1974年(昭和49年)、画期的なテレビアニメの放送が開始された。
しかし、裏番組が「アルプスの少女ハイジ(フジテレビ系)」という超強力番組であり(当時、日曜夜7時半のフジテレビ系列は「カルピスまんが劇場」と呼ばれた)、また「宇宙戦艦ヤマト」が子供にはわかりにくいテーマだったため、視聴率的には低迷し、当初は51話になるはずだったのが39話に削減され、さらに削られて僅か2クールの26話で終了してしまった。
何しろ当時は、男の子向けのアニメと言えば「マジンガーZ(フジテレビ系)」や「ゲッターロボ(フジテレビ系)」といった巨大ロボット物が主流だったから、宇宙戦艦といっても小学生にはピンと来なかったのである。
だがその反面、中高生の層に注目され、再放送されるたびに人気も上がっていった。
ちょうどその頃、「アニメージュ」や「月刊OUT」といったアニメ雑誌が創刊され、「宇宙戦艦ヤマト」を大々的に取り上げたために、アニメブームを巻き起こすに至った。
今でいう「アニメオタク」の走りである。
3年後の1977年(昭和52年)にはリメイク版の「宇宙戦艦ヤマト」が劇場公開され、一気にヤマト熱がヒートアップした。
「宇宙戦艦ヤマト」のヒットの秘密は、なんといってもスケールの大きさにあるだろう。
それまでの巨大ロボット物といえば、地球征服を企む悪の組織が次々にロボットを開発して街を破壊するが(地球征服を企む割には、襲うのは日本の都市ばかり)、それを正義のロボット(マジンガーZやゲッターロボなど)が迎撃してやっつける、という単純なものだった。
第一、本気で地球征服を企むのなら、毎週1機ずつ繰り出したりせずに、ちょっと我慢して10機ぐらいいっぺんにマジンガーZやゲッターロボと対戦させたら簡単にケリが付くのに、と誰でも思っただろう。
リアリティがあまりにもなさすぎたのである。
それに比べると「宇宙戦艦ヤマト」は違った。
今から遥か未来の西暦2199年、宇宙の果てからやってきたガミラス星が本気で地球征服を狙い、圧倒的な科学力の差を持って地球に侵攻してきた。
この時の地球の科学力では太陽系から出ることはできず、ガミラス星はどう考えても太陽系外の星、即ち光速を超える航行能力があるはずで、科学力の差が圧倒的なのは当たり前である。
地球側も地球艦隊を編成し、ガミラス艦隊を迎撃するが、科学力の差は如何ともしがたく、というよりも全く通用せずに敗北を繰り返していった。
一方のガミラス軍は容赦なく地球に遊星爆弾を浴びせ続け、地球は放射能に侵されてしまい、人類滅亡まであと1年、というところまで来てしまった。
そこで地球の最後の切り札として登場したのが宇宙戦艦ヤマトである。
さらに、地球に救いの手を差し伸べる者がいた。
やはり謎の宇宙人、イスカンダル星のスターシャである。
銀河系の向こう、地球から14万8千光年の彼方にあるイスカンダル星に「コスモクリーナーD」という放射能除去装置があり、それを1年以内に地球に持ち帰れば地球は救われるという。
スターシャからのメッセージカプセルには波動エンジンの設計図も入っており、これによりワープ航法、即ち超光速航行も可能になった。
さらに、波動砲という超強力兵器も得ることになり、ヤマトはガミラス艦を遥かに上回る宇宙戦艦となったのである。
「宇宙戦艦ヤマト」で重要なのは、単にガミラスに勝つだけではなく、1年以内にイスカンダル星からコスモクリーナーDを持ち帰らなければならない、という使命感である。
しかも、現在の地球の科学「相対性理論」では光速よりも速いスピードはないのに、その光速でもってしても片道14万8千年、往復で26万6千年かかる距離を、僅か1年で帰ってこなければならないのだ。
もちろん、行く途中にはガミラスからの執拗な妨害もある。
その緊迫感は、巨大ロボット物では得られないものだった。
それだけではない。
イスカンダル星と二連星だったガミラス星(即ち、イスカンダル星とガミラス星はほぼ同じ場所にあった)との戦いでガミラス星を滅ぼした時、主人公でありヤマト艦長代理だった古代進は、誰よりもガミラスを憎んでいたにもかかわらず、
「我々がしなければならなかったのは戦うことではなく、愛することだった!」
と自らの行為を悔やむ。
