今年(2017年)の1月16日、5人の野球殿堂入りが発表された。
そして、特別表彰としてアマチュア野球から故・郷司裕(ごうし・ひろし)氏と故・鈴木美嶺(すずき・みれい)氏が選ばれた。
特に、特別表彰となった郷司さんと鈴木さんが選ばれたのは、非常に嬉しく思う。
やっぱり、見ている人はちゃんと見ている、と思ったものだ。
この2人がどんな人物だったか、筆者が知っている限りで書いてみたい。
”疑惑”の名審判
「郷司」という珍しい苗字を憶えている、古い高校野球ファンは多いと思う。
アマ野球の審判として鳴らし、特に高校野球では何度も甲子園決勝の球審を務めるという、名審判として知られた人物だ。
ところが、そんな郷司さんがとんでもない誹謗中傷を浴びたことがある。
1969年、夏の甲子園決勝は、史上最高の名勝負と言われた。
名門の松山商業(愛媛)と、東北の無名・三沢(青森)との対戦である。
実績では野球どころの四国から出場してきた松山商の方が圧倒的に上だが、弱小県の青森で実績もない三沢には絶対的エースの太田幸司(元:近鉄ほか)がいた。
「元祖・甲子園アイドル」と呼ばれた太田と、松山商の技巧派エース井上明との投げ合いは、思わぬ名勝負を生んだのである。
結論から先に言えば、この試合は当時の規定により延長18回、0-0で引き分け再試合となった(再試合では4-2で松山商が勝利して優勝)。
この試合で球審を務めていたのが郷司さんである。
そして、問題は0-0の延長15回裏、三沢の攻撃中に起こった。
三沢は一死満塁と攻め立て、打者は九番の立花五雄。
ここでカウントは3-1と、松山商は絶体絶命に追い込まれる。
運命の5球目、井上が投じた球は低かった。
この時、NHKのアナウンサーは思わず「ボ……」と言いかけている。
ここでボールだと押し出し、三沢が東北勢として初優勝を飾るところだった。
しかし、郷司さんの右腕は大きく上がり「ストライク!」とコール。
カウントは3-2となる。
試合終了後、記者団から郷司さんに質問が飛んだ。
「あの時の球、ボールだったんじゃないんですか?」
郷司さんはドキッとした。
郷司さんにとって、この時の球は何の躊躇なくストライクと判定したからである。
しかし他人からは、あの球がボールに見えたのか……。
いくら自信を持って判定したつもりでも、間違いがないとは限らない。
そして、その1球が勝負を、あるいは選手の人生を左右することもある。
審判にとって、自信と不安はいつも背中合わせだ。
しかも、後に週刊誌で「あれは『明治ストライク』だ」などと言われもした。
明治ストライクとは、明治時代のストライク・ゾーンという意味ではなく、明治大学のストライクということである。
郷司さんは明治大の出身で、松山商の一色俊作監督も明治大出身、井上投手も松山商の卒業後は明治大に進学した。
要するに、井上投手を明治大に引き抜くために、あの時のボール球をストライクとコールしたというわけである。
まったくもってバカバカしい論理だが、当時はそれを真に受ける人もいた。
さらに、カウント3-2となった次の球で、また問題が起きた。
立花が打った打球はショートゴロ、ショートがバックホームすると三塁ランナーは本塁憤死。
ところが、郷司さんのアウト・コールが波紋を呼んだ。
キャッチャーがランナーにタッチする前に、アウトをコールしたからである。
「なんでタッチもしてないのにアウトなの?信じられなーい!あの審判、松山商びいきなのね」
などと言われる始末。
しかし、この時は満塁だったので、タッチアウトではなくてフォースアウトだったのだ。
だが、松山商のキャッチャー大森光生は緊張していたのか、しなくてもいいタッチをわざわざしにいっている。
もちろん、郷司さんはフォースアウトを確認したので、タッチする前にアウトをコールしたわけだ。
しかし、太田が目当ての女の子は、野球のルールなんて知らない。
そしてヒステリックに郷司さんを非難したのだ。
しかも、そんな女の子たちのご機嫌取りか、あるいは売らんがために乗っかったのか、マスコミは郷司さん批判を展開したのである。
郷司さんにとって、忸怩たる思いだっただろう。
しかも、間の悪いことにNHKのアナウンサーは「タッチアウト!」と叫んでいた。
実際はフォースアウトなのに。
もちろん、日本高等学校野球連盟(高野連)はそんなマスコミに惑わされることはなく、郷司さんの審判としての力量を高く評価して、春夏の決勝戦では11年連続で球審を務めている。
郷司さんは、ある強豪校の監督から、こんな質問を受けた。
「どんな動作がボークになるんですか?(ボークすれすれの動きをして)こういう動作ならどうでしょう?」
しかし、郷司さんは言い放った。
「そんなことを訊いてどうするんです。走者を騙そうとするのがボーク。公認野球規則に書いてある通りです」
野球は騙し合いではなく、正々堂々とプレーするスポーツ。
