐに「お気に入り」に追加! この図書館で始まった連載は、 「野球少年の郷(ふるさと…
このことについてはいろいろな人が書いているし、今さら書くのもよそうかとも思ったが、やはり触れないわけにはいかない。 そう、大相撲時津風部屋リンチ死亡事件である。 名古屋場所直前の今年6月26日、時津風部屋の序の口力士・時太山(本名:斉藤俊さ…
24日未明、東大阪市内でパトカーに追跡されたバイク二人乗りのうち、後ろに座っていた17歳の少女が乗用車と激突し、意識不明の重体となる痛ましい事故が起きた。 少女の無事を願わずにはいられないが、それでもあえて厳しい言い方をすると、この事故は自…
今日、日本国の政権与党である自由民主党の総裁選が行われ、福田康夫君が麻生太郎君を破り、自民党の新総裁となった。 福田君がまだ日本国内閣総理大臣になったわけではないのだが、事実上の新首相に朕もネタラン国王として福田君に祝電を打っておいた。 そ…
日本プロ野球では阪神×巨人戦が「伝統の一戦」と呼ばれているが、昨日は最後の「阪神×巨人」戦だった。 なにが「最後」なのかというと、今の形の阪神甲子園球場での試合として最後、という意味である。 10月から来年のリニューアルオープンに向けて改修工…
セントラル・リーグの天王山、阪神タイガースの首位攻防シリーズ9連戦が終了した。 東京ドームで巨人と3連戦、甲子園で中日と3連戦、甲子園で巨人と3連戦である。 結果は最初の巨人戦は3連勝、中日戦は1勝2敗、最後の巨人戦は2勝1敗だ。 上位2チー…
先日、武田鉄矢がテレビ番組で「大阪人はヘンなんだよ!」と力説していた。 曰く「大阪人は数を数えるとき『イチ、ニィ、サン、シィ、ゴー、ロク、ヒチ、ハチ、クー、ジュー』と妙なメロディをで歌うんだよ!」と憤慨していた。 このブログでそのメロディを…
昨日の日記の続き。「月刊少年ジャンプ」で連載されていた「キャプテン」が人気を博し、読み切りマンガしか描けないと思われていたちばあきおにも、連載マンガでも通用する実力があると評判になった。 当時、後発の週刊少年誌だった「週刊少年ジャンプ」に、…
ここ数日は日本国で安倍首相が辞任、自民党総裁選という流れになったため、我がネタラン国会でもそのことが取り上げられていたが、話を元に戻そう。 国王が野球ファンになったきっかけは先にも述べたように故・ちばあきおの描いた野球マンガ「キャプテン」「…
日本国の内閣総理大臣である安倍晋三君が辞任を表明した後、次期首相は麻生太郎君が就任すると見られていたが、福田康夫君が自由民主党総裁選への出馬を表明して情勢は一気に変わった。 しかし、事実上の次期首相を決める選挙にもかかわらず、今回の総裁選ほ…
今日のネタラン国会からはちょっと装いを変えてみた。 それはともかく、昨日の国会でマ大佐から、めろん教をネタラン国指定の宗教にして欲しい、という申し出があった。 「めろん教」の神たるめろん神は、幻のプロレスラー「ウィリー・アダムス」なる髭もじ…
昨日、我がネタラン国王官邸にも、日本国の安倍晋三内閣総理大臣による辞意表明のニュースが伝わってきた。 参院選には惨敗したものの続投表明をし、安倍内閣を改造して、臨時国会で所信表明をした矢先の辞意表明。 さすがの国王も驚いた。 そんなに気に病ん…
ここのところラグビーのことをずっと連載してきたが、その間にプロ野球がエライことになってきた。 6月頃は最下位に低迷し、首位巨人と12ゲーム差あった阪神が、なんと怒涛の10連勝でセ・リーグの首位に立った。 しかもこの金土日は全て一点差で巨人に…
第六回ラグビーワールドカップが開幕した。 僕は今、この原稿を日本×オーストラリア戦の翌日に書いている。 結果はご存知のとおり、3−91というジャパンの惨敗だった。 予想されていたとはいえ、やはり今回もW杯勝利はかなり厳しい道程のようだ。 僕は日…
1991年10月14日、その日がやってきた。 ベルファストにあるラベンヒル競技場でジャパンの精鋭陣がジンバブエ代表を迎え撃った。 ベルファストはイギリス領、北アイルランドの「首都」である。 余談だが、「機動戦士ガンダム」に登場するジオン公国軍…
「千載一遇のチャンスだ。勝ちに行く」 アイルランド戦を前に、宿沢はジャパンの選手に対してこう言い放った。 ジンバブエに大勝したアイルランドは、ジャパン戦のメンバーを早々と発表し、8人を入れ替えてきた。 ジャパンはナメられている。 アイルランド…
1991年10月5日、スコットランドの「首都」エディンバラのマレーフィールド競技場で、東京での屈辱を晴らさんとする大男たちがジャパンの勇士を出迎えた。 第二回ワールドカップ予選B組の初戦である。 二年前、来日しなかったメンバーがズラリと顔を…
トンガ、韓国を撃破したジャパンは、最終戦の西サモア戦に挑んだ。 アジア・太平洋地区優勝決定戦である。 と言えば聞こえがいいが、実際は両国とも2勝してW杯出場を決めており、いわば「消化試合」のようなものだった。 しかも、2位チームはW杯予選リー…
1990年4月8日、東京・秩父宮ラグビー場で第二回ワールドカップ、アジア太平洋地区予選が開幕した。 ジャパンはトンガ、韓国、西サモアの順で戦うことになっていた。 宿沢が望んでいた順番だった。 第一戦で最大の目標であるトンガと対戦し、それに勝つ…
西サモア、トンガ遠征のあとは、もう一つの敵、韓国の偵察に取り掛かった。 トンガをターゲットに絞ると言っても、韓国戦を取りこぼしたらなんにもならない。 しかも韓国には前回のアジア大会で敗れており、侮れない相手だ。 そんな韓国が香港で強化試合を行…
スコットランドを破ったジャパンだったが、それが最大の目標ではなかった。 宿沢ジャパンのターゲットはアジア・太平洋地区予選であり、これを勝ち抜いてW杯に出場しないと、スコットランドに勝った意味は無くなる。 スコットランド戦の僅か3ヵ月後、宿沢…
「晴れてくれ。うんと暑くなってくれ」。 ジャパンのキャプテン・平尾はそれだけを願っていた。 もちろん、1989年5月28日に行われるテストマッチ当日の天気のことである。 スコットランドは来日して以来、テストマッチに向けて関東代表や23歳以下代…