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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

ヤスダ投手と、タブチくん及びヒロオカ監督との関係

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ヤクルト(現:東京ヤクルト) スワローズの投手として活躍した安田猛さんが今年(2021年)の2月20日、73歳で亡くなった。

安田さんのプロ入りの動機は、長嶋茂雄氏や王貞治氏と対戦するためだったが、奇しくも長嶋氏の誕生日が安田さんの命日となったのである。

安田さんと言って想い出されるのは、漫画「がんばれ!!タブチくん!!」(作:いしいひさいち)に登場するヤスダ投手のモデルとなったこと。

主人公はもちろん、田淵幸一氏をモデルとしたタブチくんだが、準主役のヤスダ投手は主役のタブチくんを食ってしまうほど強烈なキャラクターだった。

それでは、現実の安田さんと、漫画のヤスダ投手には共通点がどれだけあったのか見ていこう(以下、敬称略)。

 

◎ヤスダ×タブチ、宿命のライバル!?

ヤスダと言えば、その特徴は魔球の数々。

中でも、インパクトがあったのは「見のがして下さい魔球」だろう。

ボールがゼンマイ仕掛けになっており、ヤスダが投げるとボールの口がパカっと空いて、

「見のがして下さい、見のがして下さい、見のがして下さい」

と連呼しながら打者の前を通過する。

これには捕手のオーヤくん(モデルは大矢明彦)も「こんなもんルール違反に決まってるじゃねーか!!」と怒り心頭だった。

 

しかし、中には凄い変化を見せる本物の魔球もあり、ホームベース手前でシュート気味に浮き上がった後、スライドしながら右打者の内角に切れ込むという、大リーグボール並みの凄い球をオーヤくんのキャッチャー・ミットに投げ込んだのである。

オーヤ捕手も感激して「遂にやったな、ヤスダ!」と泣いて喜んだが、ヤスダの左手を見ると指が8本もあって、オーヤくんは腰を抜かした。

実はこれ、新魔球用の手袋で、指が8本ないとあんな変化はしないのだ。

結局、オーヤくんがヤスダの左手を気味悪がり、この新魔球が日の目を見ることはなかった(と思われる)。

 

それでは、ヤスダとタブチの関係はどうだったのか。

アナウンサーは2人のことを「宿命のライバル!宿命の対決です!」と実況している。

この時、ヤスダは対タブチ用の新魔球で三振に打ち取った。

その魔球とは、ボールに豚の顔を描いてタブチに打つ気すらさせないというものである。

 

ヤスダとタブチはタメ口で話し、お互いに罵り合うが、実際には田淵の方が安田よりも1学年上。

安田は早稲田大学、田淵は法政大学で、プロ入り前の東京六大学から対戦している。

プロ入り後、有名なのは安田の無四球記録だ。

コントロールの良かった安田は、81イニングス連続無四球というNPB記録を持っているが、その始まりは田淵を敬遠した次の打者からである。

そして、記録が途切れたのは、これも田淵への敬遠四球

やはり2人は、因縁深い関係だったのだ。

 

安田は左のサイドスローで、右の長距離砲である田淵にとって与しやすい相手のはず。

それが、安田の田淵に対する2度の敬遠に現れているのか。

ところが、実は安田のことは「顔を見るのも嫌い」というほど田淵は苦手だった。

田淵は、真っ向勝負する投手を得意としていたが、ノラリクラリとかわす安田を大の苦手としていたのである。

田淵だけではなく、阪神タイガースの誰もが安田を苦手としており、安田は名うての虎キラーだった(その系譜は、やはりヤクルトの左サイドスロー梶間健一に受け継がれる)。

漫画の中でタブチはヤスダを毛嫌いしていたが、あながちウソではなかったのである。

 

◎ヤスダとヒロオカ監督との確執

「がんばれ!!タブチくん!!」の連載が始まった頃、ヤクルトの監督は広岡達朗だった。

広岡監督のモデルであるヒロオカ監督は、怪しげな魔球ばかり投げるヤスダを全く信用していなかったのである。

 

守備特訓が始まると腹痛を訴え、サボろうとするヤスダ。

そんなヤスダに対し、ヒロオカ監督は「トイレへ行きなさい」と優しく言うが、手ぶらでは行かせず掃除道具を持たせた。

ヒロオカ監督は選手へのペナルティとして、いつも掃除をさせていたのである。

そのため、当時のヤクルトのキャンプ地である米アリゾナ州ユマの清掃組合から、ヤクルトはボイコットされてしまった。

 

