先日、こちらで日本プロ野球(NPB)の16球団制について書いた。
ところが16球団制どころか、NPBを3リーグ18球団制にするという構想があるのだ。
と言っても、このことをネットニュースや新聞で探したところで絶対に見つからない。
何しろ、この構想があったのは今から30年以上も前の1980年代前半だったのだから。
いや、構想どころかNPBで3リーグ18球団制が実現してしまったのだ。
ただし、これは小説の世界での話のこと。
それは「球は転々宇宙間(赤瀬川隼:著、文春文庫)」という小説で、なんとも超自然的なタイトルだ。
- 作者: 赤瀬川隼
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以下に書くことは内容を含むので、これからこの小説を読もうとする方は、ここから先はお読みにならない方がいいかも知れない。
もちろん、僅かなことしか書かないし、この先をご覧になってから小説をお読みになっても、充分に楽しめる内容だ。
1980年代前半、80歳にもなろうかという老コミッショナーがプロ野球界に革命を起こして、2リーグ制を解体し3リーグ18球団制を実現する、というストーリーである。
最初は各球団のオーナー連中がお飾り的に抜擢したコミッショナーだったが、プロ野球に理想論を持っていた老コミッショナーは見えない”風”を起こし、やがてその”風”は大嵐となって日本全国に吹き荒れる。
オーナー連中は大物政治家や大金を使って必死に改革を食い止めようとするが、もはやそんな力では”風”を止めることはできなかった。
そしてプロ野球は1都市1球団を原則とし、メジャーリーグのように球団名には企業名ではなく都市名を冠することになる。
やがてプロ野球の革命は、政治や経済にも大きな影響をもたらし、日本そのものが生まれ変わった―。
オーナー連中の傀儡で無力なコミッショナーばかり見せ付けられていた我々野球ファンにとっては痛快な内容だ。
なお、小説では1983年に3リーグ18球団制が実現することになっているが、その前年の82年のプロ野球はどんな状態だったのだろうか。
その年の順位と共に、各球団の本拠地球場も記してみよう。
丸数字は順位、( )内が本拠地球場である。
②日本ハム・ファイターズ*(後楽園球場)
⑤ロッテ・オリオンズ(川崎球場)
②読売ジャイアンツ(後楽園球場)
⑥ヤクルト・スワローズ(明治神宮球場)
こうして見ると、月日の流れの早さを感じてしまう。
チーム名が変わってないのは中日、巨人、阪神の3球団だけ。
阪急、南海、横浜大洋は経営母体が変わっている。
近鉄は吸収合併により消滅してしまった。
現在も一軍で使用されている球場は西武球場、甲子園球場、横浜スタジアム、神宮球場のみで、その他のほとんどの球場は取り壊されている。
上記球場のうち現在では、西武球場はドーム化され、甲子園球場はラッキーゾーンが取り払われた。
ドーム球場はまだ一つもなく、両翼90m程度の狭い球場ばかりで、両翼100m前後のメジャー級球場など考えられなかった。
最も広かったのが両翼95mの西武球場で(現在は100m)、両翼94mの横浜スタジアムですら「広い球場」と呼ばれていたぐらいだから。
藤井寺球場にはまだ照明設備がなく、近鉄主催試合のナイトゲームは日生球場に頼らざるを得ない。
後楽園球場を巨人と日本ハムが共有する、そんな時代だった。
なお、前年の81年は巨人と日本ハムがリーグ優勝したため、全試合が後楽園球場で行われている。
小説の中では、一つの球場での日本シリーズなんて異常事態だと老コミッショナーが考え、球団拡張(エクスパンション)を実行する引き金となった。
この頃は、首都圏6球団、関西4球団、東海、中国各1球団と、まさしく一極集中だったのである。
特にパ・リーグは現在と違って首都圏3球団、関西3球団と、フランチャイズ制の意味がないほど偏っていた。
