カウンター

安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

今こそパチンコ屋に学べ!カジノに関する妙案

f:id:aigawa2007:20150306182840j:plain

 

新型コロナウイルスの猛威により、多くの人が外出自粛を余儀なくされている。

そんな中、槍玉に上がっているのがパチンコ屋だ。

一部のパチンコ屋は、政府や自治体の自粛要請にもかかわらず営業している。

開いているパチンコ屋が少ないため、営業中のパチンコ屋には多くの人が行列を作り、コロナウイルス感染の危険性が広がるばかりだ。

そのため、自治体からは自粛要請に従わないパチンコ屋の名前を公表するなどの対策をしている。

ところが、これは「このパチンコ屋さんは開いてますよ」という宣伝にもなり、却って客が殺到するという事態に陥った。

そして、ネットでは営業しているパチンコ屋に対する大バッシングが展開されている。

 

しかし、コロナ騒ぎ当初は、こんな状態ではなかった。

飲み屋やカラオケ屋、雀荘に対する自粛要請はあったものの、パチンコ屋に対しては何も言われなかったのである。

これに関し、多くの人がオカシイと感じ、ネット上では批判の声が上がった。

パチンコ屋が屋外ならともかく、密室空間に変わりはない。

しかし、政府や自治体は平気の平左、さらに「パチンコ屋は空調設備が行き届いており、パチンコ客は会話をしないので、コロナウイルスが感染する可能性は低い」という論調まで展開されたのだ。

誰もが、政治家とパチンコ屋との癒着を勘ぐったものである。

 

それが、ここへきて180度の方針転換。

さすがに政府や自治体も、このままでは有権者の支持を失うと危機感を覚えたのか、パチンコ屋に対する規制強化を強めたのである。

その結果、却って営業しているパチンコ屋に長蛇の列を作ってしまう事態を招いた。

 

そもそも、パチンコ屋がコロナウイルス感染の危険性が高いことぐらい、パチンコ客だって判っている。

判っていながら、あれこれ理由を付けてパチンコ屋に通ってしまうのだ。

「パチンコ屋だけ悪者にされるが、スーパーだって大勢の人が集まっているじゃないか」

とパチンコ客は主張する。

スーパーマーケットとパチンコ屋との最大の違いは、スーパーは生活のために必要な店、一方のパチンコ屋は生活には全く役に立たない店(というより、生活を破壊する可能性が高い店)なのだが、そんなことをパチンコ客は気にしない。

要するに、多くのパチンコ客はギャンブル依存症なのだ。

しかしパチンコ客は、その事実を絶対に認めようとしない。

喫煙者が、ニコチン中毒であることを認めないのと同じ理屈である。

 

miruhon.net

 

そもそも日本政府や自治体に、パチンコ屋に通う客を責める資格などない。

彼らのようなギャンブル依存症をせっせと生み出してきたのが、日本という国だからだ。

そして、ギャンブル依存症に対するケアは、他の先進国に比べて著しく劣っている。

ギャンブル依存症に陥るのは自己責任」という考え方で、カウンセリングなどの態勢は全く整っていない。

そして、公営ギャンブルにより一般の人から金を搾取し、あとは知らん顔というのが日本政府のやり方である。

 

数あるギャンブルでも、特に怖いのがパチンコだ。

何しろ、百円あるいは五百円から手軽に遊べるうえ、パチンコ屋が開いている時間はいつまでも打てるのである。

競馬や競輪などは、レースを行う日もレース数も決まっているが、パチンコ屋なら開店時間内で際限なく金を注ぎ込むことができる。

これが命取りになるのだ。

 

ところで、「パチンコは公営ギャンブル」というような書き方をしたが、これは正しくない。

パチンコは決して「公営ギャンブル」ではないのである。

日本の法律では、公営ギャンブル以外に賭博行為は禁止されているので、パチンコは「ギャンブル」ではない。

ちなみに、公営ギャンブルとは①競馬②競輪③競艇オートレース⑤公営くじ(宝くじやtotoなど)の五つだけだ。

ならば、パチンコは何なのかと言うと、単なる風俗営業である。

パチンコ屋で金を払い、パチンコ玉もしくはメダルを借りて、パチンコやパチスロで遊び、そのパチンコ玉やメダルが残っていれば景品に換えることができるという仕組みだ。

いわば、祭りでの夜店のパチンコで、子供がパチンコ玉をチューリップに入れると景品がもらえるというのと同じという訳である。

 

