「野球史年表」は、野球がどんな歴史を歩んできたか、さらに日米でどんな出来事かあったか、一目でわかるようになっている。
なお、野球の起源や年号等には諸説あり、最も信憑性が高いとされる説を採用した(現在、野球殿堂があるニューヨーク州クーパーズタウンで、1839年にアブナー・ダブルデイが野球を考案したという説があるが、現在では否定されており、本稿でも採用しない)。
まだ不備な点があると思われるので、今後も引き続き加筆・訂正していく所存である。
古代
紀元前、エジプトなどアフリカの地中海沿岸地域では、王が棒で球を打って、吉凶を占っていたとされる。
中世
12世紀頃のフランスで「ラ・シュール」というスポーツが生まれ、これがあらゆる球技の元祖と言われている。
ラ・シュールはイギリスへ渡り、様々な球技に発展した。
その中に「ワン・オールド・キャット」あるいは「ツー・オールド・キャット」という、棒で球を打つ遊びがあった。「キャット」とは猫ではなくキャタパルト(投石機)の略。
また、棒で球を打つ遊びとして、現在もイギリスの子供達の間で行われている「ラウンダーズ」というゲームもあった。
やがて、これらの球技は大英帝国の発展と共に、植民地へ伝えられていく。
1492年(室町時代後期)
アメリカ:クリストファー・コロンブスが西インド諸島を発見。
その後、ヨーロッパ各国が北アメリカ大陸に進出。東海岸がイギリスの植民地となる。
(1493年)日本:明応の政変、戦国時代に突入。
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1775年(江戸時代後期)
日本:解体新書刊行。
1776年(江戸時代後期)
アメリカ:アメリカ独立宣言。アメリカ合衆国建国。当時はまだ東海岸13州のみ。
1783年(江戸時代後期)
アメリカ:独立戦争終結。イギリスがアメリカ合衆国の独立を承認。
1791年(江戸時代後期)
アメリカ:アメリカの文献に初めて「Baseball」という言葉が現れる。ちなみにイギリスの文献で初めて「Base-ball」という言葉が出てくるのは、1744年の「小さなかわいいポケットブック」という児童書で、ラウンダーズのことを表している。
この頃、アメリカでもイギリスから伝わったラウンダーズが広まっていた。
ラウンダーズはやがて「タウンボール」として発展し、野球の元祖となる。
日本:寛政の改革。
1842年(江戸時代後期)
アメリカ:ニューヨークにタウンボールを行うクラブ「ニッカーボッカーズ」結成。
日本:天保の改革。
1845年(江戸時代後期)
アメリカ:アレクサンダー・カートライトが野球のルールを作成。本格的なベースボール(baseball)の始まりとなる。
●1チーム9人ずつで、守備側は各ポジションに散らばる。
●菱形に4つのベースを置き、それぞれの塁間は42ペイス(90フィート=27.431m)。
●打者が3球空振りするか、打球を野手がノーバウンドもしくはワンバウンドで捕球するか、打者走者が一塁に達するまでにボールを持った野手が一塁を踏むか、走者が塁を踏んでいない時にタッチするとアウト。タウンボールのように、走者に投げ当ててのアウトは廃止。
●3アウトで攻守交替。タウンボールでは1アウトで攻守交替だった。
●ファウルラインを引き、そこから外に打球が出た場合は打ち直し。
●21点先取したチームが勝ち。
と、野球の原型とも言えるルールが整った。ただし、この頃の投手はまだ下手投げ。
1846年(江戸時代後期)
アメリカ:ニュージャージー州ホーボーケンで初の野球試合が行われる。ニッカーボッカーズはニューヨーク・ナインに1-23で大敗。この試合が行われた6月19日が「ベースボール記念日」とされる。
1848年(江戸時代後期)
アメリカ:米墨戦争(メキシコとの戦争)終結により、アメリカ合衆国の領土が西海岸まで拡張。
1853年(江戸時代末期)
日本:マシュー・ペリー率いるアメリカ海軍(黒船)が浦賀に来航。翌1954年、日米和親条約調印により日本が開国。
1857年(江戸時代末期)
