野球ほど奇妙なスポーツはない。
と、常々思っていた。
どこがそんなに奇妙なのか、その点を列挙してみる。
①テニスはラケット同士、ホッケー(アイスホッケーを含む)はスティック同士で打ち合い、サッカーは足同士で球を蹴り合うが、野球は手で投げた球をバットで打ち返すという、実に不公平なルールになっている。
②しかも普通のスポーツでは攻撃側と守備側が同じ人数で正対しているのに、野球は攻撃側が1~4人(打者と走者)、守備側が9人と全く正対しておらず、この点でも不公平だ。
③普通のスポーツではボールを保持している側が攻撃しているのに、野球は守備側がボールを保持している。
④野球では攻撃中にもかかわらず、打者と走者以外はベンチで休んでいる。
⑤打者がわざとアウトになる犠牲バントや、相手打者をわざと出塁させる敬遠四球というプレイがあるが、それらは敗退行為(八百長)とはならず、立派な戦術とされる。
⑥ファウル・ラインが引いてあるが、ボールがファウル・ラインの外に出てもイン・プレイの場合が多い。普通のスポーツはラインの外に出るとアウト・オブ・バウンズ(OB)でボール・デッドとなる。
⑦野球では三割打者が勲章とされるが、7割も失敗する選手がどうして一流なのだろう。しかも四割打者は6割も失敗するにもかかわらず神様扱いされる。
⑧ホームランを打ったところで特典などなく、次の打者に交代しなければならない。サッカーやバレーボールなら、エースにボールを集めて得点力を上げることができるが、野球では不可能だ。
⑨フェンスもフィールドの一部になっている。そのためフェンスの高さによってホームランになったりならなかったり、フェンスの形状もまちまちなのでボールがとんでもない方向に転がったりして、勝負の行方を大きく左右する。こんなスポーツが他にあるだろうか?
思いつくまま挙げてみても、ざっとこんなところだが、他にもっとあるかも知れない。
こんな奇妙なスポーツ、野球以外にはないだろう。
しかし野球ファンや関係者は、こんな奇妙な点について、全く気付いていないのだ。
ところが、筆者はあるスポーツのことが引っ掛かっている。
それがクリケット(cricket)だ。
英国生まれで紳士のスポーツとして知られ、世界での普及率は野球以上と言われている。
たとえば、アニメ「巨人の星」がインドに輸出され、題材が野球からクリケットにリメイクされたほど(インドでのタイトルは「スーラジ:ザ・ライジング・スター」)、インドでは超人気スポーツだ。
インド以外でも、カナダを除く英連邦のほとんどの国々では、クリケットが人気スポーツと言ってもいいだろう。
しかし、日本人でクリケットのことを知る人は少ない。
では、クリケットとはどんなスポーツだろうか。
球を投げてバットで打ち返す、という点が野球と共通しているので、よく「クリケットは野球の原型」と言われる。
だが、どうやらそういうわけではなさそうだ。
野球の原型とされるのは、今でもイギリスで行われているラウンダーズという遊びで、それがアメリカに伝わってタウンボールとなり、そのタウンボールを大人用のスポーツとして発展させたのがベースボール(baseball)、即ち野球である。
1845年、アレクサンダー・カートライトという人物を中心にしてベースボールの基礎と言えるルールを作成した。
日本で言えば江戸時代後期のことで、この8年後にペリーが日本にやって来る。
このあたりの詳しいことは拙著「野球史年表」をご覧いただきたい。
しかし、野球の歴史を調べていると、クリケットというスポーツを無視できなくなる。
野球の原型ではないとはいえ、ベースボールはクリケットを意識して発展してきた、と言えそうだからだ。
カートライトがベースボールを考案した頃、アメリカには既にクリケットが輸入され、イギリス系の移民者によって盛んに行われていた。
この時はまだ、アメリカの国技が決まっていない頃で、クリケットを国技にしようという意見がアメリカ国内で強かったのである。
だが、新興国家のアメリカでは、英国伝統の貴族スポーツであるクリケットは優雅すぎた。
貴族など存在せず、生きていくのに必死だったアメリカ国民にとって、余暇として楽しむにはクリケットの試合は長すぎたという面もある(この件については後述)。
