11月10日(土)、マスターズ甲子園2012を見に行った。
知り合いで社会人野球のクラブチームの投手だったM君が出場するからである。
M君のことは、以前こちらで書いたことがある。
そう、この時は元近鉄バファローズの投手だった加藤哲郎さんが店長を務めている肉料理店に、M君やそのお兄さんらと行ったのだった。
恥ずかしながら、僕はマスターズ甲子園の存在を知らなかった。
パンフレットを見ると、今回で9回目を数えるようである。
趣旨としては、高校野球部のOBがチームを作り、各地区の予選を勝ち抜いた高校OBチームが阪神甲子園球場に集って戦うというものだ。
戦うといっても勝ち抜き戦をやるわけではなく、各チームが1試合だけ親善試合のようなものをやるだけだ。
高校時代に甲子園出場した選手が出場しても構わないが、シニアレベル(プロ野球や独立リーグ、社会人野球、大学野球など)の現役選手は出場できない。
パンフレットの選手名鑑を見ると、高校時代に甲子園出場した選手はごく僅かのようである。
つまり、ほとんどの選手が初めて憧れの甲子園の土を踏めるわけだ。
M君は奈良県立桜井商業のOBで、現在の校名は奈良県立奈良情報商業となっているが、この日のユニフォームはかつての桜井商のものだ。
桜井商は高校球界では無名校だが、この校名を聞くと野球通ならピンと来るだろう。
そう、読売ジャイアンツや横浜ベイスターズで大活躍した、名球会メンバーである駒田徳広さんの母校だ。
そして駒田さんは、今回のマスターズ甲子園で奈良情報商・桜井商OBのメンバーに入っている。
駒田さんの活躍は、奈良県高校球界でも伝説になっている。
無名の桜井商が、エースで四番である駒田さんの活躍で奈良県大会決勝進出。
相手は奈良県下№1の強豪校・天理。
満塁のチャンスで打席に立った駒田さんに対し、天下の名門・天理は恥も外聞もなく敬遠している。
満塁ホームランによる4点の危険よりも、1点の安全を選んだのだ。
松井秀喜を5打席連続敬遠した明徳義塾の馬淵監督もビックリのこの作戦がまんまとはまり、天理が勝って桜井商は甲子園出場を逃してしまった。
ちなみにこの試合で、エースとしてマウンドに立った駒田さんは満塁ホームランを浴びているというのも皮肉な巡り合わせだ。
桜井商を卒業後、駒田さんは1980年にドラフト2位で巨人に入団したが、すぐに野手に転向した。
そして1983年、デビュー戦で誰もがあっと驚くプロ初打席満塁ホームランという日本プロ野球初の離れ業をやってのける。
以来、駒田さんは満塁男という異名をとったが、高校時代は満塁で敬遠され、投手としては満塁ホームランを浴び、プロ初打席で満塁ホームランを放つという、看板に偽りなし、の活躍を見せた。
駒田さんはその後も順調に成長し、巨人の主軸打者となった。
1989年には日本一を経験。
この年の日本シリーズで、上記の加藤さんが吐いた「巨人はロッテより弱い」という暴言に駒田さんは怒り、雌雄を決する第7戦で駒田さんが加藤さんからホームランを放って、ベース一周するときに加藤さんに向かって「バ~カ!」と言い放ったのはもはや伝説となっている。
そのあたりのことも加藤さんの店で語っているので、上記日記を参照されたい。
M君と、M君の先輩である駒田さんと、M君と親しい加藤さんと3人で会えば、どんな会話になるのだろうか?
1994年、出来たばかりのフリーエージェント(FA)制度を適用して、巨人から横浜に移籍。
FA制度は巨人に有利になると思われたが、逆に巨人の選手がFA宣言をしてた球団に移るという行動が、アンチ巨人から喝采を浴びる。
ちなみに、FA宣言で巨人から国内球団に移籍したのは、巨人生え抜き選手では未だに駒田さんただ一人である。
横浜に移った駒田さんは「マシンガン打線」の中核を担い、駒田さんの加入で横浜は強豪チームにのし上がった。
そして1998年、横浜は実に38年ぶりのセントラル・リーグ優勝、さらに日本一にもなった。
横浜の日本一メンバーというだけで、駒田さんは実に貴重な選手である。
この時の横浜マシンガン打線は、一番・石井琢朗、二番・波留、三番・鈴木尚典、四番・ローズ、五番・駒田と、ベイファンでなくてもソラで今でもスラスラと言える。
話をマスターズ甲子園に戻すと、僕はいつものように大阪・梅田駅から阪神電車に乗り込み、桜井商OBの試合が始まる0時30分より少し前に甲子園に到着した。
阪神タイガースや高校野球などの試合、あるいはビッグ・イベントが行われる日には球場専用出入り口があるホームに電車が停るのだが、この日はマイナーなイベントのせいか、普段使用されるホームと改札口しか使われてなかった。
もっとも、帰りは多少の混雑が予想されたのか、球場専用改札口が使用されていたが。
甲子園球場も、この日は入場無料で、開放されているスタンドも大銀傘に覆われたネット裏のみ。
オフシーズンなので売店もほとんどが営業していなかったが、唯一甲子園名物のカレー屋さんだけは営業していたのは嬉しかった。
ソフトドリンクはもちろん、ビールも売られていて、とりあえずは大満足。
スタンドに入ると、もちろん大観衆が当たり前の甲子園の姿とは程遠いが、それでもそこそこの観客が入っていた。
さらに、各高校からブラスバンドやチアリーダーたちが繰り出していたのは驚きだった。
桜井商OBはM君が先発。
2回1失点という、まずまずの内容だった。
規定により、2イニングで降板となった。
桜井商はDHを使用していたが、1回裏にいきなり一番打者のDHの選手が代打に出された。
おいおい、それはルール違反だろ。
ところが、マスターズ甲子園には色々な特別ルールがあるようで、特におとがめはなかった。
それにしても、一度も守備につけず、一度も打席に立たなかった一番・DHの選手には心から同情を寄せる。
……と思っていたら、あとからM君に聞いた話では、一番・DHに名を連ねていたのは、大会の3週間前に54歳の若さで急逝した方なのだそうだ。
さすがマスターズ甲子園、粋な計らいを見せてくれる。
規定により、3回までは34歳以下のチームで試合を行い、それ以降は35歳以上のチームとなるため、いよいよ駒田さんがグラウンドに現れた。
そして現役時代と変わらず、ネクスト・バッターズ・サークルで屈伸運動を始めた。
打席に立った駒田さんは、外角球を捕らえた!と思ったが、残念ながらレフトフライ。
ところが、相手チームのレフトがバンザイして二塁打に。
やったぜ、駒田!さすが名球会!!
