西サモア、トンガ遠征のあとは、もう一つの敵、韓国の偵察に取り掛かった。
トンガをターゲットに絞ると言っても、韓国戦を取りこぼしたらなんにもならない。
しかも韓国には前回のアジア大会で敗れており、侮れない相手だ。
そんな韓国が香港で強化試合を行うという情報が入った。
宿沢はコーチ二人を連れてさっそく香港に飛んだ。
自分たちが来ていると韓国協会に知れると、韓国代表は手の内を見せないとも限らない。
宿沢たちは隠密行動をとり、三人バラバラで観戦した。
しかし後で聞くと、韓国協会は宿沢たちが偵察に来ていたことを知っていたそうだ。
その話を後で聞いた宿沢は、それだったら声を掛けてくれれば良かったのに、と苦労して隠密行動をとった自分たちの行為が滑稽に思えた。
このときの韓国代表の印象は、今のジャパンなら10回試合をすれば7〜8回は勝てるだろう、というものだった。
ただし、残り2〜3回が予選で出ないとも限らない。
だが、トンガを最大のターゲットにする戦略に間違いはないと確信した。
西サモア及びトンガと実際に試合をしたことは貴重な体験だったが、あくまでもBチームである。
日本代表として西サモアやトンガとの同じ地域の国と試合を経験させたいと宿沢は考えた。
そこで行ったのがフィジー代表の招待である。
前述したとおり、フィジーは第一回W杯で8強入りし、第二回は予選無しの優先出場が決まっていた。
予選で戦うことのない相手なので、手の内を見せても別に構わない。
そしてこのテストマッチは、宿沢も予想してなかった思わぬ効果があった。
前回のスコットランド戦から約10ヵ月、宿沢ジャパンにとって2度目となるテストマッチは、6−32でフィジーに完敗した。
しかし宿沢はさほどショックを感じていなかった。
フィジーはタイプ的にはトンガよりも西サモアに近いものであり、トンガをターゲットにしていた宿沢にとっては負けても方針がぶれることはなかった。
それよりもジャパンにとって初体験となる、変幻自在のフィジアン・マジックとの対戦のほうが勝ち負けよりも有意義に思えた。
世界にはオリジナリティを持って強国に挑戦しようとする国がある。
そんな国と実際に肌を合わせることができただけでも貴重な体験となった。
そしてこの頃のフィジーはトリッキーなフィジアン・マジックが大きな売りだったが、それだけでは世界の頂点には立てないと、FW強化の真っ只中だった。
そんなフィジーのFWに、ジャパンのFWが互角以上の戦いができたことは、大きな収穫だった。
そして、宿沢が予期していなかった効果が出たのはそれからである。
トンガが予選のための来日直前に、フィジーを自国に招いてテストマッチを行うという情報を得た。
宿沢はなんとしてもこの試合を見たいと思い、あらゆる伝をたどって、ようやく一人のトンガ在住の日本人に連絡が取れた。
この連絡も電話が繋がらず、FAXでなんとか用件を伝えることができ、試合のビデオが宿沢の元に届いたのは予選直前のことだった。
宿沢はさっそくビデオを見て、そして思わず、あっ、と叫んだ。
フィジーがトンガをFW戦で圧倒していたのである。
イメージ的にはFWのトンガ対BKのフィジーという対決になると思われていたが、スクラム戦でもフィジーが優位に立っている。
宿沢はジャパンのFWはフィジーには負けてはおらず、特にスクラムでは優勢だったという感触を得ていた。
FWで言えば、日本≧フィジー>トンガ、という図式になり、ゆえに、日本>トンガ、という三段論法が成り立つ。
もしフィジーと戦っていなければ、こうした比較はできなかった。
なによりも、トンガを第一目標にすえる戦略が間違っていなかったことを証明できた自信が大きかった。
宿沢はさっそく選手たちにビデオを見せて、選手たちのモチベーションと自信が向上していくことを実感できた。
このとき、宿沢の心の中でトンガに勝つ可能性が初めて5割を越えた。
(つづく)