ライバルの存在が成長の糧になるとよく言われるが、関西でのライバル関係といえば吉本興業と松竹芸能だろう。
お笑いの本場・関西において両者は切磋琢磨し、関西お笑い界のレベルを上げて、日本の他の地域を寄せ付けない水準の高さを誇ってきた。
そしてその一つの表れが「吉本新喜劇」と「松竹新喜劇」であろう。
現在では吉本新喜劇の独り勝ちというイメージが強いが、歴史は松竹新喜劇のほうが古い。
元々は、1959年に当時隆盛を誇っていた松竹新喜劇に対抗し、吉本興業が「吉本ヴァラエティ」という喜劇を始めた。
それがまもなく「吉本新喜劇」と名を変え、松竹新喜劇との興行戦争が始まった。
しかしこの吉本新喜劇と松竹新喜劇、同じ「新喜劇」と名乗っていても、内容は似て非なるものである。
松竹新喜劇は演目が決まっていて、それをローテーションで公演するというもの。
その内容も、話の筋がキチンと決まっている上で笑わせるというもので、登場人物もちゃんと決まっている(ただし、演じる役者は変わることがある)。
それに対し吉本新喜劇は、松竹新喜劇に対抗するため話の筋にはあまり関係なく、徹底したナンセンスなギャグで客を惹きつけるという手法をとった。
例えるなら、吉本新喜劇はテンポある漫才なのに対し、松竹新喜劇は古典落語というところだろうか。
最初のうちは歴史ある松竹新喜劇の前に歯が立たなかった吉本新喜劇だったが、時代が進むにつれ両者の力関係は逆転し、松竹新喜劇は大スターだった藤山寛美の死後は風前の灯といった感がある。
それでも未だに生き残っているのは、やはり松竹新喜劇ならではの味わい深い笑いが生き続けているからだろう。
僕が子供の頃は、わかりやすいギャグを連発する吉本新喜劇を好んでいて、松竹新喜劇はとっつきにくくて敬遠していた。
でも、成長してくると松竹新喜劇の面白さがわかってきて、こういう笑いもあるんだな、と思えることができた。
僕が特に好きだったのが「人生双六」という演目。
とある小さな工務店の専務の浜本は、朝から今夜のことを楽しみにしていた。
五年ぶりに逢える宇田(藤山寛美が演じることが多かった)との再会が何よりも楽しみだったのである。
五年前の浜本は新今宮で日雇い労働者の身だった。
食うや食わずの生活を送っていた浜本はある日、百万円ほど入っていた封筒を拾い、それをネコババしようとした。
そんなときに四国から出てきた同じ日雇い労働者の宇田と出会い、意気投合して話し合った。
浜本は宇田の話を聞くにつれ、あまりにも正直で純粋な宇田の人格に自分のしたことが恥ずかしく思い、宇田にネコババの事実を告げた。
宇田は浜本に、今からでも遅くはない、幸い封筒には受け取り主の住所が入っているから、すぐに届けなさい、先方様はきっと困っています、と金を返すことを勧めた。
浜本はその言葉通りに金を届け、その晩は宇田と呑み明かした。
浜本は宇田に、僕は君を目標にして頑張る、だから君も僕を目標にして頑張ってくれ、そして五年後の今日、僕たちが出会ったあの場所で待ち合わせをしよう、と提案した。
宇田もこの提案を受け入れ、浜本は宇田に財布を渡し、宇田は母の形見であるお守りを浜本に渡して、五年後の再会を誓い合った。
こうして浜本と宇田の人生双六が始まった。
そして五年後の今日、浜本は宇田に会えることことしか頭になかった。
浜本は五年前に金を届けた縁でこの工務店に就職でき、さらに社長の娘と結婚して専務にまで登りつめていた。
今の自分なら堂々と宇田に会うことができる、と。
宇田の存在がなければ、今の自分はなかったのだ。
その日、この工務店の近くで自殺未遂者が出たと大騒ぎになった。
工員たちが何とか助けて大事には到らなかったが、自殺未遂をした男こそ宇田であった。
たまたまそのときに工務店には浜本の妻がいて、事情を聞くと、それが我が夫が会うのを楽しみにしている宇田だということがわかった。
宇田は五年間、決して怠けていたわけではなかったが、不運が積み重なりとても成功した人生とはいえなかった。
住民票を失くしたために本雇いしてくれず、一生懸命働くと病気に見舞われ、なんとか復帰すると会社が倒産、そんな繰り返しだった。
自殺は思い留まったものの、浜本さんには合わす顔がないからこのまま消えると言う宇田に対し、浜本の妻は、ウソも方便で成功者として浜本と会うべきだ、と進言した。
浜本の妻は、我が夫の宇田に対する思いを知っていたから、なんとか成功した宇田の姿を夫に見せてやりたいと思っていたので、宇田に金を貸して身なりをちゃんと整えるように言った。
宇田は自殺未遂をしたものの、浜本に会いたい気持ちは同じだったので、浜本の妻の案を了承し、その女性がまさか浜本の妻だとは知らないまま、その日の夜に浜本と再会した……。
……とここまで「人生双六」の前半のあらすじを書いたが、このすれ違いが後半で大きな笑いと深い感動を呼ぶことになる。
松竹新喜劇も、後世まで語り継ぎたい芸である。