今日、舞洲ベースボールスタジアムで高校野球南大阪大会準々決勝、PL学園×布施戦が行われた。
注目はなんと言っても、以前ここでも取り上げたPLの「清原和博(西武―巨人―オリックス)二世」勧野甲輝である。
勧野はPLの地元である富田林出身で、富田林シニア時代から当時甲子園で大活躍していた大阪桐蔭の中田翔(北海道日本ハム)以上の素材と言われていた。
当然、PLが地元の逸材を見逃すわけもなく、今春にめでたくPL入学。
勧野がどのくらい有望だったかといえば、ある社会人の有力チームの指導者がまだ中学生だった勧野を見て「3週間鍛えればウチでも四番を打てる」と言ったほどだ。
そんな男がPLに入学したのだから「清原二世」と呼ばれるのは当然だろう。
今年の南大阪大会も初戦からPLの四番打者として登場。
清原と全く同じである。
もちろん、PLで一年夏から四番を打ったのは清原以来だ。
唯一つ、清原と違うのは、背番号がレギュラー番号の「7」だったことだ。
あの清原でさえ、一年生時の大阪大会では補欠番号の「14」だった(甲子園ではレギュラー番号の「3」を着けた。ちなみに桑田真澄(巨人―パイレーツ)は、大阪大会では「17」、甲子園では「11」と、いずれも補欠番号)。
そして四回戦の清友戦では待望の公式戦初アーチ。
「清原二世」の名に恥じない強打を見せつけた。
さらに今日の準々決勝で、勧野はファンをあっと言わせた。
なんと、先発のマウンドに上がったのである。
実は勧野はシニア時代からご多分に洩れず、「子供の頃からエースで四番」。
強打だけでなく投手としても注目され、最速142キロを投げていた。
実際、今大会でも三回戦の貝塚南戦で1イニングだけ登板している。
そして、今日の準々決勝で先発登板。
名門PLにして、「一年生から先発マウンドで四番」という前人未到のことをしでかしたのである。
清原もシニア時代は「エースで四番」だったが、PL入学後はすぐに打者に転向し、一年生の時にはマウンドに登ったことはなかった。
桑田も一年生時からその強打は注目されていたが、打順は八番だった。
中田は三年生の先輩にエースの辻内崇伸(巨人)、四番打者の平田良介(中日)がいたため、「一年生から五番でリリーフ」だった。
無名校ならいざ知らず、甲子園常連の強豪校で「一年生からエースで四番」は稀有の例だろう。
今日の試合では、勧野はやや力みが目立ち4打数1安打だったが、その1安打が二死満塁からの貴重なレフト前2点タイムリー。
四番の重責を果たした。
ピッチングのほうは圧巻で、三振こそ少なかったものの、布施打線を寄せ付けず8回を2安打零封。
7−0でPLが8回コールド勝ちしたので残念ながら9回完封にはならなかったが、重い速球に打者は力負けし、球速もおそらく140キロは出ていたのではないか。
投げ方も非常に良く、投手としても大成する可能性がある。
ただ、変化球のコントロールとキレはまだまだ一年生で、これから成長するには更なる努力が必要だろう。
それにしても、一年生らしからぬ体格のデカさには驚いた。
さて、PLが南大阪大会を勝ち抜き、勧野は甲子園での打席&マウンドに立てるのか―。