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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

テストマッチとは?

日本時間の6月12日、カナダのバンクーバーラグビーのカナダ×日本が行われ、日本代表が26-22で勝利した。

昨年(2015年)のワールドカップ以来、日本でも急速にラグビーに対する認識が高まったのは周知のとおり。

だが、まだ一般には浸透していないようだ。

 

たとえば、この試合を生中継した日本テレビでは「昨年のワールドカップ以来の日本代表戦」と言っていたが、実際には4、5月にアジア・ラグビー・チャンピオンシップ(ARC)で韓国代表および香港代表と各2試合ずつ、計4試合も日本代表戦を行っている。

この時の日本代表は主力を欠いた若手中心のメンバーだったからだろうが、「昨年のワールドカップ以来の日本代表戦」というのは明らかな誤りだ。

ちなみに日テレだけでなく、僕が見た限りでは他の放送局のスポーツ・ニュースでも同じような表現をしていた。

 

また、今回のカナダ×日本はテストマッチだったのだが(もちろん、前述のARCもテストマッチ)、これを日テレは別にして、他局のテレビやスポーツ関係者までが親善試合の類だと誤解していた。

たしかにサッカーなどのテストマッチはそういう意味になり、本番に向けた「選手やチームの仕上がり具合を試す試合」ということになるが、ラグビーにおける「テストマッチ」は全然違うのである。

 

ラグビーテストマッチとは、学校での試験(テスト)と全く同じ、結果が成績に現れるのだ。

今回のカナダとのテストマッチでも、勝敗によって国際ランキングに反映され、2019年に日本で行われるワールドカップの組み合わせに影響してくる。

日本は開催国なので出場が決まっているが、よりランキング上位になれば有利なプールに入れるのは当然だ。

昨年のワールドカップでイングランドは、プール分けを決める時期のランキングで低迷したために強豪国が集う「死のプール」に属してしまい、開催国でありながら決勝トーナメント進出を逃してしまった。

 

ラグビーでのテストマッチが持つ意味はそれだけではない。

テストマッチとは国と国の代表チーム同士の真剣勝負であり、出場した選手にはキャップ(帽子)が与えられ、ラガーマンとしては最高の名誉とされるのだ。

キャップ数と選手の実力が必ずしも比例するわけではないが、テストマッチ出場回数が多い選手は間違いなく尊敬される。

ちなみに言うと、ワールドカップでの試合もテストマッチの一種だ。

なお、日本代表のキャップ帽子は赤白のフェルト製で、テストマッチに出場するたびに貰えるわけではなく、初キャップ以降は5回出場ごとに星マークが1つ帽子の前面に付く。

 

テストマッチの歴史はかなり古く、ワールドカップが行われる遥か前から存在していた。

世界初のテストマッチは1871年に行われた、イングランド×スコットランドだ。

以降、ラグビーが盛んな地域でテストマッチが活発に行われるようになる。

 

やがて日本にもラグビーが伝わり、日本代表制度を導入して、英国に倣って選手にキャップを授与するようになる。

日本初のテストマッチは1932年に行われた、奇しくも今回と同じカナダ戦だった。

しかし、戦後になっても日本代表は本当の意味での「テストマッチ」には参加させてもらえなかったのである。

 

当時、国際ラグビーを統括していたのはIRFB(インターナショナル・ラグビーフットボール・ボード)で、加盟国は僅か8ヵ国。

つまりイングランドスコットランドウェールズアイルランド、フランス、ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカというラグビー強国だけだ。

日本はIRFBの準加盟国という扱いだったのである。

この頃のテストマッチは、IRFB加盟8ヵ国の間のみで、まるでヤミ談合のように行われているだけだった。

 