また、アメリカは多民族国家だったので、イギリス系移民の人たち以外には受け入れなかったという点も否めない。
こうして、アメリカではかつてはイギリスの植民地だったにもかかわらず、クリケットが普及しなかった。
代わって、自国生まれのベースボールがナショナル・パスタイム(国民的娯楽)として発達して行ったのである。
だが、ベースボールが発展する過程で、どうしてもクリケットの影がちらつくのだ。
クリケットは、投手が投げて打者が打つ、という点では野球に似ている。
また、打者が打ったあとに走り、それによって得点が入るという面でも同じだ。
だが、それ以外ではかなり違う。
では、クリケットのルールを説明していこう。
説明していこう、などと偉そうなことを言っているが、実は筆者もクリケットに詳しいわけではないので、つたない部分もあるだろうが、そこはご容赦いただきたい。
ただし、詳しくないからこそ素人目線で解説できるという部分もあって、却ってわかりやすくなれば幸いである。
クリケットの試合。投手(ボウラー)が投げて打者(バッツマン)が打つという基本的な進め方は、野球と変わらない。投手と打者の後ろに立っている3本の棒はウィケットと呼ばれる(写真提供:日本クリケット協会)
一口にクリケットと言っても、試合形態は大きく分けて三つある。
一つ目は、昔からある試合形式で、2イニング(イニングについては後述)により勝負を競う。
伝統国によるテストマッチ(国代表チーム同士による試合)はこの形式で、1試合終えるのになんと4~5日も掛かってしまうのだ。
先に「アメリカではクリケットは試合が長すぎて受け入れられなかった」と述べたが、昔はこの試合形式しかなかったのである。
二つ目は、ワンデイ・マッチと言って、こちらはその名の通り1日で終わるが、それでも6~8時間はかかる。
この方式は1963年(昭和38年)に誕生した比較的新しいルールで、ワールドカップはこの試合形式で行われる。
テストマッチと違いこちらは1イニング制で、さらに50オーバーという制限があるのも特徴だ(オーバーについては後述)。
テストマッチにせよワンデイ・マッチにせよ、時間があまりにもかかりすぎるので選手の体力は大丈夫なのかとも思えるが、そこは良くしたもので、なんとティータイムやランチタイムまで存在するのだ。
このあたりが「紳士のスポーツ」と呼ばれる所以である。
いくらティータイムやランチタイムがあると言っても、クリケットに馴染まない国の人にとっては試合時間が長すぎるが、そこで21世紀に入った2003年に登場したのが三つ目のトゥエンティ・トゥエンティ(T20)という試合形式である。
こちらはワンデイ・マッチと同じ1イニング制だが、制限がさらに厳しくなって20オーバーでイニング終了となる。
そのため、試合時間は野球と同じくらいの3時間程度で終わるので、現代にマッチした方式と言えよう。
T20はクリケットの世界的な普及に大きな役目を果たし、日本でも公式戦でこのルールが採用されている。
以上、三つの試合形式を紹介したが、これは野球で言えば9イニング制だけでなく7イニング制や5イニング制などを採用したようなもの。
基本的なプレイは三つとも同じなので、それについて解説する。
人数は1チーム11人で、2チームが攻撃側と守備側に分かれるのは野球と一緒だ。
フィールドは、長径160mほど、短径140mほどの楕円形で芝生に覆われており(オーヴァルと呼ばれる)、中央部分には長方形に芝生が刈り込まれているピッチがある。
ピッチの中には、3本柱で成り立っているウィケットという物が2セット両端に立っていて、これがクリケットで大きな役割を果たすので、よく覚えておいてもらいたい(上記の写真参照)。
ウィケット間の距離は20.12m(野球のバッテリー間は18.44m)で、この間でボウラー(投手)がボールを投げてバッツマン(打者)がバットで打ち返す。
このあたりの攻防は野球と一緒だ。
図ー1:オーヴァルと呼ばれるクリケットのフィールド。中央部分に芝生が刈り込まれたピッチがあり、2ヵ所のウィケット間でボウラーとバッツマンの攻防が行われる(図提供:日本クリケット協会)
ボウラーは野球のピッチャーと同じく1人だが、バッツマンは野球のバッターと違い2人である。