ドラマやアニメなどを見ていると、パチンコで大勝ちした人が缶詰などの景品がドッサリ詰まった紙袋を抱えているシーンがあるが、筆者はそんなパチンコ客を見たことがない。

パチンコで大勝ちすると、ほとんどの人が玉を景品に交換せず、現金を貰っているのだ。

パチンコ玉を景品に換えるとすれば、せいぜい余り玉をタバコに換えるぐらいである。

しかし、ドラマやアニメでは、パチンコがギャンブルと思われてはマズいと思っているのか、パチンコ玉を換金するシーンはまずない。

漫画「じゃりン子チエ」では、小学生のコケザルがパチンコで大儲けしたシーンがあるが、チエはパチンコ玉を現金化できるとは知らなかったようで、コケザルは「パチンコ玉が現金に変わらんと、あんなに流行るかい」と的を射た発言をしている。

ちなみに、小学生のコケザルがなぜパチンコをできたのかというと、隣りの台でパチンコを打っているオッサンに時々「お父ちゃん」と言っていると、店員は親子連れと思って、見逃してくれるのだそうだ。

 

要するに、パチンコとはレッキとしたギャンブルである。

しかし、パチンコをギャンブルと認めさせないのが「三店方式」だ。

パチンコで大勝ちして、景品に換えてもらおうとすると、何も言わない限り「特殊景品」を渡される。

この「特殊景品」を景品交換所に持って行くと、現金に換えてもらえるのだ。

しかし、この「特殊景品」とは何か、パチンコ屋では教えてくれない。

景品交換所の場所も教えてくれない。

ようするに、パチンコ屋としては「景品として『特殊景品』を渡したのだから、あとは知らないよ」という訳だ。

ちなみに、景品交換所はパチンコ屋のすぐ近くにあるので、誰でも判る。

こうして「パチンコやパチスロは、玉およびメダルを景品に換えているだけで、決してギャンブルではない」という既成事実を作っているのだ。

もっとも、そんなことを誰も信じちゃいないが。

 

プロ野球では、契約期間ではない12月および1月のチームでの練習を禁じているが(球団と選手の契約期間は2月から11月であり、12月と1月の2ヵ月間は選手にとってフリーの状態)、かつては「合同自主トレ」と称してこの期間に事実上のチーム練習を行っていた。

この際、選手にはユニフォームを着せないことによって「チームの練習ではない」と、明らかに野球協約違反の練習が横行していたのである。

しかし、現在ではこのような抜け道は禁じられ、明らかに違法の「合同自主トレ」は行われなくなった(新人選手を除く)。

それで、野球のレベルが下がったのかと言えば、さにあらず。

各選手が、自分に合ったトレーニングを工夫するようになり、却ってレベルが上がったのである。

 

パチンコも似たようなもので、事実上のギャンブルであることは誰でも判っているのだ。

それでも、いつまでも三店方式に拘り「ギャンブルじゃないよな」などと言っているのは、まさしく裸の王様である。

そもそも、日本政府がギャンブル依存症に対する方針が何一つ示せていないのだから、パチンコの三店方式など即刻撤廃すべきだ。

しかも、カジノ法案などという、さらにギャンブル依存症を生み出そうとしている。

日本国政府は、国民をギャンブル漬けにして、骨の髄まで吸い取ろうとしているのか。

 

しかし、カジノ法案も捨てたものではない。

そのヒントは、まさしくパチンコ屋にあると思えるのだ。

 

そもそも、パチンコ屋の「三店方式」が導入されたのは、ヤクザ絡みである。

戦後まもなく、パチンコ屋で最も人気があった景品はタバコだった。

当時のタバコは配給制であり、誰でも自由に手に入れられる代物ではない。

そこで、当時のヤクザはタバコを買い占めて、大儲けしたのである。

その対抗策として、警察が考えたのが「三店方式」だった。

いわば、警察お墨付きのギャンブルなのだから、警察が摘発する訳もない。

警察が公認したギャンブルが、ギャンブル依存症を生み出しているわけだ。

 

しかし、現在ではタバコは配給制ではなく、成人ならば誰でも自由に買うことができる。

つまり、もう三店方式を実施する意味はない。

それならば、今こそ三店方式を撤廃すればいいではないか。

つまり、パチンコ玉を交換できるのは、文字通り景品だけにするのである。

 

