春のセンバツ高校野球もたけなわだが、プロ野球(NPB)も明日開幕する。
開幕前に色々問題があったが、それでも日本人の野球好きは変わらない。
というより、日本人にとって野球が当たり前にありすぎて、その特殊性がわかっていないような気がする。
そう、野球ほどおかしなスポーツはないのだ。
例えば、野球の試合進行を見てみよう。
初回、まず先攻のチームが無死無走者から攻撃し、3アウトになると攻守交代となる。
その裏には後攻のチームがやはり無死無走者から攻撃し、3アウトになると攻守交代。
そして2回表に先攻のチームが無死無走者から攻撃し、3アウトになると攻守交代……。
この同じことが延々と繰り返され、9回を終わった時点で得点の多いチームが勝ちとなる。
そんなこと当たり前じゃないか、ほとんどの人はそう言うだろう。
だが、ちっとも当たり前ではないのだ。
こんなに不公平なルールもあるまい。
そのことに、ほとんどの日本人が気付いていないのである。
仮に1回表、二死満塁のチャンスを作ったとする。
しかし、次打者が凡退して無得点。
この場合、満塁走者は残塁ということになる。
そして2回表の攻撃では、満塁はチャラになって再び無走者からの攻撃となるのだ。
こんな不条理なことがあるか!
せっかく3人も走者を溜めたんだぞ!?
2回表は、無死満塁から攻撃を始めるのがスジってもんじゃないか!!
あるいは、こういうこともある。
ヒットを打ってランナーが一塁、次打者がホームランを打つと2ランになって2点入る。
ところが、この順序が逆になるとどうなるか。
無走者でホームランを打つと1点、しかし次打者がヒットを打っても1点のまま。
もし厚切りジェイソンが野球というスポーツを知らなかったら、
「ホワイ?ベースボール・ゲーム!?」
と嘆くところだ。
どちらも2安打、塁打数2なのに、順序が違うというだけで得点が変わるのである。
しかし、野球のルールを熟知している日本人(アメリカ人もだろうが)は、こんなことを不思議には思わない。
こんな例を挙げたら、枚挙にいとまがないだろう。
ヒット3本の後にホームランを打てば4点なのに、ホームランの後にヒット3本を打っても1点だけ。
安打数、塁打数ともに同じなのに、実に3点もの差が付いている。
あるいは、ヒットを打った後にホームランを打てば2点だが、三塁打の後にホームランを打っても同じ2点。
なぜ単打と三塁打が同じ価値になるのか。
塁打数で言えば、2本の差がある。
こんなルールが野球というゲームを複雑にし、偶然性を高めている。
たとえば、強打のチームがいくらチャンスを作っても3アウト以内にホームへ走者を返せなければ点は取れないし、逆に他の回で三者凡退を繰り返していてもワンチャンスを活かして得点すれば貧打チームでも勝つことができる。
しかも、いくら打つチームや選手でも、ヒットを打つ確率はたったの3割なのだ。
強打の選手にチャンスが回って来ても、7割は凡打になるのである。
さらに、いくらいい当たりを打ってもヒットになるとは限らない。
ジャストミートしても打球が野手の正面に飛べばアウトになるし、場合によっては打球が強いが故に、ダブルプレーやトリプルプレーになる可能性も高いのだ。
つまり野球では、好打がアダとなる場合もある。
それとは逆に、当たり損ねのボテボテのゴロが内野安打になったり、ポテンヒットで得点打になるのもまた野球だ。
つまり、好打が損したり、凡打が得したりするという競技が野球である。
野球に番狂わせが起きやすいのは、そのためだろう。
高校野球では21世紀枠の高校が思わぬ活躍をすることがあるし、プロ野球でも最下位チームが確率的には3連戦のうち1回は勝てる計算になっている。
野球の特殊性はまだある。
1イニングを3アウトに限定し、走者が四つの塁を踏まないと得点にはならず、残塁というルールを設け、1試合を9イニングに分けるという野球の試合形態が、奇妙キテレツな作戦を生み出した。
野球はスポーツであるからして、当然のことながら敗退行為(八百長)は禁止されている。
しかし犠牲バントや敬遠四球は、敗退行為そのものではないのか?
