週刊ファイトにコラムを書きました。
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第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。
2022年も、もうすぐ暮れようとしています。
普通、年齢を重ねると光陰矢の如し、月日の経つのが早くなるものですが、筆者にとって今年は1年が非常に長く感じられました。
まずは、父親の死です。
去年(2021年)の終盤に、父親は家の階段から落ちたためずっと入院しており、今年の初めにはT病院からA病院に転院、しかしまともに会話できない状態となりました。
そして、雛祭りの3月3日に永眠。
初めて家族を失うということを経験しました。
僅か9ヵ月前の出来事なのに、もう何年も前のことのような気がします。
さらには、暮れに母親が入院。
こちらは命に別状はなかったものの、約1ヵ月間も入院しました。
数年前、母親が入院した時は命の危険があり、筆者は医者から同意書にサインすることを求められましたが、それでも入院期間は1週間程度。
今回は命の危険がなかったにもかかわらず、回復に時間がかかり、1ヵ月間も入院を余儀なくされました。
母親の体力は確実に衰えており、「いつまでも あると思うな 金と親」を実感した1年でもあります。
個人的には、数年ぶりに旅行しました。
7月には、日帰りですが愛知県の豊田スタジアムへ。
10月には、1泊2日で東京の国立競技場へ行きました。
コロナ以来、取材以外のスポーツ観戦は一切していませんでしたが、ようやくスポーツを生観戦できるようになりました。
電車に乗ることすら、春に父親の供養のため一心寺に行ったのが久しぶりだったぐらいです。
そういえば、あべのハルカスや東京スカイツリーに登ったのも今年のこと。
そして、9月には一眼レフのカメラを購入しました。
実はその前に中古の一眼レフをネットで買ったのですが、不良品だったために返品。
これも随分前のように思えましたが今年の出来事、父親が亡くなる直前のことだったんですね。
思い出せば、父親の手続きのため役場に行ったとき、階段で四代目デジカメ(ネオ一眼=コンデジ)を落として動かなくなり、それで一眼レフを購入したのでした。
結局、四代目デジカメは復活して、中古の一眼レフは不良品だったため、元の鞘に収まったのですが。
しかし、一眼レフへの想いは消えず、中古品はコリゴリだったので、9月に新品の一眼レフを購入したのでした。
▼買ったばかりの一眼レフで、奈良県・馬見丘陵公園のダリアをボカシで撮影
それでは、2023年もネターランド王国をよろしくお願いします。
12月17日、テレビ大阪で「誰も知らんキング第4弾」という番組を放送していた。
大阪府下にある43市町村を、今まで誰も調べたことがない調査を行い、その結果をランキング形式で発表するという番組である。
その中で「マンモス団地ランキング」というコーナーがあって、富田林市の金剛団地が戸数で2位の約1.5倍という圧倒的大差で大阪府下のマンモス団地№1に輝いたのだ。
先日、このネタランで金剛団地のイルミネーションについて書いた。
そのとき、思わぬことを発見したのだ。
関西はよく「私鉄王国」と呼ばれる。
阪急電鉄、阪神電気鉄道、京阪電気鉄道、近畿日本鉄道(近鉄)、南海電気鉄道という大手私鉄が、関西5大私鉄として君臨しているのだ。
大手私鉄の会社数では首都圏の方が多いものの、首都圏の私鉄は国鉄(現:JR)に追随して発展してきたのに対し、関西の私鉄は国鉄に対し常にケンカを売っていたのである。
もちろん、私鉄同士でも激しい競争が行われたため、関西では私鉄文化が色濃く残り、各鉄道会社の特徴がハッキリしているので実に個性的だ。
大阪府下で言えば、阪神電鉄は大阪市内のみを走り、阪急電鉄は大阪府北部の摂津地域、京阪電鉄は大阪府北東部の北河内地域、近鉄は大阪府中東部および南東部の中・南河内地域、南海電鉄は大阪府南西部の泉州地域および南東部の南河内地域を網羅している。
大手私鉄各社は、沿線で宅地開発をしているため、地域によって特色がクッキリ現れるのだ。
この5大私鉄は全て大阪市を起点としているので、大阪市には全ての大手私鉄が走っているのは当然だが、それ以外の市町村では1社しか大手私鉄が走っていないケースが多い。
