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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

ビートたけしや尾木ママが語る「残酷ショー」

8月31日、兵庫県の明石トーカロ球場で行われた第59回全国高等学校軟式野球選手権大会の準決勝、中京(東海・岐阜)×崇徳(西中国・広島)の対戦は、延長50回にも及ぶ大熱戦の末、中京が3-0で崇徳を下し、見事に決勝進出を果たした。

そして当日に行われた決勝戦では、中京が三浦学苑南関東・神奈川)を2-0で破り、7度目の全国制覇を成し遂げたのである。

 

特に延長50回という未曾有の試合となった準決勝の中京×崇徳は、多くの人の感動を呼ぶとともに、軟式野球の素晴らしさを世に知らしめた一戦となった。

その一方で「延長50回はやりすぎだ」という批判も多く寄せられたのである。

 

同じ高校野球でも、阪神甲子園球場で行われる硬式野球では、延長15回で打ち切り、後日に再試合となる。

しかし軟式の場合は、延長15回で試合が一旦打ち切りになるのは同じだが、後日に再試合とはならず、一時停止試合(サスペンデッド・ゲーム)として後日から継続試合となるのだ。

 

この試合に関し、尾木ママこと尾木直樹氏は「残酷ショー」として断罪した。

教育者として知られる尾木氏は、延長50回は教育的観点から見て、主催する日本高等学校野球連盟高野連)を徹底的に批判したのである。

 

尾木氏は軟式高校野球を「ショー」だと思っているのか?

軟式高校野球は入場料を取らず、テレビ放送もCSで録画中継があるのみ。

こんなに慈善事業的な「ショー」もあるまい。

おそらく尾木氏は、軟式高校野球なんて存在すら知らなかったのだろうが。

 

第一、尾木氏はこの試合を見ていなかったに違いない。

筆者はこの試合をテレビで見たが、中京の松井大河投手と、崇徳の石岡樹輝弥の投球は、レベルの高い硬式高校野球を見慣れた筆者から見ても、素晴らしい球を投げていた。

 

ここで揚げ足を取られないうちに書いておくが、筆者は連投が素晴らしいと言っているのではない。

個人的な意見を言えば、リリーフを送るべきだったと思っている。

 

試合終了後、勝った中京の松井投手は喜びを爆発させ、両校ナインは笑顔で握手した。

これのどこが「残酷ショー」なのか。

本当の「残酷ショー」なら、こんな笑顔は出ないはず。

おそらくこのシーンを、中東など本当の地獄に遭っている人々が見たら「こんなことぐらいで”残酷”などと軽々しく言うな!」と憤慨するだろう。

ちなみに中京の松井投手は、同日に行われた決勝戦で、最後の8、9回を6者連続三振で締めくくっている。

中京の平中亮太監督は、

「松井をここまで投げさせていいのか、という葛藤があったが、松井の『投げさせてください』という言葉でマウンドに送った」

と涙ながらに語っていた。

筆者の考えでは、それでも松井を説得して他の投手にマウンドを譲るのが指導者の役目だと思うが、やはり平中監督は決勝戦では松井の先発は回避した。

 

尾木氏は実際の試合も見ずに論評しているのだろうが、とても教育者の姿勢とは思えない。

まあ、尾木氏は野球については全くのド素人なのだから仕方はないが、ド素人がここまで断言するのは僭越だろう。

何しろ、野球についてド素人である多くの人々が、有名な尾木氏の意見をまともに信じてしまうのだから、これは大問題である。

そもそも高野連に緊急回答を求めます」って、アンタ何様のつもりだ?

なぜ高野連が尾木氏の言うことを聞かなければならないのか。

まるで、地球は自分を中心に回っている、と思い込んでいるような発言である。

この御仁は、教育者と自認しながら、その自覚がないのだろうか。

 

また、2ちゃんねるでは「崇徳が負けたのは、延長50回でピッチャーが潰れただけだろ」などという意見が載っていた。

崇徳の石岡投手は確かに延長50回表で3失点したが、決して潰れたわけではない。

この回に守備が乱れて、3点を奪われただけである。

そんな事実も知らずに、無責任に書き込む2ちゃんねらーの情報を信じる必要は全くない。

 