悪魔の惑星と思われていたガミラス星も実は死にゆく運命にあり、移住するために地球を攻撃したのだった(もっとも、そんな事情があったとしても地球人にとって迷惑至極なことだったが)。
結局、ヤマトはコスモクリーナーDを地球に持ち帰り、地球は元の姿に戻ったが、単に悪をやっつけたということに留まらなかったのが「宇宙戦艦ヤマト」の魅力だったといえよう。
第1作が劇場公開された翌年の1978年(昭和53年)、「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」が劇場公開され、配給収入21億円という空前の大ヒットとなった。
第1作からさらにスケールアップし、ガミラス星を遥かに上回る白色彗星帝国という超強敵が地球を襲い、ヤマトをさらに強力にした宇宙戦艦アンドロメダを旗艦とした地球艦隊を一瞬のうちに消し去り、波動砲すら通用しない彗星帝国にヤマトは傷つき、多くの戦死者を出してもう勝ち目はなかった。
それでも古代は最後まで諦めず、愛する森雪と共にヤマトで彗星帝国に突っ込み、テレザート星のテレサの力を借りて最後の旅路へと旅立っていった―。
このラストシーンにほとんどのアニメファンは涙し、感動的なフィナーレはもちろん圧倒的なスケールを目の当たりにして、「宇宙戦艦ヤマト」を超えるアニメはもう出てこない、と誰もが思った。
ところが、僅か1年後に「宇宙戦艦ヤマト」を超えるアニメが出現した。
それが「機動戦士ガンダム」である。
1979年(昭和54年)4月7日、一つのアニメ番組が放送を終了した。
劇場版「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」のリメイク版「宇宙戦艦ヤマト2(よみうりテレビ系)」である。
この二つの作品のディティールは似通っていたが、ラストでヤマトは破壊されず、古代や雪が生き残るなど細かい点で異なっており、それが「宇宙戦艦ヤマト」の続編を描かせる素となった。
とはいえ「宇宙戦艦ヤマト2」も30%近い高視聴率を叩き出し、ヤマト人気を不動のものにした。
奇しくもこの放送終了日、放映開始したのが「機動戦士ガンダム(名古屋テレビ系)」だったのである。
放送開始当時、「機動戦士ガンダム」は全くと言っていいほど注目されていなかった。
何しろ「宇宙戦艦ヤマト」で古典となってしまった巨大ロボット物を今さら、という感じである。
「機動戦士ガンダム」は低視聴率に喘ぎ、スポンサーだった「おもちゃのクローバー」はガンダム製品が全く売れず、結局は「クローバー」は倒産してしまった。
ハッキリ言って、「機動戦士ガンダム」が倒産させたようなものである。
ところが、「アニメージュ」や「月刊OUT」といったアニメ雑誌は「宇宙戦艦ヤマト」をほったらかしにして、「機動戦士ガンダム」を追い始めた。
それは、「宇宙戦艦ヤマト」とは比べ物にならないほど、「機動戦士ガンダム」はリアリティに溢れた世界だったからである。
アニメファンの興味はたちまち「宇宙戦艦ヤマト」から「機動戦士ガンダム」にシフトしていった。
「機動戦士ガンダム」が低視聴率で、かつオモチャが売れなかったのは、子供が理解するには難解なストーリーだったからだ。
ハッキリ言って、「宇宙戦艦ヤマト」よりも「機動戦士ガンダム」の方が遥かに難解である。
その違いは、「機動戦士ガンダム」が将棋だとしたら、「宇宙戦艦ヤマト」はハサミ将棋だと言ってもいい。
さらに例えるなら、それまでの巨大ロボット物はババ抜きレベルである。
まあ、最初は低視聴率で後に大ヒット、というパターンは「宇宙戦艦ヤマト」と「機動戦士ガンダム」は似ている。
「宇宙戦艦ヤマト」の時代は西暦2199年で、要するに22世紀の終わり、もうすぐ23世紀になろうという、今から約200年後の物語だ。
一方の「機動戦士ガンダム」の世界は宇宙世紀0079年、即ち宇宙移民が始まってから79年経った時代で、西暦に直すと何年かは定かではない。
地球人類が宇宙移民を始めるのにはあと100年ぐらいはかかりそうで、そこから約80年ということは、やはり「宇宙戦艦ヤマト」の時代と同じく23世紀初頭という感じがしないでもないが。
「宇宙戦艦ヤマト」時代と「機動戦士ガンダム」時代は、ほぼ同じなのだろうか。
「機動戦士ガンダム」では、宇宙世紀0079年に、ジオン公国が地球連邦政府に対して独立戦争を仕掛ける。
