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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

日本最長の私鉄・近鉄の最古路線

 

大阪府の南東部、富田林市の観光案内所「観光交流施設きらめきファクトリー」で、6月19日まで「富田林と近鉄展」が行われていた。

この展示会の存在を知ったのは、富田林市や河内長野市などが詳しく書かれている「奥河内から情報発信」というブログである。

creators.yahoo.co.jp

 

近鉄、即ち近畿日本鉄道と言えば、言うまでもなくJRを除く私鉄では日本最長路線を誇る鉄道会社だ。

では、その近鉄がどの部分から始まったのかご存じだろうか。

それは、1898年(明治31年)3月に柏原~道明寺~古市間に開通した河陽鉄道がその始まりである。

 

▼現在の近鉄の全路線図。赤く囲っている部分が近鉄の元祖・河陽鉄道

 

日露戦争が開戦したのが1904年(明治37年)で、それより6年も前なのだから、相当古い話だ。

翌月の4月には富田林まで開通している。

 

しかし、当時の南河内地方は人口が少なかったせいか、翌1899年(明治32年)には河陽鉄道は経営難に陥り、早くも解散。

とはいえ、その後を河南鉄道が引き継ぎ、路線は維持された。

1902年(明治35年)には長野(現:河内長野まで路線を伸ばし、柏原~長野間が全通して、南河内地方の大動脈となる。

 

1919年(大正8年)、河南鉄道は大阪進出を目指し、社名を大阪鉄道(大鉄)と変更した。

ちなみに、この大阪鉄道は二代目で、初代の大阪鉄道は現在のJRの関西本線大和路線)だ。

1922年(大正11年)、大鉄は道明寺から分岐して布忍まで開通させる。

道明寺柏原古市の間にある駅であり、したがって柏原~道明寺柏原線(現:道明寺線という支線に格下げされてしまった。

さらに、大鉄は布忍~大阪天王寺(現:大阪阿部野橋を開通させ、念願の大阪進出を果たす。

ここに、大阪天王寺~長野を結ぶ、現在の大阪阿部野橋河内長野の直通運転と同じ運行形態が実現した。

 

大鉄はさらに大和路延長路線を計画、1929年(昭和4年)に古市~久米寺(現:橿原神宮前を開通させ、さらに吉野鉄道(現:近鉄吉野線に乗り入れて大阪阿部野橋からの直通運転を開始、現在の近鉄南大阪線とほぼ同じ運行形態となる。

つまり古市以南は本線のルートから外れ、古市~富田林~長野長野線という支線になってしまった。

これにより、近鉄最古の路線である河陽鉄道は、道明寺~古市の1駅間のみが近鉄南大阪線の一部で、それ以外の柏原~道明寺および古市~富田林~長野は単なる支線に甘んじるようになったのである。

ただし、現在でも大阪阿部野橋河内長野は直通運転を行っており、乗降客数から言えば橿原神宮前方面よりもむしろ本線格だ。

 

近鉄の歴史は1898年に開通した河陽鉄道から始まった

 

▼現在の近鉄南大阪線。開通当時の道明寺~古市以外は支線となった(御所線は省略)

 

戦時中の1943年(昭和18年)には、上本町(現:大阪上本町と名古屋・伊勢方面を結んでいた関西急行鉄道(関急)に合併されて、現在の近鉄の原型が出来上がる。

翌1944年(昭和19年)には戦時体制により、軍部により南海鉄道(現:南海電気鉄道と合併させられ、近畿日本鉄道と改称した。

戦後の1947年(昭和22年)、近鉄は再び南海と分離して、現在に至っている。

 

前置きが長くなったが、それでは「富田林と近鉄展」を見ていこう。

写真は、商業ブログでなければOKという使用許可をいただいている。

 

まず、目を惹いたのが河南鉄道時代の時刻表。

1903年(明治36年)2月となっている。

つまり、日露戦争開戦の前年だ。

この頃は既に柏原~長野間が全通していたが、まだ天王寺大阪阿部野橋方面には達していない。

 

▼河南鉄道の路線図(「富田林と近鉄展」より)

 

