先日、オランダの非営利団体「Mars One」が火星への移住者を募集している、というニュースを見た。
実行されるのは今から10年後、2023年とのことである。
このニュースを見て、遂に地球人類も火星まで足を伸ばす時代が来たか、と思ったものだ。
だが、本当にそうだろうか。
人類が初めて地球以外の星、月に足を踏み入れたのは今から44年前の1969年(昭和44年)のこと。
いよいよ宇宙時代が到来したと、世界中が沸き返った。
しかしあれから半世紀近く経つのに、人類は未だに月以外の星に行くことができないのだ。
そして、それから54年後にようやく地球から一番近い惑星である火星に行く計画だが、なんとこれは「片道切符」だという。
この計画が実行される頃にはどんな情勢になっているかはわからないが、要するに火星に行ったら最後、二度と地球の土は踏めないということだ。
つまり、ちょっと火星まで、というわけにはいかないということである。
子供の頃、「惑星大戦争」という映画を見たことがある。
現・千葉県知事の森田健作が主演の映画で、ストーリーは、宇宙人が銀河の果てから地球を侵略にやってきて、その基地が金星にあることがわかり、地球の宇宙防衛艦「轟天」は宇宙人基地を叩くため金星に旅立った、という内容だった。
公開されたのは1977年(昭和52年)だったが、問題はその時代設定である。
「轟天」が金星へ行ったのは、なんと1988年(昭和63年)だったのだ。
映画公開の11年後には、人類は金星へ行くことが可能だと思われていたわけである。
1988年といえば月到達から19年後、昭和最後の年であり、即ち今より25年も前だ。
その頃の人類は、スペースシャトルを打ち上げたりして宇宙開発は進んでいたものの、火星や金星へ行くことなんて考えもできなかった。
いや、地球から一番近い星・月にすらもう行くことはなかったのである。
しかし、SFの世界では盛んに宇宙人たちが地球を侵略しにやって来て、地球人は科学力で劣りながらも叡智を結集して宇宙人を迎撃してきた。
場合によっては地球の宇宙船が、何万光年彼方の星まで行くことさえあったのである。
かくいう僕も「宇宙戦艦ヤマト」や「スターウルフ」などを見て、壮大な宇宙のロマンに胸を躍らせていた。
だが、フィクションの世界を楽しむのなら別にいいのだが、現在の地球上に宇宙人が実際に存在すると信じ込んでいる人達がいる。
UFO研究家やUFO信望者などがそうだ。
しかし、彼らはなぜ、ちょっと不思議な動きをする光や影を見ただけですぐ「あ、UFO(未確認飛行物体の意味だが、ここでは宇宙人の乗り物)だ!」と決め付けるのだろうか。
彼らはかなり想像力が欠如しているに違いない。
不思議な動きをする飛行物体なんていくらでもある。
飛行機、ヘリコプター、飛行船、人工衛星、鳥、地上から反射した光、プラズマ、場合によってはラジコンの飛行機や凧、虫なども遠くに見えて、奇妙な動きをするかも知れない。
それらの可能性を全部無視して、「UFOだ!」と決め付ける。
しかも、なぜか不思議な動きをする飛行物体は宇宙人の乗り物らしいのだ。
中にはUFOは、霊界からの使者、未来人、あるいは地底人の乗り物だと主張する人もいるが、あまりにもアホすぎるので今回は無視する。
まだ、宇宙人の可能性を追求する方がマシだろう。
まず、宇宙人がいるとしたら、どこからやって来るのか探ってみよう。
地球は太陽系に所属していて、太陽系には太陽という恒星と、太陽を回っている8つの惑星にその周りを回っている衛星、あるいは準惑星や彗星、小惑星などが存在している。
太陽系内に地球人以外の高等生物がいるなら、地球に宇宙人がやって来ても不思議ではないが、現在では太陽系内に地球外知的生命体(即ち宇宙人)の存在は完全に否定されており、この件に関してはさすがのUFO信望者たちも認めている(認めていない連中もいるが、彼らはよほどの狂信者である)。