では、2人のバッツマンが同時に打つのかというと、さにあらず。
2人のバッツマンは片方ずつのウィケットに分かれ、実際に打つ選手をストライカー、打たない選手をノンストライカーという。
ストライカーが打つと、ストライカーとノンストライカーがそれぞれ反対側のウィケットに走り、2人ともクリース(図ー1参照)に到達すると得点が入る(1ランと言い、クリケットの得点は全てランで数えられる)。
野球で言えば、常に走者一塁の状態で打撃を行うようなものだ。
図ー2:ストライカーとノンストライカーの関係。ストライカーが打つと、2人とも反対側のクリースを目指して走り、点を得ようとする(図提供:日本クリケット協会)
ストライカー側のウィケットの後ろには、野球でいうキャッチャーにあたるウィケットキーパー(捕手)が構える。
それ以外の9人はフィールダー(野手)と言って、それぞれのポジションに散らばる。
なお、ウィケットキーパー以外は全員素手で、よほど上手くボールをキャッチしないと突き指しそうだ。
ウィケットキーパーのみ両手にグラブをはめるが、野球のグラブのように大きい物ではなく、厚手の手袋のようなものである。
ここで冒頭に記した「野球の奇妙な点」をご覧いただきたい。
①の「両チームが違う道具を使う」という点と、②の「両チームが正対していない」という点は、野球もクリケットも共通している。
野球では攻撃側が1~4人(打者と走者)と守備側が9人で対決するが、クリケットでは常に2人×11人だ。
やはりクリケットも野球と同じように奇妙なスポーツなのだろうか。
では、「野球の奇妙な点」③と④の「攻撃と守備について」はどうか。
たしかにクリケットでも前述したようにバッツマン側がランによって得点を狙うし、ボウラー側が点を得ることはない。
そういう意味では、バッツマン側が攻撃、ボウラー側が守備で、ボールを所持している方が守備側(大多数の選手が休んでいる方が攻撃側)ということが言える。
だが必ずしも、そうとは限らないのだ。
あるクリケットのルール説明では、バッツマン側が守備でボウラー側が攻撃、と断じている文章もある。
どういうことなのだろうか。
バッツマン側がボールを打つのは、単に点を得るためだけではない。
無理に点を狙う打撃をせずに、ウィケットを守るというバッティングもあるのだ。
なぜなら、投球がウィケットに当たると、その時点でアウトになってしまうからだ。
野球で言えば、2ストライクに追い込まれたバッターが三振しないように投球をカットしてファウルで逃げるようなものだが、クリケットの場合はもっと大きな意味を持つ。
このような打撃方法をクリケットではディフェンシブ・バッティングという。
和訳すれば「守りの打撃」というわけだ。
つまり、ストライカーはボールを打ちながら守備をしていることになる。
一方のボウラーは、前述したようにウィケットに投球を当てればアウトになるので、ウィケットに対して攻撃している、という解釈も成り立つ。
ということは、クリケットでは③と④は成立しないということになる。
とはいえ、ボウラー側が得点することもないし、攻守が混合しているとも言える。
ここが野球とは違う点だ。
ただし、今後はわかりやすくするためにバッツマン側を攻撃側、ボウラー側を守備側と呼ぶことにする。
さて、ボウラーは野球のピッチャーと似ているが、かなり違う部分もある。
まずクリケットのボウラーは、助走をつけて投げることができる。
中には「そんなに長い距離を全力疾走で助走をつけて、疲れないか?」とこちらが心配するようなボウラーもいるぐらいだ。
静止した状態から投げる野球のピッチャーに比べて、勢いのある球が投げられる。
しかし、投げる時に肘を曲げてはいけない。
従って、ホークスの攝津正のような投げ方は御法度である。
助走をつけて肘を伸ばし、腕を大きく回して豪快に投げ込む、これがクリケットにおけるボウラーの投球フォームだ。
また、クリケットでは野球と違い、投球はワンバウンドさせるのが普通だ。
別にノーバウンド投球でもいいのだが、ワンバウンドさせた方がストライカーにとって打ちにくいので、ほとんどがワンバウンド投球である。
たとえば野球でいうスライダーのような球を投げると、外側に変化したあと内側にバウンドするので打つのが厄介だ。