たとえば大阪府で2位の人口を誇り、政令指定都市でもある堺市(人口約82万人)を通っている鉄道は、南海電鉄(南海線および高野線)、泉北高速鉄道、阪堺電気軌道(阪堺線)、JR西日本(阪和線)、大阪メトロ(御堂筋線)の5社だ。
しかし、このうち泉北高速鉄道は南海高野線と直通運転しており南海グループ傘下、路面電車の阪堺電軌も南海電鉄の子会社である。
JRの阪和線ですら戦前は南海に買収されて山手線と名乗っていた時期もあるし、南海電鉄と無関係なのは元々大阪市営地下鉄だった大阪メトロだけだ。
つまり、堺市は南海電鉄の影響をモロに受けており、市内の雰囲気も南海そのものである。
豊中市(人口約40万人)も、北大阪急行電鉄(大阪メトロの御堂筋線と直通、阪急阪神ホールディングス傘下)や大阪モノレールが走っているものの、大手私鉄としては阪急電鉄のみだ。
もちろん、豊中市は阪急一色であることは言うまでもない。
同じ大阪府北東部でも、淀川を境に北側の阪急文化圏(茨木市や高槻市など)と、南側の京阪文化圏(寝屋川市や枚方市など)では、雰囲気が全く異なる。
ところが、この原則に反している市が、大阪府下には大阪市を除いて2市だけあるのだ。
それが、富田林市(人口約11万人)と河内長野市(人口約10万人)である。
富田林市と河内長野市は隣接しており、共に大阪府南東部の南河内地域にある市で、ハッキリ言うと大阪府の中でも田舎だ。
そんな田舎なのに、この両市には大手私鉄が2社も通っているのである。
その2社とは、両市とも南海電鉄(高野線)と近鉄(長野線)だ。
このうち、河内長野市の中心駅である河内長野駅は、南海電鉄と近鉄の両方が乗り入れているのだ。
しかし、インフラでは南海電鉄の方が圧倒的に上。
南海電鉄の河内長野駅は特急を含む全列車が停まるが、近鉄の長野線は南大阪線の支線となっているため特急は通っていない。
駅のホームも、南海電鉄の河内長野駅は2面4線という大きな駅なのに対し、近鉄の河内長野駅は事実上1面1線(造りとしては1面2線だが、ホームは1線しか使われていない)。
河内長野駅全体も、ほぼ南海色で染まっており、駅前のロータリーには南海バスが多く停まっているが、近鉄は隅に追いやられた感じだ。
また、河内長野駅以南は全て南海電鉄の駅であり、河内長野市全体としても近鉄色はほとんどなく、南海一色と言っていい。
近鉄は大阪阿部野橋(天王寺)へ直通で行けるが、本数が少ないうえに時間がかかる。
南海電鉄だと本数が多いし、有料特急に乗らなくても急行を利用して新今宮でJRに乗り換えた方が、近鉄よりも早く天王寺に着けるぐらいだ。
そもそも、南海電鉄ならミナミのド真ん中である難波に直通で行くことができる。
▼河内長野駅のロータリーには南海バスが多く行き来し、駅ビルも南海マーク
一方の富田林市は、南海電鉄の駅が1つなのに対し、近鉄の駅は5つだ。
これだけ見ると、富田林市は近鉄色の方が圧倒的に濃いように思える。
ところが、富田林市民が最も多く利用する南海高野線の金剛駅は、大阪狭山市にあるとはいえ市境近くに存在し、大阪府下№1のマンモス団地である金剛団地の玄関口のため、事実上は富田林市の駅と言ってもいいぐらいだ。
また、金剛駅も河内長野駅と同様、特急を含む全列車停車駅である。
さらに、金剛駅の隣り駅である大阪狭山市駅も富田林市民が徒歩で行くことができるので、富田林市と馴染みの深い南海電鉄の駅は3つあると言っていい。
そして、富田林市内の人口では南海沿線の方が、近鉄沿線よりも遥かに上だ。
とはいえ、富田林市の中心駅は近鉄長野線の富田林駅であり、河内長野市と違って近鉄が不利というわけではない。
富田林市内の中央部には、羽曳野丘陵が南北に連なっている。
この羽曳野丘陵を境に、東側が古い街並みの近鉄文化圏、西側が新興住宅地の南海文化圏と、ハッキリ分断されているのだ。
前述したように、関西では私鉄によって個性が前面に押し出されるため、同じ富田林市内でも東と西では雰囲気が全く違う。
田舎ながら大阪市以外で、2社の大手私鉄が通ずる富田林市と河内長野市。
特に富田林市は、2つの私鉄文化が存在する、大阪府下でも唯一の市と言っていい。
筆者は大阪府の南東部にある富田林市の金剛団地というニュータウンで生まれ育った。
最寄り駅は南海電鉄高野線の金剛駅である(ただし、金剛駅の所在地は大阪狭山市)。