では、太陽系外ではどうか。
地球から最も近い恒星は、太陽を除いてはケンタウルス座のα星で、地球から4.3光年の距離にある。
4.3光年とは、要するに光の速度(光速)でも4年4ヶ月もかかってしまうのだ。
仮にケンタウルス座α星の周りに宇宙人が住んでいる惑星や衛星があったとしても、光速で4年4ヶ月という遥か遠い旅である。
ちなみに、地球人類が今から10年後に行こうとしている火星は、一番遠い距離にあるときでも光速で僅か21分だ。
その程度の距離でさえ、行くには「片道切符」で、二度と地球に帰れる保証はない。
では、光速とはどれぐらいの速度なのだろうか。
現在の地球の科学では、アインシュタインの相対性理論により宇宙で最も速いのは光、ということになっている。
光より速い物なんて、宇宙には存在しないのだ。
宇宙戦艦ヤマトを例にとってみよう。
ヤマトの通常航行速度は、最高で光速の99%に達する。
ところが、光速の99%になると「加速度の法則」により、質量は7倍にもなってしまうのだ。
ヤマトの排水量(質量)は62,000tだから、光速の99%時にはその7倍の434,000t。
こんな質量にヤマトは耐えられるのだろうか?
耐えられたとしても、加速すればするほど質量も重くなるので、加速はさらに困難になる。
ちなみに、光速の99.9%のスピードになると、質量は22倍にもなるのだ。
光速に近付けば近付くほど、質量の重さは跳ね上がり、その増え方は無限大になる。
光が秒速30万kmという宇宙最速の速度を実現できるのは、光の質量がゼロだからだ。
質量がないからこそ、光速までスピードを上げても、質量が増えることはないのである。
ゼロにいくら数字を掛けてもゼロなのだから。
昨年、ニュートリノが「光速を超えた」と大騒ぎになったのは、ニュートリノに質量があったからだ。
もし質量のあるニュートリノが光速を超えたとしたら、相対性理論を根底から覆す大事件だったのである。
結局、この実験は誤りであると判定されたので相対性理論は守られ、アインシュタインは天国で舌を出していただろう。
かつて、光速力を持つ光子力ロケットというものが考え出されたが、これも実現不可能だと思える。
なぜなら、ロケットであり人を乗せる以上、質量があるので光のスピードを出すのは不可能なのだ。
つまり、人間の乗り物が光速力を出すことは出来ないのである。
そこで考え出されたのが、光速を超えるワープ航法というものだ。
SFの世界ではお馴染みであり、宇宙戦艦ヤマトが14万8千光年の彼方にあるイスカンダル星を、僅か1年で往復できたのはワープ航法のおかげに他ならない。
14万8千光年の往復、即ち29万6千光年を僅か1年で行き来するのだから、単純計算ならワープ航法とは光速の29万6千倍以上の速度でなければならない。
ワープ航法の原理を簡単に説明すると、普通の航法ならA→B→Cと進むべきところを、空間を捻じ曲げてBをすっ飛ばし、A→Cへ近道してしまおうという方法だ。
日光のいろは坂をイメージしていただきたい。
いろは坂は山道のため多くのヘアピンカーブが存在し、道が曲がりくねっているが、その道を無視して一直線に山の急斜面を駆け上がる能力を持った車があったとする。
その車こそが、宇宙で言えばワープ航法が可能な宇宙船なのだ。
F1ドライバーがいろは坂を時速200kmで飛ばしても、道を無視して最短距離を真っ直ぐに駆け上がる車があれば、とても敵わない。
この場合、いろは坂を時速200kmで走るF1マシンが光速、道など関係なく一直線に急斜面を駆け上がるのがワープ航法と考えればよい。
つまり、道なき道を行くのがワープ航法で、通常の宇宙空間を航行するのではなく、宇宙空間を捻じ曲げて近道の亜空間を航行するわけだ。
これならば、光速を超えることができる。
