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ネターランド王国

国王:ハードフォーク安威川トークン

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:ハードフォーク安威川トークン」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

「巨人はロッテより弱い」伝説の男

通算17勝12敗6セーブ。
投手としては平凡な成績と言えるだろう。
だが、この男の名前を知らない野球ファンはいまい。
加藤哲郎
今から21年前に伝説の男となった。


1989年10月24日の日本シリーズ第3戦、加藤哲郎は東京ドームのマウンドに立っていた。
西武ライオンズオリックス・ブレーブスとの三つ巴の大接戦を制してパ・リーグの覇者となった近鉄バファローズは、球界の盟主たるセ・リーグ王者、読売ジャイアンツと日本一を争っていた。
前年の「10・19(詳細は後述)」で惜しくもリーグ優勝を逃した近鉄は、その鬱憤を晴らすかのように地元の大阪・藤井寺球場で巨人に連勝し、巨人の本拠地、東京ドームに乗り込んだ。
前年にオープンした東京ドームにとって、日本シリーズ初試合。
アメリカのレーガン大統領が始球式を行った。
この試合、近鉄の先発投手となった加藤哲郎は無失点の好投で見事に勝利投手、近鉄の3連勝で日本一へリーチがかかった。


ヒーローインタビューを受けた加藤哲郎は、こう話した


「(日本シリーズについて)オープン戦の延長のような感じ」
「この程度のところに負けたら(シーズン中に死闘を繰り広げた)西武やオリックスに申し訳ない」
「巨人打線は迫力がなかった。(パ・リーグ最下位のロッテよりも?という問いに対し)まあ、そうですね」


このやり取りが、日本プロ野球史上に残る名言を生み出した。


巨人はロッテより弱い


上記のインタビューではそんなことは言っていないのだが、そのように解釈された。
この「暴言」が巨人ナインの怒りを誘発し、巨人の大反攻が始まった。
巨人は3連敗後に3連勝。
最終戦の第7戦、藤井寺で加藤哲郎が先発した。
しかし駒田徳広に先制ホームランを打たれた。
駒田はベース一周の際に、加藤哲郎に対し「バ〜カ!」と罵った。
結局、この試合は巨人が勝ち、3連敗4連勝で巨人が日本一に輝いた。
近鉄球団は日本一を経験しないまま、消滅してしまった。




と、長い前フリをしてしまったが、その加藤哲郎さんが店長を務める店に行ってきた。
その店とは、大阪市の阿波座にある「肉の匠・ARITA」である。↓

http://ameblo.jp/yakiniku-arita/


一緒に行ったのは、カンスポを通してマイミクになり、この日が事実上の初対面となるM兄さん。
そしてM兄さんの弟さんで、現在は奈良県の社会人野球のクラブチーム「一城クラブ」の投手であるM弟さん。
さらにM兄さんの同僚のKさん。
この4人で「肉の匠・ARITA」へ行った。
現役の社会人野球選手であるM弟さんは、加藤哲郎さんとはよく電話などでも話したりするそうである。


店では4人で焼肉やお酒で舌鼓を打った。
もちろん、話題は野球がメイン。
M弟さんは前述のとおり投手だが、元々は野手でかなりのパワーヒッターだった。
やはりガタイがデカイ。
風貌も中田翔を思わせる。
昨年から投手に転向したそうだが、投手が少ないチーム事情もあるのだろう。


M兄さんは今年から一城クラブのマネージャーを務めるらしい。
野球の知識は相当なものだ。


Kさんは近鉄が最も燃えた88年と89年には海外に行っていたそうだ。
したがって、加藤哲郎さんの活躍を生では知らない。
それでも加藤哲郎さんのことは知っていたそうで、なぜ知っていたかと言えば「おはよう朝日です」のスポーツコーナーを担当していたからだそうだ。
加藤哲郎さんの現役時代を知らず、おはよう朝日ですで憶えたというのも珍しい。
なお、ご本人は競馬と麻雀が大好きだそうである。


話は社会人野球のクラブチームについて語られた。
やはりクラブチームの状況は厳しい。
一城クラブでは、年会費3万円、ユニフォーム代などは個人負担という、文字通りのクラブチームである。
スポンサーなどは皆無と言ってよい。
企業チームなら仕事を終えた後に夜間練習もできるが、一城クラブでは平日はおろか土曜日でも選手が集まらず、実質の練習日は日曜日のみ。
それも独自の練習場は持たず、空いているグラウンドを探して、場合によっては大阪まで出かけるという。
同じ奈良県内にあるクラブチームの大和高田クラブは、去年の日本選手権でベスト8進出という大活躍を見せたが、実態は大和ガスの支援を受けているため、企業チームに近いという。
同じくクラブチームとして日本選手権に出場した和歌山箕島球友会も、地元企業であるマツゲンの支援を受けている。


そんな話をしているうちに夜は更け、客もいなくなった頃に加藤哲郎さんが我々のテーブルに来た。
ここからは加藤哲郎さんに対する質問タイムである。
質問は当然、当時の近鉄に関することに集中する。


巨人はロッテより弱い」発言に関しては、そんなことは言っていないけど、本音はそう思っていたんでしょ?という問いに対しては、


「当時はオープン戦で巨人はもちろん、阪神とか大洋とかセのチームと対戦したけど、全然大したことなかったもん。俺らはあの最強の西武と戦っていたんだから。野球の質が違う」