アメリカ:新聞記者のヘンリー・チャドウィックを中心とした規則委員会を結成、21点先取で勝利というルールから、9回終了時に得点が多いチームが勝利するというルールに変更、野球がスピードアップされる。チャドウィックはボックス・スコアを作成するなど野球を数値化させる基礎を築き、また新聞で野球を大いに取り上げて普及に貢献、後に「野球の父」と呼ばれるようになった。
1858年(江戸時代末期)
アメリカ:見逃した球のうち、良い球(打つべき球)に対して「ストライク(打て)」のコールが審判から発せられるようになる。
初のアマチュア野球組織「ナショナル・アソシエーション・オブ・ベースボール・プレーヤーズ(NABBP)」が東部を中心に26球団で発足、野球人気が爆発した。
日本:日米修好通商条約をはじめ、安政の五ヵ国条約(不平等条約)調印。安政の大獄により、吉田松陰らが処刑。
1861年(江戸時代末期)
1863年(江戸時代末期)
アメリカ:真ん中付近(ストライク・ゾーン)を通らない球に対し「(アンフェア)ボール」のコールがされるようになる。つまりストライク、ボールのカウントコールが発せられるようになった。
日本:生麦事件により薩摩藩(現・鹿児島県)とイギリス軍が対立、薩英戦争勃発。
1864年(江戸時代末期)
アメリカ:「ワンバウンドで捕球はアウト」のルールは廃止。フェアの打球についてはダイレクト・キャッチのみがアウトとなった。ただし、ファウルの打球についてはワンバウンド・キャッチでもアウトというルールは継続。
日本:下関戦争勃発。長州藩(現・山口県)はイギリス・フランス・アメリカ・オランダ連合軍に大敗。長州藩はライバルの薩摩藩に歩み寄り、尊皇倒幕運動の機運が高まる。
1865年(江戸時代末期)
アメリカ:南北戦争終結。北軍が勝利し、リンカーン大統領による「奴隷解放宣言」が実行されて、黒人は法律上、奴隷ではなくなる。
1866年(江戸時代末期)
アメリカ:フィラデルフィア・アスレチックスが史上初のプロ選手を3人採用。
(1868年)日本:江戸幕府が倒れ、明治新政府が誕生(明治維新)。
1869年(明治2年)
アメリカ:ハリー・ライトにより史上初のプロ球団「シンシナティ・レッドストッキングス」結成。
大陸横断鉄道が開通。全米各地への野球の普及が加速する。
1870年(明治3年)
アメリカ:NABBPが賭博、八百長、プロ化問題などにより崩壊。
日本:東京ー横浜間および大阪ー神戸間に電信開通。
1871年(明治4年)
アメリカ:打者が相手投手に対し、高・中・低と、投球の高さを指定できるようになる。
ナショナル・アソシエーション・オブ・プロフェッショナル・ベースボール・プレイヤーズ(NAPBBP)という、9球団による史上初のプロ野球連盟発足。
日本:廃藩置県。
1872年(明治5年)
アメリカ:下手投げながら、スナップを効かせて投げる投法が認められた。「打たせる投手」から「打たれない投手」の始まり。
日本:明治5年、東京開成学校予科(現・東京大学)で、アメリカ人教師のホーレス・ウィルソンが野球を指導、日本に初めてベースボールが伝えられる。
日本初の鉄道開通(東京・新橋―横浜間)。
1875年(明治8年)
アメリカ:グラブとキャッチャーマスクが使用されるようになる。
NAPBBPが、賭博や八百長などの不正事件が横行、また運営基盤も脆弱だったため、僅か5年で解散。
日本:ロシアとの間に樺太・千島交換条約調印。
1876年(明治9年)
アメリカ:ナショナル・リーグ設立。8球団によるペナントレース開始。現在まで続くメジャー・リーグ(MLB)の幕開け。この頃はまだ東部中心で、セントルイスが最西端。取り残された球団は各地域でリーグを創設、マイナー・リーグの元祖となる。
9ボールで一塁に出塁する新ルール。ベース・オン・ボールズ(現在の四球)の始まり。
日本:朝鮮との間に日朝修好条規(日本に有利な不平等条約)締結。清(中国)との対立が深まる。
1878年(明治11年)
日本:日本初の野球団「新橋アスレチック倶楽部」結成。
1879年(明治12年)
アメリカ:見逃した全ての球にボールかストライクのコールがされるようになる。
