11月2日(土)、第9回ラグビー・ワールドカップ日本大会の決勝が横浜国際総合競技場で行われ、南アフリカ(スプリングボクス)がイングランドを32-12で破り、ニュージーランド(オールブラックス)に並ぶ3度目の優勝を果たした。
日本で、これほど素晴らしい国際大会が開催されるなんて、まさしく夢のような1ヵ月半だった。
決勝戦が行われた横浜国際総合競技場には70,103人の大観衆が詰め掛け、2002年に行われた日韓共催のサッカー・ワールドカップ決勝(ブラジル×ドイツ)の69,029人を上回り、同会場での入場最多記録を更新したのである。
この試合の視聴率はまだ発表されていないが、準決勝の南アフリカ×ウェールズは日本戦ではないにもかかわらず、平均視聴率19.5%を記録した。
大会総入場者数もまだ判らないが、182万枚のチケットのうち99%が売れたということだから、180万人ぐらいなのだろう(筆者注:後に45試合で1,704,443人と発表された)。
それ以外にも、ファン・ゾーンには100万人が訪れたというのだから、大会は大成功だったと言っていい。
ワールドカップの日本開催が決まったのは10年前の2009年。
当初は、ラグビー二流国で決して人気の高くない日本でワールドカップなど開催できるのか?と疑問視する声の方が大きかった。
この時点での日本代表のワールドカップ勝利は、僅か1勝。
国内のラグビーの試合でもスタンドには閑古鳥が鳴いており、ワールドカップで地元の日本代表が負け続けてスタンドがガラガラだったら、大恥をかくのではないかと思われたのだ。
前回の2015年のイングランド大会で日本代表がスプリングボクスに歴史的勝利を挙げ、一時的には日本にラグビー・フィーバーが巻き起こったものの、その人気は続かなかったのである。
そして今回、大会前の盛り上がりも今一つで、視聴率的にも大惨敗するのではないかと予想された。
ところがフタを開けてみると、日本代表が勝ち進むごとに視聴率はウナギ上り、初のベスト8入りすると準々決勝の南アフリカ戦では平均視聴率41.6%を叩き出した。
しかもこの数字、多くのラグビー・ファンが視聴したであろう、通好みの実況や解説をする有料テレビのJ-SPORTSの視聴者数は入っていない。
さらに、多くのファンがファン・ゾーンで試合を観ていたのだ。
もし有料テレビやファン・ゾーンがなくて、地上波テレビのみならば、視聴率はもっと凄いことになっていただろう。
日本戦以外でも、前述の南アフリカ×ウェールズをはじめ、ゴールデンタイムで地上波中継された試合では概ね2ケタ台の視聴率を記録したのである。
試合会場も、日本戦以外でも満員の大盛況。
大会前の不安を吹き飛ばした。
今大会はアジア初のワールドカップ開催となったが、それだけではない。
旧IRFB(インターナショナル・ラグビー・フットボール・ボード)加盟国以外での初開催となったのである。
旧IRFB加盟国というのは、イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランド、フランス、ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカの8ヵ国。
かつての日本は旧IRFBの準加盟国だった。
ワールドカップのホスト国は、旧IRFB8ヵ国の間で、ヤミ談合のようにタライ回しされていたのである。
そこに、ワールドカップで僅か1勝の「日本ごとき」が割って入ったのだった。
実際に、もし前回のイングランド大会で日本が1勝も挙げられずに惨敗するようだったら、開催国の変更も検討されていたという。
しかし、日本代表はスプリングボクス戦の勝利をはじめとして3勝1敗の好成績を挙げ、開催国変更の危機は回避された。
ワールド・ラグビー(WR=IRFBから改称されて、現在ではもちろん日本も正式な加盟国)も、日本大会でこれほどの大成功を収めたのは嬉しい誤算だっただろう。
ちなみに、ラグビー・ワールドカップの第1回大会が開催されたのは1987年。
サッカー・ワールドカップが始まったのは戦前の1930年で、ラグビーはそれよりも半世紀以上も歴史が浅い。
これには訳がある。
アマチュアリズムを守ってきたラグビー(ユニオン)は、ラグビーとは1つの大会で優勝を決める性質のスポーツではないと主張し、テストマッチ(国代表チーム同士の真剣勝負)こそが重要だと考えてきた。
しかし、南半球(ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカ)の代表チームが北半球(イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランド、フランス)の代表チームをテストマッチで圧倒するようになり、南半球の国からワールドカップの開催を熱望するようになった。
