イングランドで行われているラグビー・ワールドカップで、日本代表は優勝候補の南アフリカ(スプリングボクス)を34-32で破り、世界を驚愕させた。
なにしろ日本代表はこれまで、ワールドカップで1勝21敗2分という惨憺たる成績だったからである。
特に、1995年にはニュージーランド(オールブラックス)に17-145という屈辱的大敗を喫していたのだから、この快挙には誰もがビックリしたに違いない。
ラグビーのことを少しでも知っている人ならば、日本代表がスプリングボクスに勝つと思っていた人なんて、一人もいなかったはずだ(かくいう僕も、ここで「南アフリカには絶対に勝てません」と断言してしまった)。
だが僕はそれ以上に、日本でのフィーバーぶりに驚いた。
地上波独占放送をしていた日本テレビ系列で取り上げるのはわかるのだが、それ以外の民放局でもこぞってこの快挙を報道したのである。
いや、スポーツニュースなら当然だが、普段はラグビーなんて見向きもしないワイドショーまでがラグビーのオンパレード。
当然のことながらラグビー・ブームが巻き起こり、特にプレース・キッカーを務める五郎丸歩選手の「拝みポーズ」は社会現象にまでなった。
日本代表は今大会で決勝トーナメント進出となるベスト8を目標としていたが、それを信じていたラグビー・ファンは皆無と言っていいだろう。
仮にベスト8進出しても、ラグビー・ファン以外ではその凄さがわからないだろうな、と思っていた。
優勝でもしない限り、日本でラグビーが注目されるなんて思ってもみなかったのである。
しかし実際には、初戦のスプリングボクス戦に勝っただけで、大フィーバーが巻き起こった。
スプリングボクスに勝つ凄さなんて、ラグビーを知らなければわからないのに、どうしてこんなに大騒ぎするのだろう?
その理由の一つが、日本よりも前に世界で大騒ぎしたからだ。
地元のイギリスはもちろん、ラグビーの盛んな国はこぞってこの世紀の大番狂わせを報じたのである。
日本と関係のない国でも、これほどまでの大フィーバーが起こっている?
ラグビー日本代表は、そこまで凄いことをやったのか。
それなら取り上げないわけにはいかない、と日本のマスコミが一斉に動き出したのだろう。
それまでは日テレ以外の民放では、ラグビーのワールドカップなんてほとんど無視していた。
去年(2014年)11月1日にノエビアスタジアム神戸で行われた日本XV×マオリ・オールブラックス。ワールドカップ前年の国際試合なのに、スタンド上段は開放されなかった
ところがスプリングボクス戦以降は、各民放が我先にとラグビーの特集を組む。
ある意味、独占放送権を持つ日テレに協力しているようなものだが、お構いなしだ。
その結果、第2戦のスコットランド戦では視聴率15%、第3戦のサモア戦では19.3%、最高瞬間視聴率では25%超えという、深夜帯にもかかわらず高視聴率を獲得した(いずれも関東地区)。
ちなみに言うと、これは日テレだけの視聴率で、有料BS放送のJ-SPORTSでの数字は含まれていない。
ラグビーは地上波ではほとんど中継されなくなったので、ラグビー・ファンの多くはJ-SPORTSに加入している。
日テレはラグビー初心者向けの実況なのでラグビー・ファンには物足りず、ほとんどの人はラグビー実況に慣れたJ-SPORTSで見ていたに違いない。
つまり、日テレとJ-SPORTSを合わせれば、もっと多くの視聴者が見ていたと考えられるのだ。
ただし、日テレのために付け加えておくと、2007年の大会から地上波で唯一放送しており、ラグビーの普及に関しては充分に貢献している。
さらに、今大会のラグビー中継でも、初心者にはわかりやすい解説をしていると好評のようだ。
「日テレはタナボタ式に高視聴率を得られてラッキー」とも言われるが、それでも8年も前からラグビー・ワールドカップを応援していたのである。
ちなみに、サモア戦での視聴者数は、世界でもワールドカップ史上最多だったそうだ。
今大会での日本代表は、スプリングボクス戦の次は中3日でスコットランド戦という厳しい日程を強いられた。
作戦上の選択肢としては、勝つ可能性がほとんどないスプリングボクス戦は捨てて、スコットランド戦に全力を注ごうとしても不思議ではない。
しかし日本代表は、勝てっこないと思われたスプリングボクスに対して勝ちに行った。
そして実際に勝ったわけだが、これが逆だったらどうだっただろう。
つまり、スプリングボクスには勝てずにスコットランドに勝ったら?