なお、柏原と接続している「関西線」というのは関西鉄道(初代・大阪鉄道)即ち現在のJRの関西本線大和路線)だ。

長野と接続している「高野線」とは高野鉄道、つまり現在の南海電気鉄道高野線である。

現在の南海高野線難波駅が事実上の起点となっているが、当時の高野鉄道は汐見橋駅が起点だった。

いや、現在でも南海高野線の正式な起点は汐見橋駅なのだが、全列車が難波駅を起点としており、汐見橋駅から南海高野線に直通している列車はない。

現在の南海高野線は、岸里玉出駅から難波駅まで南海本線の路線を借りている、という考え方である。

 

それはともかく、当時の河南鉄道の時刻表が面白い。

柏原から長野までの、河南鉄道の各駅の発着時刻が載っているのは当然だが、他にも「湊町」「奈良」「汐見橋」という、河南鉄道以外の駅の発着時刻まで載っている。

「湊町」というのは現在のJR難波駅、「奈良」はJRの奈良駅汐見橋は前述のとおり南海高野線汐見橋線)の汐見橋駅だ。

つまり、当時の河南鉄道は、柏原長野に接続する他社線の起終点の発着時刻まで掲載していたのだ。

なんという乗客サービスだろう。

こんなこと、現在では考えられないが、明治時代の方が乗客の利便性を考えていたということだろうか。

 

▼1903年(明治36年)2月の、河南鉄道の時刻表(「富田林と近鉄展」より)

 

しかも、長野発の上り一番列車が午前5時4分とメチャメチャ早い。

ちなみに、現在の近鉄長野線河内長野始発は平日でも午前5時29分だ。

明治時代に、それほど列車の需要があったのだろうか。

この一番列車、終点の柏原着が午前5時45分で、つまり始発から終点まで41分かかっている。

現在の感覚から言うと遅いようにも感じられるが、何しろ当時は蒸気機関車だ。

しかも、急行など速達列車はなく各駅停車と思われるので案外速い。

柏原から関西鉄道に乗り継いで、大阪都心部の湊町に着くのが午前7時7分で、ちょっと時間がかかっている。

ただ、当時はまだサラリーマン社会になってなかったと思われるため、どのような人達が一番列車を利用していたのか興味深い。

ちなみに、柏原発の下り最終列車が午後9時52分発で、これも思ったより遅かったようだ。

最終列車は長野まで行かず富田林止まりだったようで、富田林着が午後10時20分。

当時は電灯もなく、夜は早かったように思われるが、それでも明治時代の人々は午後10時過ぎまで活動していたらしい。

 

▼河南鉄道で運行されていた海外製の蒸気機関車(「富田林と近鉄展」より)

 

▼電化された1928年(昭和3年)頃の電車。「金剛」とあるのは南海高野線の金剛駅ではなく、金剛山の登山客を乗せたハイキング列車(「富田林と近鉄展」より)

 

ここからは、戦後の富田林駅周辺を見ていただこう。

現在との対比も面白い。

 

▼1960年(昭和35年)頃の富田林駅の南口(「富田林と近鉄展」より)

 

▼2015年の富田林駅の南口(筆者撮影)

 

▼1960年(昭和35年)頃の富田林駅の南口前の道(「富田林と近鉄展」より)

 

▼2015年の富田林駅の南口前の道(筆者撮影)

 

▼1908~1910年(明治41~43年)頃、現在の富田林駅前にあるコノミヤエディオン付近で、競輪が行われていたという(「富田林と近鉄展」より)

 

▼2020年、富田林駅前のコノミヤエディオン(筆者撮影)



マット界をダメにした奴ら~武藤敬司

 

「マット界をダメにした奴ら」第18回は武藤敬司
先日、来年の春までに引退すると表明した。


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馬見丘陵公園の紫陽花

 

6月18日、奈良県北中部の馬見丘陵公園に行ってきました。

梅雨の時期の花と言えばそう、紫陽花です。

それでは、色とりどりの紫陽花をご覧ください。

 

 

 

▼ここからは額紫陽花

 

今回は時間の関係であじさい小径には行かなかったのですが、こちらも綺麗な紫陽花が咲いていることでしょう。

また、現在は紫陽花だけではなく、菖蒲も見頃なので、ぜひ馬見丘陵公園へ足を運んでください。

マット界をダメにした奴ら~三沢光晴

 