これに対し、北半球の国は消極的だったが、時代の流れには逆らえず、遂に1987年、第1回ラグビー・ワールドカップが開催されたのである。
北半球がワールドカップ開催に難色を示したのは、南半球に惨敗することを恐れたためだろう(実際に、今回の第9回大会までの優勝回数は、南半球の8回に対し、北半球は僅かに1回)。
その言い訳として、ワールドカップが開催されたらアマチュアリズムが崩壊して、プロ化が進むという理由があった。
その懸念が当たり、実際に1995年の第3回大会を最後にして、ラグビー・ユニオンでもプロ化が容認されたのだが。
紆余曲折はあったものの、1987年に第1回ラグビー・カップが開催された。
ホスト国は、ワールドカップ開催を主張していたニュージーランドとオーストラリアとの共催。
実はこの大会、主催はIRFBではなく、ニュージーランド協会とオーストラリア協会との招待大会という位置づけだった。
IRFBが主催となったのは、イングランドを中心に開催された1991年の第2回大会からである。
地域予選も行われず、両国の協会から16ヵ国が招待され、日本はアジア代表として出場した(結果は予選プールで3戦全敗)。
ただし、テストマッチでは唯一オールブラックス(ニュージーランド)に勝ち越している、「幻の世界最強国」と呼ばれたスプリングボクス(南アフリカ)はアパルトヘイト政策のため招待されなかった。
大会でベスト8に残ったのは、予想通り南アフリカを除く旧IRFB加盟7ヵ国と、フィジーだったのである。
優勝は、地元開催で圧倒的な力を発揮したオールブラックス(ニュージーランド)。
天敵のスプリングボクス(南アフリカ)が出場しなかったとは言え、第1回大会でオールブラックスは正式な世界最強国と認定された。
ところで、第1回大会は今の常識から考えると、驚くほど地味だった。
「ラグビー二流国」で開催された今回の日本大会でさえ、開会式は工夫を凝らした派手な演出だったのに、ラグビーが国技と言われるニュージーランドでの開会式は、ラグビーに似合わないチアリーダーが登場したとはいえ、ワールドカップと呼ぶにはあまりにも寂しいものだったのである。
今回の日本大会の開会式。日本的な要素がふんだんに採り入れられている
第1回大会の様子。冒頭の開会式はニュージーランド代表の本拠地イーデン・パーク
ニュージーランドはオークランドのイーデン・パークで行われた開会式と開幕戦(ニュージーランド×イタリア)は、なんと僅か20,000人。
今回の日本大会での開幕戦、東京スタジアムで行われた日本×ロシアは45,745人だったので、その半分以下である。
さすがに決勝戦のニュージーランド×フランスは、48,035人とイーデン・パークは超満員になったが。
上の動画を見ても判るように、オーストラリアはシドニーのコンコルド・オーバルで行われたオーストラリア(ワラビーズ)×日本は空席がかなり目立っており、観衆は僅か8,785人。
地元のワラビーズが出場しているのに、観衆は1万人にも満たなかったのである。
格下の日本相手だからかと思いきや、準決勝のフランスとの大一番でも、同会場で観衆は17,768人。
そもそも、オーストラリアと言えばラグビーのイメージが強いが、実際にはラグビー(ユニオン)の人気はさほどでもなく、オーストラリアン・フットボールや13人制のラグビー・リーグ、クリケットなどに後塵を拝しているのが現状である。
ちなみに、コンコルド・オーバルの「オーバル」とはクリケット場のことだ。
1990年代前半に、神戸製鋼でプレーしたことがある元ワラビーズのイアン・ウィリアムスは来日したとき、日本選手権での国立競技場の6万人の大観衆を見て「日本の方がオーストラリアよりも遥かにラグビー人気が高いじゃないか」と驚いていた。
第1回大会で、最も入場者数が少なかったのは、オーストラリアはブリスベンのバリモア・スタジアムで行われたアイルランド×トンガの3,000人である。
とはいえ、2003年にオーストラリアで開催された第5回大会では、シドニーのテルストラ・スタジアムで行われた開幕戦と決勝戦はいずれも8万人超えの超満員だった。
第1回大会の総入場者数は、32試合で約60万人。
今回の日本大会の総入場者数が約170万人だったので(45試合、台風で中止となった3試合は含まず)、その3分の1である。
第1回大会の1試合平均観衆が約1万9千人だったが、今回の日本大会はその倍の約3万8千人だ。
予定通り48試合が行われていたら、そして8万人収容の新・国立競技場が完成していたら、もっと総入場者数は増えていただろう。
筆者が記憶している限り、第1回大会ではナイト・ゲームは行われず、動画でも判るように決勝戦ですらデー・ゲームだった。
今回の日本大会では、人気カードは全てナイト・ゲームである。
つまり、ゴールデン・タイムでかなりの高視聴率が見込まれる大会になったということだ。