おそらく、それでも世界のラグビー・ファンは大騒ぎしただろうが、日本では大した話題にはならなかっただろう。
スコットランドも世界最強国の一つだが、ワールドカップでの優勝経験はなく、優勝2回のスプリングボクスにはやはり敵わない。
それに日本代表は26年前のテストマッチでスコットランドを破っており(ただし、スコットランド協会はこの試合をテストマッチ扱いしていない)、たとえ勝っても新鮮さには欠ける。
その意味では、スプリングボクスに対して勝ちに行ったのは正しかったのだ。
さらに、3点ビハインドの終了間際で、無理に逆転を狙わずに引き分けを狙うという選択肢もあったのだが、そうはせずにあくまで逆転を信じてトライを獲り切ったからこそ、このムーブメントがあるのだろう。
引き分けだったら、日本では全く注目されなかったに違いない。
日テレでラグビー日本代表の応援番組をしようが、ほとんどラグビー人気には繋がらなかったにもかかわらず、たった一度の勝利で思わぬブームを呼んだラグビー。
これがスポーツ・ビジネスの難しさだ。
いくら集客に努力しても、数字に表れない場合がほとんどだが、国際試合でのたった一つの勝利によって、人気が爆発する。
試合が行われたのが深夜だったので、一夜明けると大ヒーロー、まさしくシンデレラ・ボーイだ。
実は、これとよく似た事例がある。
それが、なでしこジャパンだ。
なでしこブームが巻き起こる前、僕は何度か女子サッカー・リーグ(なでしこリーグ)を観に行ったことがあるが、入場無料だったにもかかわらず、観客はほとんどいなかった。
スタンドにはせいぜい選手の家族か、関連会社の社員か、熱狂的な応援団ぐらいしかいなかったのである。
それが2011年のFIFA女子ワールドカップで優勝を果たすと、翌日からは大なでしこフィーバー、澤穂希選手や川澄奈穂美選手などの名前を知らない日本人はいなくなった。
この決勝戦も深夜に行われたので、今回のラグビーと同じく一夜明けてのシンデレラ・ボーイである(失礼、ガールか。でも、それでは当たり前だな)。
なでしこブームが巻き起こる前の、ノエビアスタジアム神戸(当時は神戸ウィングスタジアム)でのなでしこリーグの試合。当時はまだ入場無料だった。上記写真のラグビー国際試合と見比べて欲しい
この後、なでしこリーグにも大勢の観客が押し寄せ、入場料は有料になった。
つまり、お金を払って観に来るファンが急増したのである。
これは、スポーツ運営としては極めて正常な姿と言ってよい。
ところが、なでしこブームが去ると、なでしこリーグはかつての活況を失った。
もちろん、入場無料時代に比べると注目度は断然上だが、それでもクラブ運営は厳しい。
正直言って、大スポンサーがいない限り、とてもクラブチームとしては成り立たないのが現状だ。
にもかかわらず、なでしこジャパンの試合となると、日本中の注目を集めるという、アンバランスな状況が続いている。
日本人は、国内の女子サッカーなどには関心を払わないが、日本代表としてのなでしこジャパンは応援する、という状態になっているのは否めない。
これは男子サッカーにも同じことが言える。
1993年にJリーグが発足し、日本でサッカー・ブームが巻き起こり、日本代表も大いに注目された。
1996年にはアトランタ・オリンピックで五輪代表がブラジルを破るという「マイアミの奇跡」と呼ばれる大金星を挙げ、2002年の日韓共催FIFAワールドカップでは初の決勝トーナメント進出を果たしたのである。
サッカーはもはや日本の国民的スポーツとなったが、肝心のJリーグは人気が頭打ちだ。
発足当初のJリーグは、プロ野球人気を凌駕する勢いだったが、現在ではプロ野球には到底及ばず、観客動員で苦しんでいる。
ゴールデン・タイムでの地上波中継など夢の彼方であり、せいぜい休日の昼間にNHKが放送しているのが現状だ。
プロ野球も地上波中継が激減したが、Jリーグはその比ではないのである。
にもかかわらず、サッカー日本代表の人気は相変わらず。
日本代表の国際試合となるとゴールデン・タイムで地上波中継が行われ、20%もの高視聴率を叩き出すのである。
インターネットや有料BS・CS放送の普及により、地上波テレビ放送の危機が叫ばれているが、未だにサッカー日本代表の試合はキラー・コンテンツなのだ。
要するに、サッカーに興味がない日本人でも、日本代表の試合となると俄然注目するのである。
こういう事例は、他のスポーツにも多く見られる。
その最たるものがオリンピックだ。
オリンピックで日本人(あるいは日本チーム)が金メダルを獲得すると、日本人は熱狂する。