「マット界をダメにした奴ら」第17回は三沢光晴
三沢が亡くなったのは13年前のちょうど今頃だった。


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新大阪駅の謎

 

東京方面から東海道新幹線に乗って新大阪駅で降りた時、戸惑った経験はないだろうか。

新幹線が新大阪駅に近付くと、車内アナウンスが流れる。

東海道線おおさか東線と、地下鉄線はお乗り換えです」

 

ところが、新大阪駅で降りてJR在来線の構内へ行くと、東海道線の表記はどこにもない。

あるのは、おおさか東線と、JR京都線JR神戸線およびJR宝塚線、そして特急の案内だけである。

「これから東海道線に乗って吹田に行かなきゃならないのに、どのホームに行けばいいんだよ!?」

と怒り出す人がいるかも知れない。

 

実は、JR西日本では「東海道(本)線」という案内はしていないのだ。

JR西日本の管轄内を走る東海道本線のうち、京都駅~大阪駅JR京都線大阪駅~姫路駅をJR神戸線という愛称を使っている。

ちなみに、東海道本線の起点は東京駅だが、終点は大阪駅ではなく神戸駅

したがって、JR神戸線のうち、大阪駅神戸駅東海道本線で、神戸駅~姫路駅は山陽本線というややこしいことになる。

 

東海道本線なのに、新大阪駅の在来線構内では京都方面行きをJR京都線と表記

 

ところが、たとえ愛称であっても新大阪駅JR京都線に含まれるはずだが、なぜか大阪や三ノ宮方面行きはJR神戸線、宝塚方面行きはJR宝塚線と表記しているのだ。

これは、新大阪駅から大阪駅までは1駅しかなく、杓子定規にJR京都線と書くよりも、一目でどこへ行くのかが判るJR神戸線やJR宝塚線と表記する方が、利用客には判りやすいからである。

ついでに言えば、JR宝塚線というのも大阪駅篠山口駅の愛称で、正式路線は大阪駅~尼崎駅が東海道本線、尼崎駅~篠山口駅福知山線だ。

 

▼西の方へ向かう東海道本線は、JR神戸線およびJR宝塚線と表記

 

それではなぜ、東海道新幹線の車内では東海道線としかアナウンスしないのだろうか。

利用客にとっては判りづらく、不便である。

それは、東海道新幹線を運営しているのはJR東海だからだ。

JR京都線JR神戸線なんていうのはJR西日本さんが勝手に付けた愛称だから、ウチは正式路線名の東海道線を使うよ」

というわけである。

したがって、JR西日本が運営する山陽新幹線の車内では、新大阪駅に近付くと「JR京都線JR神戸線」とアナウンスするのだ。

何しろ、同じJRグループといっても、JR東海JR西日本は別会社なのだから。

なお、JRの新大阪駅には駅長が2人おり、1人はもちろんJR西日本、もう1人はJR東海に所属する駅長である。

 

ついでに言えば、東京駅での在来線では正式名称の東海道線を使用しているが、実はこちらもややこしい。

東京駅の在来線地上ホームには東海道線の他に山手線、京浜東北線、中央線、上野東京ラインなどの文字が並んでいるが、正式路線としては東海道本線中央本線東北本線となる。

「え、じゃあ山手線は?」

と思うかも知れないが、実は山手線には東京駅は含まれていないのだ。

山手線の正式路線は品川駅から新宿駅を経由して田端駅まで。

つまり、山手線は正確には一周していない。

山手線は、東海道本線および東北本線の路線を借りて、ようやく一周しているという考え方だ。

東北本線の起点は上野駅というイメージが強いが、正式な起点は東京駅で、京浜東北線上野東京ライン宇都宮線などというのは愛称であり、いずれも東北本線の一部である(京浜東北線東海道本線も含まれる)。

 

マット界をダメにした奴ら~スタン・ハンセン

 

「マット界をダメにした奴ら」第16回はスタン・ハンセン。
「世界の不沈艦」はアメリカでも有名だったのか?


