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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

奇妙なスポーツ2

二日続けて野球ネタ。


3年前の第1回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)のアジアラウンド、僕は東京ドームで台湾×中国戦を観戦していた。
そのとき、たまたま僕の隣りに若い台湾人女性が座っていた。
日本語教師を目指しているらしく、日本語もそこそこ話せる。
そんな彼女が野球について僕にいろいろ尋ねてきた。


三振に倒れた選手がスゴスゴとベンチに引き返す。
女性「あれ?あの選手、なんでベンチに帰って行くの?」
国王「ストライク三つ取られたからさ。ストライク三つでアウトになるんだ」


バッターがファールを打った。
女性「今、打ったのになんで(打者は)走らないの?」
国王「打球がスタンドに入っただろ?この場合はファールになるんだ」
女性「ファールって、反則?(ちなみにこの女性、バスケットボールに関しては詳しい)」
国王「……いや、ファールでストライク一つ取られるんだ」


ツーストライクからバッターがファールを打った。
女性「またスタンドに入った。このファールでストライク三つなのに、なんでアウトにならないの?」
国王「つまりその……、ストライク二つの時、三つ目のファールはストライクにはならないんだ」
女性「???」


そして、台湾の選手が満塁ホームラン!
国王「ほらほら、満塁ホームランだ!台湾に4点入ったぞ!!」
女性「なんで?スタンドに入ったからファールじゃないの?」
国王「……」


母国の満塁ホームランもルールがわからなければ喜ぶことができない。


台湾といえば日本や韓国と並ぶアジアの野球強国である。
オリンピックでも銀メダル経験があり、郭泰源や王建民など、日本プロ野球やメジャーリーグにも好選手を輩出している。
そんな国(台湾は国ではない、なんてへ理屈はナシよ)の人でさえ、野球に興味のない人はこの程度の知識である。
ましてや野球が盛んではない国の人に野球を教えるのは、街中でたむろしているヤンキーに司法試験を合格させるよりも難しいかも知れない。
元阪神監督の吉田義男氏がフランス代表の監督をしていた時にNHKで特番をやっていたが、道路でフランスの選手たちがキャッチボールをしていたのを周りの人々が不思議そうな表情で眺めていたのが印象的だった。


日本に野球が伝わったのは言うまでもなく明治時代だった。
もちろんこの頃には野球だけでなく、サッカーやラグビーなどの西洋スポーツも入ってきている。
この頃は現在のルールとは随分違っていたとはいえ、日本人が一番好んだスポーツはなぜかルールの複雑な野球だった。
なぜ野球が日本人に好まれたのかはわからない。
その理由として、団体競技でありながら投手対打者という1対1の対決が、日本人の好きな武士道と合致したなどの説があるが、この件に関しては先人による検証文献などもあるのでそちらを参照されたい。


野球が日本に伝わった頃、東京などの大都会ではアメリカ人教師が学生たちに野球を教えていたので正しいルールで行われていたらしいが、地方に行くとなかなか本場のルールが伝わらず、「ご当地ルール」とも言える独自のルールで野球が行われていたようだ。


打者がボテボテの内野ゴロを打つ。
サードが懸命に前に出てボールを処理し、ファーストへ矢のような送球!
しかし全力で一塁を駆け抜けた打者走者の足が一瞬早く、セーフ!
野球ではよく見られるプレーだ。
このプレーに疑問を抱くファンはいないが、よくよく考えてみると、これはおかしなプレーではないか?
打者走者が一塁を駆け抜けたということは、要するに塁から離れているのである。
つまり本来なら、打者走者にタッチすればアウトになる、と考えるのが妥当だろう。
でも、野球ファンの誰もが知っているように、一塁に限り打者走者が二塁への進塁の意志がなければ、一塁から離れていてもタッチアウトになることはない。
でも、なぜ一塁に限り、そんな特例があるのだろう?
危険防止とか、打者走者と内野手の競走が面白いとかいろいろ理由があるのだろうが、明確な理由はわからない。
そしてやはりというか、日本でも「一塁への駆け抜けを認める特例」がなかった地方があった。
これは間もなくアメリカ人によって訂正されたそうだが、初めて野球をやる者にとってそんな特例などは考え付かないだろう。


二死満塁の絶体絶命のピンチ。
しかし投手が踏ん張り、セカンドゴロに打ち取って一塁へ送球、アウトになってなんとかこの回を無失点でしのいだ。
満塁の走者は全員残塁となって、次の回は当然無走者から始まる。
だが、もし「残塁」という規定がなければどうなる?
つまり、満塁の走者を残したまま、次の回が始まるのである。
いや、前の回でスリーアウト目はセカンドゴロで一塁アウトだったから、三塁ランナーはホームインして1点が入っているはずだ。
となると、前の回に1点を入れられて次の回は無死二、三塁から始まることになる。
残塁とは守備側にとっていわば「自己破産」みたいなもので、次の回には借金(走者)はチャラになる。
でもそれは、よくよく考えてみれば不公平な話ではないか。
攻撃側からすればせっかく出塁したのだから、回が変わったからと言ってチャラにされるのはおかしいだろう、と思うのが人情だ。
今の野球ファンは「そんなアホな」と思うだろうが、明治時代の日本のある地方には確かにそういうルールが存在した。
二死満塁で三振に打ち取って無失点で切り抜けても、次の回は無死満塁から始まるのである。
もし残塁なしのルールが残っていれば、犠牲バントや敬遠などの作戦は自殺行為だっただろう。
次の回にも走者が残るのだからわざとアウトになって走者を進める必要はないし、敬遠で走者を与えるとそれだけ失点の確率が高くなるからだ。
「スリーアウトで一区切りにする」というルールが、犠牲バントや敬遠といった作戦を生みだしたとも言える。


実は一時期、アメリカでもベース・オン・ボールズ(現在ではフォアボール。当時は9球ボールで出塁というルールがあった)で塁が空いてようがいまいが全走者が進塁というルールがあったようである。
つまり、ランナーが三塁で敬遠でもしようものなら、三塁ランナーはホームインしてしまうのだ。
もしこのルールが残っていれば、野球から敬遠という作戦は消えていたかも知れない。


こんな複雑怪奇なルールを持つ野球が、実は1900年前後以降は、大きなルール変更はほとんどない。
それまでは毎年のようにルール変更が行われていたのにもかかわらず、だ。
大きなルール変更があったとすれば戦後に生まれたDH(指名打者)制だが、それでも9人制の野球は未だに残っている。
他のスポーツではルールの変更が頻繁に行われているのに、不思議な現象である。


複雑怪奇なルールを持つベースボールに、大きなルール変更がない。
これこそが野球における最大のミステリーなのかも知れない。