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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

盗塁

4月28日の東京ヤクルト×阪神戦で、こんなプレーがあった。
9回裏、9−3と阪神が大量リードでのヤクルトの攻撃、二死一、三塁で打者は代打のデントナ
その二球目、一塁走者の飯原がスタート、捕手の城島は送球せず、飯原は楽々と二塁を落とし入れた。
しかし、公式記録員は飯原の盗塁とは認めず、単なる野手選択と記録した。


この件に関し、稀代の盗塁王福本豊は、
「これがおかしいっちゅうねん!大量リードのチームの選手が盗塁を認められんっちゅうのはわかるけど、負けてるチームやで。盗塁を記録したらなアカンわ」
とご立腹だった。
福本は、
「大量得点差の際に盗塁を成功させても、守備側が関心を示さなければ盗塁とは記録せず、野手選択による進塁と記録する」
という、最近の日本(NPB)で採用された規則に大反対のようだ。


だが、これはおかしくもなんともない。
このケースで盗塁を記録されないのは当然である。
まず、9回で6点負けているチームが盗塁したところで何の状況も変わらず、守備側が無関心なのは当たり前だ。
守備側が考えることは、進塁を許さないことではなく、アウトを一つでも多く取ることである。
当然、一塁手はベースには着かないし、走者が走っても二塁手や遊撃手はベースカバーにも入らない。
こんな状況で二塁を落とし入れても「盗塁でござい」なんてとても言えないだろう。


この規則が日本(NPB)で適用されたのは、2年前の2008年のこと。
この規則を適用しようとした時、選手やOBなどのNPB関係者から大ブーイングが湧き起こった。
「こんなルールを採用するなんて、野球を知っているのか!?」
と。
だが、野球を知らないのはNPB関係者の方だった。


アメリカでは昔から、大量得点差があるかどうかに関わらず、盗塁に対し守備側が無関心なら、盗塁を記録しない。
もちろん、走者のスタートが良かったので捕手が諦めて送球しなかった場合は、盗塁が記録されるが。
このことは、公認野球規則10・07(g)にちゃんと書かれている。


「走者が盗塁を企てた場合、これに対して守備側チームがなんらの守備行為を示さず、無関心であるときは、その走者には盗塁を記録しないで、野手選択による進塁と記録する」


この規則を日本(NPB)では無視、というかないがしろにしてきたのだ。
それを規則通りに適用しよう、というだけの話である。
盗塁とは、走者と守備側のせめぎあいである。
プロ野球アナリストの千葉功さんに数年前(つまり、盗塁における野手選択が適用される以前)にお会いした時、千葉さんは
「日本ではアメリカと違って、守備側の無関心による盗塁が、盗塁と記録されるのはおかしいんだよな」
と仰っていた。
当時はその意味がわからなかったが、今ではわかる。
盗塁というプレーの本質さえわかれば、理解できる規則なのだ。


ただし、この規則を盗塁王争いに悪用される恐れがある。
つまり、自チームに盗塁王を目指す選手がいて、相手チームにも盗塁王争いのライバルがいる場合、そのライバルが盗塁を企てても無関心を装って単なる野手選択にしよう、という場合だ。
だが、公認野球規則10・17(g)の【原注】では、そういう意図が感じられた場合は、野手選択ではなく盗塁を記録する、となっている。


プロ野球の審判員だった島秀之助は、
「野球では公認野球規則にも書かれていないプレーが起こることがある。その際には、常識でもって判定するしかない」
と言っていた。
要するに、ルールとは杓子定規に判定したり、抜け穴を探して悪用するのではなく、あくまでも競技の本質を理解して、円滑活用されるべきものだということを忘れてはならない。