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想い出のフィールド(70)~八尾市立山本球場

八尾市立山本球場(行った回数:1回)

 

大阪府藤井寺市辺りから国道170号線(大阪外環状線)を北上して八尾市に入り、柏村交差点を左斜めに曲がって府道15号線を車で走行していると、狭い土地に突然、立派なスタンドのある野球場が目に飛び込んでくる。

それが八尾市立山本球場だ(以下、山本球場)。

知らない人が初めてこの道を通れば、何故こんなところに球場が?と誰もが驚くだろう。

スタンドの規模を見ると、NPB一軍戦は無理としても、二軍戦や独立リーグなら充分に開催能力がありそうである。

内野席しかないとはいえ、収容人員は2,000人で、阪神タイガース二軍本拠地の阪神鳴尾浜球場(同500人)のなんと4倍だ。

 

▼NPB二軍本拠地球場よりも遥かに大規模なスタンドの山本球場

 

山本球場というと、センバツ高校野球発祥の地である名古屋市八事にあった山本球場を連想するが、名古屋の山本球場は人名から名付けられたのに対し、現存する八尾市の山本球場の名は地名が由来。

近くに近鉄大阪線河内山本駅があるが、最寄り駅は同線の高安駅になる。

 

山本球場の開場は、戦前の1938年(昭和13年)と歴史は古い。

当時の球場名は住友球場で、つまり住友グループが建てた球場だ。

戦後の1950年(昭和25年)に近畿日本鉄道近鉄)が買収し、近鉄パールス(後の大阪近鉄バファローズ)の練習場として使用される。

1956年(昭和31年)に八尾市が所有するようになったとはいえ、近鉄はなぜ一軍はともかく山本球場を二軍本拠地にしなかったのだろうか?

ちなみに、現在の山本球場は内野が黒土、外野は芝生の立派な球場で、一塁側と三塁側のファウル地域にはブルペンもあり、スコアボードは磁気反転式という豪華さである。

 

▼内野は黒土、外野は芝生という本格的な山本球場

 

▼スコアボードは磁気反転式で選手名、審判名の欄もある

 

▼三塁側ブルペン。もちろんブルペンは一塁側にもある

 

▼バックネット裏にもボールカウントがあるが、スコアボードと同じく未だにSBO

 

これだけ本格的な球場だと、高校野球の大阪大会では使用しそうなものだが、硬式も利用可能とはいえ少年野球ぐらいしか開催されていない。

それはなぜかと言えば、山本球場は狭すぎるからだ。

 

両翼90mというのは、昭和の頃だとNPB一軍の球場でもよくあった広さだが、中堅100mはいかにも狭い。

これでは、高校野球以上のレベルの硬式野球では使用できないのも当然だ。

 

山本球場は両翼90m、中堅100m

 

山本球場は八尾市が所有し、八尾体育振興会が指定管理者となっているが、これだけ立派な球場をどうやって維持しているのだろう。

少年野球ではなかなか入場料も取れないだろうし、筆者が行ったときにはボーイズ・リーグが行われていたが、やはり入場無料だった。

 

ただし、球場内にある駐車場は普通車で2時間300円となっている(以降は1時間100円)。

この駐車場、コイン・パーキングの形態なのに何故か出口には精算機がなく、事前に球場玄関内の精算機で料金を支払い、精算済みのカードを受け取らなければならない。

筆者はそのことを知らず、車を出庫させようと出口まで運転したものの精算機がないことを知り、慌てて出口から引き返して球場玄関内で精算を済ませ、再び車に乗り込み出口で精算済みカードを差し込んだが、もし後ろから出庫の車が来ていたら身動きが取れなくなっていただろう。

混乱を防ぐためにも、精算機は出口に設置してもらいたい。

というか、出口にはカード挿入口があるのに、なぜ精算機がないのだろう?

 

 

また、球場内には売店もなく、ジュースの自動販売機だけ。

つまり、収入は駐車料金とジュースの売り上げ、フェンスの広告料ぐらいしかないわけだ。

もちろん、試合を行うチームや団体は球場利用料が必要だが、それだけでは維持費の捻出も難しいだろう。

何しろ、山本球場は大阪における少年野球のメッカなのだから、何とか運営を続けてもらいたいところだ。