距離はウィケット間が20.12mで、ボウラーはウィケット辺りでステップして投げ、ストライカーはウィケットより1.22m前にあるクリース辺りで構えているのだからその距離18.9mと、野球のバッテリー間18.44mとあまり変わらない。
なお、クリケットのボウラーにも、野球のピッチャーと同じように速球投手(ファスト・ボウラー)や変化球投手(スピン・ボウラー)など、様々なタイプが存在する。
最近の野球では完投するピッチャーが少なくなった、と嘆く人が多いが、クリケットのボウラーはどうなのだろうか。
実は、クリケットではボウラーが完投するのは不可能なのである。
なぜならクリケットには、前に少し述べたオーバーという規定があるからだ。
オーバーとは投球単位のことで、6球で1オーバーとなり、1オーバー終えるとボウラーは自動的に交代する。
交代すると言っても、ブルペンから救援ボウラーが登場するわけではなく、出場している他の選手が次のボウラーを務める。
そもそも、クリケットでは負傷以外で選手の交代は認められておらず、しかも交代出場した選手はボウラーになることはできない。
従って、先発出場した11人の中に、何人かボウラーができる選手を入れておかなければならないのだ。
つまり、ボウラーはフィールダーとしてもプレイする必要があるわけで、ファイターズの大谷翔平のような二刀流なんてクリケットでは珍しくもないのである。
なお、ボウラーは2オーバー続けて投げてはいけないだけで、他のボウラーが1オーバー投げ終えたら、再びボウラーになることができる。
1オーバーを終えると、新しいボウラーはそれまでのボウラーとは反対側のウィケットから投げることになり、従って他の守備側の選手も180°回転移動する。
なお、ストライカーがとても打てないような、とんでもない方向にボールを投げるとワイド・ボール(野球のボール球に相当)となり、オーバーの球数には含まれず、しかもそれだけで1ラン(即ち1点)となる。
従って、野球の敬遠四球のような作戦は有り得ない。
つまり「野球の奇妙な点」の⑤での敬遠四球に関しては、クリケットには無いということになる。
バッツマン側ではどうか。
バッツマンの目的は、ラン(得点)を獲ること、そしてボールからウィケットを守ることの二つ。
そして、クリケットのフィールド(オーヴァル)には野球と違ってファウル・ラインがない(図ー1参照)。
即ち、360°どの方向に打ってもいいのだ。
つまりクリケットには「野球の奇妙な点」の⑥で挙げたアウト・オブ・バウンズ(OB)がそもそもない、ということになる。
従って、フィールダーは360°あらゆる方向に守る必要がある。
野球でのフェア地域はその1/4となる90°の範囲で、そこにキャッチャーを除く8人の選手が守っているが、クリケットでは野球の4倍のエリア(実際にはそこまで広くないが)に11人しか守っていないのだ。
要するに、クリケットではヒット・ゾーンがやたら広いのである。
野球でバッターが真正面の内野ゴロを打ち、どうせアウトになるからと一塁へチンタラ走っていると、監督やコーチから、
「相手がエラーするかもわからないのに、全力疾走せんか!」
と大目玉を食うだろう。
ところがクリケットで、アウト確実のゴロを打って全力疾走したりすると、
「なんでアウトになるとわかっていて走るんだ!」
と一喝されるに違いない。
なぜなら、クリケットのバッツマンは、アウトになると思ったら走らなくてもいいからだ。
つまり、反対側のクリースへ確実に到着できると判断した時のみ走ればいい。
ただし、これはバッツマン2人の連携プレイで、片方のバッツマンが走っても、もう片方が走らないとアウトになってしまう(図ー2参照)。
もちろん、2人とも反対側のクリースに到達できれば、それだけで1ラン(1点)だ。
クリケットでは、バッツマン2人の意思疎通が不可欠なのである。
しかも、ラン(得点)を稼げるのは、打った時ばかりではない。
たとえば、ボールを見送るか空振りした時でも、ウィケットに当たらず、しかもウィケットキーパーが後逸した時は、アウトを賭して走ってもいいのだ。
野球で言えば振り逃げのようなものだが、相手が勝手にミスしただけで点が入るのだから有難い。