また、ある意見では、

「サスペンデッド・ゲームではなく、硬式と同じように再試合にすればいい」

と言う人もあった。

なぜなら、再試合だとメンバーを一新して戦うことができるが、サスペンデッドだと選手はそのまま継続されるからだ、という意見である。

だがそれは、的を射ていない。

再試合になると、メンバーを一新できるというメリットはあるものの、再試合でまた最低9イニングも試合しなければならないのだ。

今回の例で言うと、延長50回で決着がついたが、もし再試合だとさらに4イニング(つまり、延長戦で言えば54回)を戦わなければならなかったのである。

筆者の考えで言えば、硬式こそ再試合ではなく、サスペンデッド・ゲームを採用すべきだ。

ルール変更するならばサスペンデッドになった場合に限り、一度ベンチに引っ込めた選手を再度試合に登場させてもいい、という特例にしたらどうだろう。

実際に、サスペンデッド・ゲームを始める前にメンバーが怪我などをしたら、違う選手をラインナップに入れることができる。

もっとも、個人的にはこういうルール変更ではなく、指導者の意識によって投手を守るべきだと思うが。

 

そもそも延長50回なんて、まず想定できないだろう。

今までの最長試合は、1983年に行われた同じ軟式野球の延長45回だが、これは社会人野球での記録。

軟式高校野球の最長記録は、1981年と1983年での延長25回で、もちろんこの時もサスペンデッド・ゲームだった。

延長50回なんて奇跡的な試合を「想定せよ」などと言っても、それこそ結果論ではないか。

結果論でものを言うことほど、楽なことはない。

それも30年に一度、あるかないかの出来事である。

ノストラダムスじゃあるまいし、こんなことを想定できるわけがない。

まあ、ノストラダムスの大予言なんて、当たった試しがないが。

 

ここまでは軟式の話だったが、硬式の高校野球となると、大バッシングの嵐である。

その口火を切ったのが、ビートたけしの「高校野球は残酷ショー」という意見だろう。

これはネットニュースで読んだだけだが、要するに、

「真夏の昼間に野球をさせるのはケシカラン!」

ということらしい。

 

最近では熱中症の被害が頻繁に報告されているが、だからと言って高校野球を「残酷ショー」と言い切るのはいかがなものか。

もちろん、主催者は充分な熱中症対策を講じなければならないのは当然である。

高野連熱中症対策の努力は怠らず、各校のベンチにはスポーツドリンクを主に数々の飲料水を備えている。

おそらく、ビートたけしはそんなことも知らないのだろう。

 

そもそも、ビートたけしに限らず高校野球を批判する人たちは、他の高校スポーツの現状を知っているのだろうか。

夏休みに行われる高校スポーツの祭典といえば、夏の甲子園以外では全国高等学校総合体育大会高校総体インターハイがある。

こちらは全国高等学校体育連盟高体連)と、各種のスポーツ団体が主催している大会だ。

インターハイは毎年、開催県が持ち回りになっているが、冬に近鉄花園ラグビー場で行われる全国高等学校ラグビーフットボール大会インターハイの一環である。

 

その一方で、高校サッカーといえば冬に行われる全国高等学校サッカー選手権大会を思い浮かべるだろうが、実はインターハイでも夏にサッカー全国大会が行なわれている。

その、インターハイでの高校サッカーの日程をご存知だろうか。

今年の例で言えば、8月2日から8日までの7日間で、決勝進出校は6試合も戦うのである。

休養日は、三回戦を終えた8月5日のたった1日のみ。

ちなみに、今年の夏の甲子園では8月11日から25日までの15日間で6試合、しかも準々決勝の後は休養日があった。

野球より遥かに体力を消耗するサッカーで、真夏にこれほどの過密日程を強いる高体連の方が、よほど「残酷ショー」である。

だが、それを報じるマスコミはないし、このことを書くライターもいない。

ひょっとして、そんなことも知らずに高校野球批判をしているライターばかりなのか?

