メジャーリーガーのイチローがシアトル・マリナーズからニューヨーク・ヤンキースへ電撃移籍したのは記憶に新しい。
アメリカ西海岸から東海岸へ、約3900km向こうへの引っ越しである。
日本プロ野球でもっとも距離が離れているのは、北海道日本ハム・ファイターズと福岡ソフトバンク・ホークス間での移籍だ。
しかしそれとて、約1500kmの距離で済む。
シアトル―ニューヨーク間は札幌ー福岡間の約2.6倍もの距離だ。
しかもシアトルとニューヨークでは3時間もの時差がある。
国内で時差があるというのは、日本人では理解しにくい感覚だ。
メジャーリーグの過酷さに、よく移動距離の長さが挙げられる。
前述したようにアメリカでは最大3時間の時差、即ち4つの標準時がある。
しかもニューヨークやシカゴを除いて1都市1球団が原則なので、日本の約25倍もの広大な国土に30球団(そのうちカナダに1球団)が満遍なく散らばっている。
2リーグに分かれるため30球団全てと総当たりするわけではないが、現在ではインターリーグ(日本プロ野球でいうセ・パ交流戦)があるため、1シーズンに20都市ぐらいは回らなければならないということになる。
この広い国土を半年間にレギュラーシーズンで162試合(日本では144試合)もこなさなければならないのだから、移動の過酷さがわかる。
3連戦システムが基本という点では日本と同じだが、試合数が多いので日本のように6勤1休というわけにはいかず、場合によっては20連戦に及ぶことも珍しくない。
タフでなければメジャーリーガーはとても務まらないのだ。
ところが、日本プロ野球とメジャーリーグの両方を体験した選手の中には、日本の方が移動が疲れる、という人もいる。
日本では前述したように6勤1休、即ち1週間のうち1日は休みというが基本で、普通はオフの月曜日が祝日となった場合のみ9連戦となるが、メジャーの20連戦よりも日本での9連戦の方が過酷だ、というのだ。
日本はアメリカに比べて1/25の国土でチームは僅かに12球団、そのうち半数近くの5球団が首都圏に集中しているのだから、メジャーリーグよりずっと楽なように思える。
ではなぜ、日本での移動はキツいのか。
これは、日本での移動が過酷というよりも、メジャーでは移動距離がベラボーに長いため、ケアが行き届いている、と言った方が適切かも知れない。
メジャーでナイトゲームが終わって即移動の場合、球場にはバスが既に待機していて、選手が全員乗り込むとすぐに空港へ直行する。
しかもバスは空港の駐車場に行くわけではなく、滑走路に横付けするのだ。
アメリカの空港では9.11のテロ事件以来セキュリティが厳しくなって、国内便であっても出発の1時間も前に行かなければ乗り遅れる可能性があるが、メジャーでは球団のチャーター機で移動するので搭乗手続きの必要はなく、バスから降りればすぐに飛行機に乗り込む。
日本では飛行機をチャーターする球団などないので、一般人と同じロビーで出発時刻まで待たなければならないが、これが結構な負担になる。
ロビーにいるファンに見つかって、サイン攻めや握手攻めなんてこともよくあり、精神的に疲れてしまう。
ましてや新幹線のチャーターなどできるわけがない。
できたとしても、バスを新幹線に横付けするわけにもいかないだろう。
またメジャーでは「移動ゲーム」というものがない。
移動ゲームというのは、ナイトゲームが終わった後にその地で一泊して、翌朝に移動してその日に試合をする、というものだ。
昼頃に球場に着いて、休む間もなく練習して試合に臨むのだから、休息の時間などない。
メジャーではどんなに夜遅く試合が終わっても、すぐに飛行機に乗り込めるのだから、早朝には次の目的地に着くことができる。
ホテルにも専用のチェックイン・カウンターがあるのでファンの目にさらされることなく自室に向かい、仮眠をとって夜の試合に備えるので、さほど疲れは溜まらない。
また、移動距離を考慮して、その日に移動しなければならない試合では、たとえ平日であってもデーゲームになることもよくある。
よくメジャーでの移動の厳しさについて言われる時差の方はどうだろう。
たとえばロサンゼルスからニューヨークへは飛行機で約5時間かかるが、3時間も時計が進んでしまうので、実際には8時間かかっていると言える。
これは相当なキツさで、日本ではまず味わえない。
ところが逆のニューヨークからロスの場合は3時間戻るわけだから、感覚としては2時間で着いてしまうことになる。
つまり、西から東への移動は時差も相まってかなり過酷だが、東から西への移動は時差があるためにかえって楽というわけだ。
もっとも、移動時間そのものはあまり変わらないので、体への負担は同じだろうが。
日本ではどうか。
もちろん、時差によって苦しめられることはない。
ただ前述したように、飛行機や新幹線のチャーターなどできないので、出発時刻もダイヤに合わせなければならない。
その日のうちに移動したくても、ナイトゲームで試合時間が長引けば翌朝移動を強いられることもある。
球団マネージャーはあらゆることを想定して、飛行機や新幹線のチケット、あるいはホテルを確保しておかなければならない。