もちろん、無理して走ってクリースに辿り着くまでに、ウィケットを倒されたらアウトになるが(アウトの方法は後述)。
この際でも、バッツマン2人の呼吸が合ってなければならないのは言うまでもない。
クリケットで使用するバットは、平らな部分がない野球のバットと違って、ボートのオールのように平べったくなっている。
つまり野球に比べて、バットにボールを当てやすい。
さらに、たとえ何回空振りしてもウィケットにさえ当たらなければ、アウトにもならないのだ。
ということは、360°どの方向に打てて、ヒット・ゾーンが広くて、アウトになると思ったら走る必要もなく、空振りが少なくて、しかも野球のような三振もない。
要するにクリケットでは、野球に比べてアウトになる確率が格段に低いのだ。
「野球の奇妙な点」⑦で述べたように、野球では打率三割を打つ打者は一流とされるが、クリケットで三割打者なんてヘッポコ打者以外の何者でもないだろう。
10回打って7回もアウトになるような選手には、とてもバッツマンを任せられない。
逆にクリケットしか知らない人が野球を見ると、7割も凡退する打者がなぜ一流と呼ばれるのか不思議だろう。
クリケットでは、1イニングで100ラン(100点)以上も稼ぐ選手がいるぐらいだ(これをセンチュリーという)。
ちなみに、バッツマンが1回もラン(得点)を取れずにアウトになることをダックと言い、スコアカードには屈辱的なアヒルのマークが記される。
こうして見ればわかるように「野球の奇妙な点」⑦もクリケットには当てはまらない。
つまり野球は投手有利、クリケットは打者有利という、正反対のスポーツとも言える。
ところで、かつては野球でも平らな部分があるバットが認められていた。
現在のように丸いバットしか認められなくなったのは1894年(明治27年)、日清戦争が勃発した年だ。
丸いボールを丸いバットで打つのは、ジャストミートが難しい。
かつての野球は、バッターがピッチャーに好きなコースを要求できたりして、打者有利のゲームだったのである。
それが投手有利のスポーツに変化していったのは、クリケットとの差別化を図ったのかも知れない。
ここでも野球の発展に、クリケットの影響が見て取れる。
先に「ウィケットを守るバッティングは、野球のファウルで逃げるカット打法よりも大きな意味を持つ」と書いたが、それは野球の三振よりも、ボウラーがウィケットに当てる確率がずっと低いからだ。
ストライカーが空振りしてボールをウィケットに当ててしまうと致命的で、相手のボウラーは飛び上がって喜び、チームメイトから手荒い祝福を受ける。
野球でストライクが入るたびに、バッテリーが駆け寄って抱き合ったりすると、アイツら頭がオカシイんじゃないかと誰もが思うだろう。
クリケットでアウトを取るということは、それだけでビッグプレイなのである。
ところで、ハット・トリックというサッカー用語があるが、元々はクリケットから発生した言葉で、1オーバーでボウラーが3球連続でアウトを奪うことを指す。
サッカーでのハット・トリックは点を獲った時に使われ、クリケットではアウトを獲った時の言葉というのも面白い。
ハット・トリックは極端な例だが、クリケットでアウト1つ取るたびに守備側は大騒ぎする。
それほどクリケットでアウトを取るのは、大変なことなのだ。
ということは「野球の奇妙な点」⑤での犠牲バントについて、クリケットでは滅多にアウトにはならないのだから、自分からわざわざアウトになりに行くバカはいないだろう。
そもそも、クリケットではバッツマンが2人とも反対側のクリースに辿り着かなければ得点にはならないのだから、「自分を犠牲にしてパートナーを活かす」という行為は全く意味を成さない。
従って、敬遠四球と合わせて⑤はクリケットでは完全に否定される。
では、どんなときにアウトとなるのか。
一つ目は、前述した通りボウラーの投げた球が反対側のウィケットに当たった時で、これをボウルドという。
これは空振りしようが見送ろうが、あるいはバットにかすってもウィケットに当たりさえすればアウトになる。
逆に言えば、前述したように何回空振りしてもウィケットにさえ当たらなければアウトにはならない。
なお、投球が体の一部(脚)に当たった時、体に当たらなければウィケットに当たっていたと判定されればアウトだ(これをLBWという)。
