ここ数日は日本国で安倍首相が辞任、自民党総裁選という流れになったため、我がネタラン国会でもそのことが取り上げられていたが、話を元に戻そう。
国王が野球ファンになったきっかけは先にも述べたように故・ちばあきおの描いた野球マンガ「キャプテン」「プレイボール」に魅せられたからだった。
しかしこの「キャプテン」と「プレイボール」は、いささか奇妙なマンガだった。
まず「キャプテン」は連載の予定はなく、元々は1972年に「別冊少年ジャンプ(「月刊少年ジャンプ」の前身)」で、「がんばらなくっちゃ」というタイトルで読み切りマンガとして掲載されている。
当初の予定では、何人ものキャプテン像を描いていくという予定だったが、冒頭の谷口キャプテンの話が面白かったので、新刊となる「月刊少年ジャンプ」の連載を要請される。
ちばあきおは遅筆で、読み切りしか描けない(連載ができない)漫画家だと思われていたが、月刊少年ジャンプの編集長に、ちばあきおの担当だった谷口忠男が押し切られ、タイトルを「キャプテン」と変えて連載が始まった。
ちなみに「キャプテン」「プレイボール」ファンならピンと来るだろうが、両作品の主人公である「谷口タカオ」は、担当者の「谷口忠男」から取った名前である。
もうひとつ言えば、「キャプテン」の元となった「がんばらなくっちゃ」というタイトルで、ちばあきおは自伝マンガを描いている。
ともあれ、「キャプテン」は思わぬ大ヒット作品になった。
しかもそのスタイルは、主人公が年代によって変わっていく、という奇妙なものである。
人気を博した主人公の谷口が墨谷二中を卒業すると後輩の丸井にキャプテンの座を渡し、後には一切登場しない。
丸井が卒業すればイガラシが主人公になり、その次は谷口とは全く接点がない近藤がキャプテンになって、主役を勤める。
こんな奇妙なスタイルをとるマンガは、当時は珍しかったのではないか。
普通のマンガ(もちろん映画やドラマ、小説も)は、観る者が主人公に感情移入して魅せられる。
ところが「キャプテン」にはそれがないのだ。
最初のシリーズでは谷口に肩入れをしても、卒業するともう谷口は登場してくれない。
次のシリーズでは、谷口とは正反対のキャラクターである丸井が主人公になる。
ここで読者は二つの選択を強いられる。
(1)「キャプテン」をそのまま読むために「丸井キャプテン編」を受け入れる。
(2)墨谷二中のキャプテンはあくまでも谷口だから、「キャプテン」を読むのを辞める。
(1)と(2)のどちらを選択するかは読者の自由だが、(2)を選択した人は、「キャプテン」に登場する4人のキャプテンの内の4分の1、いや「プレイボール」を含めて8分の1しか楽しめなかった人であろう。
「キャプテン」は年代ごとに主人公が変わって、そのことにより独特の雰囲気を醸し出し、読者を魅了するのだ。
努力型の谷口、チーム愛の丸井、天才肌のイガラシ、自由奔放な近藤という、全く違うキャプテン像を「キャプテン」では楽しめる。
では明日のネタラン国会では、兄弟作の「プレイボール」の魅力について討論しよう。