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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

合同自主トレ

今日、テレビを見ていると、「×年前の今日」というコーナーがあって、20数年前の1月12日、歌手の布施明がロッテの合同自主トレに参加した、という出来事が紹介されていた。


現在でも複数の選手がシーズンオフにトレーニングするとき「合同自主トレ」という言い方をするが、今から20年ほど前のプロ野球では球団そのものが「合同自主トレ」を行っていた。
チームで行う練習なのに、どうして自主トレ?
今のファンにとっては奇異に感じる言葉かも知れない。


現在も昔もキャンプ解禁日は2月1日となっているが、イノシシ猟じゃあるまいし、そんな「解禁日」があるわけではない。
12月と1月の2ヶ月間は選手の権利で球団の拘束力が及ばない期間として、チームが選手に練習を強制してはいけないことになっている。
もっとわかりやすく言えば、この2ヶ月間は年俸には組み込まれていないということだ。


ところが球団としては、2月1日のキャンプから早く仕上げて、他チームを出し抜きたいと考える。
そこで「合同自主トレ」という奇妙な名前のキャンプを1月10日前後から始める、というのが20年ほど前までの当たり前の風景だった。
合同自主トレはたいてい本拠地球場か二軍の練習場で行われ、もちろん監督やコーチなどの首脳陣も付きっきりだ。
では合同自主トレとキャンプの違いはと言えば、合同自主トレではユニフォームを着ることを禁じられている、ということだ。
逆に言えば、ユニフォームさえ着ていなければチームの練習ではない、という奇妙な論理がまかり通っていたのである。
ただし、海外キャンプの時はなぜか特例で、コミッショナーが認めればキャンプを2月1日以前に始めてもユニフォーム着用はOKだった。


当時の漫画「あぶさん」を読んでいると、浪商からドラフト2位で南海に入団したばかりのドカベンこと香川伸行が初めて合同自主トレに参加した時、中モズ球場の食堂で昼食をとろうとしたとき「ホークスの選手やのにお金を取るん?」と聞き、食堂のオジサンは「(キャンプと違って)自主トレの間は金がいるんや」と答えていたシーンがあった。
あぶさん」を信用すると、少なくとも南海では合同自主トレの間は食費は出なかったらしい。


1980年代の阪神では、ハワイ・マウイ島での合同自主トレというのがあったが、このときの旅費はどうなっていたのだろう。
球団の命令で海外に行くのだからまさか選手負担ではないだろうが、海外で自主トレを選手全員で行うというのも変な話だ。
逆に言うと、球団の金で海外の暖かい所で自主トレを行えるのだから、選手にとってはオイシイ話でもあるのだが。


だが、選手会による労働組合が発足し、1989年からは、指導者付きの「合同自主トレ」は禁止となった。
とはいえ、初年度は球団も選手もかなり戸惑ったらしく、各球団の首脳陣は練習に手を出せないことに苛立ちを見せ、オフシーズンの権利を獲得した当時の選手会長である中畑清は「選手諸君、自主トレをやろう」と号令を掛けていたくらいだ。
当時は自主管理ができない選手が多く、だからこそ球団は合同自主トレを行い、それによってますます自主管理ができない選手が増える、という悪循環があったのだろう。


この頃は2月1日になっても、合同自主トレを行っていた本拠地や二軍練習場でそのままキャンプをスタートさせる球団が多かった。
当時は各キャンプ地の設備が整っていなくて、四国辺りなら2月初旬では寒さも本拠地とあまり変わらないので、設備が整った本拠地でじっくり仕上げていこう、と考えていたわけだ。
しかし、合同自主トレが禁止になったため、チームの練習計画に1月分が組み込めなくなったので、「寒い所からチーム全体でじっくり仕上げていく」ということができなくなった。
チームに戸惑いがあって当然である。


あれから20年、選手たちも自主トレには慣れ、思い思いの方法でキャンプまでに体を仕上げていくようになった。
選手によってはトレーナーやジムとも専属契約し、自己管理を徹底している。
「合同自主トレ」という名のキャンプがあった頃とは隔世の感がある。