日本で開催された第9回ラグビー・ワールドカップが幕を閉じた。
台風のため3試合が中止になったのはマイナス点だが、それでも45試合で約170万人の観衆を集め、99.3%のチケットが売れたうえに、ファンゾーンには史上最多となる約113万7千人もの人数を集めたのである。
平均視聴率の最高は準々決勝の南アフリカ×日本の41.6%(関東地区、以下同)、瞬間最高視聴率はプールAの日本×スコットランドの53.7%だった。
日本戦以外でも、平均視聴率で決勝の南アフリカ×イングランドは20.5%を叩き出し、瞬間最高視聴率では準決勝の南アフリカ×ウェールズで26.9%を記録、「スポーツで日本戦以外では視聴率は稼げない」という定説を覆したのだ。
しかも、この視聴率は地上波のみの数字であり、同時に有料放送のJ-SPORTSや、試合によっては無料放送のBSでも生中継していたのである。
主催のワールド・ラグビー(WR)のサー・ビル・ボウモント会長は「2019年日本大会はおそらく過去最高のラグビーW杯として記憶されるだろう。素晴らしく、謙虚で歴史的なホスト国であった日本と日本人に心の底から感謝したい」とコメントしたが、これは決してお世辞ではあるまい。
今回のW杯は、単に観客動員や視聴率だけではなく、今までとは違う非常に意義のある特別な大会となった。
それまでのW杯は、ワールド・ラグビーの前身であるIRFB(International Rugby Football Board)の加盟8ヵ国(イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランド、フランス、ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカ)のみで行われてきた。
要するに、これら伝統国でなければ、W杯を開催しても失敗するだろうと思われていたのである。
しかし、ラグビー後進国に過ぎない日本での開催の大成功によって、それも覆された。
今後のW杯では日本大会が引き金となって、旧IRFB加盟8ヵ国以外、たとえばイタリアやアルゼンチン、アメリカおよびカナダ(両国の共催も有り得る)などでも開催されるかも知れない。
筆者は開幕して2日目で、もう疲れ果ててしまった。
開幕戦が緊張感タップリの日本×ロシア、2日目がオーストラリア×フィジー、フランス×アルゼンチン、ニュージーランド×南アフリカと、好カードが目白押しだったからだ。
今までは深夜、しかも有料放送でしか見られなかったこれらW杯の好ゲームが、ゴールデン・タイムや土日祝日の昼間に地上波で放送される。
この時点で既に、W杯が日本で開催されたことに感謝していた。
さて、そんな中からベスト・ゲームを選出するのは大変だが、筆者が選ぶトップテンを発表しよう。
単なる好勝負というだけではなく、番狂わせや歴史的意義なども加味している。
⑩○ウェールズ29-25オーストラリア●(9/29 プールD:東京スタジアム)
勝った方がプールD1位通過濃厚となる大一番。
試合はW杯史上最速となる開始後35秒でのウェールズのSOダン・ビガーのドロップ・ゴールで幕を開けた。
その後もオーストラリア(ワラビーズ)はインターセプトからトライを奪われるなど、過去2回の優勝を誇る国とは思えないプレーを連発して劣勢に立つ。
それでもワラビーズは必死に追いすがるも、ウェールズが何とか逃げ切り、W杯では1987年の第1回大会3位決定戦以来の対ワラビーズ勝利を収めた。
プールDを2位通過となったワラビーズは準々決勝でイングランドに16-40で惨敗、前回準優勝国らしさを見せぬまま日本を去ったのである。
⑨○ウルグアイ30-27フィジー●(9/27 プールD:釜石鵜住居復興スタジアム)
W杯で過去1勝のウルグアイが、決勝トーナメント進出経験のある強豪フィジーに挑んだ一戦。
一進一退の攻防となったが、ウルグアイが「フィジアン・マジック」のお株を奪うような見事なトライを重ねる。
フィジーも必死で反撃するが追い付けず、ウルグアイが逃げ切って番狂わせを演じた。
復興の街・釜石での歴史的勝利は、多くの人に勇気を与えただろう。
⑧○フランス23-21アルゼンチン●(9/21 プールC:東京スタジアム)
「死の組」と呼ばれたプールC、開幕2日目に過去3度の準優勝を誇るフランスと、前回4強のアルゼンチンが激突するという好カード。
「フレンチ・フレア」フランスのスピードと、アルゼンチンのパワーがぶつかり合う、予想に違わぬ好勝負となった。
前半、フランスが大きくリードしたが、後半にアルゼンチンも巻き返し、試合終了間際に2点ビハインドのアルゼンチンが敵陣でペナルティを得るという絶好のチャンス。
しかしペナルティ・ゴールは無情にも外れ、フランスが苦手のアルゼンチンを下した。
この1敗が響き、アルゼンチンは決勝トーナメント進出を逃してしまったのである。
⑦○ニュージーランド23-13南アフリカ(9/21 プールB:横浜国際総合競技場)