ここで重要なのは、侵略戦争ではなく独立戦争なのだ。
「宇宙戦艦ヤマト」では、ガミラス星が地球を侵略し、移住しようと企てていた。
要するに宇宙人が地球を乗っ取ろうとしていたのである。
これは「宇宙戦艦ヤマト」に限らず、多くの巨大ロボット物と同じシチュエーションだ。
他の巨大ロボット物は、宇宙人であるか否かにはかかわらず、目的は地球征服である。
この点では、ガミラス星も、白色彗星帝国も、あるいは「マジンガーZ」の地下帝国や「ゲッターロボ」の恐竜帝国も一緒だ。
しかし「機動戦士ガンダム」の世界では違う。
「機動戦士ガンダム」では「宇宙戦艦ヤマト」のように宇宙人が地球を攻めてきたわけではなくて、あくまでも地球人同士の戦争である。
しかも14万8千光年を旅する壮大な「宇宙戦艦ヤマト」と違い、「機動戦士ガンダム」では地球から最も遠い戦場が月の裏側というスケールの小ささだ。
スケールの点では「宇宙戦艦ヤマト」よりも遥かに小さいのに、「機動戦士ガンダム」は熱狂的な支持を得たのである。
「機動戦士ガンダム」の総監督である富野喜幸(現・富野由悠季)は実は「宇宙戦艦ヤマト」の絵コンテにも参加していた。
しかし「宇宙戦艦ヤマト」のプロデューサーである西崎義展と仲違いし、「機動戦士ガンダム」制作においては「ヤマトのような作品は作るまい」と決心したという。
「ヤマトを超える」のではなく「ヤマトのような作品は作らない」である。
「ヤマトを超える」つもりならば、もっとスケールのでかいアンドロメダ星雲を舞台にした作品を作ったかも知れないし、白色彗星帝国以上の敵を登場させてヤマト以上の宇宙戦艦で迎撃したかも知れない。
だが「機動戦士ガンダム」はそういう方向には向かわず、徹底的なリアリティを求めた。
さらに、富野監督は言った。
「ヤマトを叩き潰す」と。
「宇宙戦艦ヤマト」では、あくまでも物語の中心はヤマトだった。
こんなことは当たり前で、「宇宙戦艦ヤマト」に限らず、「マジンガーZ」だろうが「ゲッターロボ」だろうが、アニメ以外でも「ウルトラマン」や「仮面ライダー」も全てそうである。
ところが「機動戦士ガンダム」は違った。
作品を俯瞰的に見れば「地球連邦×ジオン公国」の戦争の一部分だけを見せているのに過ぎないのである。
地球連邦は最終的には勝つが(実は物語中にはそれすら示されていない)、それはガンダムの働きによってではなく、戦争の趨勢上そうなっただけだ。
「機動戦士ガンダム」はSF作品でありながら、ミリタリー作品でもあった。
ここが「宇宙戦艦ヤマト」とは決定的に違うところである。
「宇宙戦艦ヤマト」や、その他のヒーロー物では、悪の魔の手から正義のために地球の平和を守る、というものだったが、「機動戦士ガンダム」はそうではない。
戦争という極限状態の中で、少年少女達がいかに生き延びるか、がテーマだった。
最終回でガンダムは顔も右腕も破壊されて動かなくなるが、こんなガンダムの姿を見て「ガンダムも兵器の一つに過ぎないんだな」と視聴者は思い知らされるのである。
堅い話はこれぐらいにして、「宇宙戦艦ヤマト」と「機動戦士ガンダム」の比較に移ろう。
もっともこれは、僕の独断と偏見によるものである。
ヤマト vs ホワイトベース
宇宙戦艦対決。
ヤマトは光速を超えるワープ航法の能力を持ち、14万8千光年の彼方までの航行が可能だ。
もちろん人工重力も作り出すことができ、長い航行でも乗組員たちは快適に過ごすことができる。
攻撃力でも主砲9門を備え、さらに艦首には圧倒的な破壊力を持つ波動砲もある。
それに比べるとホワイトベースは、光速を超える航行など不可能で、人工重力も作り出せない。
メガ粒子砲などの兵器も備えるが、波動砲を持つヤマトに比べるとひどく見劣りする。
しかし富野監督によると、
「ヤマトとホワイトベースではどちらが強いんですか?」
という問いに対し、
「聞くも愚問で、波動砲さえかわせばホワイトベースの方が強いに決まっています」
と答えている(「アニメージュ」の1979年12月号より)。
こう言い切る根拠は、ミノフスキー粒子にあるだろう。
ミノフスキー粒子とは、電波障害を引き起こす粒子で、レーダーなどの電子兵器が不能になる。