しかし残念ながら、1997年に宇宙物理学では「ワープは不可能」という結論に達した。
理由は「ワープするには、宇宙全体の10倍のエネルギーが必要」ということがわかったからである。
一隻の宇宙船が、宇宙全体の10倍のエネルギーを持っているなんて有り得ない。
ただし、この決定には異を唱える科学者もいる。
それでも、ワープの実現の可能性は残されている、と。
ここで重要なのは、ワープというのはSF作家が生み出した妄想ではなく、多くの科学者たちがその可能性に賭け、大真面目で研究し、また大真面目で議論している、ということだ。
実際に、科学者たちは相対性理論に負けないような高等数学を駆使し、ワープ理論を立証しようとしている。
しかし、仮にワープ航法が理論上で実現可能だとしても、実行可能かといえばまた全く別の問題だ。
さらに残念なことに、地球上に宇宙人がいると言う科学者は一人もいない。
もしいたとすれば、その人は自称科学者か似非科学者だ。
仮にワープ航法が可能だとしても、宇宙人が地球にやってくる可能性は極めて低いのである。
確率としては、0.0000000000000000……………1%よりも低いと言っていい。
それを証明する前に、前文の「地球上に」という部分を太字にしていることに注目していただきたい。
全ての科学者は、地球上に宇宙人は存在しないと言っているが、宇宙全体に宇宙人が存在しないとは言っていない。
むしろ、この広い宇宙に宇宙人が存在しない方が不自然だ、と考えている科学者がほとんどだろう。
例えば、太陽系が所属する銀河系。
ある天文学者の計算によれば、高等生物が存在する星は1個から8万個というデータを弾き出した。
1個、というのは要するに地球があるからで最低は1個なのであるが、最高は8万個と言いながら、地球外知的生命体が生息する可能性は限りなくゼロに近いらしい。
つまり、よほどの偶然が重ならなければ、地球のような知的生命体が育つ条件は整わない、ということだ。
地球が「奇跡の星」と呼ばれる所以である。
だが、別の科学者は、地球外知的生命体が銀河系の星に存在する可能性は最大20万個と見積もっている。
宇宙人が住んでいる星が銀河系内に20万個もあるなんて、実に夢がある話ではないか。
では、銀河系内に宇宙人が存在する星が最大20万個と想定して、シミュレーションしてみよう。
銀河系内の恒星は、一千億個以上と言われている。
一つの恒星にいくつの惑星があるのかはわからないが、ここでは一つの恒星に1個の惑星があると計算してみる(ちなみに、太陽系には8個の惑星がある)。
つまり、宇宙人が存在する可能性がある恒星系は、一千億分の20万個だから、確率から言うと銀河系で50万分の1個というわけだ。
銀河系は上から見ると(と言っても、宇宙には上下がないのでどれが上なのかはわからないが)渦巻き状になっている。
その直径は10万光年という、とてつもない広い世界だ。
面積にすると、78億5千万平方光年という、気の遠くなる広さである。
ここで普通なら体積を割り出すところだが、今回はそれは考えないことにした。
なぜなら銀河系を横から見ると凸レンズ状になっていて、実に平面的だからである。
そこで、体積のことは無視して面積だけを考えてみても、平均すると1万5千7百光年の彼方にようやく宇宙人がいる星がある、という計算になる。
体積を考慮すると、もっと広い範囲になるだろう。
これはもう、4.3光年向こうにあるケンタウロス座α星など、オハナシにならないぐらい遠い距離だ。
ちなみに、我々が地球上から星を見分けることができるのは、かなり明るい星でもせいぜい千光年程度。
1万光年以上彼方の星なんて、天の川に埋もれてしまう。
つまり、我々が夜空を眺めて見える星の恒星系に、宇宙人が住んでいる可能性は極めて低いのだ。
仮に1万光年以上の彼方に宇宙人がいるとして、どうやって地球を見つけるのだろう?
