先日、京都府南部の精華町にある国立国会図書館・関西館に行ってきた。
ここには朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、日本経済新聞という四大紙の縮刷版が揃ってるので、調べ物をする際には持って来いである。
しかし昔の新聞を調べていると、興味を引く記事を見つけ、本来の調べ物を忘れてしまい、ついつい脱線しがちだ。
国立国会図書館へ行くと、時間などあっという間に過ぎてしまう。
普通の図書館と違い、入館するには登録が必要で、持って入れる物も制限されるなどの制約があるとはいえ、まさしく無料のレジャーランドだ。
この日もやはり、本来の調べ物とは違う掘り出し物を発見した。
1987年3月の朝日新聞縮刷版に、第1回ラグビー・ワールドカップの広告記事が載っていたのである。
この年の5月22日から、史上初めてラグビー(ラグビー・ユニオンのことでラグビー・リーグは含まない。以下同じ)の世界一決定戦が行われることになっていた。
当時のラグビーではプロフェッショナルが認められておらず、世界一決定戦を行うのはアマチュアリズムに反するとして敬遠されていたのだが、ニュージーランドやオーストラリアなどの南半球がW杯開催を主張して、ようやくこの年に開催されることとなったのだ。
この広告記事では、ラグビー・ファンで知られる写真家の浅井慎平と、ラジオ・パーソナリティの千倉真理との対談形式で進められていた。
筆者などは浅井慎平というと、写真家というよりも「象印クイズ ヒントでピント」の化け物的解答者というイメージが強いのだが(「クイズダービー」の“宇宙人”はらたいらより上だったと思う)。
「英国は本来なら統一チームとして参加すべきだけど、五ヵ国対抗(筆者注:現在は六ヵ国対抗)の伝統を踏まえている」
「最もチームカラーが出るのはラグビー。ただ単に勝つだけではなく、どう勝つかが重要で、プロセスが重視される」
「W杯の開催によって、ラグビーも勝負の時代が来た。必ずしも勝負には拘らないという意味での、紳士のスポーツではなくなってきた。そういう点では複雑な気持ち」
「各国のジャージが持つ意味と、歴史的背景を調べたら面白い」
「(浅井さんならどんな日本代表を作るのか、という質問に対し)日本で一番強いチームではダメ。僕なら外国人に強い選手を選ぶ」
「(決勝戦はどんな雰囲気になるか、という質問に対し)まるで戦争でしょうね。いいお祭りであってほしい」
などと語っていた。
何しろ、ラグビーではまだ海の物とも山の物とも判らないW杯。
成功するだろう、いや失敗するに違いないと、当時は意見も真っ二つに分かれていたのである。
現在、ラグビーW杯を主催するのはワールド・ラグビー(WR)だが、当時はその前身のインターナショナル・ラグビー・フットボール・ボード(IRFB)が世界のラグビーを統括していた(実際にはFIRAという別組織もあったが)。
ところが、第1回ラグビーW杯の主催はIRFBではなく、開催国であるニュージーランド協会とオーストラリア協会の招待大会と位置付けられていたのである。
そもそも、80年代前半までIRFBの正式会員は僅か8ヵ国で(イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランド、フランス、ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカ)、日本は準会員という扱いだった。
日本が正式会員として加盟したのは、第1回ラグビーW杯が開催される前年の、1986年である。
第1回大会では、地域予選は行われず16ヵ国が招待されて出場した。
日本もアジアから唯一の招待出場を果たしたが、前年の1986年は日本を破りアジア王者となった韓国から異議があり、また南太平洋の強豪である西サモア(現:サモア)が選ばれないなど、不満を持つ国も多かったのだ。
さらに、当時はアパルトヘイトを採っていた“幻の世界最強国”南アフリカは招待されていない(自国開催となった1995年の第3回大会から参加)。
そういう意味では、まだ完全な世界一決定戦にはなっていなかったと言えよう。
そして、第1回大会のみKDDIの前身であるKDD(国際電信電話株式会社)がタイトル・スポンサーだったのである。
つまり、アマチュアにもかかわらず第1回ラグビーW杯は冠大会だったわけで、この広告記事には「KDDワールドカップ・ラグビー」と書かれていた。
プロ野球でのオールスター戦を「マイナビオールスターゲーム」と呼ぶようなものだ(奇しくもこの1987年からオールスター戦は冠付きで「サンヨーオールスターゲーム」となった)。
しかし1991年以降の第2回大会からは、タイトル・スポンサーは廃している。
今となってはプロ化したのに、冠大会のラグビーW杯は想像できない。
▼第1回ラグビー・ワールドカップのロゴマーク。頭に「KDD」が付いている
KDDという日本企業の後押しもあって開催された第1回ラグビーW杯、日本ではNHKとTBSが放映権を持っていたが、ダイジェスト放送が多かったように思う。
開催国はニュージーランドとオーストラリアというラグビー先進国だったにもかかわらず、ナイトゲームはなく全てデーゲームで行われた。
もっともこれは、南半球が冬の時期だったということも考慮されたのかも知れないが。
記念すべき第1回ラグビーW杯の開幕戦(ニュージーランド×イタリア)は、歴史的1日だったにもかかわらず、ニュージーランドのイーデン・パーク(オークランド)にはキャパシティの半分以下に過ぎない2万人しか集まらなかった。
去年(2019年)のラグビーW杯では、史上初めてラグビー伝統国以外の日本で開催されたのに、ナイトゲームでの開会式および開幕試合で東京スタジアムには満員の45,745人が詰め掛けて、華やかに行われたのとは対照的だ。
▼1987年、第1回ラグビー・ワールドカップのダイジェスト。開会式も牧歌的
▼32年後、2019年に行われた日本での第9回ラグビーW杯の開会式
上の動画を見れば判るように、第1回大会のオーストラリア×日本は、地元オーストラリアのコンコルド・オーバル(シドニー)で行われているにもかかわらず、空席が目立っている。
当時の公式記録を調べてみると、8,735人と1万人を切っていた。
ちなみに、第1回大会の最低観客数は、オーストラリアのバリモア・スタジアム(ブリスベン)で行われたアイルランド×トンガで、僅か3千人である。
結局、第1回大会は32試合で約60万人の観客動員となり、1試合平均では18,891人だった。
2019年の日本大会では、45試合で第1回大会の3倍弱となる約170万人、1試合平均では2倍の37,877人となっている。
日本大会のチケット販売率は99.3%となり、空席が目立った第1回大会とはこの点でも対照的だったのだ。
それでも第1回大会は成功とされ、第2回大会(イングランドを中心に開催)以降はIRFB(→IRB→WR)が主催し、地域予選も行われるようになった。
また、ラグビーW杯の公式テーマ・ソング「World In Union」も、第2回大会から採用されている。
そして、ラグビーW杯の観客数は冬季オリンピックを上回り、現在では夏季オリンピックとサッカーW杯に次ぐ、世界三大スポーツ・イベントの一つに数えられるようになった。
【クイズ】
この朝日新聞での第1回ラグビー・ワールドカップの広告記事、初のラグビー世界一決定戦の開催ということで、下記のようなキャッチコピーとなっていた。
さて“○○”に入る言葉は何?
楕円球が“○○”なる