まあ、高校野球を叩いていれば、メシの種になるのだろうが。

 

また、高野連を解体して、高校野球高体連が主催すべき、という意見もある。

だが、これも絵に描いた餅のような考え方だろう。

そもそも、巨大イベントになった高校野球高体連がマネージメントできるとは思えない。

例えば、高野連に加盟するには年間1万円程度の会費で済む。

他にも春夏秋の大会には参加料が必要だが、8千円程度で参加できるのだ。

ところが他の高校スポーツでは、学校としての年会費の他に、部員一人一人が年会費を払わなければならない。

さらに監督まで登録料が必要なスポーツもあるという。

 

ある高校の陸上部がユニフォームを作ったところ、メーカーのロゴが邪魔だったので外したら、高体連の陸上専門部が烈火のごとく怒った。

なぜなら、そのスポーツメーカーから多額の協賛金をもらっているので、選手には広告塔となってもらわないと困るからだ。

こんな体質の高体連が、高校野球を運営できるとは思えない。

それこそ高校野球を、商売として利用するだけだろう。

 

陸上で言えば、外国人選手問題もあった。

高校駅伝では、外国人の留学生が圧倒的な力を見せつけたため、日本人選手が太刀打ち出来なくなったので、外国人選手が最も距離の長い1区を走ることを禁じたのである。

その理由も「1区を外国人選手が走ると、早々と勝負がついてしまって面白くなくなる、という意見がテレビ視聴者からあった」という、驚くべきものだった。

こんなルールを高校野球で採用すると「外国人差別だ!」と大バッシングを受けるのは間違いない。

まあさすがに、この件に関しては批判するライターもいたが、それでもこのルールは現状のままだ。

おそらく、こんなことを尾木氏やビートたけしは全く知らないだろう、と断言する。

これこそ非教育的で非人道的なルールだと思うのだが、教育者たる尾木氏がそれを批判した文章を見たことがない。

 

高校野球では特待生がしばしば問題にされるが、学校の名を売らんがために安易に外国人を留学させる他の高校スポーツの方がよほど問題だ。

きっと、外国人留学生のことをプロスポーツの助っ人選手程度にしか考えていないのだろう。

もちろん、留学生を受け入れることには何の問題もないし、国際交流という観点から見れば素晴らしいことだが、生徒を学校の商品程度にしか考えていないというのはいかがなものか。

しかも、外国人留学生に日本人選手が敵わないとなったら、本来平等であるべきルールを変えてしまうという、愚かな真似をしている。

そこにはスポーツ精神の欠片もない。

 

高校野球にも留学生選手はいるが、だからと言って助っ人的な扱いをしている選手は聞いたことがない。

いずれも「日本で勉強や野球をしたい」という留学生ばかりである。

もちろん、高野連も外国人留学生に対して余計な規制をかけたりはしない。

今年の春のセンバツに出場した八戸学院光星の蔡鉦宇選手は台湾出身だったが、夏の大会には出場できなかった。

だがこれは、蔡鉦宇が台湾の高校を半年間在籍していたため、高校在学年数による高野連の規定に触れただけで、別に留学生を締め出したわけではない。

ただし、個人的な意見を言えば、年齢規定に触れなければ、高校三年の夏まで出場資格を与えてもいい、という気はするが。

とはいえ、もちろん蔡鉦宇も「春のセンバツが最後」ということは事前に知っていた。

蔡鉦宇は台湾の高校で野球をしていたものの、台湾でテレビ放送される甲子園大会に憧れて、日本留学を決意したのだという。

台湾といえば、王貞治が高校時代に甲子園で大活躍しながら、台湾籍だったため、国民体育大会(国体)に出場できなかった、という事件があった。

こんな外国人差別の方がよほど問題である(現在では規定が変わり、一定の条件を満たせば外国籍の人でも国体に出場できる)。

もっとも王は、甲子園出場が最大の目標であって、国体に出場できなかったのは大したショックではなかったらしいが。

所詮、国体なんてその程度の認識だったのである。

 

話は逸れたが、そもそも「残酷ショー」って、ビートたけしにそんなことを批判する資格があるのか。

ビートたけしは、自らの弟子であるたけし軍団に対し、テレビで残酷ショーを繰り広げていたではないか。

裸になり熱湯や氷水を浴びせられて、のたうち回っているたけし軍団のメンバーを見て、ビートたけしは遠くで爆笑しているだけ。

これを「残酷ショー」と言わずして、なんと言おう。

ビートたけしに、高校野球を「残酷ショー」などと言う資格はない。

 

高校野球を「残酷ショー」と言い切ったライターは他にもいる。

松谷創一郎なる人物だ。

もう、高校野球を「残酷ショー」と言ってしまうことに胡散臭さを感じてしまうが、ケッサクなのは、

「打者ひとりあたりの投球が10球に達したら三振」

という、松谷氏が考え出したおバカ新ルール。

自らを「私ごとき素人」と語っているが、素人にも程がある。

この御仁は、野球というものがどんな過程を経て現在のものに辿り着いたのかわかっているのか。

 