楽に見える首都圏移動でも、結構大変だったりする。
特に東京に本拠地球団がないパシフィック・リーグは悲惨だ。
埼玉西武ライオンズの本拠地である所沢市は、東京駅や羽田空港から遠く離れているうえに、東京に着いてバス移動しても渋滞に巻き込まれる可能性が非常に高く、かなりの時間を要する。
だからと言って、西武線の電車に乗るわけにもいかない。
さらに、所沢市から千葉市への移動は過酷極まりない。
千葉ロッテ・マリーンズのホームグラウンドであるQVCマリンフィールドの近くには東京ディズニーランドがあって、土日ともなれば渋滞は酷いし、バスで4時間ぐらいかかる場合もあるという。
バスに4時間も揺られるのならば、遠隔地へ飛行機で行く方が楽だ。
しかも、現在のパ・リーグは本拠地が分散しているので移動も大変だ。
先の首都圏2球団以外では、札幌市、仙台市、大阪市、福岡市と、まさしく日本全国に散らばっている。
特に札幌市にある日本ハムの場合は全てが飛行機移動となるので厳しい。
ソフトバンクがある福岡市でも東京まで新幹線が通じているとはいえ、現在では関東圏へは全て飛行機移動だという。
1970年代以前のパ・リーグはもっと悲惨だった。
西鉄ライオンズは本拠地の福岡市から東京や大阪へ移動するのに、新幹線もなければ空路も発達してなかったから、列車による移動しかない。
大阪へ10時間、東京へは20時間もかかったのだから、まともなプレーができる方が不思議だった。
こんな過酷な移動で西鉄は黄金時代を築いたのだから恐れ入る。
しかし1980年代になると状況は一変する。
パ・リーグは東京都、所沢市、川崎市の首都圏3球団に、大阪市、藤井寺市、西宮市の関西3球団という、交通網の発達した東西両都市圏を行ったり来たりするだけだったので、移動も楽だった。
でもその後は球団の本拠地移動が活発に行われるようになって、今日のような移動が厳しいリーグになったのである。
パ・リーグに比べると、セントラル・リーグの移動はずっと楽だ。
特に東京都2球団、横浜市1球団の首都圏3球団は、首都圏内のビジターゲームなら遠征の必要はなく自宅から通える。
たとえば東京ドームを本拠地とする読売ジャイアンツの選手の場合、二軍の本拠地である読売ジャイアンツ球場が川崎市にあるということで、神奈川県に住居を構えている選手も多い。
つまり、横浜スタジアムでのビジターゲームでも、東京ドームとさほど距離が変わらないのだ。
首都圏以外の球団でも、名古屋市、西宮市、広島市と、東海道・山陽新幹線一本で結ばれる都市ばかりだから、パ・リーグに比べるとかなり恵まれている。
新幹線は飛行機より時間はかかっても、運休することが少ないし、本数もずっと多いので時間を計算しやすい。
中でも中間に位置する名古屋市の中日ドラゴンズは、首都圏3球団に次いで移動は楽と言えるだろう。
しかしそんなセ・リーグも、セ・パ交流戦の登場によって状況が変わった。
パ・リーグの分散された各本拠地への移動を強いられるようになったのである。
交流戦ではずっとパ・リーグ優位が続いているが、セ・リーグの選手たちは過酷な移動に慣れていないのが原因ではないかとさえ言われている。
ただし、セ・パ両リーグとも変わらずにあるのが地方遠征だ。
新幹線で行けるような場所は少ないのでほとんどが飛行機移動となるが、地方だけに便数も少ない。
しかも、3連戦でも同じ場所で試合をするならまだマシだが、たとえば北陸シリーズなどでは、全部同じ都市で試合、ということはあまりない。
福井市でナイトゲームを行い、それが終わるとシャワーも浴びずにユニフォーム姿のままでバスに乗り込む。
日本ではメジャーと違って、ビジターや地方遠征の場合はホテルでユニフォームに着替えて球場に行く。
そのため、試合が終わっても球場でシャワーを浴びることもできず、汗だくのままホテルへ帰ることになる。
普通のビジターゲームなら球場からホテルは近いのでそれでもいいが、地方遠征となると悲惨だ。
福井市でのナイトゲームが終わり、汗臭いのをガマンしてユニフォーム姿のままバスに乗り込むと、次に向かうのは石川県を通過して富山市。
試合が終わっても食事すら摂ることもできず、空腹に耐えながら夜中のバスに3時間も揺られてようやく富山市に到着、やっとユニフォームを脱いでシャワーを浴びることができる。
これは阪神タイガースの元通訳から聞いた話で、最も辛い地方遠征だったという。
メジャーリーグでは、他国開催を除いて、基本的には地方遠征はない。
メジャーリーグでの移動の方が過酷だと思う人、日本プロ野球の方が厳しいと言う人、選手によって異なるだろう。
いずれにしても、移動とはプロ野球選手にとって宿命のようなものだ。
野球をするうえにおいては有利になるべき大きな体も、遠征では疎ましく思うぐらい負担になることもあるだろう。
長い道程に耐えうる強靭な体力と、遠征を楽しい旅と思えるようなプラス思考のハートがなければ、とてもプロ野球選手など務まらないと言える。
だが、そんなプロ野球選手よりも、さらに過酷な移動を強いられる人たちがいる。
その件については、次回に書くことにしよう。
―ガリバーたちの旅~その2―へ続く