今年(2015年)10月23日、大阪府北東部の四條畷市にイオンモールがオープンした。
四條畷市というのは、東側に山を隔てて奈良県に接する、ハッキリ言うと田舎である。
この土地を考えると、失礼を承知で言えば「分不相応」というほどの巨大商業施設だ。
なにしろ最寄り駅であるJR学研都市線の四条畷駅からはバスで15分もかかるという、交通不便な地である。
ちなみに、四条畷駅は四條畷市ではなく、隣りの大東市に存在する駅だ。
もう一つ言えば、「四条畷駅」と「四條畷市」では「じょう」の漢字が違う。
それでも、この地にこれほどの巨大商業施設が建てられた理由はわかる。
店のすぐ傍には昔からある国道170号線(大阪外環状線)が通っており、さらに数年前には第二京阪道路(高速道路)が開通して、その下を通る国道1号線バイパスと国道170号線との合流地点にイオンモールが建設されたのだ。
つまり、イオンモール四條畷店は車での来客を見込んだ、典型的な郊外型巨大ショッピングセンターである。
大阪市内および京都・奈良方面からは国道1号線バイパスの利用客、大阪府北部や中南部からは国道170号線のユーザーを取り込めば、大阪府全体や近隣県からの集客が期待できるのだ。
もちろん、田舎だけあって土地は存分に余っており、広大な駐車場を確保するには事欠かない。
マイカーでの集客を見越した、郊外型巨大商業施設のイオンモール四條畷店
店の東側には山脈が横たわり、その向こう側は奈良県だ
さて、このイオンモール四條畷店には映画館も入っている。
なんと、四條畷で映画が見られるとは……。
もちろん、最近の郊外型ショッピングセンターに多いシネマ・コンプレックスであるが。
僕が子供の頃、映画館と言えば大都会にしかなかった。
したがって、親に映画館へ連れて行ってもらう時は、完全なよそ行きの服を着せられたものである。
僕にとっての映画館とは、車や徒歩、自転車でプラっと行くものではなく、電車に乗って大阪のミナミやキタへ行く場所だったのだ。
帰りにはデパートに寄って、最上階の食堂(レストランではないが、当時の僕にとっては充分に豪勢だった)で食事するという、映画を見に行くのは特別なハレの日だったのである。
ところが、1971年(昭和46年)の富田林地図を見ると、富田林市内に「富田林映劇」という映画館があったのだ。
「富田林映劇」とは「富田林映画劇場」の略だろう。
さらに「富田林松竹」という映画館もあったようだ。
なお、富田林については最近書いた「ダイエー時代の終焉」と「富田林に三つのデパートがあった!?」を参照されたい。
富田林市は大阪府南東部に位置する。
先の四條畷市とは、かつての令制国でいうと同じ河内国であり、国道170号線一本で行き来することが出来るが、南北で相当離れており、文化的には全く違う。
おそらく、四條畷市民は富田林市がどこにあるかなんて、多くの人は知らないのではないか。
もちろん、富田林市民も四條畷市がどこにあるのか、知っている人は少ないだろう。
話を元に戻すと、富田林映画劇場は近鉄長野線の富田林駅と富田林西口駅のほぼ中間にあったようだ。
そう書くと、随分不便な地にあったように思えるが、富田林駅~富田林西口駅の駅間はかなり短いため、両駅からは徒歩でもさほど時間はかからない。
しかも富田林映画劇場は寺内町にあり、当時は商業施設が集まる富田林の中心地だったから、実に便利な場所だったのだろう。
さらに、富田林駅や富田林西口駅からも離れた場所に、富田林松竹があったようだ。
こちらは駅から離れているとはいえ寺内町のド真ん中、街の中心地だったと言っていい。
現在の寺内町はすっかり寂れているが、戦国時代からの街並みが残っており、大阪府内唯一の重要伝統的建造物群保存地区となっている。
だが、僕が近鉄沿線に引っ越して来た時には、富田林映画劇場や富田林松竹は既になかった。