これは松谷氏が書いたのではないと思うが、昨年の夏の甲子園で、花巻東の千葉翔太選手によるカット打法が「バントではないか?」と物議を醸した。

高野連は「バントである」との見解を示し、2ストライク後のカット打法はスリーバントで三振とする、と伝えた。

このことに関し、例によって高野連に対する大バッシング。

「カット打法はファウルにする見事な技術。これを禁止する高野連はおかしい」

野球を知らないからこんな意見が出るのだろうが、そもそもなぜファウルがストライクになるのか、スリーバントの場合だけなぜ三振になるのか、全くわかってない

その昔、野球にはストライクゾーンがなくて、やがてストライクゾーンができて、それでもファウルがストライクに数えられることはなかったが、バントに関してはストライクとなった……、という歴史があったのである。

これを語り始めると長くなるので省略するが、野球の歴史を知らないということは、野球の根本がわかっていないということである。

そんなライターが野球のことについてしたり顔で語るのは、身の程知らずもいいところだろう。

カット打法をバント扱いにするとバッシングされ、一方ではファウルで10球粘ったら三振にせよという。

全くわけがわからない。

 

しかも松谷氏は、高校野球とAKB48を同列に語りだす始末。

その理由を、

秋元康氏は高校野球をヒントにAKB48を作った」

だから高校野球もAKB48も「残酷ショー」なのだという。

全く意味不明の論法だ。

筆者もAKB48は好きではないが、だからと言ってAKB48が残酷ショーだとはとても思えない。

さらに松谷氏は、中京の松井投手や崇徳の石岡投手は、猿岩石(「進め!電波少年」時代)のような存在だという。

松井投手と石岡投手を、猿岩石と同列に語るなんて、もう論理が破綻しまくっている。

もう少しまともなことは書けないのだろうか。

 

ただし、耳を傾けるべきことも書いてあって、例えば「甲子園の外野席無料をやめにして、入場料を取ってその分を余裕ある日程運営に回すべきだ」という意見は、筆者も同じことを考えていた。

でも、中には高校野球はアマチュアと言いながら、入場料を取っているのはおかしい」などと、一見すると正論のように思える幼稚な論理を振りかざす人もいる。

こういう人は、大会運営に金がかからないとでも思っているのだろうか。

しかも、こういう人たちは、他のアマチュアスポーツは入場料を取っていないと思っているらしい。

入場料を取っているアマチュアスポーツ(学生スポーツも含む)なんていくらでもあるのだが、そちらの方のバッシングはしない。

もう、片手落ちもいいところである。

 

元々、高校野球では入場料を取っていなかった。

時は大正時代、甲子園球場が完成する前の話である。

当時の高校野球(その頃の名称は中等野球)の全国大会は鳴尾球場で行われていたが、あまりの人気によって手狭になり、甲子園という大球場を建設するに至った。

それまでは入場無料だったのだが、甲子園開場の際に、中等野球でも入場料を取ることにしたのである。

最初は「学生スポーツで入場料を取ってもいいのか」という批判もあったが、むしろファンの方が「入場料を取ってくれた方がありがたい」という意見が出た。

つまり、入場無料で満員になり、観たい試合を見れなくなるのなら、入場料を取ってくれ、という声が相次いだのだ。

現在でも甲子園の外野席が無料なのは、鳴尾球場時代の名残りだろう。

平成の世になっても「高校野球で入場料を取るのはケシカラン!」などとのたまう連中は、大正時代の人々よりもさらに考えが遅れていると言わざるを得ない。

 

でも、松谷氏が書いているように、外野席の入場無料にこだわる必要はないと思う。

甲子園を外野席無料にしている理由は、学生スポーツだからみだりに入場料を取ってはいけない、という考え方と、高野連は公益財団法人なのだから、余剰金が出すぎてもいけない、という考え方もあるのだろう。

だが、そんなことを気にする必要は全くない。

第一、同じ公益財団法人である日本相撲協会は、目が飛び出るほどの高い入場料を取っているではないか。

しかも、親方株をめぐって巨額の札束が飛び交っているのは周知の通り。

とても公益法人の姿とは思えないが、それでも公益財団法人としての認可が下りたのである。

日本相撲協会公益法人という税的優遇を受ける立場を利用し、余剰金により両国国技館を無借金でブッ建て、しかも固定資産税を払う必要はないのだ。

それに比べれば、高野連の余剰金など雀の涙もいいところである。

 

