「晴れてくれ。うんと暑くなってくれ」。
ジャパンのキャプテン・平尾はそれだけを願っていた。
もちろん、1989年5月28日に行われるテストマッチ当日の天気のことである。
スコットランドは来日して以来、テストマッチに向けて関東代表や23歳以下代表らと戦い、圧倒的なパワーで日本チームを蹴散らしていた。
しかし、ジャパン監督の宿沢や平尾の目には、本来のスコットランドの強さは感じられなかった。
イギリス北部からやってきた大男たちは、日本の梅雨入り直前の蒸し暑い気候に苦しみ、動きが鈍っているように見えた。
宿沢はジャパンの選手たちを観戦させ、スコットランドの強さよりも、弱点を強調して説明し、自分たちの戦略が間違いではないことを力説した。
○関東代表やU23があっさりトライを取られるのは、ジャパンとは格が違うから。ディフェンスさえしっかりすれば、ジャパンは勝てる。
○スコットランドは予想通りスクラムが弱い。ジャパンのスクラムなら絶対に押せる。
○また、二線防御の弱さも予想通りで、ジャパンのBKなら相当なトライ奪取が可能だ。
○ただし、密集はモールでは不利。ラックでボールを支配しよう。
宿沢の描いているプランが徐々に選手たちに浸透していった。
キャプテンの平尾が信じ、やがてベテランFWの林敏之(神戸製鋼)や藤田剛(元・日新製鋼)に伝播し、さらに若手選手にも伝わるという、まるで集団催眠のような状態になった。
こうなったチームは強い。
かつてはチームとしての一体感がまるでなかったジャパンに、「ジャパン」というチームとしてのロイヤリティが生まれたのだ。
テストマッチの二日前、日本協会はスコットランドの役員を夕食会に招いた。
ここで宿沢は銀行マンとして英国勤務で鍛えた英語を活かし、スコットランドのBKコーチのデイビッド・ジョンストンと話をした。
「テストマッチではオープンラグビーをやろう。受けて立ってください」
しかしジョンストンは即答を避け、「どうなるかわからない」と答えた。
この短いやり取りは重要だった。
宿沢はジャパンの手の内を晒したのに、格上のスコットランドがそれを拒否したのである。
もっとも、手の内を晒さなくてもジャパンはオープンラグビーを志向しているのはスコットランド首脳陣も重々承知しており、そんな情報はどうでもいいことだった。
普通なら格下のジャパンに対して「よし、受けて立とう」と言うのだろうが、ジョンストンはそうはしなかった。
このジョンストンの反応を見て、宿沢は、スコットランドは自信がないのだな、と思った。
つまり、BKをあまり使わずに力任せのFW勝負で来るだろう、という読みである。
ラグビーは、FWゴリ押しの戦法よりも、BKに積極的にボールを回すオープンラグビーのほうが絶対に面白い。
格上のスコットランドはジャパンに合わせてオープンラグビーをやっても良かったはずだが、勝つためにはそんな余裕はなかったのだろう。
さらにスコットランド側は、翌日(つまり、テストマッチの前日)にプライベート・プラクティス(秘密練習)をしたい、と言い出した。
来日したIRB加盟国の代表チームとしては、極めて異例のことである。
日本協会はこの願いを受け入れ、宿沢ら首脳陣たちにも先方の意思を尊重し、練習は見ないようにと指示をした。
しかし宿沢は好奇心旺盛らしく、見たらダメと言われれば余計に見たくなるタチで、それだけでなくテストマッチで勝つためには絶対に見ておかなければならないと思った。
翌日、秩父宮ラグビー場が一望できる伊藤忠商事ビルからスコットランドの練習を双眼鏡で眺めた。
この練習で、やはりスコットランドがFW勝負で来ることがわかった。
この時点で、スコットランドには本当に勝てるかもしれない、と宿沢は実感した。
1989年5月28日、東京・秩父宮ラグビー場。
スタンドは3万人の観客で埋まっていた。
その日の東京地方の天気予報は曇り一時雨。
しかし平尾の願いが天に届いたのか、その予報は外れ、お天道様の陽光が青い目の大男たちに容赦なく降り注いだ。
また、雨はジャパンにとって大きな敵になる。
オープンラグビーが武器のジャパンにとって、ボールが滑りやすくなる雨天では、思ったとおりのゲームメイクができないのだ。
気象庁の予想を無視した天の神様がジャパンを後押しした。
序盤、スコットランドが攻め立てるも攻めきれず、逆にジャパンはFB(フルバック)の山本俊嗣(サントリー)のPG(ペナルティゴール)で先制。
このPGのきっかけとなったのがスクラムだった。
ジャパンの小さなFWがグイと押し込み、スコットランドの大男たちがヘナヘナと後退し、たまらず反則を犯して山本のPG成功に繋がった。
スクラム重視の戦略が間違いではないことを示す先制点だった。
勢いに乗ったジャパンはBK陣がフィールドを自由自在に走り回り、スコットランドのディフェンス網を引き裂いて、前半3トライ、20−6で折り返した。
しかし、IRB加盟国のプライドとしても極東の小男たちに負けるわけにはいかないスコットランドは、後半に怒涛の攻めを見せた。
大男たちは次々にジャパンのディフェンスラインになだれ込んだ。
だが、ジャパンの精鋭たち、特にFW第三列の梶原、中島、ラトゥはオフサイドすれすれでタックルラインに入り、スコットランドの突進を食い止めた。
その結果、PGを許して4点差まで迫られたが、後半残り9分でジャパンゴール前に突進してくるスコットランドの選手を「炎のタックル」でトライを許さなかった。
ノーサイドの笛が鳴った。
28−24。
ジャパンの大勝利である。
遂に悲願の「IRB加盟国からの勝利」を宿沢ジャパン平尾組が成し遂げたのだ。
しかもトライ数は5−1とジャパンが圧倒した。
ベストメンバーではなかったとはいえ、スコットランドに勝てた意義は大きい。
その証拠に、イギリス本国の新聞も、ジャパンの歴史的勝利を大々的に報じた。
スコットランドにとってはテストマッチではないとはいえ(スコットランド協会はこの試合をテストマッチとは認めておらず、従ってこの試合に出場した選手たちにはキャップの授与はされていない)、やはり極東のラグビー弱小国であるジャパンにスコットランドが敗れたのはショックだったのだ。
ノーサイドから約1時間後、神宮の森を雷雨が襲った。
まるでジャパンの歴史的勝利を見届けてから降り出したかのように。
平尾の願いどおり、試合中には雨はジャパンの邪魔をしなかった。
「平尾を胴上げしてやれよ」
雷雨が降る前、宿沢は選手たちにそう言ったが、
「それより宿沢さんや!」
平尾はそう叫び、興奮して集まった選手たちは宿沢を天高く放り投げた。
もし雷雨がもう少し早ければ、宿沢は雷の直撃を食らっていたかも知れないが……。
胴上げが終わった後、「スコットランドには勝てると思います」と豪語した男が記者会見の場所に現れた。
この言葉を誰一人として信じていなかった記者連中に対し、宿沢は試合前から用意していたセリフを吐いた。
「お約束どおり、勝ちました」。
(つづく)