そのためモビルスーツのような有視眼による兵器が生み出されたわけだが、ミノフスキー粒子が相手ではヤマトが誇るオッパイレーダーも不能だろう。
オッパイでも不能とは、これいかに、ってか。
さらにホワイトベースは、ガンダム、ガンキャノン、ガンタンクといったモビルスーツを搭載している。
ヤマトもブラックタイガー(「さらば」以降はコスモタイガー)という艦載機を搭載しているが、ミノフスキー粒子の元では不利だろう。
もちろん、波動砲を食らったらホワイトベースも一瞬のうちに消えてなくなるが、あんな正面にしか撃てない兵器、かわすのも造作のない事だ。
やはりここは富野監督の言うとおり、ホワイトベースの勝ちとするか。
ただし、白色彗星が攻めてきたら、ホワイトベースやガンダムでは太刀打ちできないだろう。
古代進 vs アムロ・レイ
古代進は気が強くて正義感があり、その反面若さに任せて突っ走ってしまう欠点がある。
ヒーロー物によくあるタイプの主人公と言っていいだろう。
しかし、物語の途中でヤマト艦長の沖田十三から艦長代理に指名され、指揮官として多くの命を預かる立場になる。
弱冠18歳では異例の抜擢であり、ガミラスとの戦いの中でそれだけの成長を見せたということだろう。
一方のアムロ・レイは異色の主人公だ。
機械いじりが好きな内向的少年で、母親によると小さい頃は虫すら殺せなかったそうだから、本来は戦いなど嫌いな性格なのだろう。
そんなアムロがガンダムに乗り込んだのも「たまたまそこにガンダムがあったから」パイロットになったに過ぎず、「生き延びるために仕方なく」ガンダムに搭乗して戦った。
「怖いからガンダムに乗るのは嫌だ!」なんていうヒーローは稀有の存在であり、こんな軟弱な主人公も珍しい。
だがアムロは戦士として飛躍的な成長を遂げ、ニュータイプ(先が読める、一種の超能力者的な人間)として覚醒していく。
古代とアムロ、どちらが上かといえば、艦長を任されるようになった古代に軍配が上がる。
ホワイトベース艦長のブライト・ノアがたとえ病に倒れても、アムロを艦長代理にしようとは思わないだろう。
アムロにはリーダーになる資質が決定的に欠けている。
ただし、アムロのようなどこにでもいる少年が主人公になったということで、「機動戦士ガンダム」が支持を得たわけだが。
まあ、どちらもあまり友達にはしたくないタイプではある。
あと、古代とアムロで忘れてはならないのが肉親との関係だ。
古代は両親と兄の守をガミラスによって殺されたため(ただし、守は生きていたのだが)、ガミラスに対する憎悪が深まった。
一方のアムロは一人っ子だが両親は健在で生き別れた形になり、父や母と再会を果たすのだが、その再会はいずれもアムロにとって辛いものだった。
アムロは両親が生きていたことにより、かえって天涯孤独を味わうのである。
独裁者対決という意味ではシャア・アズナブルよりもギレン・ザビ総帥を出した方がいいのではないかとも思えるが、ここは好敵手対決ということで。
共に共通しているのは、冷酷な面を持っていること。
デスラー総統などは「ワハハハハ!総統も相当ご冗談がお好きで」と大笑いした部下に対して「我がガミラスに下品な男は不要だ」という理由だけで容赦なく殺してしまう。
さらに、和平を進言した副総統のヒスに対しても「ヒスくん、私の前から消えてもらおう」という言葉を残して銃殺している。
この点でも、地球連邦との和平交渉に臨んだ父親であるデギン・ザビ公王を、連邦軍とともに超兵器のソーラ・レイで吹っ飛ばしたギレンに似ている。
もっとも、実父を容赦なく殺したギレンの方が、デスラーよりもより冷酷な感じがするが。
シャア・アズナブルとて、親友であるガルマ・ザビを裏切って死に至らしめている。
もっとも、親友だと思っていたのはガルマのみで、シャアから見れば我が父(ジオン共和国を建国したジオン・ズム・ダイクン)を殺した憎っくきザビ家の一員という認識しかなかったのだが。
その一方でシャアは、もはや戦力としては通用しない旧ザクでガンダムに立ち向かおうとするガデムに対し、「やめろ、ガデム!貴様のザクでは無理だ!」と、戦友の身を案じている。
またシャアは、部下の戦死に関して憤りを感じているシーンも度々あり、根っからの冷酷非情な人間ではなさそうだ。
デスラーやシャアは後に古代やアムロと分かち合うようになるが、よりカッコいい生き様はシャアの方だと言えよう。
