図-1
のっけからヘンな図を出して恐縮だが、図-1が何を表しているか判るだろうか。
野球ファンなら判ると思うが、これは野球中継で見られる塁上表示で、図-1は走者が満塁であることを示している(塁の僅かなズレは気にしない!)。
そんなの当たり前じゃないか、と野球ファンなら言うだろうが、当たり前ではないのだ。
かつての野球中継では、塁上表示などなく、イニングやスコア、ボール・カウントが画面に映し出されているだけだった。
つまり、走者がどこにいるのかは判らなかったのである。
昔のアメリカでの野球中継では、イニングやスコア、ボール・カウントすら表示されてなかった。
この点について、「ベースボールと野球道(玉木正之、ロバート・ホワイティング共著、講談社現代新書)」という本では、
「アメリカの野球中継ではスコア表示などがないので、イニングが終わらないとスコアがわからない。常にスコアやカウントを表示している日本の野球中継は『教育的』なのだろう」
と意味不明の解説をしていた。
なぜ、スコアやカウント表示をするのが『教育的』なのか判らない。
同書では他の項目でも、ほとんどがアメリカ野球を礼賛し、日本野球を見下していた(著者たちは否定するだろうが)。
それで、野球中継でも「アメリカの中継では余計な表示がなくて画面がスッキリしているが、日本の中継では要らない数字を示して視聴者を『教育的』に洗脳している」という理屈を付けたかったのだろう。
実際には、日本の野球中継でスコアやカウント表示を映していたのは、視聴者サービスに他ならないのだが。
逆に言えば、アメリカの野球中継は怠慢だっただけに過ぎない。
それよりも、もっと問題なのは、この文章を書いたのが玉木正之氏とロバート・ホワイティング氏、どちらかが判らないことだ。
同書では、日米の野球の違いを400項目も挙げているが、両者のどちらが書いたのか、項目ごとのクレジットが全くないのである。
その理由を、同書ではあとがき部分で「どちらが書いたのかは重要とは考えず、クレジット表記は敢えてしなかった」と書いていた。
こういう姿勢を、普通は「無責任」と呼ぶ。
どちらが書いたのかを、なぜ「重要とは考え」なかったのかがまず理解に苦しむが、この理屈だと間違いを指摘されても「あれは俺じゃなくてボブさんが書いたんだよ」「いやいや、マサユキが書いたんだよ」といくらでも言い逃れができる。
要するに、自分が書いた文章に責任を持たずに済むのだ。
しかも、「重要なこととは考えず」と判ったような判らないような理屈を付けて読者をケムに巻くという、実に巧妙なやり方である。
ちなみに、メジャー・リーグに詳しいスポーツ・ライターの梅田香子氏は、同書のことを「冗談の羅列」とバッサリ斬り捨てた。
現在では、アメリカの野球中継でもスコアやカウント表示はもちろん、塁上表示も行っている。
これを玉木氏やホワイティング氏は「教育的」と呼ぶのだろうか。
もし逆に、アメリカの野球中継で昔からスコアやカウント表示が行われ、日本の野球中継でそれがなければ、玉木氏やホワイティング氏は「アメリカの中継では視聴者サービスを徹底しているが、日本の野球中継は視聴者に不親切だ」と書いていたに違いない(どちらが書いたのかわからないので、両者を十把一絡げにさせてもらう)。
1971年の日本シリーズ中継を見ると、既にスコアやカウント表示は行われていた。
アメリカの野球中継では、1990年代の前半頃まで、スコアやカウント表示がなかったのである。
つまり少なくとも、アメリカの野球中継は日本よりも20年は遅れていたというわけだ。
玉木氏やホワイティング氏は認めたがらないだろうが。
現在では日米ともに野球中継での塁上表示が当たり前になり、視聴者は一目で走者がどの塁にいるのかわかるようになったが、問題がないわけではない。
たとえば図-1のように満塁なら判りやすいが、図-2ならばどうだろう。
図-2
こんなの走者一塁に決まってるじゃないか、野球ファンはそう言うに違いない。
しかし、野球の初心者ならどうだろうか。
図-2を走者三塁と誤解する可能性があるのだ。
なぜなら、野球中継はセンター・カメラからの映像が画面に映し出されているからである。
つまり、画面ではピッチャーが背を向けているのだ。
ピッチャーの背中から見た場合、右側にある塁は三塁である。
図-2をもう一度見ていただきたい。
テレビ画面を基準にすると、走者が三塁にいるようには見えないだろうか。
図-1のように満塁の場合は二塁に走者がいるので、本塁が下側になることは判るのだが、二塁に走者がいないとどちらが本塁なのか判りにくいのである。
画面の塁上表示(緑)とは逆に、走者がいるのは投手の右(三塁)ではなく左(一塁)
しかし、野球ファンのほとんどは図-2を走者三塁だとは誤解しない。
なぜなら野球ファンは、本塁側から野球を見る習慣が身に付いているからだ。
日本のプロ野球中継でセンター・カメラが採用されたのは1978年。
以来、約40年間もセンターからの映像に慣れているはずだが、それでも球場での特等席はネット裏だし、本塁から扇形に外野方向を見るのが野球、ということを無意識に認識している。
スコアブックでも、球のコースを記入する場合は捕手側から書く、即ち右打者の外角は右側にするのが普通だ。
これは、スコアラーがネット裏に陣取っているためでもあるのだが、野球は本塁を中心に見る、という意識の現れだろう。
それでも、テレビ中継を見る場合はセンター・カメラに慣れてしまっているので、1977年以前のネット裏カメラでは違和感を感じてしまう。
1977年以前の野球中継では、ネット裏カメラが当たり前だった
だが、野球を熟知したファンなら図-2でも戸惑わないだろうが、ビギナーはどうだろう。
テレビ画面では走者が三塁にいるはずなのに、実際には一塁なので、混乱しないだろうか。
ただでさえ、少子化の影響もあって野球人口が減っているご時世である。
そこで、今後は野球ファン獲得のために、センター・カメラのテレビ画面を基準とした塁上表示にすればいいのではないか。
つまり、走者が満塁の場合は図-3になるわけである。
……やっぱり、違和感があるなあ。
図-3