……とはいえ、さすがに足は衰えていて、ドタドタ走ってやっとこさの二塁打。
それでも、駒田さんの二塁打が起爆剤となって、この回は打者一巡の猛攻撃。
この回、二度目の打席となった駒田さんはプロの片鱗を見せ、今度は文句なしのライト前クリーンヒットを放った。
ネット裏の観客はヤンヤヤンヤの歓声である。
マスターズ甲子園は、一応は9回までやることになっているが、時間制もあって1時間30分で打ち切られてしまう。
結局この試合は、5回で1時間半経ったため、12-8(だったと思う。間違えていたら許されよ)で桜井商OBの勝利となった。
試合後、M君とそのお兄さんが僕のところに来てくれた。
僕はM君に、
「初めての甲子園のマウンドに立てて良かったやん。それと、甲子園の土は集めた?」
と訊いた。
でも、甲子園の土を拾うのは禁止されているらしい。
こればかりは、甲子園出場した高校球児の特権か。
その代わり、チーム単位で記念に甲子園の土が贈られるそうだ。
その次の試合も、僕は見ていた。
その試合の終盤、僕は球場の外に出て、散歩を始めた。
どうせ入場無料なのだから、再入場できる。
ただ、全試合終了後に「甲子園キャッチボール」という企画があって、それに駒田さんやM君のお父さんが参加すると聞いていたので、それは見ようと思っていた。
でも、スタンドに戻ったときは、もうキャッチボール大会は終わっていたのである。
もう全てのイベントが終わったので、スタンドを離れて退場しようとした、その時だった!
ゲートからスタンドに入る駒田さんとすれ違ったのである。
咄嗟の出来事で駒田さんには何も話しかけられなかったが、これは何か起こるかもしれないと思い、僕はスタンドに引き返した。
駒田さんは、僕の席とはかなり離れた席で座っていた。
しばらくは様子を見るつもりだったが、駒田さんの近くの席にM君とそのお兄さんがやってきた。
これはチャンスだ!と思い、M君兄弟に近付いた。
M君兄弟に話しかけると、M君は、
「駒田さんを紹介しましょうか?」
と言ってくれた。
願ってもない申し出に、僕は喜んで駒田さんに会いに行った。
と言っても、かなり緊張してしまったが……。
駒田さんに名刺を渡し、さらにサインを求めるという図々しい行動に出てしまったが、駒田さんは快く応じてくれた。
色紙なんて用意してなかったので、マスターズ甲子園のパンフレットにサインしてもらおうと思ったが、ペンをどうする?
そのときたまたま、マジックペンを持っていたことを思い出し、カバンの中から慌ててマジックペンを探し出して、サインしてもらった。
そのあと、図々しくも駒田さんに「一緒に写真を撮ってください」とお願いした。
当然、断られると思ったが、駒田さんは軽~く、
「いいよ~」
と言ってくれた。
さすが駒田さん、僕よりもでかい。
僕よりでかい人間は滅多にお目にかかれないのだが、やっぱり満塁男は違う。
そういえば、長嶋一茂主演の映画「ミスター・ルーキー」では、阪神タイガースのライバル球団である「東京ガリバーズ」の四番打者として出演してたなあ……。
駒田さんのデカさは、まさしくガリバー級だった。
駒田さんほどの有名人となると、肖像権を気にする人が多いので、
「この写真をブログに載せてもいいですか?」
と訊くと、またもや軽~く、
「いいよ~」
と言ってくれた。
ガリバーのようなガタイに似合わず、なんとも気さくな人である。
時間が押していたのであまりお話することもできなかったが、それでも僕の質問に丁寧に答えてくれた。
またお会いしたい人物である。