9月26日、住之江公園球場に行ってきた。
例によって関西独立リーグの公式記録員を務めるためである。
この日は大阪ゴールドビリケーンズ×神戸9クルーズの対戦。
住之江公園球場は大阪ゴールドビリケーンズの本拠地である。
古い球場でスタンドも狭く、フィールドはもっと狭い。
両翼90m、中堅110mという狭さだ。
さらに、トイメンには住之江競艇場があり、試合中ずっとボートの爆音が聞こえてくる。
ハッキリ言うと、プロ野球の本拠地球場としてはあまりにもお粗末だ。
だが、僕は住之江球場が好きだった。
僕はこの球場で、ある大物の世の中デビューを目の当たりにしている。
それは、1983年7月のことだった。
清原和博。
当時、清原はPL学園の一年生だった。
大阪大会でPL学園にとっての初戦(組み合わせの関係で2回戦)、大阪学院との対戦で、清原は背番号14を付け、PLの四番打者として出場していた。
PLの四番が補欠番号の背番号14?
このとき、清原が自分と同じ高校一年生だったとは全く知らなかった。
この試合で清原は三塁線を破る二塁打を放ったことを憶えている。
この数日後、大阪大会の4回戦、PL×吹田戦を大阪球場まで観に行った。
もちろん、このときは清原がPLの一年生四番打者だということは認識していた。
清原は第一打席で、大阪球場のレフトスタンドに叩き込んだ。
清原にとって、公式戦第1号ホームランである。
清原の大阪大会デビュー戦と、初ホームランを見られたのは誠に幸いだった。
ちなみに、この試合で先発したのは、背番号17番の小柄な投手。
当時の大阪大会の規定では、ベンチ入り人数は17人だったから、PLの先発マウンドに立っているのはベンチ入りドン尻の選手である。
その選手の名は、桑田真澄。
桑田は好調の吹田打線を全く寄せ付けず、2安打完封の快投だった。
翌日の新聞で、この桑田も一年生だと知った。
僕はKKの世の中デビューと、初ホームラン、初勝利(しかも完封)を目の当たりにしたのだ。
その後、南海ホークスの本拠地だった大阪球場は取り壊されたが、住之江球場は生き残った。
もちろん、高校野球大阪大会の常打ち球場である。
夏の高校野球大阪大会を観に住之江球場へ行くたびに、夏が来たなあ、と実感していたものだ。
地下鉄の住之江公園駅を出ると、容赦ない夏の日差しが照りつける。
球場を目指して住之江公園内を歩いていると、途中でプールがあり、夏休みを迎えた子供たちが歓声を上げていた。
スタンドに入ると、熱心なファンたちが溢れかえり、一塁側と三塁側では補欠の野球部員たちが声を枯らして応援している。
大阪大会では、鳴り物応援は禁止のため、声と手拍子の応援にならざるを得ない。
球場外の木陰では多くのファンが集まり、無料で試合を観戦していた。
これぞ高校野球地方大会の風景だ。
この日、秋の住之江球場に来るのは初めてだった。
しかも、初めてのナイトゲーム。
今までとは違った趣の球場入りとなった。
この試合で大阪が勝てば、大阪の後期優勝、そして前、後期通じて完全優勝が決まる。
さらに、相手は吉田えり投手擁する神戸。
試合前、神戸の選手たちを乗せたバスが到着したとき、大勢のファンが寄ってきていた。
この日の数日後、えりちゃんが退団を発表した。
残念だが、仕方がないだろう。
この日はいつもと違い、ウグイス嬢だけではなく、男性DJのハッシーさんという人が場内アナウンスを担当していた。
ハッシーさんのブログはこちら↓
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ホームの大阪の攻撃の時にはハッシーさんがアナウンスし、ビジターの神戸の攻撃の時にはウグイス嬢が担当していた。
ただし、例外だったのは、大阪の山門達矢という選手が打席に立った時。
普通だったら、大阪の選手なのでハッシーさんが、
「レフトフィールダー、タツヤー・ヤマカド!」
と叫ぶだけなのだが、山門選手の時に限って、
「♂レフトフィールダー、ヤマカドー!……♀タッちゃん」
と、「ヤマカドー!」までは男性DJ、「タッちゃん」は浅倉南よろしく、ウグイス嬢が担当したのである。
これ以降、山門選手の打席の時には「タッちゃん」コールが巻き起こった。
もちろん、山門選手のテーマ曲は「タッチ」である。
試合は、失策も無くロースコアゲーム、しかも両先発とも完投するという、公式記録員にとっては実に楽なゲームとなった。
ただ、接戦になったので、試合そのものは白熱した。
序盤に2点を取った神戸がそのまま逃げ切るかと思われたが、9回裏二死から大阪の藤本選手が1点差に迫る特大ホームラン!
放送席も大いに盛り上がった。
さらに二死三塁と、一打同点のチャンスを迎える。
もし逆転勝ちが決まれば優勝、例のプールでのビールかけが待っている。
しかし、残念ながら反撃はここまで。
大阪優勝決定の瞬間には立ち会えなかった。
でも、この日は優勝がかかった土曜日のナイトゲームということで、1000人近いファンも集まり、賑やかなイベントもあって楽しめた。
目玉だったえりちゃんは去ってしまうが、来季の関西独立リーグはどんな姿を見せるのだろう。