パシフィック・リーグ、クライマックス・シリーズ(CS)のファイナル・ステージで、リーグ優勝チームの福岡ソフトバンク・ホークスが同3位の北海道日本ハム・ファイターズを4勝3敗(アドバンテージ含む)で破り、3年ぶり15回目の日本シリーズ出場を果たした。
一方、セントラル・リーグの代表はリーグ2位の阪神タイガースで、こちらは9年ぶり6回目の日本シリーズ出場となる。
2リーグ制以降、ホークスの日本一は5回、タイガースは1回のみだ。
タイガースにとって6回の日本シリーズのうち、ホークスと戦うのはその半分の3回目となる。
しかも、その3回ともホークスの経営母体が違うというのも珍しい。
それでは、過去のホークスとタイガースの日本シリーズを見てみよう。
①10月1日 ●阪 神0-2南 海○ 阪神甲子園球場 観衆=19,904
②10月2日 ○阪 神5-2南 海● 阪神甲子園球場 観衆=19,190
③10月4日 ●南 海4-5阪 神○ 大阪球場 観衆=29,932
④10月5日 ○南 海4xー3阪 神● 大阪球場 観衆=30,107
⑤10月6日 ●南 海3-6阪 神○ 大阪球場 観衆=26,962
※10月8日 雨天中止
⑥10月9日 ●阪 神0-4南 海○ 阪神甲子園球場 観衆=25,471
⑦10月10日 ●阪 神0-3南 海○ 阪神甲子園球場 観衆=15,172
(南海が4勝3敗で5年ぶり2回目の日本一)
最優秀選手=ジョー・スタンカ(南海)
最優秀投手=ジョー・スタンカ(南海)
優秀選手=ケント・ハドリ(南海)
技能賞=小池兼司(南海)
この年の日本シリーズは、史上初めてナイトゲームで行われた(全試合)。
当時の日本シリーズはデーゲームが当たり前で、翌年からはまた全試合デーゲームに戻り、日本シリーズのナイトゲームが復活するのは30年後の1994年である(平日のみ。全試合ナイトゲームになるのは翌1995年から)。
ところで、上の表を見て気付かないだろうか。
それは、観客動員数の少なさである。
3~5戦の大阪球場はキャパシティが3万2千人なのでほぼ満員だが、甲子園開催の観客動員が異様に少ない。
大阪決戦にもかかわらず、歴史に残る不人気シリーズだったのである。
現在、阪神とオリックス・バファローズで日本シリーズを行ったら、大阪は爆発するだろう。
理由は二つある。
まず一つ目は、当時の阪神は決して人気球団ではなかった、ということだ。
2リーグ分裂以降、阪神は他球団から選手の引き抜きに遭い、なかなか優勝できなかったのである。
一方の南海は何度も優勝を果たし、特に1959年の日本シリーズでは東京の読売ジャイアンツを4勝0敗のストレートで破って、浪速っ子を熱狂させた。
その時に行われた御堂筋パレードでは20万人ものファンを集め、今でも語り草になっている。
つまり、当時の大阪の人気球団といえば、阪神ではなく南海だったのだ。
南海ファンにとって、東京の巨人を倒してこその日本シリーズであり、同じ大阪の阪神が相手では拍子抜けだったのだろう。
阪神ファンにとっても、日本シリーズよりもペナントレースでの巨人戦の方が盛り上がったのではないか。
また、大阪郊外にある甲子園に比べ、大阪ミナミのド真中にあった大阪球場の方が集客に有利だったことも見逃せない。
だが、二つ目の理由はそれ以上に大きい。
この年には東京オリンピックが開催されたのだ。
プロ野球側もなんとかオリンピック開幕までに日本シリーズを終わらせようとしたが、日本シリーズ開幕予定日の9月29日までセ・リーグの優勝が決まらず、9月30日のダブルヘッダーでようやく阪神の優勝が決まり、その翌日の10月1日に日本シリーズ開幕という強行軍だったのである。
また、現在では日本シリーズ開幕日は土曜日だが、この年はそういう事情もあって木曜日開幕となった。
全試合がナイトゲームとなったのも、オリンピックに配慮してのことである。
しかし、それでも天の神様はプロ野球に微笑んでくれなかった。
10月8日に予定されていた第6戦が、雨で流れてしまったのである。
これにより、日本一を決める大一番の第7戦が、東京オリンピックの開幕日と重なってしまった。
いくら大阪決戦を叫んでも、日本中の注目は東京に向いていて、甲子園で行われている日本シリーズなんて一部のプロ野球ファンしか関心がなかったのである。
そのため、雌雄を決する日本シリーズ第7戦には、6万人の収容人員数を誇る甲子園球場に1万5千人しか集まらなかったのだ。
当時の映像を見ると、キャパシティが大きい分、日本シリーズとは思えないほど甲子園のスタンドが実に寂しい。
難波(大阪球場)と西宮(甲子園球場)を行き来するだけなのだから、移動日なんて設けず、10月7日に第6戦を行っていればオリンピック開幕前に終わっていたのだが、後の祭りである。
このシリーズの特徴としては、南海はエースが26勝7敗でシーズンMVPのジョー・スタンカ、主力打者が29本塁打のケント・ハトリ、阪神もエースは29勝9敗で最多勝・最優勝防御率・沢村賞のジーン・バッキーに、左腕のピーター・バーンサイドと、両チームとも外国人選手が主力だったために「外人シリーズ」と呼ばれたことだ。
東京では日本初のオリンピックが開催され、日本勢の活躍が期待されていた時に、大阪では外国人選手が活躍していたのは皮肉である。