1880年(明治13年)
アメリカ:8ボールで一塁に出塁。3ストライク目を捕手が直接捕球すれば、打者が即アウトとなる。
1881年(明治14年)
アメリカ:投手と打者の距離が45フィートから50フィートに。
1882年(明治15年)
アメリカ:7ボールで1塁に出塁。横手投げが解禁される。
「野球場は囲まれた一面でなければならない」というルールにより外野フェンスが義務化。オーバーフェンスによるホームランが華となり、クッションボールの処理などが重要となる。
アメリカン・アソシエーションが創設。メジャー・リーグ扱いとなるが、10年で消滅。他に短期間で消滅したメジャー・リーグとして、ユニオン・アソシエーション、プレイヤーズ・リーグ、フェデラル・リーグがある。
日本:新橋アスレチック倶楽部と駒場農学校が日本初の対外試合を行う。
1883年(明治16年)
アメリカ:ファウルでのワンバウンド捕球によるアウトは廃止。これで「ワンバウンド・キャッチ・ルール」は完全になくなった。
日本:鹿鳴館が開館。不平等条約改正のため、近代化を欧米諸国にアピール。
1884年(明治17年)
アメリカ:6ボールで一塁に出塁。上手投げが解禁される。投球が打者に当たると一塁に出塁という、ヒット・バイ・ピッチ(死球)が生まれる。が、ナ・リーグでは不採用。
1885年(明治18年)
アメリカ:捕手はプロテクターを使用するようになる。キャッチャーミットも発明されるが、ナ・リーグでは使用不可。
1886年(明治19年)
アメリカ:7ボールで一塁に出塁というルールに戻る。
1887年(明治20年)
アメリカ:打者による投球の高さの指定を廃止。5ボールで一塁に出塁。ナ・リーグでも死球を採用。さらにこの年に限り、ベース・オン・ボールズは安打と記録され、4ストライクでアウトというルールになる。
1889年(明治22年)
アメリカ:4ボールで一塁に出塁という、現在のルールになる。
日本:大日本帝国憲法発布。
1891年(明治24年)
(1890年)日本:第1回帝国議会。
1893年(明治26年)
アメリカ:投手と本塁の距離が50フィートから60.6フィート(18.44m)に広げられ、現在と同じになる。半端な数字なのは、小数点以下の0を6と測量の技師が見間違えたため。
1894年(明治27年)
アメリカ:バントのファウルがストライクとカウントされる。それまではいかなるファウルでもストライクとはならなかった。平らな面を持つバットの使用禁止。
日本:中馬庚(ちゅうまん・かなえ)がbaseballを「野球」と訳す。
日清戦争勃発。
1895年(明治28年)
アメリカ:ファウルチップがストライクとなる。
1896年(明治29年)
日本:第一高等学校(現・東京大学)が横浜外人倶楽部と対戦。日本のチームにとって初の外国人チームとの試合で、一高が29-4で圧勝。
1900年(明治33年)
アメリカ:マイナー・リーグでしかなかったウエスタン・リーグがアメリカン・リーグと改称し、翌年メジャー・リーグ宣言。ナ・リーグは12球団から8球団に減り、二大リーグ時代が始まる。ただし、この頃のメジャー・リーグは依然として東部中心で、セントルイスが最西端。
1901年(明治34年)
アメリカ:ア・リーグが8球団で第1回ペナントレースを開始。ナ・リーグでは2ストライクまでのファウルがストライクとカウントされる。
(1902年)日本:日英同盟締結。ロシアとの対立が深まる。
1903年(明治36年)
アメリカ:ナショナル・コミッションができ、ナ・ア両リーグのルールを統一。ファウルの解釈もア・リーグはナ・リーグに倣うことになり、現在のルールとほぼ同じになる。さらに、両リーグの優勝チームによる第1回ワールド・シリーズを開催。メジャー・リーグの体裁が整った。
日本:第1回早慶戦を開催。
(1904年)日露戦争勃発。
1905年(明治38年)
日本:早稲田大学野球部が日本のチームとして初めてアメリカ遠征。主に現地の大学チームと対戦。戦績は7勝19敗。
1908年(明治41年)