そんなヒロオカ監督をヤスダが好きであるわけがなく、1979年のシーズン途中でヒロオカ監督の辞任が伝えられると、ヤスダはさっそくヒロオカに電話を掛けて、

「やぁ、ヒロオカ君かにィ。ワシじゃよワシ、かつて君の部下だったヤスダじゃよ。昔ゃ色々世話になったにィ、ヒロオカタツロー君。んー?どわっはははは!」

と鬼の首でも取ったかのようなハシャギよう。

しかしヒロオカが「まだ正式に退団届は出しておらん」と言うと、ヤスダは態度を一変させて、

「あっ!カントクっ!私、思いますに、今回のですね、この……」

と言い掛けるも、ヒロオカはガチャっと電話を一方的に切ってしまった。

 

実際の広岡と安田は、早稲田大の先輩後輩の間柄。

しかし、漫画で見る通り関係は決して良くなかった。

管理野球を標榜する広岡にとって、自由奔放に生きる安田は良い選手には映らなかったのである。

そのせいか、安田のトレード話が噂され、安田も心証を悪くしたようだ。

広岡監督が先輩と言っても「僕は早稲田大OBではなく小倉高校OBです」と言い放ったほどである。

 

とはいえ、広岡監督は安田の実力を評価していた。

ヤクルトが初のリーグ優勝を果たした1978年、当時は最強を誇り日本シリーズ3連覇中の阪急ブレーブス(現:オリックス・バファローズ)との日本シリーズ第1戦では、この年の沢村賞でエースの松岡弘を差し置いて安田を先発させている(安田は敗戦投手)。

また、ゴールデン・ルーキーの“サッシー”こと酒井圭一をなかなか一軍に上げなかったことについて「松岡や安田のような良い投手が揃っていたので、酒井の入り込む余地がなかった」と広岡監督は語っていた。

 

◎ヤスダは契約更改に幼い娘を同席させたってホント!?

ヤスダは、ある年の契約更改交渉で、幼い娘のチエ子を同席させた。

球団から言い渡された翌年の年俸は15%ダウンで、ここで娘を同席させた理由が判る。

ヤスダはチエ子に「おとんちゃー!ひもじーよー!」と言わせ、泣き落としに出る作戦だ。

球団社長がダウンの理由を説明しようとするたびに「おとんちゃー!ひもじーよー!」とチエ子に言わせ、球団社長に「さすがゴマカシ専門のピッチャー、上手いことタイミングを外しやがる」と呆れさせている。

 

実際の安田はどうだったのか。

実は、娘こそ同席させないものの、妻を契約更改交渉に連れてきたことがあるのだ。

しかも、新人のシーズンが終わって、プロ野球人として最初の契約更改でのことなのだから驚きである。

安田の場合は大学から社会人を経てのプロ入りだから、新人とは言ってもいい大人になっていたのだが、それでも20代半ばで夫婦同伴での契約更改なんてなかなかできることではない。

そしてなんと、この時は結婚してまだ2日目の新妻だったのだ。

 

契約更改交渉は、プロ野球選手にとって翌年の給料が決まる、年に一度の最も大切な場。

そんな真剣勝負の場所に、球団のお偉方とギリギリの交渉をする姿を女房に見せたかった、というのが安田の考え方だった。

 

安田の、金にまつわる話はまだある。

安田はオフ・シーズンになると、お歳暮配達のアルバイトをしていたのだ。

これこそマンガみたいな話だが、正真正銘の実話である。

安田によると、お歳暮配達では自転車を漕ぐので足腰の鍛錬になるし、バイト料も貰えるので一石二鳥ということだった。

いくら金を貰えると言っても、プロ野球選手の年俸から見ると雀の涙。

そこまでしてアルバイトすることもあるまいと思うのだが、実はここにこそ安田の狙いがあったのだ。

 

プロ野球の世界は、いい成績を残すと年俸が数百万円(現在なら数千万円)も一気にポーンと上がる。

すると、金銭感覚がおかしくなってしまうものだ。

そこで安田はバイトすることにより、一般人は千円を稼ぐためにどれだけ苦労しているか、勉強しているかを学ぼうとしたのである。

つまり、現実の安田は、漫画のヤスダほどセコくはなかったわけだ。

 

球界からまた一人、名物男がこの世を去った。

冥福を祈りたい。

 

【追記】

Wikipediaに、お歳暮のバイトのことが紹介されていたが、参考文献は筆者が書いた記事だった。

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