郷司さんは、野球の原点を貫いた審判だった。
”ずるい野球”を許さない記者
郷司さんは知っていても、鈴木美嶺さんの名前を知っているのは、よほどの野球通だろう。
鈴木さんは戦後間もない頃に、毎日新聞の運動部記者となった。
そして、東京六大学野球連盟の規則委員も務めている。
さらに、プロとアマの公認野球規則を一本化したのも、鈴木さんの功績だ。
つまり、野球のルールについては熟知していたのである。
筆者が初めて鈴木さんのコラムを読んだのは、中学生の時だった。
高校野球雑誌に載っていたコラムで「勝たんがために、ルールの抜け穴を利用しているチームが多すぎる」と痛烈に批判した記事だった。
当時の筆者は、
「なに固いこと言うてるねん、このオッサン。ルール違反してなければ、勝つためにルールを利用するのは当たり前やろが」
と思っていた。
しかしその後、筆者も野球を深く知るようになり、鈴木さんの言わんとすることがわかってきた。
鈴木さんは、正々堂々とする野球を提唱していたのである。
たとえば、郷司さんの項でも触れたが、ボークすれすれのモーションで走者を騙す行為を鈴木さんは嫌った。
あるいは、走者が盗塁を企てた時に打者がわざと空振りして、よろけるように本塁へ踏み出して捕手の送球を妨げる、という行為も同じだ。
そして、捕手の危険なブロックも、一つ間違えれば大怪我に繋がる。
これらは、たとえルールの抜け穴となって違反とはならなくても、野球というスポーツから逸脱した行為だ。
しかも、こんな”ずるいプレー”を、”巧いプレー”として称賛される風潮を嘆いていたのである。
要するに、勝利至上主義が横行していたのだ。
遥か昔ですらそうだったのだから、今ではもっと酷いのだろう。
野球とは、いや全てのスポーツがそうであるが、ルールすれすれのプレーが増えるとつまらないものになり、そのルールすれすれのプレーを取り締まるために、つまらないルールが増えてくる。
それ故、そのスポーツそのものが、さらにつまらないものになる。
コリジョン・ルールなんて、その最たるものだろう。
捕手が走路を妨害するような場所に立つ。
そのためアウトになることが増えたので、走者は捕手が走路を空けていても体当たりをかませる。
そして怪我人が続出する。
すると、コリジョン・ルールを制定して、捕手のブロックを禁止する。
そうなれば、本塁上のスリリングなプレーが無くなる。
しかも「捕手はどの位置に立っていればいいのか。この位置だと違反ではないのか」などと下らない議論になり、結局はビデオ判定になって試合が中断、ゲームは間延びしてますますつまらないものになる。
最初から、捕手は走路を邪魔しない位置に立ってブロックし、走者はそれをかいくぐるスライディングをすれば、野球の醍醐味を味わえるのに。
これを勝利至上主義の弊害と言わずして、なんと言おう。
しかも、その勝利至上主義で一時的には勝つことがあったとしても、本当の実力は身に付いていないので、結局はまた負けてしまう。
これを「負のスパイラル」というのである。
もちろん、鈴木さんは勝利を目指すことを否定していたのではない。
鈴木さんは毎日新聞記者の出身ということで、同社が主催する春のセンバツにも提言していた。
センバツ出場校を現行の半分、即ち16校に絞り、文字通り強いチームのみを選抜(つまり選び抜く)せよ、ということである。
そして一発勝負をやめ、社会人野球(これも毎日新聞社が主催)の地区予選で行われている敗者復活戦を採用すれば、強豪校同士によるレベルの高い試合が続くし、夏の甲子園とは違うセンバツの特色を打ち出せるのではないか、というわけだ。
この案は非常に面白いと思ったし、実現すればどんなセンバツになるのだろう、と想像したりもする。
2人が殿堂入りした意味
郷司さんと鈴木さん、上記を読んでもらえればわかると思うが、共通しているのは「正々堂々と野球せよ」という考え方の持ち主だということである。
相手を騙すことなく、正々堂々とプレーをして、相手チームを尊敬する野球。
野球に限らず、これがスポーツの原点である。
これは、きれいごとでもなんでもない。
そして、これは当時の高野連会長だった故・佐伯達夫さん(もちろん野球殿堂入り。しかし生前は「自分はその器ではない」と野球殿堂入りを拒否した唯一の人物)の考え方と一致する。
佐伯さんもまた、ずる賢い野球を嫌った。
そんな佐伯さんが、郷司さんを信頼したのはわかるような気がする。
また、佐伯さんと鈴木さんの関係は知らないが、やはり同じような考え方だったのではないか。
ただ、現代はスポーツの勝敗によって大金が動く時代である。
ある程度、勝利至上主義になってしまうのは仕方がないのかも知れない。
それでも、スポーツの本質だけは失わないで欲しいものだ。
郷司さんと鈴木さん、もうこの世の人ではないが、そのイズムを語り継ぐための野球殿堂入り、そうであってもらいたい。