デスラーでショックだったのは、テレフィーチャーの「宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち(フジテレビ系)」で、デスラー砲がゴルバに全く通用せず、情けない姿を晒したとき。
その後デスラーは「私はスターシャを愛しているのだよ」と人間らしい一面を見せているが(なんとデスラーはスターシャを愛していたのだ!ガミラス星人は放射能の中でしか生きることができず、イスカンダル星人とは呼吸する大気が全く違うのに)、生き恥を晒すデスラーなんて見たくなかった。
一方のシャアは、ニュータイプとして覚醒したアムロに太刀打ちできなくなるが、それでもキシリア・ザビを殺し、ザビ家打倒の目的を果たした。
何よりもシャアには、
「認めたくないものだな、自分自身の若さゆえによる過ちというものを」
「マスクをしている訳がわかるか?私は過去を捨てたのだよ」
など、含蓄のある名ゼリフが実に多い。
二人の生き様から見て、この勝負はシャアの勝ちとしよう。
森雪 vs フラウ・ボゥ
女性対決だが、結論から言うと森雪の圧勝だろう。
古代進が雪に一目惚れするのだが、雪の方がいつから古代のことを好きになったのかは定かではない。
一つ言えるのは、古代だけではなくその親友の島大介も雪に一目惚れするのだが、雪が選んだのは古代だったということだ。
直情的な古代よりも冷静沈着な島と結ばれた方が幸せだと思うのだが、女性というものは強引な男に惹かれるものらしい。
フラウ・ボゥはアムロとは幼馴染。
アムロにとっては女性というより、最も近しい人間だったに違いない。
しかし戦争を通してアムロはニュータイプとして覚醒し、フラウとは離れていく一方だった。
手の届かなくなったアムロに寂しさを覚えるフラウだったが、アムロをライバル視していたハヤト・コバヤシ(もっとも、ライバル視していたのはハヤトだけで、アムロはハヤトをライバルだとは思っていなかっただろうが)と結ばれる。
ハッキリ言ってハヤトは凡人で、フラウは手頃な相手で手を打ったと思えなくもない。
そう考えると、古代と島といういずれ劣らぬ男から想われ、ヤマト艦長にもなる古代をゲットした雪の方が女としては上だろう。
なお、劇中では雪もフラウもヌードを披露しているが、これは制作者のサービスか(フラウは入浴シーンだったが、雪はなんとワープ中に全裸になっている)。
スターシャ vs ララァ・スン
謎の美女対決だが、イスカンダル星をバックに映るスターシャは実に神秘的だった。
しかし、ヤマトがイスカンダルに辿り着いた時のスターシャはフツーの女だったので、ちょっとガッカリした。
しかも古代守とできていて、サーシャという子供を身篭ったので、処女性も失ったのである(ちなみにサーシャとはスターシャの妹と同名である。イスカンダル星人は名前のバリエーションが少ないのだろうか?)。
ララァ・スンが登場したのは、物語の最後の方である。
最初は無邪気な普通の少女だったのに、その存在感はどんどん増していった。
登場したのは34話からで、41話で死亡しているから全43話中、僅か8話しかララァは登場していない(ただし、最終回でアムロと会話しているので、全9話に登場しているということか)。
それなのに、ララァは物語の中枢を担っていたと言ってもいい。
ニュータイプとして存在感を示したインパクトから言って、ララァはスターシャを上回っているのではないだろうか。
アナライザー vs ハロ
こんな変化球も入れてみた。
ロボット対決だが、アナライザーは軍医である佐渡酒造の助手を勤め、さらにコンピューター解析などヤマトにおける重要なポジションを担っている。
さらに森雪のスカートをめくったり、雪に求婚したり、体で酒を浴びて酔っ払ったりするなど、人間的な面も見せていた。
ハロはペットロボットで、ハッキリ言ってなんの役にも立っていない。
「アムロ、ノウハレベル、リョウコウ」などという、どーでもいいことを分析する程度だ。
この勝負はアナライザーの勝ちだが、可愛さではハロの圧勝だろう。
と、宇宙戦艦ヤマトと機動戦士ガンダムを対決させてみたが、異論もあるだろう。
ただ、今回の検証を振り返ってみると、ヤマトの方がツッコミどころ満載のような気がするが。