▲福岡ダイエー・ホークス監督時代の王貞治・現:福岡ソフトバンク・ホークス会長
2020年のプロ野球(NPB)の日本シリーズは、福岡ソフトバンク・ホークスが読売ジャイアンツに4勝0敗と圧倒して幕を閉じた。
これでソフトバンクは日本シリーズ4連覇、巨人に対しては2年連続4タテと、力の差を見せ付けたのである。
交流戦を見ても判るように、パシフィック・リーグがセントラル・リーグを常にリードし、両リーグの差は広がるばかりだ。
その原因として指名打者制度、即ちDH制を挙げる声もある。
つまり、セ・リーグもDH制を採用すべきと、巨人の原辰徳監督も言っていたが、その件については去年に書いたので、そちらを参照されたい。
今回はDH制の是非ではなく、その歴史について振り返ってみよう。
その前に、意外にDHのルールが知られていないので、それについて記してみる。
実際、交流戦でDH制の試合が行われた時、セ・リーグの監督がDHのルールを把握してなかったので失態を演じた、ということがあった。
①DHは投手以外の代わりに打つことはできない
よく、誤解されているのは、DHはどのポジションでも代わりに打つことができる、と思われていることである。
たとえば、大谷翔平が登板した時、大谷の打撃も活かしたいということで、他の最も打力の弱い選手の代わりにDHを使おう、というわけだ。
仮に、大谷を投手で四番打者とし、捕手の代わりにDHを打線に組み込む、という方法である。
しかし、これはルール違反だ。
「でも、ソフトボールではそういう形でDHを使っていたよ」と思われるかも知れないが、それはDH(指名打者)ではなく、DP(指名選手)である。
DPはどのポジションの選手の代わりでも打つことができるが、DHは投手の代わりでしか打つことはできない。
ちなみに、DHとはdesignated hitter、DPはdesignated playerの略である。
②DHは必ず1打席を完了しなければならない
DHに初めて打席が回って来た時、必ず打席を完了させる必要があり、代打を送ってはならない。
つまり、DHにはいわゆる「当て馬」を起用できないわけである。
もっとも、予告先発が当たり前になった今のプロ野球では、当て馬を作戦に使うチームはなくなったが。
ただし、DHに1打席目が回ってくる前に、相手チームの先発投手が交代すれば、DHに代打を送ることができる。
③DHの選手が守備に就くと、DHは消滅する
これもよく誤解されることだが、投手とDHを守備位置のシート変更のように交代させることはできない。
たとえば、投手の大谷の代わりに打つDHも二刀流で、大谷がKOされたのでDHの選手がリリーフ登板、大谷が代わりにDHに入ることはルール違反なのだ。
DHの選手が登板することはできるが、その時点でDHは消滅、大谷は試合から退くことになる。
もちろん、DHの選手が投手以外の守備に就くこともできるが、その場合もDHは消滅し、投手はDHの代わりに退いた野手の打順に組み込まれる。
もし、野手が2人以上退いた場合は、投手をどちらの野手の打順に組み込ませるかは、監督が審判に申告しなければならない。
④投手が他の守備位置に就くと、DHは消滅する
DHはあくまでも投手の代わりに打つ打者なので、その投手が他の守備位置に就いた時点でDHは消滅する。
投手だった選手はDHの打順に組み込まれ、リリーフ投手は投手の代わりに退いた野手の打順に入るのは言うまでもない。
⑤投手以外の野手がリリーフ登板した場合、DHは消滅する
野手が投手になった場合も、DHは消滅する。
この場合、投手だった選手か、投手の代わりに守備に就いた選手は、DHの打順に組み込まれるのは当然だ。
同じ理屈で、野手の代わりに代打あるいは代走に出た選手が投手になった場合も、DHは消滅する。
⑥投手がDHの代わりに打席に立ったり、代走になったりすることはできるが、その場合DHは消滅する
投手はDHの代わりに限り、代打や代走になることができる。
その場合、DHは消滅してしまう。
たとえば、投手・大谷の代わりのDHが不振で、大谷がDHの代打に出れば、以降は大谷がDHの打順を引き継ぐ。
もちろん、投手がDH以外の代打や代走になることはできない。