アメリカ:マイナー・リーグのAAAの選手を中心としたチーム「リーチ・オール・アメリカン」を結成、アメリカのチームとして初の日本遠征を行う。目的は野球用品販売促進のため。日本の各チームと対戦し、戦績は17戦全勝。
1911年(明治44年)
日本:東京朝日新聞が野球害毒論キャンペーン。
1912年(明治45年、大正元年)
アメリカ:ボストンにフェンウェイ・パークが完成。現存する最古の球場。
豪華客船タイタニック号が沈没。
日本:明治天皇崩御。大正時代が始まる。
1914年(大正3年)
世界:ヨーロッパで第一次世界大戦が始まる。アメリカ、日本とも連合国側として参戦。
1915年(大正4年)
日本:大阪の豊中グラウンドで大阪朝日新聞社主催の第1回全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高等学校野球選手権大会=夏の甲子園)が始まる。
1919年(大正8年)
アメリカ:シカゴ・ホワイトソックスの選手達による八百長が発覚(ブラックソックス事件)。
1920年(大正9年)
メジャー・リーグではベーブ・ルースがシーズン54本塁打。ホームラン時代到来。
日本:東京・芝浦に日本初のプロ球団「日本運動協会(通称:芝浦協会)」発足。
1921年(大正10年)
日本:日本で2番目のプロ球団「天勝野球団」発足。ただし、プロ宣言するのは2年後の1923年。
1923年(大正12年)
アメリカ:黒人選手によるイースタン・カラード・リーグ創設。二つのニグロ・リーグ時代が始まる。
ニューヨークにヤンキー・スタジアムが完成。
日本:日本運動協会と天勝野球団が日本初となるプロ球団同士の対戦。京城(現在のソウル)と東京で計3試合行い、日本運動協会の2勝1敗。しかし関東大震災のため、天勝野球団が自然消滅。
1924年(大正13年)
日本:関東大震災の影響で日本運動協会が解散。しかし阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)がスポンサーとなり関西へ移転、「宝塚運動協会」として再結成する。
名古屋の山本球場で大阪毎日新聞社主催の第1回選抜中等学校野球大会(現在の選抜高等学校野球大会=春のセンバツ)が始まる。夏に甲子園大運動場(現在の阪神甲子園球場)が完成。以降、春夏の中等野球は甲子園で行われることになる。
1925年(大正14年)
日本:東京六大学野球連盟が発足。リーグ戦が始まる。
1927年(昭和2年)
日本:社会人選手による第1回都市対抗野球大会が始まる。中等野球、大学野球、社会人野球というアマチュア野球の基礎が出来上がった。
1928年(昭和3年)
アメリカ:経営難により、イースタン・カラード・リーグが消滅。
1929年(昭和4年)
日本:宝塚運動協会は対戦するプロ球団もなく、世界大恐慌のあおりを受けて解散。日本のプロ野球チームは僅か10年で完全に消滅した。
1931年(昭和6年)
アメリカ:読売新聞社の招待により、アメリカ選抜チームを結成し日本遠征。メジャー・リーグのオールスターチームとなった。戦績は17戦全勝。
日本:全米選抜チームに対抗するため、東京六大学の現役およびOBによる全日本チームを結成。さらに大学単独チームも全米選抜チームと対戦。日米野球は各地で人気を呼ぶ。
満州事変勃発。国際社会から孤立の道を歩み始める。
1932年(昭和7年)
日本:野球統制令発布。学生とプロ(つまりメジャー・リーグ)との対戦を禁じる。
五・一五事件勃発。軍部の力が強まる。
1933年(昭和8年)
アメリカ:第2次ニグロ・ナショナル・リーグ発足によりニグロ・リーグ復活。
メジャー・リーグで、少年ファンの投書がきっかけで第1回オールスター・ゲーム開催。
世界:ドイツでアドルフ・ヒトラーが首相に就任、ナチス政権成立。
1934年(昭和9年)
アメリカ:読売新聞社の招待により、アメリカ選抜チームを結成し日本遠征。前回はメンバーに入ってなかったベーブ・ルースも訪日。空前の豪華メンバーとなった。戦績は16戦全勝。