おそらく、太陽すら見つけるのは困難極まりないと言える。
太陽は太陽系でこそ王様だが、恒星としては実に暗い星の部類に入るのだ。
そんな太陽の周りを回っている、実にちっぽけな惑星である地球なんて、見つけるのは至難の技である。
惑星なのだから光は弱々しいし、しかも圧倒的に小さい。
惑星で言えば、我が太陽系には木星という超巨大な星が存在する。
太陽系を回る全惑星の3分の2の質量が木星に集約されており、さらに木星、土星、天王星、海王星が太陽系における惑星の質量のほとんどを占める。
それ以外は地球を含め、水星、金星、火星など、存在しないにも等しい。
言わば、全宇宙的に見れば、太陽系には木星のみが存在し、他には土星、天王星、海王星がかろうじて確認できる存在だと考えても不思議ではない。
地球なんていう惑星に気付く宇宙人は、稀有の存在だろう。
サハラ砂漠で、ちょっと色の違う一粒の砂を見つけ出すようなものだ。
それも、銀河系内に20万個の地球外知的生命体があると仮定しての話である。
前述したように、地球のような「奇跡の星」は銀河系内に存在する可能性は極めて低いと考える科学者も多い。
では、やはり宇宙人は存在しないのか?
そう悲観することはない。
今、話をしたのは銀河系内の話で、宇宙には銀河系のような星の集まり、即ち銀河が一千億個以上もあると言われているのだ。
少なくとも銀河系には 地球という知的生命体が存在する星があるのだから、一千億個以上もある銀河に、地球のような星がないと考える方が不自然だ。
つまり、宇宙人は存在すると断言できる。
ただし、銀河系から一番近いアンドロメダ銀河ですら230万光年も離れているのだから、そこに住む宇宙人が地球を見つけるのはますます困難(というより不可能)になるのであるが。
仮に、宇宙人が地球の存在に気付いたとして、何のために地球にやってくるのだろう?
仮に銀河系内に宇宙人がいるとして、最低でも1万光年以上も彼方の星である。
仮に1万光年以上の彼方に宇宙人がいて、仮に(仮に、という表現ばかりで申し訳ないが、仮の話にしても荒唐無稽な話ばかりなので仕方がない)その宇宙人にはワープ航法を可能とする科学力があったとしても、わざわざ地球にやってくる理由がわからない。
地球を侵略するため?
だったら、なんでわざわざ1万光年(これはかなり少なく見積もった 数字である)もかけて、はるばる地球にやってくるの?
移住するつもりなら、地球以外でも他に惑星はいくらでもあるはずである。
1万光年もかけて地球を侵略しようと思うなら、莫大な費用もかかるだろうし、危険も伴う。
しかも、侵略に成功したとしても大量の人民(少なく見積もっても10億人には下るまい)を1万光年もかけて移住させるとすれば、それ以上の費用がかかるだろう。
つまり、宇宙人にとって地球侵略はあまりにもリスキーである。
ガミラス星が年老いて滅びる運命にあったとしても、14万8千光年も離れた地球を侵略して移住するより、「機動戦士ガンダム」世界のようにスペース・コロニーという人工島を造って、そこに移住することぐらいのことは考え付きそうなものだ。
スペース・コロニーというのは「機動戦士ガンダム」世界だけの夢物語ではなく、「オニール計画」という実際に考案されている事業である。
UFO信望者によると、地球に潜伏した宇宙人たちは、地球を征服するために偵察活動を行っているという。
本気で征服するつもりだったら、サッサと征服しろよ。
UFOが宇宙人の乗り物だと言われ始めたのは、戦後まもない1947年(昭和22年)にアメリカ人のケネス・アーノルドが「空飛ぶ円盤」を見たのが発端である。
それ以来、宇宙人がUFOに乗って、地球征服を企てているという説が論じられた。
だが、地球征服が目的なら、とっくに攻撃を仕掛けているはずである。
何しろ地球に来るということは、光速を超える宇宙飛行を実現しているはずだから、地球人より遥かに発達した科学力があるに違いないのだ。