それでも、アンチ朝日新聞で知られる某コラムニストと、相手チームを見下した発言をしてバッシングを浴びた某高校野球の元監督(21世紀枠の高校に負けたのは末代までの恥、と言い切った)が一緒に出版した本では高野連は学生野球と銘打ちながら、甲子園ではビールを売っているのはおかしい」などと、トンデモないことを書いていた。

第一、ビールを売っているのは高野連ではなく、阪神甲子園球場である。

甲子園でビールを売ったからといって、高野連には一銭も入ってこない。

そもそも、ビールを売っている高校野球を批判するなら、他の高校スポーツを批判しないのはなぜなのか。

高校サッカーには行ったことがないので軽々には言えないが、おそらく国立競技場でビールぐらいは売っているだろう。

高校ラグビーについては何度も行ったことがあるので断言できるが、近鉄花園ラグビー場ではビールはもちろん、日本酒やチューハイなど、ありとあらゆるアルコール類が売られている。

しかし彼らは、そんなことは批判しない。

よっぽど高校野球(あるいは高野連朝日新聞)をバッシングしたいのか、あるいは単なる無知なのか。

 

木走正水なるライターが書いた文章など、高校野球を利用してアンチ朝日新聞の論評をしているのがミエミエ。

幼稚な論理で、無知な読者を取り込もうと必死で書いているのがわかる。

大体、こんな人物が本気で「投手の肩を守ろう」なんて崇高な信念を持っているとは思えない。

単に朝日新聞(あるいは高野連毎日新聞)が気に入らないだけである。

 

筆者の知人がこんなことを言っていた。

「僕はアンチ高野連です。○○投手(○○投手とは、甲子園で延長15回を投げ切り、翌日の再試合でも登板した投手で、その後はプロに進んだ)なんて潰れてしまえばいい」

この人の名誉のために言っておくと、野球界に尽力している方なのだが、それでも「潰れてしまえばいい」と言っているのである。

こういう人ですら「潰れてしまえばいい」と言っているのだから、某コラムニストや木走氏などのアンチ朝日新聞の連中が、本当に選手の未来を心配しているとは思えない。

むしろ、選手が潰れることを切望して、実際にそうなったら「それ見たことか」と赤飯でも炊いて大喜びするのだろう。

他人の不幸を喜ぶ、これを「偽善」と言わずして、なんと言おうか。

 

木走氏なんて怪しげなライターの意見をまともに受け取るなんてアホくさいが、まともなスポーツライターでも問題のある人は沢山いる。

その代表格が玉木正之氏で、アメリカ人のロバート・ホワイティング氏と組んで日本野球の大バッシングをしていた。

もちろん、高校野球もその槍玉に上がっていて、「こんなことはアメリカのベースボールでは有り得ない」とのたまっていた。

アメリカではレベルの低い高校野球など見向きもされず、関心があるのはレベルの高いメジャーリーグや、地域に密着したマイナーリーグなどのプロ野球だけだという。

ところが、高校野球よりも遥かにレベルの低いリトルリーグは、アメリカでは日本よりも遥かに高い注目を集めているのである。

もちろん、アメリカではリトルリーグのテレビ中継もされており、日本でも世界大会をCS放送で見たことがある人もいるだろう。

でも日本では、リトルリーグの国内試合がテレビ中継されることはない。

アメリカの方がよっぽど異常である。

 

そして、アメリカのリトルリーグで注目され、散々大人に利用された挙句に潰れてしまった選手も大勢いた。

だが、そんなことは玉木氏やホワイティング氏は書いたりはしない。

ただ単に「日本野球はダメ、アメリカのベースボールは素晴らしい」と言うのみである。

正直に言うと、筆者も玉木氏やホワイティング氏の著書を沢山持っており、その思想にハマりかけたことがある。

だが、彼らの著書に悪質な誤りが多く見つかったので、その思想から脱却することができた。

ちなみに、玉木氏とホワイティング氏が共著した「ベースボールと野球道」という、日米の野球比較を書いた本に関して(わざわざ「野球」の後ろに「道」という文字を入れているだけで、日本野球を叩いてやろうという魂胆がミエミエなのだが)、メジャーリーグ通で知られるライターの梅田香子氏は「冗談の羅列」と断罪した。