2連覇中のニュージーランド(オールブラックス)と、過去2回の優勝を誇る南アフリカ(スプリングボクス)が、開幕2日目でいきなり激突。
しかし、試合はオールブラックスが強固なスプリングボクスのディフェンス・ラインを引き裂き、縦横無尽に暴れまわる。
終わってみればスプリングボクスに勝ち点を与えず、オールブラックスが3連覇に向けて好発進。
今回もやはりオールブラックスがテッパンなのか、とこの時点では誰もが思った。
⑥○日本28-21スコットランド●(10/13 プールA:横浜国際総合競技場)
台風19号の影響で開催が危ぶまれたこの試合、中止ならば日本の決勝トーナメント進出が決定したにもかかわらず、大会スタッフはホスト国のプライドにかけて試合を開催すべく、横浜国際総合競技場を最高の状態に仕上げた。
ゲームは日本の松島幸太郎と福岡堅樹の両WTBがトライを重ね、後半開始早々には早くも4トライを奪ってボーナス点を得るなど一方的リード。
スコットランドも伝統国の意地で後半に巻き返すも届かず、日本が4戦全勝でプールAを堂々の1位通過、初のベスト8入りを果たした。
⑤○南アフリカ32-12イングランド●(11/2 決勝:横浜国際総合競技場)
3度目の優勝を狙う南アフリカ(スプリングボクス)と、ニュージーランド(オールブラックス)の3連覇を阻止して意気の上がる過去優勝1度のイングランドとの決勝戦。
イングランド有利という前評判だったが、フィジカルに勝るスプリングボクスが徐々に点差を拡げ、強固なディフェンス陣がイングランドをノートライに抑える。
終わってみれば20点差の完勝、スプリングボクスがオールブラックスと並ぶ3度目の世界一となった。
初戦でオールブラックスに敗れてからチームを立て直したスプリングボクス、1敗しての優勝はW杯史上初である。
④○ウェールズ20-19フランス●(10/20 準々決勝:大分スポーツ公園総合競技場)
70年代は「赤い恐竜」と恐れられたウェールズと、大物食いの「フレンチ・フレア」フランスとの闘い。
2011年のW杯では準決勝で両国が対戦し、フランスが9-8の1点差でウェールズを破っている。
北半球同士の意地をかけた一戦は、フランスが有利に試合を進めたが、後半開始早々にラフプレーによって退場者が出たためにフランスは1人少ない14人で戦わざるを得なくなった。
それでもリードを保っていたフランスだったが、残り10分を切ったところで自陣マイボール・スクラムを押し込まれ、ボールを奪われてトライを許してしまった。
コンバージョンも決まり、1点差で涙を飲んだフランスは、今回も悲願の初優勝はならなかったのである。
ウェールズは2大会ぶりの4強、8年前とは逆にフランスを1点差で屠った。
③○日本19-12アイルランド●(9/28 プールA:小笠山総合運動公園エコパスタジアム)
大会前は世界ランキング1位で、優勝候補の一角に挙げられていたアイルランド。
当然、試合前の下馬評では日本が圧倒的不利だった。
しかし、WTB福岡堅樹の逆転トライが決まると、日本は見事なディフェンスでアイルランドの猛攻を食い止め、遂にこの強敵を破ったのである。
日本の歴史的勝利は「シズオカの衝撃」と世界中に打電された。
日本でも、ラグビーW杯が本当の意味で認知されたのは、この試合からと言ってよい。
②○南アフリカ19-16ウェールズ●(10/27 準決勝:横浜国際総合競技場)
3度目の優勝を狙う南アフリカ(スプリングボクス)と、初の決勝進出を目指すウェールズとの一戦。
スプリングボクスはSHファフ・デクラークが起点となって攻め、反則を奪うとSOハンドレ・ポラードが着実にペナルティ・ゴールを決めて加点する。
ウェールズも追いすがるが、SOダン・ビガーを後半早々に下げてしまった。
結局、地力に勝るスプリングボクスが3点差で逃げ切って、決勝進出を果たしたのである。
①○イングランド19-7ニュージーランド●(10/26 準決勝:横浜国際総合競技場)
ラグビーの母国イングランドが、いかにニュージーランド(オールブラックス)の3連覇を阻むか、焦点はその一点に絞られた。
そして、試合前から闘いは始まっていたのである。
オールブラックスのハカの際に、イングランドの選手たちはVの字でハカに迫り、ハーフウェイ・ラインを越えてしまった。
おかげでイングランドには罰金が科せられたが、結果的には安いものだったと言えよう。
心理的に優位に立ったイングランドは、オールブラックスにラグビーをさせず完勝。
前回大会では日本を率いて南アフリカ(スプリングボクス)を破った知将エディー・ジョーンズHCの作戦が全て当たった、イングランドにとって会心のゲームだったのである。
しかし、エディーの神通力も決勝戦までは続かなかった。
以上が、筆者の選ぶトップテンである。
もちろん、異論はあるだろう。
しかし、これだけは異論がないに違いないと確信していることがある。
それは、W杯が行われた44日間が、誰にとっても夢のような出来事だったということだ。
次回、2023年のフランス大会では、どんな夢を見させてくれるのだろうか。