ちなみに、26勝のスタンカはメジャー・リーグで通算1勝0敗、29勝のバッキーに至ってはメジャー経験すらなかったのだ。
日本プロ野球とメジャー・リーグの間には、まだまだ大きな実力差があったのである。
それが証拠に、1960年の日米野球で、全日本の先発として登板したスタンカは、サンフランシスコ・ジャイアンツ相手に打者6人で1人もアウトを取れずにKO、6失点(自責点6)という惨憺たる投球で全く通用しなかったのだ。
しかし、この年の日本シリーズでは外人シリーズの名の通り、外国人選手が大活躍して、MVPと最優秀投手はスタンカ、優秀選手に2本塁打のハトリが選ばれた。
特にスタンカは3勝を挙げ(1敗)、そのうち第6,7戦を連続完封するという離れ業を演じたのである。
阪神の方は、バッキーが1勝1敗、バーンサイドは1勝0敗だった。
①10月18日 ○ダイエー5xー4阪 神● 福岡ドーム 観衆=36,105
②10月19日 ○ダイエー13ー0阪 神● 福岡ドーム 観衆=36,246
※10月21日 雨天中止
③10月22日 ○阪 神2xー1ダイエー●(延長10回)阪神甲子園球場 観衆=47,159
④10月23日 ○阪 神6xー5ダイエー●(延長10回)阪神甲子園球場 観衆=47,200
⑤10月24日 ○阪 神3ー2ダイエー● 阪神甲子園球場 観衆=47,336
⑥10月26日 ○ダイエー5ー1阪 神● 福岡ドーム 観衆=36,188
⑦10月27日 ○ダイエー6ー2阪 神● 福岡ドーム 観衆=35,963
(ダイエーが4勝3敗で4年ぶり4回目の日本一)
39年ぶりとなった虎と鷹の対戦、ホークスは福岡に移転して福岡ダイエー・ホークスに生まれ変わっていた。
ホークスはすっかり九州の地に根付き、人気・実力ともにパ・リーグを代表するチームになっていたのである。
一方の阪神も、90年代の暗黒時代から脱して、2位に14.5ゲーム差を付けるというブッちぎりの成績で、18年ぶりの優勝を果たした。
ダイエーに20勝3敗の右腕・斉藤和巳あれば、阪神にも20勝5敗の左腕・井川慶あり、ダイエーに100打点カルテットあれば、阪神のクリーンアップも破壊力抜群と、相譲らぬ戦力で好ゲームが期待されていたのである。
果たして、期待通りに接戦の連続となる稀に見る日本シリーズとなった。
また、39年前と違い、関西と九州の人気球団同士の激突とあって、会場となった福岡ドーム(現:福岡ヤフオク!ドーム)と阪神甲子園球場は全試合超満員となったのである。
観客動員数も日本シリーズ新記録となった。
福岡ドームで行われた第1戦は、フリオ・ズレータのサヨナラヒットによりダイエーが先勝。
第2戦は13-0でダイエーが圧勝し、シリーズを優位に進めた。
しかし、39年前はアダとなった雨が、この年は阪神に好転。
第3戦予定だった10月21日が雨天中止となり、まさしく水を得た魚となった阪神は蘇った。
甲子園に帰って来た阪神は、仕切り直しの第3戦で延長10回の末、藤本敦士のサヨナラ犠飛で一矢を報い、息を吹き返す。
第4戦はまたもや延長戦となり、10回に今度は金本知憲がサヨナラホームラン、成績をタイに持ち込んだ。
そして第5戦も阪神が接戦を制し、18年ぶりの日本一にリーチをかけた。
しかし福岡に戻った第6戦では、ダイエー先発の杉内俊哉の見事な投球により5-1でダイエーが制して、3勝3敗と追いかけリーチをかける。
雌雄を決する第7戦では、杉内と同じ松坂世代の左腕・和田毅が完投勝利、6-2でダイエーが4年ぶり4回目の日本一に輝いた。
こうして、ホームチームが全て勝つという史上初の「内弁慶シリーズ」は幕を閉じたのである。
これまで、タイガースとホークスは2回日本一を争い、2度ともホークスが日本一となった。
今年は虎が三度目の正直となるか、それとも鷹が二度あることは三度あるとばかりに返り討ちにするか、興味は尽きない。
★2014年(阪神タイガース×福岡ソフトバンク・ホークス)
①10月25日(土) 阪神甲子園球場 試合開始18:15
②10月26日(日) 阪神甲子園球場 試合開始18:15
※10月27日(月) 移動日
③10月28日(火) 福岡ヤフオク!ドーム 試合開始18:30
④10月29日(水) 福岡ヤフオク!ドーム 試合開始18:30
⑤10月30日(木) 福岡ヤフオク!ドーム 試合開始18:30
※10月31日(金) 移動日
⑥11月1日(土) 阪神甲子園球場 試合開始18:15
⑦11月2日(日) 阪神甲子園球場 試合開始18:15
・どちらかが先に4勝した時点で日本シリーズは打ち切り。
・延長戦は15回まで、第8戦以降は決着がつくまで延長戦を行う。
・第8戦が行われる場合は阪神甲子園球場、それでも日本一が決まらない場合の第9戦は移動日を1日設けて福岡ヤフオク!ドームで行う。第10戦以降の球場も福岡ヤフオク!ドーム。
・第1,2戦で中止になった場合は阪神甲子園球場で順延し、1日移動日を設けて第3戦を福岡ヤフオク!ドームで行う。その際、第5戦と第6戦の間に移動日は設けない。第3戦以降で中止になった場合はその球場で順延し、第5戦と第6戦の間に移動日は設けない。
・福岡ヤフオク!ドームの試合ではDH制を採用する。
福岡ヤフオク!ドーム(2006年撮影。当時は福岡Yahoo!JAPANドーム)