日本:全米選抜チームに対し、野球統制令のために学生は選べないので、社会人選手や学校中退者による全日本チームを結成。日米野球終了後、全日本チームは読売新聞社が母体となるプロ球団「大日本東京野球倶楽部」として発足。後の東京巨人軍、現在の読売ジャイアンツとなる。ベーブ・ルースが来日した日米野球は大盛況となった。
1935年(昭和10年)
日本:大日本東京野球倶楽部が日本のプロ球団として初のアメリカ遠征。現地のマイナー球団を中心に109試合を行い75勝33敗1分の好成績を残す。この遠征中に「東京ジャイアンツ」を名乗り、その名称を元に翌年「東京巨人軍」と改称。この頃日本では、読売新聞社社長の正力松太郎がプロ球団を経営できる資本家探しに奔走し、東京、名古屋、大阪にプロ球団設立の機運が高まる。
1936年(昭和11年)
日本:日本職業野球連盟(現在の日本野球機構=NPB)が発足。7球団により日本初のプロ野球リーグ開始。現在も続くプロ野球時代の幕開け。
二・二六事件勃発。
1937年(昭和12年)
アメリカ:ニグロ・アメリカン・リーグ創設。再び二つのニグロ・リーグ時代に。
日本:盧溝橋事件勃発。日中戦争始まる。
1939年(昭和14年)
世界:ナチス・ドイツがポーランドに侵攻、第二次世界大戦が始まる。
1940年(昭和15年)
日本:英語は敵性語であるとして、職業野球のチーム名は日本語に(イーグルス→黒鷲軍など)、ユニフォームはアルファベットではなく漢字で書かれるようになった。
日独伊三国軍事同盟締結。アメリカ合衆国との対立が深まる。
1941年(昭和16年)
アメリカ:メジャー・リーグでテッド・ウィリアムズが打率.406をマーク。現在のところ、最後の4割打者となる。
太平洋戦争突入。連合国として日本などの枢軸国と戦闘状態に。
日本:夏の中等野球が地方大会中に中止。以降、終戦まで文部省主催以外の中等野球は行われなくなる。
真珠湾攻撃により、アメリカ合衆国などの連合国に枢軸国として宣戦布告。
1943年(昭和18年)
日本:敵性語排除により、「ストライク→よし一本」「アウト→ひけ」など、英語が日本語に置き換えられる。
1945年(昭和20年)
アメリカ:第二次世界大戦および太平洋戦争終結。連合国の勝利。
日本:職業野球が中断。
連合国に無条件降伏。アメリカ合衆国をはじめとする連合軍の占領下となる。
1946年(昭和21年)
日本:職業野球再開。
1947年(昭和22年)
アメリカ:ジャッキー・ロビンソンがブルックリン・ドジャースに昇格、二大リーグ開始(1900年)以降、初の黒人メジャー・リーガーとなる。
日本:もう一つの職業野球である国民野球連盟(国民リーグ)が4球団で発足。夏と秋にリーグ戦を行うも、僅か1年で解散。
1948年(昭和23年)
アメリカ:ジャッキー・ロビンソンのメジャー昇格が引き金となり、多数の黒人選手がメジャー・リーグに流出したため、人材難に陥ったニグロ・ナショナル・リーグが解散。メジャー・リーグは白人だけの世界から、他人種リーグへ転換し始めた。
日本:学校制度改革(6・3・3・4制に移行)のため、この年の夏から中等野球が高校野球に。
1950年(昭和25年)
アメリカ:朝鮮戦争勃発。ソビエト連邦などの共産圏諸国との対立が激化。
日本:8球団だったプロ野球(この頃から職業野球のことをそう呼ぶようになった)が新球団加盟を巡り2リーグに分裂。セントラル・リーグ8球団とパシフィック・リーグ7球団でペナント・レース開始。両リーグの優勝チームにより第1回日本シリーズ(当時は日本ワールド・シリーズと呼称)を開催。
1952年(昭和27年)
日本:サンフランシスコ講和条約発効により、連合国の占領下だった日本が主権を回復。
1953年(昭和28年)
アメリカ:朝鮮戦争が休戦。朝鮮半島は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と大韓民国(韓国)に分断される。
日本:セ・リーグが現在と同じ6球団に削減。
1958年(昭和33年)
