昨日の日記の続き。
「月刊少年ジャンプ」で連載されていた「キャプテン」が人気を博し、読み切りマンガしか描けないと思われていたちばあきおにも、連載マンガでも通用する実力があると評判になった。
当時、後発の週刊少年誌だった「週刊少年ジャンプ」に、「キャプテン」のようなストーリーマンガが欲しいと、「週刊少年ジャンプ」の辣腕編集長だった長野規に谷口忠男は相談を受ける。
要するに、ちばあきおに「週刊少年ジャンプ」で連載して欲しい、と頼まれたのだ。
谷口は直ちに断った。
遅筆なちばあきおが週刊連載のペースについていけるわけがない、と。
ちばあきおのマンガの描き方は下の通りであった。
「手帳大の下絵が倍の大きさの下絵になり、そのまた倍の下絵になり、その都度畳一面に下絵を並べ『この頁はムダだからとっちゃおう』とか『この頁は入れかえた方がいいな』と何度も推敲し、やっと画用紙に描くという、気が遠くなるような作業が続いた」(ホーム社『ちばあきおのすべて』より)
しかし「読者がちばあきおを求めているんだから」という長野の要請に谷口も断り切れず、無理強いをする谷口に対してちばあきおもしぶしぶ了承した。
ちばあきおは最初、ラグビーかアメリカンフットボール漫画を描こうとしていたが、資料集めに時間がかかりすぎた。
あまり一般的でなかったラグビーやアメフトのルール説明が、少年マンガでは大変だったのである。
そこで、「月刊少年ジャンプ」で連載中だった「キャプテン」の続編として「プレイボール」の連載を思いついた。
中学を卒業した谷口がどんな高校生活を送るか?
これは「キャプテン」ファンも注目をする事柄だった。
しかしこの「プレイボール」は、新連載への「ツナギ作品」でしかなかった。
ラグビーかアメフトの資料が揃えば、「プレイボール」はその役目を終える。
ところが、このツナギでしかない「プレイボール」がまたもや大ヒットとなった。
谷口タカオの高校時代のヒストリー、「キャプテン」での中学時代のチームメイトやライバルたちとの、高校時代での関わりあい、中学時代では味わえなかった全国大会に進出する厳しさ、そんなことが随所に現れる名作であった。
この「プレイボール」は高校野球マンガでありながら、遂に甲子園出場しなかった、稀有のマンガである。
もちろん、他の高校野球マンガでも甲子園に出場しなかったマンガはあるのだろうが、「プレイボール」ほど読者に愛された野球マンガも珍しい。
だが結果的に、「プレイボール」の連載は自らを追い込むこととなった。
やはり繊細なちばあきおには、週刊誌の連載は過酷な作業だったのだ。
「キャプテン」と「プレイボール」の同時連載は、確実にちばあきおの肉体と精神を蝕んだ。
その連載終了から約5年後、ちばあきおは自らの命を絶った。
読みきりのつもりで描いた「キャプテン」が映画化されるほどの人気を博し、ツナギのつもりで描いた「プレイボール」がアニメ化され、平成の世になっても愛され続けている。
既にこの世にいないちばあきおは、この現実をどう思っているのだろう。