⑦DHに代打や代走を送ることができる。その場合、代わった選手がDHを引き継ぐ
これは第1打席を除き、他の野手と同じ。
野手に代打や代走を送った場合は、その選手の守備位置を監督が審判に申告しなければならないが、DHの代打や代走についてはその必要はない。
◎DH制の歴史
DH制度が初めて採用されたのは1973年、メジャー・リーグ(MLB)のアメリカン・リーグでのことと思われているが、実際には違う。
実は、その4年前の1969年、グローバル・リーグでDH制が採用されているのだ。
グローバル・リーグというのは「第三のメジャー・リーグ」を目指して組織され、その名の通り地球を股にかけたプロ野球リーグだったのである。
世界のプロ野球リーグということで、日本からも東京ドラゴンズが参加した。
このグローバル・リーグでは、DHを2人まで起用することが認められていたのである。
つまり、上記のDH制ルールには反しており、どちらかというとDP制に近いルールだが、まだDH制ルールが確立されておらず、実験的な段階だった。
何しろグローバル・リーグでは「指名走者制(DR制?)」まで採用され、即ち鈍足選手が出塁すると、俊足選手を指名走者として起用できたのである。
また、グローバル・リーグでは当時から申告敬遠を採用するなど時代を先取りしたが、資金難のため僅か1年ももたずに消滅。
グローバル・リーグの詳細については以下を参照されたい。
とはいえ、ルールが整備されたうえでのDH制初採用は、1973年のア・リーグと言っても差し支えはなかろう。
もちろん、ナショナル・リーグは9人制のままである(2020年にDH制を採用)。
かつて、江本孟紀が書いていた著書(いわゆる「10倍シリーズ」)によると、ア・リーグがDH制を採用した理由は、エクスパンションで球団が増え投手が足りなくなって、投手にいちいち代打を出していたら投手がいなくなるので、やむを得ずのアイディアだったということだが、真偽のほどは定かではない。
ちなみに、当時の江本はDH制には反対で、守れない・走れないで打つだけの歪な選手を生み出すし、投手が快打を飛ばすという意外性がなくなるし、チャンスに投手に対して代打を出すか否かの作戦の妙がなくなるし、大味な野球になって緻密さに欠けてしまう、というのがその理由だ。
当時はパ・リーグの人気はセ・リーグに大きく水を開けられていたが、江本はその原因をDH制に求めていた。
かつてのパ・リーグは、セ・リーグよりも高度な野球をやっているという誇りを持っていたが、DH制の採用により大味な野球になって、そのプライドがズタズタにされた、と。
もっとも、現在はパ・リーグもセ・リーグに負けない人気を誇っており、DH制が不人気だった理由ではないのだが、今の江本はDH制を容認し「DH制はセ・リーグとパ・リーグで交互に隔年採用すればいい」という意見を持っているようだ。
日本のNPBでDH制を採用したのはア・リーグに遅れること2年、1975年のパ・リーグでのこと。
しかし、その2年前、即ちア・リーグがDH制を採用した1973年に、日本で初めてDH制の試合が行われたのはあまり知られていない。
しかも、パ・リーグ同士の試合ではなく、セ・リーグも関わっていたのだから驚きだ。
当時は「指名打者」ではなく「指名代打」などと言っていたが、行われたのは3月1日の長崎県・島原球場での太平洋クラブ・ライオンズ(現:埼玉西武ライオンズ)×広島東洋カープのオープン戦である。
この頃はまだ、セ・リーグもDH制には興味があったようだ。
ちなみに、この年からパ・リーグでは人気回復策として前・後期制の2シーズン制が採用されている。
この2年後の1975年にパ・リーグがDH制を採用したわけだが、セ・リーグで採用しなかったのは、江本が言っていたような理由をセ・リーグでは挙げていた。
その中に「DH制では犠牲バントが少なくなって、緻密な作戦がなくなってしまう」という理由があったが、本当にそうなのだろうか。
9人制と違い投手にバントをさせることはなくなるが、それ以外ではむしろDH制の方が犠牲バントは多くなるのだ。
たとえば9人制の場合、走者が出て下位打線に回った場合、下位打者が犠牲バントをするケースは少ない。