アメリカ:ドジャースがブルックリン(ニューヨーク)からロサンゼルスへ、ジャイアンツがニューヨークからサンフランシスコに移転し、西海岸に初のメジャー球団が誕生。それまでアメリカ東部に集中していたメジャー・リーグが、全米拡張のきっかけとなる。
日本:パ・リーグも6球団に削減し、セ・パ12球団という、現在まで続く体制となる。
1960年(昭和35年)
アメリカ:ニグロ・アメリカン・リーグが消滅。ニグロ・リーグの歴史に幕を閉じた。
日本:日米安全保障条約反対闘争が激化。
1961年(昭和36年)
アメリカ:エクスパンション(球団拡張)によってア・リーグに2球団が加盟、10球団となり、メジャー・リーグは18球団となる。球団数が変更になるのは二大リーグ(1901年)になって以来、メジャー・リーグでは初めて。
1962年(昭和37年)
アメリカ:前年に引き続きエクスパンションでナ・リーグに2球団が加盟、ア・リーグと同じ10球団となり、メジャー・リーグは20球団となる。
1964年(昭和39年)
アメリカ:南海ホークスからマイナー・リーグに野球留学していた村上雅則がサンフランシスコ・ジャイアンツに昇格、日本人初のメジャー・リーガーとなり、メジャー初勝利を挙げる。
1965年(昭和40年)
アメリカ:メジャー・リーグでドラフト制度導入。
日本:プロ野球でドラフト制度導入。
1969年(昭和44年)
アメリカ:エクスパンションによりカナダに新球団、モントリオール・エクスポズが誕生、初のアメリカ国外メジャー球団となる(2005年にアメリカに移転、ワシントン・ナショナルズとなる)。それを含めナ・ア両リーグとも12球団となり計24球団、さらに両リーグとも東西2地区制となる。それに伴い、両リーグとも東西の優勝チームによるリーグ・チャンピオンシップ・シリーズ(プレーオフ)が行われるようになった。
アポロ11号が月面着陸。人類が初めて地球以外の天体に立つ。
1973年(昭和48年)
日本:パ・リーグで前・後期の2シーズン制を採用。前期と後期の優勝チームでプレーオフを行う。
1975年(昭和50年)
アメリカ:メジャー・リーグでフリー・エージェント(FA)制度導入。
日本:パ・リーグでDH制度導入。
1977年(昭和52年)
アメリカ:エクスパンションにより2番目となるカナダのメジャー球団、トロント・ブルージェイズが誕生(現在ではアメリカ国外唯一のメジャー球団)。それを含めア・リーグに2球団が加盟して14球団に、メジャー・リーグは26球団になる。
日本:王貞治が通算756号ホームランを放ち、ハンク・アーロンのホームラン世界記録を破る。その後、868本塁打まで伸ばし、現在でも世界記録。
1978年(昭和53年)
日本:ドラフト会議を無視して、読売ジャイアンツが江川卓と契約を交わす「空白の1日」事件。
1979年(昭和54年)
日本:クラウンライター・ライオンズが福岡市から埼玉県所沢市に移転、西武ライオンズ(現在の埼玉西武ライオンズ)となり、九州からプロ球団が消える。パ・リーグは首都圏3球団、関西3球団という、東西両極状態に。
1981年(昭和56年)
アメリカ:FA権を巡り、メジャー・リーグ選手会がストライキを断行。その影響でこの年のみ前・後期制。
1983年(昭和58年)
日本:パ・リーグが1シーズン制に戻る。
1984年(昭和59年)
アメリカ:ロサンゼルス・オリンピックが開催され、この大会から野球が公開競技となる。金=日本、銀=アメリカ、銅=台湾。
1988年(昭和63年)
世界:韓国でソウル・オリンピック開催。公開競技の野球は、金=アメリカ、銀=日本、銅=プエルトリコ。
1989年(平成元年)
日本:老舗球団の南海ホークスが大阪市から福岡市に移転、福岡ダイエー ホークス(現在の福岡ソフトバンク ホークス)となり、10年ぶりに九州にプロ球団復活。さらにプロ野球リーグ創設時から参加していた阪急ブレーブスが身売りしてオリックス・ブレーブス(現在のオリックス・バファローズ)となる。人気不振にあえいでいたパ・リーグは、南海と阪急という名門球団を同時に失った。
1992年(平成4年)
日本:ロッテ・オリオンズが神奈川県川崎市から千葉市に移転、千葉ロッテ マリーンズとなる。