アウト<1>:ボウルド(絵提供:日本クリケット協会)
二つ目は、打球をダイレクト・キャッチされた時(コート=caught。catchの過去分詞形)。
これは野球と一緒だが、実はこのルールはクリケットを参考にしたと言われる。
元々野球ではワンバウンド・キャッチでもアウトになっていたのだが、それでは男らしくないということでダイレクト・キャッチのみがアウトになった。
このルール採用の際、「これでクリケットと肩を並べるスポーツになる」という意見と、「これではクリケットの真似になる」という反対意見がぶつかったんだとか。
なお、野球でワンバウンド・キャッチが完全に廃止となったのは1883年(明治16年)のことである。
アウト<2>:コート(絵提供:日本クリケット協会)
三つ目は、打った後に2人のバッツマンが走ったが、片方がクリースに到達する前に、ボールによってウィケットを倒された時(ラン・アウト)。
野球で言えばタッグ・アウトのようなものだが、走者にタッグするのではなく、ボールを投げてウィケットに当てるか、ボールを持った手でウィケットを倒すのである。
なお、バッツマンがクリースに到達したと判断されるのは、体の一部はもちろんバットが届いていてもよい。
従って、バッツマンは打った後もバットを手離したりはせずに、バットを持ったまま走るのだ。
アウト<3>:ラン・アウト(絵提供:日本クリケット協会)
四つ目は、ストライカーが打つ時にバット等でウィケットを倒してしまった時(ヒット・ウィケット)。
アウト<4>:ヒット・ウィケット(絵提供:日本クリケット協会)
五つ目は、ストライカーがクリースより前に出て打とうとするも空振り、そのボールをウィケットキーパーが捕ってウィケットを倒した時(スタンプト)。
アウト<5>:スタンプト(絵提供:日本クリケット協会)
クリケットには野球のバッター・ボックスのようなものはなく、ある程度は移動して打つことも出来るので、ヒット・ウィケットやスタンプトのようなアウトも存在するのだ。
基本的はアウトはこんなところだ。
他にもあるが、いちいち紹介すると煩雑になるので割愛する。
いずれにしても、コート(ダイレクト・キャッチ)や反則以外では、ウィケットに当てた(倒した)時にアウトとなる。
そのため、バッツマンがアウトを取られることを「ウィケットを失う」という。
では、試合の進め方を見てみよう。
まずはバッツマン2人、即ち一番打者と二番打者がピッチに入り、それぞれのウィケットに分かれ、一番打者がストライカーとなる。
ボウラーがストライカーに投げ、アウトになればバッツマンが交代するのは野球と同じ。
ただし、二番打者が先にアウトとなる可能性もあるので、その場合は二番打者が退いて、バッツマンは一番打者と三番打者になる。
もし打ってランを稼いだら(得点を獲ったら)どうなるのか。
その場合は、次打者とは交代せずに、バッツマン2人はそのままピッチに居続けるのだ。
つまりクリケットでは、アウトにならない限りバッツマンはずっと打ち続ける。
ヒットで出塁しようがホームランを打とうが、一打席を終えたら次打者と交代しなければならない野球とは大違いだ。
従って「野球の奇妙な点」⑧の「野球ではホームランを打っても特典はなく、ポイントゲッターのみに得点を任せることは不可能」という点にも反する。
クリケットでは、1人の強打者がアウトにならず際限なく打ち続ける、なんてこともあるのだ。
この点では、多民族国家のアメリカが、全員に打席が回るよう平等にチャンスを与えるというベースボールを生み出したとも言える。
逆に貴族国家のイギリスが、アウトにならない限り打ち続けることができるという、クリケットのルールを採用したというのも興味深い。
これはベースボールの元となったと言われる、イギリス生まれのラウンダーズも同じだ。
ストライカーとノンストライカーは、どんな時にチェンジするのか。
たとえば1球目をストライカーが打って、1ラン(1点)を稼いだとする。
この場合、それぞれのバッツマンは反対側のウィケットにいるはずで、ボウラーの位置は変わっていないのだから、今度はさっきまでノンストライカーだった選手がストライカーとなるわけだ。
これは1ランに限らず、3ラン、5ランなど、奇数のランでも同じことだ。
