筆者は大阪府の南東部にある富田林市の金剛団地というニュータウンで生まれ育った。
最寄り駅は南海電鉄高野線の金剛駅である(ただし、金剛駅の所在地は大阪狭山市)。
富田林市は面積が狭いのに、西側にある新興住宅街の南海沿線と、昔ながらの寺内町が残る東側の近鉄沿線でハッキリ分かれているのが特徴だ。
市の中央部には羽曳野丘陵があり、それを境に東西で分断されている。
現在でこそ府道202号線が通じているため、南海の金剛駅と近鉄の富田林駅との距離は縮まったが、筆者が金剛団地に住んでいた頃はそんな道などなかったので、直線距離は近いのに東の近鉄沿線側に行くと同じ市にもかかわらず別世界のようだった。
鉄道会社の影響もあるのだろうが、富田林市の東と西では雰囲気が全く違うのである。
富田林市の中心部は近鉄沿線の富田林駅周辺だが、人口では南海沿線の金剛駅周辺の方が圧倒的に多い。
金剛駅の乗降客数は、高野線と南海線を合わせた南海電鉄の中でもトップクラスだ。
それでも、筆者が住んでいた頃の金剛駅は、区間急行までしか停まらなかった。
それが現在では、堂々たる特急停車駅である。
出世駅もいいところだが、筆者が金剛団地に住んでいた頃は、特急はおろか急行が停車することだって夢また夢だった。
ちなみに、南海電鉄で最高の大出世駅は天下茶屋駅で(南海線および高野線)、筆者が子供の頃は各駅停車しか停まらなかったのに、現在ではラピートαを含む特急停車駅となっている。
そんな金剛駅の駅前にある「ふれあい大通り」に冬の間、イルミネーションが施されていることを知った。
せっかくなので、生まれ故郷の美しい風景を撮影しようと思ったわけである。
もちろん、一眼レフを使った。
設定は時々変えているものの、基本的には絞り優先モードでF4.0、ISO3200、露出補正+1である。
金剛駅前は前述のように大阪狭山市のためイルミネーションは施されておらず、ロータリーを越えた市境からのスタートだ。
▼この部分から富田林市に入り、イルミネーションのスタート地点となる
▼これはネオ一眼(コンデジ)でフルオート撮影。これ以外の写真は全て一眼レフ
▼イルミネーションは、金剛駅付近からふれあい大通りを東へ延びる
▼金剛駅近くの児童公園もイルミネーションで彩られる
▼金剛駅方向(西)に向かって撮影
▼ISOを1600に落としてみる
▼こちらは先程の児童公園
▼花壇にもイルミネーション
▼金剛駅の近くではイエローだった電飾が、最初の信号を越えるとブルーに
▼フォーカスをマニュアルにして、バックをボカしてみる
▼2つ目の信号の上に架かる歩道橋にもイルミネーションが
▼歩道橋の上から金剛駅方向(西)を撮影
▼歩道橋の上から金剛駅と反対方向(東)を撮影。電飾がグリーンに変わる
かつて、この歩道橋の近くには公設市場があった。
筆者の母親は、毎日のように公設市場へ買い物に行っていたものだ。
しかし、人口が多い金剛団地も少子高齢化の波が押し寄せ、さらに郊外型の大型ショッピングセンターが多く出店したため、残念ながら公設市場は閉鎖した。
そして、昔は賑わっていた公設市場近くの金剛銀座商店会も、一部店舗を除きシャッター通りとなっている。
それでも、今回の金剛銀座商店会には、イルミネーションの灯が点った。
▼かつては金剛団地の台所だった公設市場も、現在は閉鎖
▼金剛銀座商店会に点るイルミネーション。若いカップルが座っていた
▼金剛駅近くから始まったイルミネーションも、終点が近付く
▼いたる所にあった、蝶のイルミネーション
金剛駅付近から始まったイルミネーションの終点は、金剛ショッピングモール。
この名称自体は筆者が住んでいた頃からあったが、現在では様相が全く変わってしまった。
かつては専門店街で、店舗があったのは1階のみ。
1階の中央部分が憩いの広場になっており、2階は展望フロアのようになっていた。
その頃には青冥(チンミン)という抜群の味を誇る中華料理店があったが(特に青椒肉絲が最高!)、今はもうない。
ショッピングモールの隣りには、1階がジャスコ(現:イオン)、2階が上新電機になっている建物があった。
ジャスコにはスシマスがあって、その裏にある汚いトイレはいつも魚臭かったのを思い出す。
現在ではジャスコ&上新電機は既になく、ショッピングモールには関西スーパーが入っており、当時の面影は全くない。
▼イルミネーションの終着点、金剛ショッピングモール(関西スーパー)
なお、イルミネーションの点灯期間は、来年(2023年)の1月22日まで。
興味のあるかたは、散歩もしくはドライブがてらに行ってみるとよい。