現在、CS放送で「3年B組金八先生」の第一シリーズと第二シリーズの再放送をしている。
第一シリーズといえば杉田かおるが中学生ながら妊娠し、第二シリーズでは「腐ったミカンの方程式」による校内暴力がテーマだったが、放送開始から35年ぐらい経つのに今見ても充分に面白い(特に第二シリーズ)。
そして、改めてこのドラマを見ると、同じ高校入学試験でも東京と大阪では随分事情が違うと感じた。
当時の東京都立高校の入試は英語・国語・数学の3教科だったが、大阪府立高校では英語・国語・数学・理科・社会の5教科。
なぜ、その頃の東京都立では理科と社会が受験科目から外れていたのか、今考えても不思議だ。
実際「金八先生」シリーズでも、受験科目ではない理科や社会の授業中に受験科目の勉強をこっそりしていた生徒がいて、問題になったことがある。
受験日程も東京と大阪では違う。
私立高校の受験日が東京では学校によってバラバラなのに対し、当時の大阪、いや京阪神地区では私立高校の入試は同じ日に一斉に行っていた。
つまり、大阪では私立高校は1校しか受験できなかったわけで、併願でも私立と府立、2校しか受けられなかったのである(市立高校の事情はわからない)。
もちろん、京阪神以外の私立高校も受けるのなら複数受験できるが、そんな生徒は僕の周りにはいなかったし、私立と府立の2校とも滑ったら事実上、高校浪人もしくは就職口を探さなければならない。
東京都立高校では二次募集というのがあったようだが、当時の大阪府立高校では二次募集なんてなかったのではないか。
少なくとも僕は聞いたことがないし、実際に私立と府立の両方に落ちて就職を余儀なくされた奴もいた。
東京都立高校と大阪府立高校の受験日程にも違いがあった。
「金八先生」を見る限りでは、都立高校の合格発表は卒業式の前に行われていたようである。
しかし我々の頃の大阪府立高校の合格発表は、卒業式が終わってから行われた。
つまり、卒業はしたけれど、進路はハッキリと決まってなかったのである。
「金八先生」では、都立の二次募集を受けた生徒を除いて、スッキリした形で卒業式を行っていた。
だが、我々の頃の大阪では、実に中途半端な気持ちで卒業式を迎えたのを憶えている。
今では東京、大阪を問わず、かなり高校入試の仕様が変わっていると思うが、現在ではどうなっているかはわからない。
「金八先生」を見ていると、入試だけではなく通常の中学校でのテストでも違いがあった。
と言ってもこれはドラマの中だけかも知れないが、第二シリーズでのあるエピソード。
中学三年生の二学期での期末試験、数学のカンカン(乾先生=森田順平)が5問中3問も引っ掛け問題を出題したことに3年B組の生徒達が腹を立て、あわや乱闘かという大騒ぎに発展した。
乱闘云々はこの際どーでもよろしい。
問題は、数学の試験が5問だったことである。
中学三年生の、数学の試験がたった5問?
たしかに、ちらっと映った答案用紙を見ると5問しかなかったようだ。
しかも、答案用紙も1枚だけだったのである。
こんなに少ない問題で、1時間もかけるのか?
どう考えても、尺が余ってしょうがないと思うが。
カンカンは受験指導に厳しいはずだが、答案用紙を見るとかなり甘いと思わざるを得ない。
しかも、答案用紙に直接答えを書くという、いわゆる「小学校方式」。
僕が中学の頃は、問題用紙と解答用紙は別になっていて、テストが終わって回収されるのも当然、解答用紙のみだった。
だから問題用紙は持って帰り、その日のうちに各自で答え合わせができたのである(もちろん、僕はそんな野暮なマネはしなかったが……)。
解答欄がない分、問題用紙にはビッシリと難しい問題が並んでいた。
もちろん、問題用紙が1枚だけだったとは限らない。
「金八先生」では数学の試験が終わったあと、3Bの生徒達が、
「あれは引っ掛け問題だったんだぜ」
「えー!?どの問題よ!」
などと話していたが、問題用紙が手元にあればすぐに確かめることができたはずだ。
当時の東京の中学校で、実際に問題用紙と解答用紙が一緒になった「小学校方式」の試験が行われていたかどうかは不明だが、生で「金八先生」を見た僕は「東京の中学校は随分甘いんだな」と思ったことを憶えている。
ところで、このエピソードでの見せ場は、金八(武田鉄矢)とカンカンとの対立。
第一シリーズから、熱血教師で生徒に愛情を降り注ぐ金八と、クールというよりは冷血漢のカンカンとでは、水と油のように意見が食い違っていた。
カンカンは生徒をバカ扱いし、教職の道を選んだのも「安定株(公務員なので食いっぱぐれがなく、休みも多い)だから」という実に安直な理由だったのである。
第一シリーズでは金八がそんなカンカンに憤りを感じ、カンカンを厳しく糾弾したが、第二シリーズでの今回のエピソードでは、金八が逆にやり込められた。
「引っ掛け問題に簡単に引っ掛かったのは、国語力の低下が最大の問題」
とカンカンに指摘されたからである。
国語教師の金八にとって、これはキツい一発だった。
犬猿の仲だった金八とカンカンも、シリーズが進むに連れてだんだんとわかり合うようになり、遂には戦友同士のような関係になっていった。
生徒からはトカゲのごとく嫌われていたカンカンも、やがては生徒から慕われるいい先生になったのである。
元々カンカンは、劣等生をバカにすることがあったとはいえ、優等生をエコヒイキすることもなかった。
だからこそ、優等生からも嫌われていたのだが……。
少なくとも、差別的な思想はなかったのである。
実際、第一シリーズでも、カンカンは都立の第一志望に落ちた3Bの生徒に対して熱心に数学を教え、その生徒が都立の二次募集に受かったときは思わず涙を流したりした。
もっとも泣いた理由は、
「目がゴミに入っただけだ!」
と苦しい言い訳していたが……。
案外、照れ屋さんだったのである。
今回の「引っ掛け問題」に関しても、カンカンに言わせると生徒に対する「愛情の塊」で、本番の受験でこんな引っ掛け問題に惑わされないために作成したという。
金八とは表現の仕方は違うが、カンカンだって当時から生徒のことを愛していたのだ。
金八もようやくそのことがわかり、カンカンとわかり合うことができたのだろう。
もちろんカンカンも、かつてはバカにしていた金八の熱血指導を理解することができるようになった。
カンカンは加藤優(例の「腐ったミカン」の生徒)や松浦悟(=沖田浩之。加藤と共に暴力騒ぎを起こして警察沙汰になった)のような暴力生徒は大嫌いで、もちろん加藤や松浦もカンカンを嫌っていた。
しかし、後年ではカンカンは屋台のおでん屋で金八と酒を酌み交わし、
「今となっては加藤優(まさる)や松浦悟(さとる)が懐かしいですよ」
などと語り合っていた。
さらに、加藤の卒業後にカンカンが偶然、加藤を見つけたときは、
「加藤!?加藤優じゃないか!!」
と嬉しそうに声をかけた。
加藤も、
「乾先生!」
と、これまた嬉しそうに答えた。