ただし、2ラン、4ラン、6ランなど、偶数ランだった場合は、バッツマンの位置はそのままなのだから、ストライカーが引き続き打つことになる。
あるいは、5球目まで一番打者がアウトにもならずランも稼がず(あるいは偶数ランがあった場合)、一番打者と二番打者の位置関係がそのままだったとする。
6球目を打って1ラン(1点)を稼ぐと、お互いに反対側のウィケットにいるということは、先程と同じ。
ところが前述した通り、ボウラーが6球を投げたところで1オーバーとなり、ボウラーが交代して反対側のウィケットから投げることになるのだから、引き続き一番打者が打つことになるのだ。
二番打者が「せっかく次に打てると思ったのに……」なんてことになるのである。
まあ、二番打者なら1回は打てるだろうが、自分が打つ前にラン・アウトになってしまうと、1度も打たないままに三番打者と交代しなければならない。
図ー3:バッツマン側と、ボウラー側の関係(図提供:日本クリケット協会)
イニング終了についてはどうか。
野球では3アウトでイニング終了となるのは周知の通り。
だがクリケットでは、イニングを終わらせるのには10個のアウトを取らなければならないのだ。
クリケットは1チーム11人だから、ほぼ全員をアウトに取る必要がある。
だったら全員の11アウトでイニング終了にすればいいのに、と思うだろうが、そうはいかない。
なぜなら、10人がアウトになった時点で、バッツマンが1人になってしまうからだ。
クリケットではアウトになると、同じイニングでバッツマンになることはなく、バッツマンは2人1組が大原則なのだから、それ以上の攻撃はできない。
とはいえ、アウトを取るのが難しくて、しかも1イニングで10アウトも取らなければならないのだから、2イニング制(つまり20アウト。野球では1試合27アウト)だと4~5日もかかってしまうのもわかるだろう。
そして、ワンデイ・マッチやT20にはオーバー数の制限がある。
ワンデイ・マッチは前述したように50オーバー(1オーバーは6球なので、6×50=300球)、T20では20オーバー(同120球)をボウラー側が投げた時点で、10アウトを取られてなくてもイニングが強制終了してしまうのだ。
しかも1イニング制なのだから、1試合で1回もバッツマンになれない(つまり打つことができない)選手が出てくる可能性もある。
野球では交代させられない限り、1試合で最低3回打席が回ってくるのだから、この点でも対照的だ。
さらに1イニング制だと、裏の攻撃の一番打者はアウトになったらお役御免で、あとはベンチでじっと試合の成り行きを見守るしかない。
筆者ならサッサと街へ繰り出してビールの一杯もひっかけたいところだが、そんな猛者はいないだろう。
そのかわり、バッツマンでいる間は滅多にアウトにはならないのだから、ほとんどの場合はずっとウィケット間を走っていなければならない。
クリケットでのバッツマン側は、走り回っている選手と休んでいる選手の差が極端だ。
オーバー制限のある試合では、積極的にラン(得点)を稼ぐ必要がある。
なにしろ、10アウトを取られる前に、攻撃が終了してしまうかも知れないのだから。
1イニング制だと、先攻のチームはなるだけ得点を稼いでおかなければ、ボウラー側に回ったときに不安で仕方がない。
ワンデイ・マッチなら、1イニングに200ラン(200点)ぐらい稼ぐのはザラである。
セーフティ・リードが何点ぐらいなのか、筆者には全くわからない。
なお、先攻と後攻は野球のようにホームとビジターで決まっているのではなく、試合前のコイントスで決める。
クリケットでは先攻と後攻、どちらが有利なのだろうか。
条件の差は、9イニングに分けている野球よりも、ずっと大きいように思える。
先程、クリケットにはファウル地域がないのでアウト・オブ・バウンズ(OB)がないと述べたが、打球がフィールドの外に飛び出してしまったらどうするのか。
観客席の手前にバウンダリーという楕円形の境界線があって、その内側がフィールド内ということになる(図ー1参照)。
このバウンダリーをゴロ等で越えたら4ラン(4点)となる。
野球で言えばエンタイトル・ツーベースのようなものだ。
ノーバウンドでバウンダリーを越えたら6ラン(6点)で、野球のホームランに相当する。