と答えていた。
当時のパ・リーグは「熱パ」と呼ばれており、西武を頂点として、近鉄やオリックスと共に覇権を争っていた。
人気ではセ・リーグが上でも、野球の質ではパ・リーグの方が上、という自負があったのだろう。
特に西武は強く、85年からパ・リーグ4連覇、日本シリーズ3連覇を果たしていた。
投手では工藤公康渡辺久信渡辺智男郭泰源、打者では石毛宏典辻発彦秋山幸二清原和博オレステス・デストラーデという猛者ばかりである。
当時の近鉄は、西武といかに五分五分の星で戦うか、がテーマだったという。
オリックスも強敵だが、盤石の強さはない。
西武にさえ五分五分なら、他のチームには勝ち越せる。
そうすれば、優勝のチャンスはある、ということだ。


そして話題は、前年の「10・19」に移った。
1988年10月19日、2位の近鉄と6位のロッテ・オリオンズとのダブルヘッダー最終戦。
このダブルヘッダーで近鉄が連勝すれば、首位の西武を抜いて優勝。
2試合のうち1試合でも引き分ければ、西武が優勝という運命の日。


最下位が決まっているロッテから見ればただの消化試合だが、この日は異常な闘志を見せた。
第一試合はロッテが終始リードし、近鉄がそれを追う展開。
3対3で迎えた9回表の近鉄の攻撃。
当時の規定では、ダブルヘッダーの第一試合は延長戦が無いため、近鉄が得点できなければ引き分け、もしくは敗戦となるので、優勝は西武になる。
一死二塁から鈴木貴久のライト前ヒットで二塁ランナーの佐藤純一がホームを突くもライトからの好返球で三本間に挟まれてタッチアウト、チャンスはついえたかに思われた。
ちなみにこの時、本塁突入を指示して腕をグルグル回していた三塁コーチャーの滝内弥瑞生に対し、近鉄ベンチの誰もが「なんで腕を回すねん」と言っていた、と加藤哲郎さんが言っていた。
たしかに、どう考えてもタイミング的にはアウトである。
なにしろ、ライトからバックホームされた時は、佐藤はまだ三塁を廻ったところだったから。


二死二塁の絶体絶命の場面で、代打で登場したのが現在日本ハム監督の梨田昌孝
この時、引退を決めていた梨田を代打で起用したことに、近鉄ベンチはまたもや「なんでやねん」という空気が充満したという。
ところが、この梨田が起死回生のタイムリーヒット
このまま第一試合に勝って、第二試合に望みを繋いだ。


第二試合も熱戦が続いた。
いつも閑古鳥が鳴き、スタンドでは流しそうめんやカップルのラブシーンが流れていた川崎球場とは信じられないほど満員の客が詰め掛け、全国ネットで生中継された。
息詰まる一進一退の攻防は視聴者を釘づけにし、遂にはパ・リーグでは異例の視聴率46%を記録、「ニュースステーション」まで吹っ飛ばして野球中継を続けた。
しかし、延長10回までもつれ込んだ攻防は、時間の壁に阻まれた。
当時のパ・リーグでは4時間を超えて新しいイニングには入らない、という規定があり、4対4の同点で10回表の近鉄の攻撃を終えた時点で、西武の事実上の優勝が決まった。
4時間まで残り3分あるが、3分で相手の攻撃を終わらせるのは不可能である。
しかし、この時に近鉄のマウンドに立った投手は言い放った。


「この回、3分で終わらせたる!」


その投手こそ、加藤哲郎さんだった。
しかし残念ながらこの回を3分で終わらせることはできず、引き分けとなって西武が優勝となった。


加藤哲郎さんは、10・19こそ日本プロ野球最大の名勝負だ、と言っていた。
普段は誰も注目しないロッテ×近鉄の試合を、全国民が固唾を飲んで見守った、ここに意義があるという。
しかもたかがパ・リーグの。2位と6位の対戦である。
普段なら近鉄ファンとロッテファンを合わせても、日本国民の割合からすれば2〜3%程度だろう。
それが、視聴率50%近い数字を弾き出したのだ。
同じ近鉄の、北川博敏の優勝を決めた代打逆転サヨナラ満塁ホームランや、「国民的行事」の10・8の中日×巨人など、10・19には足元にも及ばない、と加藤哲郎さんは言っていた。
試合に優劣など決められないが、興奮度から言うと僕もそう思う。


10・19のことや「巨人はロッテより弱い」発言のこと以外でも、加藤哲郎さんから色々なことを聞いた。
当時の投手コーチだった権藤博が辞める時、
「辞めないで下さい」
と、投手陣が総出で懇願したのは本当ですか、と聞いたら、本当です、と答えた。
当時、近鉄投手陣の層が薄く、投手たちはかなり酷使されていた。
そんな投手たちを守ろうと権藤コーチは防波堤になっていたが、守りきることができず、責任を感じて辞任したのだという。
3年契約だったのが2年で辞任したために、違約金まで払って。
権藤コーチは現役時代「権藤、権藤、雨、権藤。雨、雨、権藤、雨、権藤」というぐらい、酷使されていた。
その結果、新人で35勝、2年目は30勝という大活躍をしたものの、その後は凋落の一途を辿り、僅か5年で現役生活を終えた。
それだけに、投手の肩を大事にしたい、という思いがあったのだろう。


その権藤は後に横浜ベイスターズの監督として日本一に導いたが、後年にチームの主力だった駒田が造反し、辞任せざるを得なかった。
加藤哲郎さんといい、権藤といい、よくよく駒田とは相性が悪いらしい。
ちなみに、M弟さんは駒田の高校の後輩だ、というオチがある。


これ以外でも、球界の裏話を色々聞いたが、ここではとても書けない。
それでも、加藤哲郎さんは気さくにお話しして下さった。


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店を出たのが夜の11時過ぎ。
僕は終電の関係でここでお別れとなったが、他の3人はまだ他の店で呑むという。
特にM弟さんは加藤哲郎さんの店では呑み放題ということでかなり呑んでいたが、翌日は登板するらしい。
大丈夫なんだろうか……?