普段、見ていない競技でも、日本が金メダルのかかった試合では誰もが注目するのだ。
柔道やレスリングなんて、普段は全然興味がないのに、オリンピックとなると固唾を呑む。
フィギュアスケートも、かつては全くのマイナー競技だったが、冬季オリンピックで日本がメダルを乱獲すると、一気にメジャー競技へと上り詰めた。
こちらは様式美も重なり、オリンピックでなくても多くの注目を集める。
勝ち負けだけでなく、スケーターたちの優雅な演技を観たいという人が多いのだ。
オリンピック以外では、テニスの錦織圭や、ゴルフの石川遼などがその筆頭だろう。
彼らは国際舞台で勝つことにより、日本で注目を集めることができた。
もはや日本国内でのスポーツ・シーンは誰からも注目を集めず、世界で勝つことが大前提とされる。
まさしく勝てば官軍、世界で勝たなければ意味はないのだ。
そんな中で唯一、世界で負けて、注目を集めた競技があった。
それが、他ならぬ野球である。
2006年、第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のアジア・ラウンドが東京ドームで行われた。
しかし、日本随一の人気スポーツである野球の世界大会が東京で行われるのに、野球ファン以外には全く認知されてなかったのである。
実際、僕は東京ドームで全ての試合を見たが、全く盛り上がる気配はなかった。
僅かに注目されたのは、久しぶりに日本でプレーするイチローだけで、試合結果にはほとんど関心が払われなかったのである。
アジアラウンドではどうせ日本は通過だろう思われていて、スタンドにも空席が目立ち、ワイドショーなどでも取り上げられることはなかった。
日本はアジア・ラウンドを2位で通過、本大会となるアメリカでの第2ラウンドでも、日本では全く注目されてなかったのである。
しかし、この第2ラウンドの初戦、アメリカ戦で事件が起きた。
あの、ボブ・デービッドソン球審による、世紀の大誤審である。
ボブ・デービッドソンという名前を聞いて、懐かしく思う人もいるだろう。
この、ボブ・デービッドソンによる故意とも思える誤審が日本で喧伝され、各ワイドショーで大々的に取り上げられた。
日本はアメリカに敗れたが、日本におけるWBCの認知度は皮肉にもこの大誤審によって、飛躍的に高まったのである。
結局、アメリカには敗れたものの2次ラウンドは通過し、決勝トーナメントでも勝ち抜いて、見事にWBC初代チャンピオンとなったのだ。
もし、あの大誤審がなければ、今でもWBCは日本では認知されない大会になっていたかも知れない。
もちろん、現在の侍ジャパンも誕生しなかっただろう。
現在、プロ野球人気の低下が叫ばれ、地上波放送は激減し、全国ネットによる視聴率は低迷を続けている。
かつては、プロ野球の巨人戦はキラー・コンテンツで、少なくとも視聴率20%は堅かったのだが、今では夢物語である。
しかし、WBCでの大一番となると高視聴率を稼ぎ出す。
球場にはかつてないほどの観客が足を運び、地上波でもローカル放送では地元チームの中継で高視聴率を誇るが、プロ野球レギュラー・シーズンでの全国ネットとなると、低視聴率に喘ぐ。
プロ野球やJリーグなどの国内スポーツ中継は、もはや地上波では成り立たないのかも知れない。
それでも、地上波全国ネットでのスポーツ中継がダメになったわけではなく、日本チーム(あるいは日本人)が活躍するスポーツならば、立派に視聴率を稼ぎ出せることを今回のラグビー日本代表が証明した。
要するに、日本での地上波スポーツ中継は、ナショナリズムを全面に押し出さなければ成り立たないということだ。
これが現代の世相だと言ってしまえばそれまでだが、そう言い切ってしまうには多少の違和感がある。
つまり、現代の日本は、昔に戻ってしまったのではないか、ということだ。
日本にテレビが登場したのは戦後間もない1954年(昭和29年)、この時に大人気を博したのはプロレスだった。
大相撲出身の力道山が、空手チョップで大柄な外人レスラーをバッタバッタとなぎ倒し、日本人から大喝采を浴びたのである。
敗戦コンプレックスにまみれた日本、アメリカには何をやっても勝てないと劣等感にさいなまれた中、我らが力道山が日本古来の相撲と空手チョップでアメリカ人をKOしてのけたのだ。
日本万歳!と誰もが熱狂した。
もちろん、力道山が実は朝鮮出身だということは、隠されていたのである。
力道山が亡くなり、日本のプロレスがジャイアント馬場、アントニオ猪木の時代となった頃には、日本人の気質も大きく変化した。