あまりにも事実とかけ離れていたからである。

 

彼らほどではないが、やはりスポーツライターとして知られる二宮清純氏も怪しい。

二宮氏は、甲子園で酷使された沖縄水産大野倫投手や、天理のエースだった本橋雅央を例にとって、高校野球批判をしている。

この批判自体は正しい。

特に当時は、投手の肩や肘を守るという意識が希薄で、ケアに関しても充分ではなかった。

だが今では、ケアに関してかなり進歩している。

そして二宮氏が語っているのは、今から20年も前のことである。

なぜ問題を提言するのなら、最近の例を示さないのか不思議だ。

おそらく、最近の例を提示すると、論理が破綻するからだろう。

 

しかも問題は、この部分。

 

1978年の西田(PL学園-法大-広島)、80年の愛甲(横浜高-千葉ロッテ-中日)、81年の金村(報徳学園近鉄-中日-西武)、82年の畠山(池田高-南海-ダイエー-大洋-横浜)らは炎天下の酷使で肩やヒジを痛め、その後はバッターに転向した。荒木(早実-ヤクルト)、水野(池田高-巨人)、三浦(横浜商-中日)、野中(中京-阪急-オリックス-台湾・俊国-中日-ヤクルト)、川島(東亜学園-広島)

 

彼らが甲子園で酷使されたために、プロでは活躍できなかったのだと言う。

本当にそうなのか?

1978年の西田(真次=後の真二)や1981年の金村(義明)なんて、打撃のセンスがいいから打者に転向しただけの話である。

彼らは大学(西田は法政大学)やプロ(金村は近鉄バファローズ)に行った早々に、打者に転向した。

別に甲子園で肩や肘を酷使されたからではない。

二宮氏はそんなことも知らんのか?

その他の愛甲(猛)や畠山(準)、荒木(大輔)、水野(雄仁)、三浦(将明)、野中(徹博)も、甲子園での酷使が一因でプロの投手として活躍できなかったと書いているが、筆者の目から見ても彼らがプロで活躍するとは思えなかった(それでも荒木や水野はある程度は活躍した)。

要するに、高校野球での酷使が原因ではなかったのである。

ただ一人、川島(堅)だけはプロでも通用すると思っていたが、残念ながら大成しなかった。

でもそれは、高校野球での酷使が原因だったとは思えない。

例えば、川島と同い年で甲子園でも活躍した伊良部秀輝野村弘(後の弘樹)、橋本清らはどうなる?

彼らは甲子園で投げ抜き、しかもプロで大活躍したではないか。

要するに二宮氏が書いているのは、自分の論理に都合のいいデータを示しているだけである。

 

そもそも、高校野球で大活躍しながら、プロでは通用しなかった例は枚挙に暇がない。

投手では確かに、連投で潰れたケースもあるだろうが、打者ではそんなことは有り得ないだろう。

例えば、藤王康晴、内之倉隆志、萩原誠ら、甲子園を沸かせたスラッガーがプロでは活躍できなかったのである。

それほどプロはレベルが高く、甲子園で活躍したからといって通用する世界ではないのだが、投手だって同じことだ。

だが二宮氏は、甲子園球児がプロで活躍できないのは、甲子園で酷使されただからだと決め付けている。

 

じゃあ問うが、夏の甲子園で準決勝まで進出した工藤公康が47歳までプロで投げ続けた事実をどう説明するのか。

そして桑田真澄は、5季連続甲子園出場をして甲子園20勝を挙げた上に、プロでも通算173勝を挙げて、39歳でメジャーリーグのマウンドを踏んだ。

現在でも、松坂大輔杉内俊哉ダルビッシュ有田中将大など、甲子園に出場しながら潰されずに、プロで活躍している投手はいくらでもいる。

もちろん、プロ入り後に故障した投手もいるが、それは高校野球だけが原因ではなかろう。

第一、高校野球で酷使されていないはずのアメリカの投手が、メジャーリーグでは故障しまくっているではないか。

そのことを説明するメディアを見たことがない。

 

とはいえ、何度でも書くが、投手が連投してもいいと言っているわけではない。

当然、投手には休養を与えるべきだろう。

でもそれは、球数制限やタイブレークなどのルールで縛るのではなく、各校の指導者が実践するべきだ。

タイブレークについてはこちらで書いたので、それを参照してもらいたい。

 