それならば、偵察なんかせずにとっとと地球侵略を実行するべきである。
あるいは、この宇宙人は慎重なのかも知れない。
でも、アーノルドによると(というか、アーノルドの体験談をマスコミが「宇宙人だ」とでっち上げたらしいが)宇宙人がやってきたのは1947年である。
今から66年も前に地球にやって来て、何もせずに偵察ばかりやっているのはどういうことか。
その間に、地球人は軍事技術を進歩させてきている。
1945年に実用された原子爆弾は飛行機から投下するだけだったが、その後は核爆弾を積んだミサイルで的確に目標を捉えられるようになり、さらに原爆よりも強力な水素爆弾や中性子爆弾なども開発されてきた。
宇宙人が本気で地球を征服するつもりなら、1947年の時点で実行すべきだったのである。
当時の地球には、ミサイル兵器なんてなかったのだから。
しかも宇宙人は、ワープ航法という当時の地球人には考えもつかない科学力を駆使していたはずである。
そうでなければ、地球に来られるはずはない。
それほど圧倒的な科学力の差があったなら、地球を簡単に征服していただろう。
でも、宇宙人はそれをしなかった。
全く、ワケがわからん。
今からでも遅くはない。
宇宙人諸君は即刻地球を征服しなさい。
今や我々地球人は、火星に移住する力を身に付けたのですぞ。
もっとも、あなたがた宇宙人は何光年(何万光年?)の遥か彼方から、ワープ航法によって地球にやって来たのだから、科学力のアドバンテージはまだまだ宇宙人の方が圧倒的に上なのだろうが。
でも、本当に宇宙人が地球を征服するつもりならば、チンタラ偵察するよりも、地球が軍事技術を向上させる前にサッサと攻撃を仕掛けた方が被害も少なかろう。
数年前、日本政府が「宇宙人が攻めてきたらどうするか」なんて議論をやっていたが、そんなアホなことを議論する前に、日本に山積みになっている大問題を片付ける方が先だろう。
じゃあ、本当に宇宙人が攻めてきたらどうするかって?
そんなときは、諦めなさい。
地球にやって来た宇宙人は、地球では不可能と判断されたワープ航法を実現したほどの、圧倒的な科学力を持った連中である。
しかも地球を綿密に偵察して、100%勝てると確信したからこそ地球に攻撃してきたはずだ。
当然、地球の核兵器を封じる手も考えているだろう。
そんな相手に勝てるわけはないのだ。
偉大な宇宙人様に我々未熟な地球人ごときが対抗しようなんて、幼稚園児がダルビッシュからホームランを打とうとするようなものである。
では、科学者たちは宇宙人との接触を「バカバカしい」と鼻で笑っているのだろうか?
それはとんでもない話で、科学者や天文学者ほど宇宙人との交信を真剣に考えている人たちはいない。
だからこそ、天文学者たちは毎日空に向かって電波を発信し、あるいは宇宙人からの電波をキャッチしようとしているのだ。
そんなことは当たり前で、たとえワープ航法という技術を身に付けていても、まずは電波でコンタクトを図ろうとするのは当然だろう。
その方がずっと手っ取り早いからである。
だが残念ながら、未だに宇宙人からの電波はキャッチしていない。
それでも天文学者たちは、僅かな可能性に賭けている。
よくUFO信望者たちは、地球上における宇宙人の存在を否定する科学者たちに対し、
「ロマンがない、科学が万能だと思い込んでいる傲慢な者」
などと言うが、科学者たちの方が「科学が万能ではない」ということを身に染みてわかっている。
科学にはわからないことだらけだからこそ、科学者はその謎を追求するのだ。
科学者は宇宙人とのコンタクトを図ろうと必死になり、僅かな可能性に賭けて宇宙に電波を飛ばし続けている。
ロマンがなければとてもできることではない。
ちょっと不思議な動きをした光や影を見て「UFOだ!」と安易に決め付ける方がよっぽど楽だ。
そして自分の妄想により、勝手に宇宙人が地球に来ていると吹聴する方が、全くロマンのカケラも感じさせない。