かつて、映画は娯楽の王様だったが、この頃にはもうテレビが一般家庭に広がり、映画は斜陽産業となっていたのだろう。
昭和40年代は、時代の転換期だったのである。
富田林映画劇場があった場所には現在、マンションが建っている
富田林映画劇場の隣りには、かつて富田林市民の台所だった富田林中央市場があった。現在でもその名残りがある
現在は個人所有の駐車場となっている場所に、かつては富田林松竹があった。映画館の面影は全くない
さらに調べてみると、1957年(昭和32年)には富田林市に、富田林映画劇場や富田林松竹を含めて4つも映画館があったのだ。
残りの2つは、富田林セントラル劇場と大楽座。
大阪府下でも、大阪市や堺市以外で、市内に4つも映画館がある市は、そうはない。
ちなみに、この時代でも四條畷市(当時は四條畷町)に映画館は1つもなかった。
そう考えると、富田林市は相当な重要都市だったのではないか。
そして、1964年(昭和39年)の地図を見つけたが、そこにはちゃんと富田林セントラルもあった。
1964年と言えば、東海道新幹線が開通し、東京オリンピックが行われた年だ。
つまり富田林セントラルは、東京オリンピックが開催された1964年にはあったものの、その7年後には既に消滅していたことになる。
現在のジャンボスクエア(旧・西友、そして富田林デパート)から道を隔てた場所にあり、富田林駅から近かったので、さぞかし便利だったはずなのに、なぜ早々と姿を消したのだろう。
その後、Kマートというスーパーマーケットとなり、今では富田林文化センターとなっており、1階部分は美容チェーン店が営業している。
さらに隣りには「千都来留(せんとらる)」というお食事処があるが、これは明らかに「富田林セントラル」の名残だ。
かつて、富田林セントラルという映画館があった場所。現在は全国にチェーン展開している美容店となっている
富田林セントラルの隣りで営業していた「食堂セントラル」は現在、「千都来留(せんとらる)」というお食事処になっている
だが、残念ながら大楽座は見つけることができなかった。
東京オリンピックがあった年には、既に閉鎖されていたのだろうか。
富田林から映画館が消えて久しくなった1989年、即ち平成元年に、富田林市内に映画館が生まれた。
それがロゼシアターである。
ロゼシアターは、富田林駅と、南海高野線の金剛駅との間にあった映画館だった。
映画館、といっても、エコール・ロゼという大型商業施設の中に入っていたものである。
しかも、路線が違う駅と駅の間ということで、電車で行くことはできない。
ちなみにエコール・ロゼとは、ジャスコと提携した専門店街である。
現在、ジャスコはイオングループに組み込まれたため、四條畷と同じイオンの中にある映画館というわけだ。
だが、ロゼシアターは既に閉鎖されている。
ロゼシアターはいわゆるシネコンではなく、ビデオシアターという方式が採られた。
ビデオシアターとは、映写機を使わず、スクリーンも小振りで済むので、コストがかからず一時はもてはやされた。
ちなみに、ロゼシアターの観客席は僅かに71席という、実に小振りな映画館である。
その後、シネコンによる大型スクリーンの上映が主流になると、ビデオシアターの存在価値がなくなってしまった。
かくして、富田林からは再び映画館が消えたのである。
現在、富田林の周辺には堺市南区、八尾市、奈良県橿原市にシネコンを備えた大型商業施設があるので、富田林市に映画館が造られることはないだろう。
時代が変わったと言えばそれまでだが、寂しい話だ。
まあ、僕の原体験から言えば、映画館とは車や徒歩、自転車で行く場所ではなく、あくまでもよそ行きの服を着て電車で行く、大都会への旅なのであるが。
【突然クイズ】
「四條畷」とは、なんと読むでしょう?
関西以外の方、お答えください。