世界:スペインでバルセロナ・オリンピックが開催され、野球が正式競技に採用される。金=キューバ、銀=台湾、銅=日本。
1993年(平成5年)
アメリカ:エクスパンションによりナ・リーグが2球団増えて14球団に、メジャー・リーグは28球団になる。
日本:プロ野球でFA制度導入。
日本初のプロ・サッカー・リーグであるJリーグ発足。プロ野球のライバルとなる。
1994年(平成6年)
アメリカ:ナ・ア両リーグで東・中・西の3地区制導入。ポスト・シーズンでは東・中・西地区の優勝チーム以外でも各地区2位のうち最も勝率の高いチームが進出できる。リーグ・チャンピオンシップ・シリーズの前に、ディビジョン・シリーズを行うという制度。
サラリー・キャップ制度を巡り、メジャー・リーグの選手会がストライキを断行。このストは翌年まで伸び、結局は新制度のポスト・シーズンは行われなかった。
1995年(平成7年)
アメリカ:野茂英雄が二人目の日本人メジャー・リーガーとして新人王を獲得。さらに最多奪三振王にも輝く。日本人によるメジャー・リーグ挑戦の先駆けとなる。
1996年(平成8年)
アメリカ:アトランタ・オリンピック開催。正式競技の野球は、金=キューバ、銀=日本、銅=アメリカ。
1997年(平成9年)
アメリカ:メジャー・リーグでインター・リーグ(ナ・ア両リーグの交流戦)が始まる。
1998年(平成10年)
アメリカ:エクスパンションにより、2球団増えてメジャー・リーグは30球団になる。ア・リーグのミルウォーキー・ブルワーズはナ・リーグに移管し、ナ・リーグ16球団、ア・リーグ14球団と、球団数が逆転する。
マーク・マグワイアとサミー・ソーサがメジャー史上に残るホームラン合戦。マグワイアがメジャー・リーグ新記録となる70本塁打ででナ・リーグ本塁打王、ソーサも66本塁打を記録。しかし後に両選手とも薬物疑惑に晒される。
2000年(平成12年)
アメリカ:ニューヨーク・メッツ×シカゴ・カブスの開幕戦を、メジャー・リーグの公式戦として史上初めて日本(東京ドーム)で開催。
世界:オーストラリアでシドニー・オリンピックが開催。正式競技の野球は、この大会からプロ選手が解禁となる。日本はパ・リーグを中心としたプロ選手と、アマ選手の混成チーム。アメリカはAAAを中心としたプロ選手で挑んだ。金=アメリカ、銀=キューバ、銅=韓国。
2001年(平成13年)
アメリカ:イチロー(鈴木一朗)が日本人野手として初のメジャー・リーガー。ア・リーグMVP、首位打者、盗塁王、新人王と、タイトルを総なめ。
同時多発テロ事件(9.11)。
2003年(平成17年)
日本:社会人野球でタイブレーク制度導入。
2004年(平成16年)
アメリカ:イチローがメジャー・リーグ新記録となるシーズン262安打を達成。
日本:日本ハム ファイターズが東京都から北海道札幌市に移転、北海道日本ハム ファイターズとなり、北海道初のプロ球団誕生。
球団削減騒動により、プロ野球選手会が日本初のストライキ断行。12球団制は維持。
世界:ギリシャでアテネ・オリンピックが開催。正式競技の野球で、日本は初めてオール・プロ選手で挑む。金=キューバ、銀=オーストラリア、銅=日本。
2005年(平成17年)
日本:球界再編によりオリックス・ブルーウェーブが大阪近鉄バファローズを吸収合併してオリックス・バファローズに。さらに新球団・ 東北楽天ゴールデンイーグルス発足。準本拠地は別として、東北に初のプロ球団誕生。セ・パ交流戦導入。
初の独立リーグ「四国アイランドリーグ(現在の四国アイランドリーグplus)」発足。その後、各地に独立リーグが創設される。
2006年(平成18年)
アメリカ:第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)開催、日本が初優勝を飾る。
2007年(平成19年)
アメリカ:バリー・ボンズがメジャー・リーグ新記録となる通算762号ホームランを放つ。しかし薬物疑惑が問題となり「✽(アスタリスク)付きの記録にすべきだ」という論争が巻き起こる。