犠牲バントとはわざとアウトになることだし、敬遠四球は相手打者を無条件で出塁させる行為である。
これを八百長と言わずして、なんと言おう。
だが、これらは敗退行為とはならず、野球では立派な作戦とされる。
3アウト限定で、しかも残塁というルールがある以上、攻撃側は1イニング中に何としても走者に四つの塁を踏ませなければならない。
そこで、打者をアウトにしても走者を先の塁に進め、3アウトになる前に得点を取ろうとするのだ。
これがもし、残塁というルールが無ければ、何の意味もなさない作戦だろう。
わざわざ相手に1アウトをくれてやらなくても、次の回に走者は残っているのだから、無理して走者を進める必要はない。
もちろん、ダブルプレーやトリプルプレーを取られたら走者は死んでしまうが、その心配は走者がいる限り次イニング以降も続く。
もし残塁が無いというルールで犠牲バントが有効になるとしたら、どうしても1点が欲しい9回か延長戦ということになるだろう。
守備側が敬遠四球をすれば、強打者との勝負を避けることができるし、塁が空いていれば塁上の走者を進めなくて済む。
だが、残塁ルールが無ければどうなるだろう。
敬遠四球で走者を溜めると、次イニングに走者が持ち越されるだけだ。
つまり、ピンチが続くのである。
さらに、もし四死球で塁が空いていても、塁上の走者が先の塁に進めるというルールだったら……。
当然のことながら、敬遠四球という作戦は自殺行為となる。
敬遠四球の意味があるとすれば、どうしても強打者との勝負を避けたい時か……。
それでも、野球ではどんな強打者でも7割は凡打になるのだから、あまり得策とは言えまい。
なにしろ敬遠四球では10割の確率で走者を出すのだから、7割の確率で凡打にできる勝負に出た方がいいだろう。
ところで、野球によく似ていると言われるクリケットという競技ではどうなのだろう。
やはり、野球と同じように犠牲バントや敬遠四球があるのだろうか。
野球とクリケットが似ているのは、以下の点。
守備側の投手(クリケットではボウラーと呼ぶ)が投げ、攻撃側の打者(同:ストライカー)が打つという、ゲームの進め方だ。
ストライカーが打つと、反対側のクリースに向かって走り、無事に辿り着くと1ラン(1点)となる。
つまり、守備側がボールを投げて、打者がバットでそのボールを打ち、走って得点を得ようとするのは、野球とクリケットに共通する点だ。
そして守備側は、打者が打った打球を捕り、ボールを投げて走者を刺す(アウトにする)という点でも似ている。
クリケットにおける、バッツマン側とボウラー側の関係(図提供:日本クリケット協会)
だが、似ているのはそれぐらいだ。
ハッキリ言って、野球とクリケットは似ても似つかぬスポーツと言っていい。
その違いは、サッカーとラグビーどころか、柔道とボクシング以上と言っていいぐらいである。
まず、野球は9イニング制だが、クリケットは2イニング制もしくは1イニング制だ。
クリケットにおけるイニング制の違いについては、ここではあまり深く考えないでいただきたい。
問題は、1イニングの終え方である。
野球ではご存知のとおり1イニング3アウトだが、クリケットでは2イニング制、1イニング制にかかわらず、1イニング10アウト。
クリケットでは1チーム11人だが、そのうち10人がアウトになると攻守交代、というルールである。
なぜ11人全員アウトではなく10人アウトなのかという点については、実は攻撃側が2人1組となっていることが関係しているのだ。
先程、打者はストライカーと言ったが、攻撃は常に2人で行われ、その2人をバッツマンと呼ぶ。
実際に投球を打つのがストライカーで、反対側のクリースで待っているのがノンストライカーだ。
ストライカーが打つと、ストライカーとノンストライカーの2人が走り、2人とも反対側のクリースに到達すると1ラン(1点)が入る。
バッツマンにおける、ストライカーとノンストライカー関係。ストライカーが打つと、2人とも反対側のクリースを目指して走り、点を得ようとする(図提供:日本クリケット協会)
アウトになったバッツマンは次の選手と交代し、以降はその攻撃を続けるわけだ。
つまり、10人がアウトになるとバッツマンは1人になるわけで、そうなると攻撃は続けられないから攻守交代となる。
つまりクリケットにおいて、1イニング10アウトは全員アウトと同じことなのだ。
2イニング制の場合は、2イニング目も同じことが繰り返される。
野球のように1イニング3アウトではなく、クリケットでは1イニング全員アウトの10アウトだから、残塁もヘッタクレもない。
これは1イニング制だろうが2イニング制だろうが同じだ。
しかも、打って反対側のクリースに辿り着くと1点なのだから、野球で言えばヒットを打てば即1点というわけである。
要するに、打てば打つほど点になるわけだ。
つまり、野球のように満塁だったのに得点を取れなかった、あるいは守備側が満塁の大ピンチをしのいだ、ということはない。
そうなると、犠牲バントなんて何の意味もない。