なお、野球ではホームランを打っても自動的に点は入らず、いちいちダイヤモンドを一周しなければならないが、クリケットの4ランや6ランは走る必要はない。
ちなみに、バウンダリーとは関係ないが、守備側の反則等による5ラン(5点)というのもある。
「野球の奇妙な点」⑨で「野球はフェンスもフィールドの一部となっている」と述べたが、クリケットではバウンダリーが野球場におけるフェンスの役目となっている。
だが、バウンダリーは単にラインが引かれているか、あるいはフェンスといっても数センチの高さ程度の衝立が置いてあるだけで、野球場のように観客席と区切っているわけではない。
従って、ボールがバウンダリーに到達した時点でボール・デッドとなる(つまり4ランか6ラン)ので、野球のようにクッション・ボールを処理するなんてことはないのだ。
つまり、⑨の「フェンスがフィールドの一部になっている」ということも、クリケットにはない。
こうして見ると、クリケットが野球と同じように奇妙なのは①と②の2つだけで、他の③~⑨の7つはクリケットには当てはまらないということになる(③と④はちょっと微妙だが)。
つまり、クリケットは野球ほど奇妙なスポーツではない、ということか。
こうして文章で説明しても、なかなかわかりにくいと思う。
日本にクリケットが定着しにくい理由の一つとして、なまじ野球に似ているから、という点があるだろう。
たとえば、ラグビー・ファンの多くがアメリカン・フットボールはわかりにくい、という。
逆も真なりで、アメフトのファンはラグビーがわからない、という人も多い。
両方の競技を知らない人にとっては、共に楕円球を使い、ボールを手で扱うこともキックをすることもできて、さらにタックルまで許されているのに、その違いがわからない、というだろう。
ところが、そんな人にラグビーもしくはアメフトを見せると、割りとすんなり理解してしまうのだ。
余計な先入観がないので、却って素直に飲み込めるのだろう。
野球とクリケットにも同じことが言えて、英連邦のクリケットが盛んな国では野球は完全なマイナー・スポーツだ。
逆に野球が盛んな国では、クリケットはあまり行われていない。
クリケットも野球も両方強い、といえばオーストラリアぐらいだろうが、人気ではクリケットの方が圧倒的に上だ。
つまり、世界ではクリケットをする国と、野球をする国でハッキリと二分しているとも言える。
なぜこんな現象が起きるのかというと、野球が盛んな国(たとえば日本)の人はクリケットを野球のつもりで見てしまい、わけがわからなくなってしまう(なんで前にゴロを打ったのに走れへんねん、とか)、なんてことになるからだ。
逆に英連邦のクリケット・ファンが野球を見ると、スタンドに入る大飛球を打ったのに打者は悔しがり(ポール際のファウルになった)、かと思えばファウル・ラインの外を転がる打球なのに打者走者は必死で走り出すし(三塁線を破る長打とか)、全く理解ができないだろう。
そこで、面白い動画を見つけた。
クリケットを全く知らない日本人男性二人が、クリケットのワールドカップを見て、あーでもない、こーでもないと言いながら、なんとかクリケットを理解しようとしているのである。
上記説明を読みながら動画を見れば、二人がトンチンカンなことを言っているのがわかるが、最初の方で、
「ひょっとして、投げている方が攻撃側で、打っている方が守備側じゃないですか?」
などと、かなり鋭いことも言っている。
そして動画が進むうちに、二人ともだんだんとクリケットを理解していく様子が面白い。
おそらく、野球がほとんど行われていない国のクリケット・ファンに野球の動画を見せたら、同じようになるのではないか。
やはり、百聞は一見に如かず、というところだろう。
かくいう筆者も、この動画を見てなんとなくだがクリケットを理解できるようになった。
試合そのものはかなり編集しているため、前後編合わせても1時間程度で終わるので、気楽にこの動画を見てもらいたい。
見ていくうちにクリケットをなんとなくでも理解できるだろうし、わからなくても相当に面白い内容だから。
2011年クリケット・ワールドカップ決勝 インド×スリランカ(ワンデイ・マッチ、1イニング制50オーバー限定)