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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

85歳

今日、阪神甲子園球場は85歳の誕生日を迎える。
甲子園が完成したのが1924年(大正13年)の8月1日。
1924年という年は、中国の十干(じっかん)で最初の年に当たる「甲(きのえ)」と、十二支(じゅうにし)の最初の年である「子(ね)」の年が重なったために「甲子園」と名付けられた。
還暦という言葉があるが、この巡り合わせは60年に1度。
いずれも最初の年で縁起が良いとして、この名前に決定した。


「子(ね)」とは要するにねずみ年のこと。
十二支は日本人にとって馴染み深いが、現代の日本人は十干についてほとんど知らないだろう。
漢字で書くと、


甲(こう)・乙(おつ)・丙(へい)・丁(てい)・戊(ぼ)・己(き)・庚(こう)・辛(しん)・壬(じん)・癸(き)


の順番になる。
現在でも「甲乙つけ難い両雄」などと使い、契約書などでも「甲」「乙」はよく使われるからこの二文字はよく知っているだろうが、残り八つを使う機会はほとんどない。
年配の方だと「甲乙丙丁(こうおつへいてい)」の四文字は成績表などで使われていたから、ご存じの方も多いだろう。


「甲」の訓読みの「きのえ」は、「木・火・土・金・水(もく・か・ど・こん・すい」から来ており、この五つが大地を作り出しているわけだ。
この五つにそれぞれ陽(兄)と陰(弟)の二つを当てはめ、十干となる。
つまり「甲(きのえ)」は「木の兄」であり、「乙(きのと)」は「木の弟」を意味する。
順番は以下の通り。


甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)


十干と十二支を組み合わせた暦が「干支(えと)」である。
干支を元にした名付け方では「戊辰(ぼしん)戦争」がある。
この戦争が勃発した1968年が十干の「戊(つちのえ)」、十二支の「辰(たつ)」の年だったから、こう名付けられた。
また「丙午(ひのえうま)に生まれた女は災いをもたらす」という迷信があるが、これも十干の「丙(へい)」と十二支の「午(ご)」を組み合わせたもので、最近では1966年がこの年にあたり、子供を産むのを避ける夫婦が多く、実際に出生数はかなり少なかった。
戦後20年が経った頃でもこんな迷信が信じられていたのである。


もし甲子園の完成が1年後の1925年だったら「乙丑園(「おつちゅうえん」、もしくは「おつうしえん」?)」という、何ともしまらない名前になっていたかも知れないのだ。
まあ、二番目同士という中途半端な暦は用いないだろうが、甲子園の命名にはかなり悩んだようで、40個もの候補を考えたがいずれもしっくりこなかったようだ。
しかし、幸い阪神電鉄の重役に漢学に詳しい人がいて「甲子園」と思いついた時に、これだ!と膝を打ったという。


安易なネーミングライツで「味の素スタジアム」などと、スポーツ文化を破壊するような命名を平気でする現代では考えられないような苦労があったということだろう。
いかに当時の阪神電鉄が新球場となる甲子園に愛情を注ぎ、社運を賭けていたかが窺い知れる。