ただ、必ず持ち出されるのが「高校生を大人の事情で潰すのは良くない」という論理だ。

この点については、筆者も賛成である。

だが、だからタイブレークを採用すべき、という論調になるのだが、筆者はタイブレークが投手を守ることになるとは思えない(それは上記で書いている)。

ところが、あるメディアが高校球児に対してアンケートを取ると、タイブレークには大反対」という意見がほとんどだった。

しかし、このアンケート結果に対して、タイブレーク推進派は「高校生の意見を聞く必要はない」などと言い出す始末。

「高校生を大人の事情で潰すのは良くない」という連中が、当事者である高校生の意見を無視せよ、とはどういうこと?

要するに、高校生がタイブレークを反対しているという事実を知って、これはまずいと思い「そんな意見は無視せよ」とのたまっているだけである。

これを「大人の事情」と言わずして、なんと言おう。

つまり、自分の気に入らない意見を抹殺しようとしているだけである。

 

だが、今年の夏の甲子園では、大阪桐蔭が4度目の優勝を成し遂げたが、残念だったのは投手起用だった。

大阪桐蔭は準々決勝から決勝まで、エースの福島孝輔投手を連投させたが(1日の休みあり)、果たしてその必要があったのか。

大阪桐蔭にはもう一人、二年生左腕の田中誠也という投手がおり、三回戦での八頭戦では見事な完封勝利を収めていた。

それほどの投手がいたのに、福島を連投させた理由がわからない。

準決勝の敦賀気比戦では、9失点もしたにも関わらず、福島を完投させている。

準決勝で福島を先発させた理由もわからないが(ローテーションで言えば田中が先発するはずだった)、なぜいくら打たれても福島を続投させたのか。

結果的には大阪桐蔭が優勝するのだが、あの投手起用は未だに疑問である。

もちろん、田中投手を登板させたら負けたかも知れないが、それは仕方がないことだ。

 

だからと言って、投球制限やタイブレークなどのルールによって縛るのは反対である。

それは、指導者の認識によって実践されるべきだ。

例えば、プロ野球でもかつては鉄腕・稲尾和久が酷使されたり、「権藤、権藤、雨、権藤」の権藤博が潰されたりしたが、それでも球数制限などのルールを設けなかった。

そして現在では、中6日のローテーションが確立され、さらに分業制によって投手の肩や肘が守られている。

要するに、その方が利益があると悟ったのだ。

むしろ、スポーツ医学が発達しているはずのアメリカでは未だに中4日のローテーションが当たり前であり、その結果として多くの投手が故障者リスト入りした。

高校野球でも同じことで、ルールで縛るのではなく、指導者がその認識を持つべきだ。

その点では、大阪桐蔭西谷浩一監督の投手起用は残念である。

もちろん、ベンチを預かる身として、勝利にこだわるのは否めない。

2012年の春夏連覇の時だって、藤浪晋太郎を連投させたが、控えには澤田圭祐という素晴らしい投手がいた。

澤田は高校卒業後、立教大学に進学して、現在では主戦投手として活躍している。

これほどレベルが高い投手を擁していたのだから、藤浪一人に託すことはないと思うのだが、だからと言って藤浪が潰されたわけではない。

連投となった夏の甲子園決勝、強打の光星学院(現:八戸学院光星)を全く寄せ付けず、完封勝ちしてみせた。

筆者はこの試合を生観戦したが、これほど凄いピッチングはなかなかお目にかかれない。

藤浪は阪神タイガースに入団後、高卒1年目でいきなり10勝をマーク、2年目の今年も現時点で8勝を挙げている。

高卒でこれだけの成績を挙げる選手など、滅多にはいないのだ。

 

これでも識者たちは「高校野球が投手を潰す」などと言うのだろうか。

こんなのは幼稚な論理としか言う他はない。

むしろ、高校野球が投手を育てているのである。

このことを指摘するライターがほとんどいないのはなぜなのか?

やはり、野球を知らないだけなのか?

 

 

2010年の晩夏に兵庫県立明石公園第一球場(現:明石トーカロ球場)で行われた、軟式高校野球の全国大会。入場無料でのどかな雰囲気、甲子園の喧騒とは無縁の世界だった

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