自分を犠牲にして相手のバッツマン(ノンストライカー)を活かしても、自分がアウトになれば点にならないのだから。
しかも、自チームの攻撃チャンスが、それだけ狭まってしまう。
つまり、敵を助けるだけに過ぎないのだ。
これは敬遠四球についても言える。
クリケットに四球なんてないが、ストライカーが打てないようなとんでもない所にボールを投げるとワイド・ボールと判定される。
ワイド・ボールになると、それだけで1ラン(1点)になるのだ。
つまり野球のように「敬遠四球で塁を埋めて、得点だけは防ぐ」なんて作戦は有り得ない。
実は、ワイド・ボールのデメリットは、それだけではないのだ。
なぜなら、クリケットではアウトにならない限り、打者(バッツマン)はずっと打ち続けるからである。
ストライカーとノンストライカーが交代することはルール上あるが、バッツマンの2人はアウトにならないと、ずっと代わらない。
要するに、強打者から逃げようとしても、アウトに取らない限りは逃げられないのである。
高校野球で某監督が相手強打者を5打席連続敬遠なんて作戦を採ったことがあったが、クリケットでそんなことをすると傷口を拡げるばかりだ。
アウトに取らなければ、その強打者はずっと打ち続けるのだから。
そして敬遠(クリケットではワイド・ボール)していると、点を取られるばかりである。
しかも、クリケットではバッツマンがアウトになる確率は驚くほど低い。
野球では丸いボールを丸いバットで打ち返すため、ジャストミートが難しく、ヒットになる確率がどんな強打者でも僅か3割というのも頷ける。
ところが、クリケットのバットはボートのオールのようになっており、面が平たいので打ち返しやすい。
それだけではなく、野球では前方90°の方向に打たなければファウルになるが、クリケットでは360°どの方向に打っても良いのである。
つまり、クリケットは野球に比べて4倍もヒットゾーンが広いのだ。
まだある。
野球ではアウトになるとわかる内野ゴロを打っても走らなければならないが、クリケットではその必要はない。
要するに、クリケットではアウトになると思ったら、走らなければいいのだ。
ダイレクト・キャッチされればアウトになるのは野球もクリケットも一緒だが、ゴロの場合はクリケットでは、アウトになると思ったら走らなくてもいい。
これでは、クリケットのバッツマンがアウトになる可能性が低いのは当たり前である。
それどころか、クリケットでは1試合に100打点も稼ぐ選手がいるのだ。
これをセンチュリーと呼ぶ。
1試合の中でずっとアウトにならず打ち続け、1人で100ラン(100点)も得てしまう。
ちなみに言うと、野球で言う単打は1ラン(1点)だが、野球のエンタイトル・2ベース(バウンドした状態でグラウンド外に出る)は4ラン(4点)、野球で言うホームラン(ノーバウンドでグラウンド外に出る)は6ラン(6点)だ。
いずれにしても、こんなストライカーを相手にするボウラーは、投げるのが嫌になってしまうだろう。
どこへ投げても打たれるうえに、いつまで経ってもバッツマンが交代してくれないのだから。
たとえボテボテのゴロで打ち取ったと思ったとしても、ストライカーが走らなければアウトにすることもできない。
野球なら敬遠四球で逃げることができるし、たとえ勝負してホームランを打たれても、次打者に代わってくれる。
野球だと、打者が1試合で打席に立つのはせいぜい3~5打席程度だが、クリケットではアウトにならない限り永遠に打ち続けるのだ。
クリケットでは、強打者ほど多く打席に立つことができ、多くの得点を稼ぐこともできるのである。
実際にセンチュリーを達成すれば、全打席が6ラン(6点)としても16打席強となる。
でも、全打席が6ランということは有り得ないので、少なく見積もっても30~40打席ぐらいだが、1試合のうちにそんな強打者と30~40回も対戦しなければならないのだ。
しかも、野球では一流とされる3割打者も、クリケットではヘッポコ打者以外の何者でもないだろう。
7割もアウトになるなんて、全く戦力にならない。
もし1ラン(1点)も取れずにアウトになったら、そのバッツマンはダックという屈辱的なアヒルのマークが付くことになる。
野球ではノーヒットのことをタコと呼ぶが、1試合で5タコ(5打席無安打)なんて珍しくもない。
要するにクリケットでは、9割打者を相手に1試合で30~40回も対戦しなければならない場合があるのだ。
ダルビッシュ有でもこんな打者を相手に投げるのは、嫌になるだろう。
クリケットを通して野球を見てみれば、野球というスポーツがどれだけ特殊かがわかると思う。
日本の野球関係者は、往々にして他のスポーツをほとんど見ないので、野球の真実を見失っている気がする。
野球と似て非なるクリケットを理解すると、野球の本質が却ってわかるのではないか。
その意味でも、野球をもっと深く知るために、クリケットをご覧になることをお勧めする。
少なくとも
「世界にはこんなスポーツがあるのか!」
と感嘆するだろう。
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