今日の夏の甲子園、佐賀北×宇治山田商の一戦は大熱戦となり、延長15回、4−4の引き分け再試合となった。
もちろん、死力を尽くして戦った両校の選手諸君には拍手を贈りたいが、どうしても納得できないことがある。
それがこの「延長15回打ち切り、引き分け再試合」という高校野球の制度だ。
この制度の問題点について、昨春のセンバツ大会における早実×関西が延長15回引き分け再試合となり、僕の意見が「週刊ベースボール」誌上に掲載された。
奇しくも同年夏、甲子園決勝戦でその早実が三連覇を狙う駒大苫小牧に対して延長15回引き分け、翌日の再試合で勝利し、日本中に大フィーバーを巻き起こした。
同じ年に春夏の甲子園で同じチームが引き分け再試合を演じるなんて、稀有のケースだろう。
なぜ、日本中を熱狂させたこの制度に僕が納得できないか?
なぜなら、この制度ができた理由は「高校生の体力を守るため」という建前でありながら、実際は「高校生の体力を害する制度」になっているからである。
かつて、高校野球では引き分け制度はなく、決着がつくまで延々と延長戦を繰り返していた。
戦前の昭和8年、夏の甲子園で中京商(現・中京大中京)×明石中(現・明石)では延長25回の末、1−0で中京商が勝ったという、気の遠くなるような試合があった。
戦後はスポーツ医学の登場で、高校生の体力に配慮して「延長18回打ち切り、引き分け再試合」という制度ができたのである。
この制度は長らく続いたが、平成10年の夏の甲子園で伝説となった横浜×PL学園の延長17回の死闘で、さらなる健康的配慮が必要と、「延長18回」から「延長15回」に短縮された。
しかし、このことが本当に「健康的配慮」になっているのか?
延長戦の期限が短縮されればされるほど、引き分け再試合の確率は高くなる。
「延長18回」の時代は滅多に引き分け再試合などなかったが、「延長15回」になってからは、去年と今年の春夏の甲子園だけでも三度もある。
「引き分け再試合」には選手にどんな負担があるのか。
「無期限延長戦」なら延長16回で済んだかも知れない試合が、「延長15回打ち切り、引き分け再試合」ならば翌日も9イニング、二日間で最低でも24イニングを戦わなければならないのだ。
これでは「健康的配慮」とはとても言えない。
まだ「延長18回打ち切り、引き分け再試合」のほうがマシだと言える。
本当に「健康的配慮」を考えるなら、「延長15回、後日サスペンデッドゲーム(一時停止試合)」制度を採用するべきだろう。
つまり、延長15回でその日は試合を中断し、後日に延長16回から始めるという制度だ。
これならば、後日にわざわざ9イニングも戦わずに済む。
このほうがずっと合理的と言えるだろう。
この方法はNPBのように移動が多いシステムでは困難だが、一ヵ所で行われる甲子園大会では難しくはない。
というより、再試合よりはずっと楽だと思える。
第一、NPBより移動が厳しいMLBのアメリカン・リーグがサスペンデッドゲームを採用していたのだ。
高校野球でできないわけがない。
このサスペンデッドゲームにはもう一つの大きなメリットがある。
それは雨天ノーゲームの不公平感をなくすことができる点だ。
いまや強豪の名をほしいままにしている駒大苫小牧がまだ甲子園未勝利だった平成15年夏、一回戦で倉敷工相手に8−0と一方的にリードしていた。
甲子園初勝利かと思われたが、無情にも豪雨のためノーゲーム、再試合となった。
翌日の再試合では2−5と駒大苫小牧が敗れ、甲子園を去った。
雨のために、前日の8点が無効となったのである。
もしこの試合がサスペンデッドゲームで行われていたなら、不公平感がなくなっていただろう。
なぜ高野連はサスペンデッドゲームを採用しようとしないのか。
もし「延長15回の熱戦のあと、翌日の試合で1回(つまり延長16回)で終わってしまっては、興が削がれる」なんて考えていたとしたら、言語道断である。
高野連はかたくなにサスペンデッドゲームという制度を否定しているわけではない。
事実、軟式高校野球ではサスペンデッドゲームを採用している(地方大会決勝および全国大会決勝を除く)。
高野連はこの矛盾をどう説明するのだろうか。