この頃のパ・リーグは前後期制が採用され、前期が西武、後期は日本ハムが優勝し、プレーオフでは西武が3勝1敗でリーグ優勝を果たしている。
西武は広岡達郎が監督に就任し、徹底した管理野球によって、西武球団となってからは初となるリーグ優勝と日本一を成し遂げた。
なお、上記のパ・リーグ順位表で2位の日本ハムの後ろに*が付いているのは、シーズン通しての勝率では日本ハムが1位、という意味だ。
この年を最後に、前後期制は廃止されている。
パ・リーグの球場には閑古鳥が鳴き、テレビ中継すらない不人気状態を打破するための2シーズン制だったが、それでも人気回復の決定打にはならなかった。
一方のセ・リーグでは中日と巨人がデッドヒートを繰り広げ、中日が最終戦で横浜大洋に勝ってリーグ優勝を決めるというドラマチックな展開となった。
中日は近藤貞雄監督が率いて8年ぶりの優勝、2位の巨人は長嶋茂雄が2年前に監督を解任され、藤田元司監督を中心に王貞治助監督、牧野茂ヘッドコーチのトロイカ体制と呼ばれており、巨人ファンからは長嶋復帰待望論が渦巻いていた時期である。
巨人戦での球場は常に超満員、毎試合テレビで全国中継され、視聴率も2,30%を稼ぐキラーコンテンツで「巨人あってのプロ野球」という言葉がお題目のように唱えられていた。
つまり、プロ野球黄金時代と言っても巨人だけが栄えているという、歪な状態だったのである。
では、翌83年にはプロ野球は大改革によりどう変わったのか。
もちろん、小説の中での話である。
松リーグ
札幌ベアーズ(札幌ベアーズドーム)
奈良テンプルズ(不明)
浦和キッズ(浦和キッズパーク)
京都エンペラーズ(京都皇帝球場)
博多ドンタクス(博多ドンタクスタジアム)
竹リーグ
東京ジャイアンツ(不明)
静岡パシフィック(静岡太平洋球場)
大阪タイガース(不明)
高松パイレーツ(高松海賊基地)
広島ドリンカーズ(広島市民球場)
梅リーグ
千葉フィッシャーメン(千葉フラワースタジアム)
名古屋グランパス(不明)
神戸マリナーズ(神戸ポートピアパーク)
横浜アンカーズ(不明)
岡山モモタローズ(不明)
なんと「名古屋グランパス」なんて球団がある。
Jリーグ発足の10年も前のことだ。
しかも「浦和キッズ」なんて紛らわしいチーム名も。
赤瀬川隼は時代を先取りしていたのか?
あるいは川淵三郎がこの小説を参考にしたのかも知れない。
実は、エクスパンションはこれで終わりではなく、次点都市はまだ5つもあるのだ(秋田、富山、甲府、松江、松山)。
理念で言えば、メジャーリーグよりもJリーグに近いと言えるだろう。
なお、ジャイアンツとタイガースのみ、なぜ現行のチーム名が残っているのかについては、小説をお読みになっていただきたい。
では、3リーグもあって日本シリーズはどうする?
現在の感覚では、メジャーリーグのように2位チームの中から最高勝率チームがワイルドカードとなり、3リーグの優勝チームと共にプレーオフを行う、という方式を想像するだろう。
しかし小説では、3リーグの優勝チームのみが日本シリーズに進出する。
そして3チームで3回戦総当たりの日本シリーズを行い、3回戦のうち2勝を挙げれば勝ち点1を得るという、大学野球方式を採用する。
勝ち点2を挙げたチームが日本一となるが、3チームが勝ち点1で並んだら、今度は1回戦の総当たり戦を行う。
それでも1勝1敗で3チームが並んだら、さらに総当たり戦を行って、決着がつくまで延々と日本シリーズが行われるのだ。
まあ、かなりややこしい制度という気はするが。
なお、オールスター戦は各リーグ1回戦総当たり、計3試合を行う。
約30年前、小説の世界ではプロ野球大改革が行われたのに、現実の世界では全くと言っていいほど進歩しなかった。
それどころか、10年前の2004年には球団削減騒動という、プロ野球を退化させる動きがあったぐらいである。
今年になって16球団制案が浮上したのは、ようやく時代が追い付いてきた、ということなのだろうか。
いずれにせよ、ぜひお勧めする一冊である。