なぜなら、チャンスに打順が九番の投手に回る可能性があるので、得点が望めないからだ。
しかし、DH制だと打線に投手がいないので、下位打者でも犠牲バントが多く用いられる。
当時はア・リーグとパ・リーグでDH制が採用されたが、日米ともに基本はあくまでも9人制。
MLBのワールド・シリーズやNPBの日本シリーズでもDH制は採用されなかった。
しかし、いかにもプロの興行的発想のDH制が、むしろ国際大会の多かったアマチュア野球で広まったのは面白い。
ア・リーグでDH制が採用されてから3年間、ワールド・シリーズではDH制は採用されなかったが、1976年から隔年でDH制が採用されるようになった。
しかし、NPBではセ・リーグの反対に遭って、日本シリーズではなかなかDH制は隔年でも採用されなかったのである。
その理由として、江本の「10倍シリーズ」によると、パ・リーグがDH制を採用する際に「ウチだけやらせてくれ。セ・リーグには迷惑をかけないから」とセ・リーグに打診していたから、ということだが、これまた真偽は定かではない。
1979年と80年、近鉄バファローズ(現在はオリックス・バファローズに吸収合併)がパ・リーグ連覇を果たしたが、日本シリーズでは広島東洋カープに2年連続で3勝4敗と苦杯をなめた。
その原因として、守備には難があるがDHとして打棒爆発させたチャーリー・マニエルをライト守備に就かせざるを得なかったため、近鉄が実力を発揮できなかったから、と言われたのである。
しかも、セ・リーグの投手は打席に入ることに慣れているが、パ・リーグの投手はシーズン中に経験のない打撃をしなければならない。
つまり、9人制での日本シリーズは、パ・リーグのチームにとって大きなハンディだったのだ。
一方、セ・リーグのチームはDH制の試合でも、作戦は単純になるので、慣れてなくてもさほどのハンディにはならない。
そのため、公平を期すために日本シリーズでも隔年でDH制を採用すべきと、当時の下田武三コミッショナーが提言した。
そして1983年、NPBオールスター戦で初めてDH制が採用されたが、セ・リーグは反抗的措置を取り、パ・リーグのDH制に対して敢えて9人制で挑んだのだ。
しかし、結果は当然のように3連敗した。
ちなみに第1戦では、パのDHの門田博光と、セの山本浩二が共に2本塁打を放ったが(勝ったパの門田がMVP)、江本は「DHの門田よりも、守備に就いて2本塁打を放った山本浩二の方が価値はある」と新聞に寄稿している。
日本シリーズで、初めてDH制が採用されたのは1985年。
この時はお祭りのオールスター戦と違い、真剣勝負の日本シリーズということもあって、セ・リーグ代表の阪神タイガースはDHを使用した。
普通、DHは長距離砲にクリーンアップを打たせるものだが、阪神は小技の利くベテランの弘田澄男を二番打者のDHとして起用したのである。
しかも、これが見事にハマり、繋ぎ役として弘田が大活躍、当時は最強を誇っていた西武ライオンズを4勝2敗で粉砕した。
この年から日本シリーズでは隔年でDH制を採用することになっていたが、潮流が変わったのだ。
MLBのワールド・シリーズでは、年度によって格差がないように、翌1986年からナ・リーグ本拠地球場では9人制、ア・リーグ本拠地球場ではDH制が採られるようになったのである。
そのため、日本シリーズでは1986年は全試合9人制、翌1987年からワールド・シリーズに倣ってセ・リーグ本拠地球場では9人制、パ・リーグ本拠地球場ではDH制となった。
よって、全試合DH制は1985年のみだったが、コロナ禍の2020年は35年ぶりに全試合DH制となったのである。
なお、MLBオールスター戦では2010年から、NPBオールスター戦では1993年から全試合でDH制が採用されており、この点では日本の方がDH制について寛容だった。
オールスター戦では、投手に打順が回ってやむを得ず代打に出したり、続投させるために投手が打席に立つと打つ気がなかったりしたので、やむを得なかったのだろう。
今後、大谷のような二刀流選手が数多く出現するようになれば、DH制に代わってDP制が採用されるかも知れない。