日本:セ・リーグがプレーオフ制度を実施。ただし、レギュラー・シーズンの勝率1位をリーグ優勝チームと認定。プレーオフはクライマックス・シリーズ(CS)と改称。リーグ優勝と日本シリーズ進出チームは別物となる。パ・リーグもこの制度に同調。
2008年(平成20年)
世界:中国で北京オリンピック開催。正式競技の野球で、金=韓国、銀=キューバ、銅=アメリカ。この大会を最後に、オリンピックから野球が除外される。
2009年(平成21年)
アメリカ:第2回WBC開催、日本が2連覇。
2012年(平成24年)
アメリカ:ナ・ア両リーグの各地区2位のうち、上位勝利数2チームによるワイルド・カード・ゲーム(1回戦制)が行われ、勝利したチームがディビジョン・シリーズに進出する。
2013年(平成25年)
アメリカ:ヒューストン・アストロズがナ・リーグからア・リーグに移管し、両リーグとも15球団制に。これにより、両リーグとも東・中・西地区がそれぞれ5球団ずつに。
第3回WBC開催、ドミニカ共和国が初優勝。この大会からWBCは、国際野球連盟(IBAF)公認の世界一決定戦となる。
日本:ウラディミール・バレンティンが日本新記録となる60本塁打を放ち、王貞治が持つ1シーズン55本塁打の記録を抜いた。
2014年(平成26年)
アメリカ:メジャー・リーグでビデオ判定によるチャレンジ制度を導入。
日本:読売ジャイアンツ×阪神タイガースの開幕戦を、日本プロ野球の公式戦として史上初めてアメリカ(ドジャー・スタジアムおよびエンジェル・スタジアム・オブ・アナハイム)での開催を計画するも、断念。
2015年(平成27年)
世界:日本と台湾で、世界野球ソフトボール連盟(WBSC=IBAFの代替組織)主催の第1回WBSCプレミア12を開催、韓国が初優勝。
2016年(平成28年)
日本:大谷翔平が投打の二刀流としてプロ野球史上初の2桁勝利・100安打・20本塁打」を達成。
2017年(平成29年)
アメリカ:メジャー・リーグで敬遠申告制を導入。
第4回WBC開催、アメリカが初優勝。
2018年(平成30年)
アメリカ:大谷翔平が二刀流としてメジャー・リーグに挑戦、史上初の10登板・20本塁打・10盗塁を達成し、ア・リーグの新人王に輝く。
日本:プロ野球でビデオ判定によるリクエスト制度を導入。プロ野球、社会人野球、大学野球で敬遠申告制を導入。
2019年(令和元年)
アメリカ:大谷翔平が日本人メジャー・リーガーとして史上初のサイクル・ヒットを達成。
2020年(令和2年)
アメリカ:新型コロナウイルス拡大によりメジャー・リーグは変則日程、無観客試合、オールスター戦中止、タイブレーク制度導入。
WBCは2023年まで延期。
日本:新型コロナウイルス拡大によりプロ野球は変則日程、無観客試合、オールスター戦中止。
高校野球の甲子園大会中止。高校野球で1週間500球以内という球数制限導入。
世界:新型コロナウイルスが大流行。
2021年(令和3年)
アメリカ:ア・リーグで先発投手が指名打者を兼ねることができる、通称「大谷ルール」導入。
東京オリンピックで野球競技がこの大会のみ復活、日本が金メダル。
2022年(令和4年)
アメリカ:メジャー・リーグでピッチクロック制導入。ナ・リーグでもDH制度(大谷ルールを含む)を採用。
日本:村上宗隆が史上最年少の三冠王。
世界:ロシア・ウクライナ戦争勃発。
2023年(令和5年)
アメリカ:第5回WBC開催、日本が3大会ぶり3回目の優勝。
メジャー・リーグでベースの大型化(15インチ四方から18インチ四方)と、牽制球は事実上1打席2球までという制度を導入。
大谷翔平が44本塁打で日本人初のメジャー・リーグでの本塁打王。投手としても10勝を挙げて2度目のア・リーグMVP。満票での2度目のMVPは史上初。
日本:大谷ルールが公認野球規則で適用されたため、日本でもDH制を採用しているリーグ(大会)で大谷ルール導入。
村上宗隆が史上最年少の三冠王。
(2019年6月19日、ベースボール記念日に加筆・訂正)
(2024年8月31日、加筆・訂正)