もちろん、日本代表もイングランド代表やウェールズ代表などと試合を行ったことがあった。

しかし、日本代表の選手には当然キャップが与えられたが、相手国は選手に対するキャップの授与は行われなかったのだ。

要するに、日本協会はテストマッチ扱いしても、相手国協会はテストマッチとは認めてなかったのである。

一部の例外を除いて、IRFB加盟国は日本代表との試合をテストマッチとは認定しなかった。

たとえば、日本代表が初めてIRFB加盟国に勝った歴史的試合、1989年のスコットランド代表戦もスコットランド協会はテストマッチ扱いしなかったのである。

したがって、最近ではこの試合を「日本代表×スコットランドXV(フィフティーン)」などと表記しているのだ。

 

IRFBは日本を差別していたのか!と憤慨する人もいるかも知れないが、日本だって他国を「差別」していた。

それは、アジア大会においてである。

当時は(今でもそうだが)日本代表にとってアジアにはほとんど敵はなく、アジア大会での代表戦をテストマッチとは認定せず、決勝戦のみをテストマッチ扱いしていたのだ。

当然、アジア大会の予選リーグに出場しても、キャップは貰えなかった。

 

逆に、日本代表が「格上」のオックスフォード大学などと戦う時は、代表戦ではないからテストマッチではないものの、キャップ対象試合として選手にキャップを与えていた。

それだけオックスフォード大学が強かったからだが、実際に当時の日本代表がオックスフォード大学に勝ったことはない。

 

元々ラグビーには、アジアのような後進地域を除いて、最強国を決めるような大会はなかった。

テストマッチこそが最高の試合で、わざわざ最強国を決める必要はない、という考え方だったのである。

これが、サッカーに比べてワールドカップの開催が大幅に遅れた原因だ。

唯一、大会のようなものだったのがヨーロッパの五ヵ国対抗(現在の六ヵ国対抗)だが、これも各国が年に一度ずつテストマッチを行っていたのが、たまたまリーグ戦のような形になっただけであり、元々は大会という概念はなかった(現在の六ヵ国対抗は大会となっている)。

 

しかし、ラグビーでもワールドカップを行おうという機運が高まり、遂に1987年に第1回ワールドカップが開催された。

当時のラグビー界はアマチュアリズムを重んじており、ワールドカップ開催はラグビーのプロ化を促すと伝統国は反対していたのだが、実力で優位に立っていた南半球の国々に押し切られた格好になったのである。

日本はアジア代表として推薦出場して、3戦全敗だったが、3試合ともテストマッチと認められた。

 

その後、ワールドカップは回を重ねるごとに巨大化し、伝統国が危惧した(?)とおりラグビーはプロ化され、現在に至っている。

現在の国際ラグビーを統括する団体はワールド・ラグビー(WR)となっており、もちろん日本も堂々たる加盟国だ。

そして今では、他の競技と同じように世界ランキング制度を採り入れている。

 

ワールドカップが始まったために、テストマッチの地位が落ちたような感があるのは否めない。

各国とも4年に1度のワールドカップを最大の目標としており、テストマッチはそれに向けての強化という位置付けになっているのも事実だ。

 

それでも、テストマッチテストマッチである。

ラガーマンにとってキャップが最高の栄誉だということに変わりはない。

毎年行われる北半球の六ヵ国対抗はますます盛んになり、南半球では四ヵ国に拡大したザ・ラグビー・チャンピオンシップが人気を博している。

もちろん、これらの試合は全てテストマッチであり、北半球の国と南半球の国とのテストマッチも数多く行われる。

また、以前は曖昧だったテストマッチの基準が、現在ではWRが認定した試合のみを指すようになり、以前のように各国の協会が認めたり認めなかったりということはなくなった。

 

そのあたりの歴史を知れば、より深くラグビーを楽しめるだろう。

なお、次の日本代表のテストマッチは6月18日(愛知:豊田スタジアム)と6月25日(東京:味の素スタジアム)に行われ、いずれもスコットランド戦だ。

前述したように、1989年に日本代表がIRFB加盟国に初めて勝った相手であり、去年のワールドカップでは唯一敗れた相手でもある。

2試合とも19:20キックオフで、日本テレビ系列で19:00から全国生中継、J SPORTS 3でも18:50から生放送される。