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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

沖縄は春、北海道は夏

今日、阪神甲子園球場で第80回記念選抜高等学校野球大会の決勝戦が行われ、沖縄尚学(九州・沖縄)が聖望学園(関東・埼玉)を9−0で下し、1999年(平成11年)以来、二度目のセンバツ制覇を成し遂げた。
そしてそれは、沖縄県勢にとって二度目の春のセンバツ制覇でもある。
ちなみに、夏の選手権ではまだ沖縄県勢の優勝はない。


沖縄の高校野球史は結構根深いものがある。
まず戦前、沖縄県勢は春夏共に甲子園出場経験はない。
1879年(明治12年)の廃藩置県によって沖縄県が日本の県として制定されたにもかかわらず、中等野球(現在の高校野球)の全国大会に出場したことがないのだ。
ところが、戦前に大日本帝国が属国、あるいは事実上の植民地としていた朝鮮、台湾、満州(現在の中国東北部)からは毎年のように夏の甲子園に代表を送り出していた(春のセンバツでは厳寒地の朝鮮や満州代表は出場せず、台湾代表のみ出場していた)。
これら外地が甲子園出場していたのに、沖縄からは1校も甲子園出場しなかったのである。


戦後になり、日本領から独立した朝鮮、台湾、満州からの甲子園出場はなくなったか、沖縄からの甲子園出場もなかなか果たせずにいた。
戦後、沖縄はアメリカの占領下だったのである。
そんな沖縄県勢が甲子園に初出場したのは1958年(昭和33年)の夏、首里である。
当時はまだアメリカ占領下だったため、首里ナインは全員パスポートを持って甲子園入りした。
首里は甲子園で初戦敗退し、甲子園の土を沖縄に持ち込もうとしたが、当時はアメリカ占領下だったため植物検疫法に引っ掛かり、首里の選手たちは甲子園の土を泣く泣く海に捨てたというエピソードはあまりにも有名である。


1972年(昭和47年)、沖縄は晴れて日本の領土に変換され、沖縄代表校は堂々と(?)甲子園に出場できるようになった。
最初は本土の野球についていけず、初戦敗退が続いたが、徐々に沖縄のレベルも高くなり、1968年(昭和43年)の夏には興南が遂に準決勝進出を果たした。
その後の沖縄県勢は全国でも屈指のレベルを誇り、全国制覇も時間の問題だと言われるようになった。
しかし、そこから甲子園制覇の壁をなかなか越えられずにいた。


沖縄県高校野球関係者は、沖縄代表校が甲子園制覇をするのは夏よりも春が先だろうと予測をしていた。
理由は、沖縄が暖地だからである。
寒い冬の間、普通の地域では野球の練習はなかなかままならないが、沖縄では早い時期でセンバツに向けて仕上げることができる。
一方、夏の甲子園では温度の地域差がさほどなく、沖縄が有利な点は特に見当たらない。


ところが、実際には沖縄県勢は春よりも夏の方が活躍していた。
夏の甲子園では沖縄水産が1990年〜91年(平成2〜3年)、二年連続準優勝している。
それ以前でも、沖縄県勢は夏の活躍が目立っていた。


その理由として、春の甲子園での寒さが挙げられるだろう。
暖かい沖縄で過ごした選手たちは、甲子園の寒さに面食らう。
寒さのために思うように体が動かない沖縄の選手たちは、エンジンがかからないうちに敗退してしまうのだ。
いくら沖縄のレベルが上がっても、体が動かなければ勝てるわけがない。


しかし、沖縄尚学をはじめとする最近の沖縄代表校は、甲子園での寒さ対策を万全にしてきている。
センバツ出場を決めた沖縄の高校では、冬場に上半身裸で練習したりするそうだ。
それが沖縄尚学はもちろん、八重山商工宜野座による春のセンバツ大躍進に繋がっているのであろう。


一方、北の果ての北海道では、夏の甲子園での躍進ぶりが目立つ。
2004年から05年(平成16年〜17年)の夏には南北海道代表の駒大苫小牧の二連覇が記憶に新しい。
なにしろそれまでの甲子園では、北のチームは高校野球に不利と言われていて、事実東北より北の地方では甲子園制覇は一度もなかった。
そのジンクスを破ったのが駒大苫小牧である。
しかも、どんな強豪校でも滅多にはできない甲子園二連覇のオマケ付きだ。


しかしそんな北海道勢も、センバツ制覇の経験はない。
やはり春先に思うような練習ができない北海道勢にはハンデがあるのだろうか。
逆に、夏の大会では気候条件は他の地域とさほど変わりがない。


いずれにしても、春は沖縄県勢(いずれも沖縄尚学)が二度の優勝で夏制覇はなし、夏は北海道勢(いずれも駒大苫小牧)が二度の優勝で春制覇はなし、という現象は面白い。
しかもこの二つの道県は、日本の中では南北両端の県、いずれも日本の領土からは微妙な立場に立たされており、差別されてきた。


そして北海道は冷帯に属し、沖縄は亜熱帯の気候区分だ。
狭い日本の中でも地域によって気候が大きく異なっている。


日本は我々が考えているより、ずっと広いということだろうか。