富田林市は面積が狭いのに、西側にある新興住宅街の南海沿線と、昔ながらの寺内町が残る東側の近鉄沿線でハッキリ分かれているのが特徴だ。
市の中央部には羽曳野丘陵があり、それを境に東西で分断されている。
現在でこそ府道202号線が通じているため、南海の金剛駅と近鉄の富田林駅との距離は縮まったが、筆者が金剛団地に住んでいた頃はそんな道などなかったので、直線距離は近いのに東の近鉄沿線側に行くと同じ市にもかかわらず別世界のようだった。
鉄道会社の影響もあるのだろうが、富田林市の東と西では雰囲気が全く違うのである。
富田林市の中心部は近鉄沿線の富田林駅周辺だが、人口では南海沿線の金剛駅周辺の方が圧倒的に多い。
金剛駅の乗降客数は、高野線と南海線を合わせた南海電鉄の中でもトップクラスだ。
それでも、筆者が住んでいた頃の金剛駅は、区間急行までしか停まらなかった。
それが現在では、堂々たる特急停車駅である。
出世駅もいいところだが、筆者が金剛団地に住んでいた頃は、特急はおろか急行が停車することだって夢また夢だった。
ちなみに、南海電鉄で最高の大出世駅は天下茶屋駅で(南海線および高野線)、筆者が子供の頃は各駅停車しか停まらなかったのに、現在ではラピートαを含む特急停車駅となっている。
そんな金剛駅の駅前にある「ふれあい大通り」に冬の間、イルミネーションが施されていることを知った。
せっかくなので、生まれ故郷の美しい風景を撮影しようと思ったわけである。
もちろん、一眼レフを使った。
設定は時々変えているものの、基本的には絞り優先モードでF4.0、ISO3200、露出補正+1である。
金剛駅前は前述のように大阪狭山市のためイルミネーションは施されておらず、ロータリーを越えた市境からのスタートだ。
▼この部分から富田林市に入り、イルミネーションのスタート地点となる
▼これはネオ一眼(コンデジ)でフルオート撮影。これ以外の写真は全て一眼レフ
▼イルミネーションは、金剛駅付近からふれあい大通りを東へ延びる
▼金剛駅近くの児童公園もイルミネーションで彩られる
▼金剛駅方向(西)に向かって撮影
▼ISOを1600に落としてみる
▼こちらは先程の児童公園
▼花壇にもイルミネーション
▼金剛駅の近くではイエローだった電飾が、最初の信号を越えるとブルーに
▼フォーカスをマニュアルにして、バックをボカしてみる
▼2つ目の信号の上に架かる歩道橋にもイルミネーションが
▼歩道橋の上から金剛駅方向(西)を撮影
▼歩道橋の上から金剛駅と反対方向(東)を撮影。電飾がグリーンに変わる
かつて、この歩道橋の近くには公設市場があった。
筆者の母親は、毎日のように公設市場へ買い物に行っていたものだ。
しかし、人口が多い金剛団地も少子高齢化の波が押し寄せ、さらに郊外型の大型ショッピングセンターが多く出店したため、残念ながら公設市場は閉鎖した。
そして、昔は賑わっていた公設市場近くの金剛銀座商店会も、一部店舗を除きシャッター通りとなっている。
それでも、今回の金剛銀座商店会には、イルミネーションの灯が点った。
▼かつては金剛団地の台所だった公設市場も、現在は閉鎖
▼金剛銀座商店会に点るイルミネーション。若いカップルが座っていた
▼金剛駅近くから始まったイルミネーションも、終点が近付く
▼いたる所にあった、蝶のイルミネーション
金剛駅付近から始まったイルミネーションの終点は、金剛ショッピングモール。
この名称自体は筆者が住んでいた頃からあったが、現在では様相が全く変わってしまった。
かつては専門店街で、店舗があったのは1階のみ。
1階の中央部分が憩いの広場になっており、2階は展望フロアのようになっていた。
その頃には青冥(チンミン)という抜群の味を誇る中華料理店があったが(特に青椒肉絲が最高!)、今はもうない。
ショッピングモールの隣りには、1階がジャスコ(現:イオン)、2階が上新電機になっている建物があった。
ジャスコにはスシマスがあって、その裏にある汚いトイレはいつも魚臭かったのを思い出す。
現在ではジャスコ&上新電機は既になく、ショッピングモールには関西スーパーが入っており、当時の面影は全くない。
▼イルミネーションの終着点、金剛ショッピングモール(関西スーパー)
なお、イルミネーションの点灯期間は、来年(2023年)の1月22日まで。
興味のあるかたは、散歩もしくはドライブがてらに行ってみるとよい。