自粛要請がある中で、大手ではなく個人経営に近いパチンコ屋が営業しているのは、休業を続けていると間もなく潰れるし、従業員への給料が支払えないからやむなく、というのが理由だそうだ。

それならば、三店方式をやめて、純粋に景品だけをパチンコ玉やメダルと交換する形にして営業すればばいい。

そうすれば、ギャンブル依存症はパチンコ屋に来なくなり、純粋にパチンコだけを楽しむ客だけが来ることになるだろう。

それならば、いわゆる「三密」になることもあるまい。

 

「ワシはパチンコ屋にしか居る場所がないんや」

などと仰るアナタ、パチンコ玉やメダルが換金できなくても、パチンコ屋に出入りしますね?

「パチンコで勝っても換金できない」という理由でパチンコ屋から足が遠のく人は、パチンコが好きな訳ではないのだ。

それこそ、ギャンブル依存症である絶対的な証拠である。

別に換金できなくても、景品がもらえるんだからいいじゃありませんか。

子供の頃、夜店のパチンコで景品がもらえた時、嬉しかったじゃないんですか?

 

コロナウイルスを機に、三店方式などという詐欺的な、ギャンブル依存症を生み出すシステムなどなくせばいい。

パチンコ玉やメダルを交換できるのは、景品のみにする。

ヤクザによるタバコの買い占めが三店方式の導入のキッカケになったのなら、タバコも景品リストから外せばいい。

そうすれば、ギャンブル依存症も、ニコチン中毒者も一挙に減らせるのだから、一石二鳥ではないか。

さらに、景品の中に地場産業に関する商品を揃えれば、地元は活性化する。

 

日本流のカジノも、換金せずに景品を与えるようにすればいい。

そして景品には、地元の名産品を豊富に取り揃える。

そうすれば、地元経済も潤うだろう。

カジノによって日本のパチンコやパチスロ産業が衰退するのではないか、と心配する人もいるだろうが、カジノに50%以上のパチンコ台やパチスロ台を置くように法律で定めればいいだけの話だ。

そして、外国人が日本のカジノで日本独特のギャンブルであるパチンコやパチスロを楽しみ(海外では、街中にパチンコ屋が並んでいる光景はほとんどない)、負けた人は日本に金を落とし、勝った人は日本の特産品をゲットする。

そうすれば、日本の商品を世界にアピールする場にもなるに違いない。

 

パチンコやパチスロで換金できなくなれば、多くのパチンコ屋やパチンコ製造会社が倒産するのではないか、って?

もしそうなったら、パチンコやパチスロなんて所詮カネを賭けなければ面白くない遊戯なのだろう。

むしろ、先に挙げた宝くじ以外の公営ギャンブルも、換金せずに景品を与えるシステムにすればいい。

そうすれば、ギャンブル依存症の解決になること請け合いである。

 

この「景品を与えて現金化しない」という本来のパチンコ方式が全世界に広がれば、ギャンブル依存症に対する最高の手段として、日本は世界から称賛されるに違いない。

そして、ラスベガスやリノ、マカオにまで、「勝ち分は現金化せずに景品を持ち帰る」という日本のパチンコ方式が主流になるだろう。

 

パチンコについて色々書いたが、子供の頃はパチンコ屋が嫌いではなかった。

と言っても、親はパチンコをやらないので店には入ったことはなかったのだが、最寄り駅は田舎にもかかわらず、駅前にはネオンがギラギラのパチンコ屋があって、何か都会的な雰囲気になっていたものだ。 

現在ではパチンコ屋は駅前ではなく郊外型が主流になり、ネオンもなく、周りが田んぼでポツンとパチンコ屋が立っているような状況で、情緒もなくなってしまった。

 

実を言うと筆者も若い頃にはパチンコをやったことがあり、トータルでは何と勝っている。

独りでパチンコ屋に行ったことはないのだが、友達の付き合いでパチンコに行き、待っているのは暇なのでやむなく打っていたというわけである。

初めてのパチンコでは、百円で4千円も勝ち、その日の夜は頭の中をキラキラ光るパチンコ台とあの騒音が頭の中を駆け巡り、初めてのパチンコの興奮も相まってなかなか寝付けなかった。

それでも、本格的にパチンコをやると負けることは判っていたので、パチンコにハマることはなかったのである。

どれだけパチンコで勝っても、パチンコを続けようとは思わなかったのが、筆者にとって唯一の自慢だ。