かつての敗戦コンプレックスは吹き飛び、大柄で悪い外人レスラーを、正義の日本人レスラーが懲らしめるという構図が飽きられてしまったのである。
逆に、外人レスラーのスターが多く誕生した。
ザ・ファンクス、ビル・ロビンソン、ミル・マスカラス、アブドーラ・ザ・ブッチャー、スタン・ハンセン、ハルク・ホーガンなど。
彼らは、馬場や猪木を痛めつけ、あるいは外人同士で好勝負を演じると、日本人のファンはヤンヤの歓声を贈ったのである。
これは、日本の景気と無縁ではないだろう。
力道山が活躍していた頃は、まだまだ日本は敗戦国の貧しい国だった。
つまり当時の日本人は、日本人選手が勝つことを期待していたのである。
ところが力道山の死後、日本は高度経済成長となり、先進国の仲間入りを果たした。
そうなれば、単純に日本人が外人に勝つ、というパターンは飽きられ、もっと面白い勝負を見たいと思うようになったのである。
そして日本は80年代からバブル時代を迎え、もはや外人コンプレックスなど無いにも等しくなった。
そんな時代背景を踏まえ、日本のプロレスは日本人同士の対決が主流になり、出稼ぎ根性の外人レスラーを排除したのである。
しかし90年代に入り、日本のプロレスは活況を呈したままだったが、ガラパゴス化を招いたのは否めない。
そしてバブルが崩壊、日本プロレス界は一気に暗黒時代へと突入する。
それでも、ドームには満員の観客を集め、一見すると黄金時代の到来のように思えたが、かつての地上波テレビ中継でのゴールデンタイムからは全く見放されていた。
ここに日本のプロレスは、オタクのみのマイナー・スポーツに成り下がったのである。
さらに、総合格闘技ブームによりプロレス人気が大暴落、最近はなんとか持ち直したものの、まだまだ80年代の黄金時代とは程遠い。
なお、21世紀になって一世を風靡した格闘技も、現在は飽きられて風前の灯火である。
不景気感が襲う現在の日本で、スポーツを楽しむ余裕がなくなり、日本代表の活躍のみが楽しみとなる感覚は、ある意味では敗戦コンプレックスにまみれた力道山時代に戻ったようにも思える。
そうだとすれば、あまりにも寂しい。
オリンピックなどで、その国の代表が活躍するのは、まさしく国際スポーツの醍醐味だろう。
でもそれだけでは、スポーツという素晴らしい物に対処するにはあまりにもったいないのだ。
今回のラグビー・ワールドカップでの日本代表の快進撃による日本でのフィーバーは、単に日本が勝ったから、というだけではなく、日本代表を通じてラグビーの面白さが日本中に伝わったからだと信じたい。
おそらく、ほとんどの日本人はラグビーのルールなんて知らなかったはず。
にもかかわらず、多くの日本人は日本代表の戦いぶりに熱狂した。
そして、多く聞かれた言葉は、
「ラグビーのルールなんて全然わからないけど、メチャメチャ面白かった」
ということである。
そう、ラグビーなんてルールがわからなくても、充分に楽しめるのだ。
これは日本だけの現象ではない。
イングランドとは全く関係のない試合にもかかわらず、ブライトンには超満員の観客が集まり、歴史的な試合に熱狂した。
そして、テレビ中継でこの試合を見ていた世界中のファンも、誰もがこの試合に興奮し、ラグビーの面白さを再認識したのである。
おそらく、この試合は予選リーグだったにもかかわらず、今大会のベストワンに選ばれるだろう。
それどころか、ラグビー・ワールドカップ史上、最高の名勝負と呼ばれるかも知れないのだ。
こんなに面白く、そして素晴らしい試合は、他のスポーツでも滅多にお目にかかれない。
日本×南アフリカで、日本の勝利に狂喜乱舞する海外の人たち。日本人が他国の勝利に、これだけ喜ぶことができるだろうか?
これがスポーツの醍醐味である。
ナショナリズムでスポーツを見るのは簡単だが、でもスポーツの魅力とはそんなものでは計り知れない。
そこを日本人にはわかってもらいたいと思う。
今大会、日本代表は現時点で2勝1敗。
次のアメリカ戦で勝って3勝1敗となっても、スコットランドが勝てば、勝ち点の関係で日本は決勝トーナメントに進めなくなる。
仮にそうなっても、日本代表はなんら恥じることはない。
優勝候補のスプリングボクスを破り、そして世界中に感動を与え、日本人にはラグビーの面白さを伝えたのだ。
決勝トーナメントでは、さらにレベルの高い試合が繰り広げられるだろう。
日本戦以外でも、日本人はラグビーの楽しさを堪能してもらいたい。
せっかく日本代表のおかげで、ラグビーの醍醐味を知ったのだから――。