さらに科学者たちは電波どころか、宇宙人宛に手紙まで送っているのだ。
1972年および73年(昭和47、8年)に打ち上げられたパイオニア10号および11号に、宇宙人宛の手紙が取り付けられている。
手紙といってももちろん紙ではなく、錆びないようにメッキされた金属板だ。
また、宇宙人には地球の言葉や文字もわからないので、簡単な絵で説明している。
パイオニア10号・11号に取り付けられた、宇宙人宛の手紙
パイオニア10号・11号の本来の目的は木星探査だった。
その役割を終えると、太陽系外への放浪の旅を始めることになる。
そして、どこかの宇宙人がパイオニアを捕獲し、手紙を解読することを期待したわけだ。
手紙の意味を説明すると、左上の方に円が二つ並んでいるが、これは水素原子を表す。
水素原子は宇宙に最も多く存在するので、これを宇宙の単位にしているらしい。
もっとも、それは地球人が勝手に決めたことだが。
その下にある放射状の線が表しているのは、パルサーの周期である。
パルサーは時間と共に変化するので、宇宙人がこの線を調べればパイオニアがいつごろ地球を発進したかがわかるはず。
その右側に男女の裸体が描かれており、その後ろの絵はパイオニアの平面図だ。
つまり、パイオニアとの比較により地球人の大きさがわかる仕組みになっている。
一番下の絵は太陽系を表しており、左から太陽、水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星となっている。
パイオニアが第三惑星の地球を発進し、第五惑星の木星をすり抜けて外宇宙に飛び出したのがわかるだろう。
土星にはご丁寧に環まで描かれているが、木星や天王星に環が描かれていないのは、当時はまだ発見されていなかったからだ。
もっとも、発見されていたとしても土星と違って目立たないので、環は描かれていなかったかも知れないが。
また、冥王星が描かれているのは、当時はまだ惑星と認められていたからである。
まあハッキリ言って、この程度の絵で宇宙人が本当に解読できるのかどうかは疑わしいが、パイオニアに遭遇した宇宙人はUFOか?と大騒ぎし、この手紙の解読に全力を注ぐだろう。
さらに、1977年(昭和52年)に打ち上げられたボイジャー1号および2号には、宇宙人に宛てたアナログレコードが積み込まれていた。
当時はまだCDがなかったのでアナログレコードだったのだが、宇宙人が再生できるようにレコード針も同梱されている。
レコードには各国語の挨拶や音楽、地球の音(波の音や動物の鳴き声など)などが吹き込まれており、ジャケットにはパイオニアの手紙と同じように水素原子やパルサーの絵も描かれていた(男女の裸体は批判を受けたため描かれていない)。
ボイジャーは土星探査のあと、パイオニアと同じく宇宙への放浪の旅へ向かった。
パイオニアやボイジャーは今頃、どの辺りを彷徨っているのだろう。
パイオニアが打ち上げられてから40年が経つが、1972年といえば沖縄が日本に返還された年である。
つまり、その前年まで日本は完全に独立していなかったということだが、そう考えるとずいぶん昔のことだ。
だが、地球に最も近い恒星のケンタウルス座α星へは、まだまだ遥か彼方である。
4、3光年という距離は、地球人から見ると絶望的なほど遠い。
出発から約40年も経ったとはいえ、パイオニアやボイジャーの宇宙への旅は始まったばかりなのだ。
もしケンタウルス座α星系の惑星や衛星に宇宙人がいたとしても、パイオニアやボイジャーが到達するのは数十万年後だという。
その頃には、地球人類はどうなっているかはわからない。
もう既に、死に絶えているかも知れないのだ。
それでも、ケンタウルス座α星系に宇宙人がいなければ、パイオニアやボイジャーはさらなる放浪の旅を続けるだろう。
いつか、宇宙人宛の手紙やレコードを、未知なる宇宙人たちに拾われることを信じて……。