今年の日本シリーズは、中日がソフトバンクに対して1,2戦を連勝するという好スタートを切った。
この連勝の原因を、落合監督の先発起用にある、と見る人が多い。
第1戦の先発予想は大方がエースの吉見だったが、落合監督はあえて左腕のチェンを持ってきた。
吉見を予想したソフトバンクはチェンを打てず、2戦目の吉見もまた打てなかった。
落合監督にとってみればしてやったりだろう。
また、この投手起用は単なる奇襲ではなく、2戦目重視という理由があったのでは、という人もいる。
日本シリーズではほとんどの監督が第1戦にエースを起用するが、中には第2戦にエース起用する監督もいる。
たとえば1979年、広島と日本シリーズを戦った近鉄の西本監督は、絶対的エースの鈴木啓示を第2戦の先発に指名した。
プライドの高い鈴木は憤慨し、それがこの試合での完封に繋がったのかどうかはわからないが、西本監督には2戦目重視の考え方があった。
相手は第1戦にエースをぶつけてくるだろうから、エース対決で敗れて初戦を落とすとかなり不利になる。
第2戦にエースを起用すれば、初戦に負けてもすぐに取り返すことができ、敵のアドバンテージはなくなってしまう。
仮にエースを温存して初戦に勝てば、2戦目でエースを起用して連勝が期待できるし、そうなればシリーズを一気に有利な状況になる。
落合監督にもそういう計算があったに違いない。
そして、落合監督にはさらにもう一つの計算があったと思うのだ。
それは、3勝3敗で最終の第7戦までもつれ込んだ時のことである。
昭和30年代ごろの日本シリーズでは、ローテーションなど全く関係なく、エース級や調子のいい投手をどんどん継ぎ込んでいた。
有名なのが西鉄の稲尾や南海の杉浦である。
1958年の日本シリーズで、西鉄は巨人に3連敗しながら4連勝するという伝説のシリーズとなったが、稲尾は7試合中6試合に登板、第3戦以降は5試合連続先発で内4完投、ライオンズの名の通り獅子奮迅の大活躍で「神様、仏様、稲尾様」と崇め立てられた。
翌1959年の日本シリーズは南海が巨人に対し4勝0敗のストレート勝ちという前年とは違った形で伝説になったが、杉浦は4試合中3試合に先発、2完投1完封で4連勝という大車輪の活躍だった。
時代は下り、ローテーションという概念が定着すると、日本シリーズでも稲尾や杉浦のような投手起用は影を潜めたが、それでもシリーズがもつれてくるとエースがリリーフに回るようなケースは多々あった。
接戦になると、先発要員も何も関係なく、いい投手をどんどんリリーフで登板させたのである。
ただし、一応は日本シリーズ用のローテはあった。
シーズン中は中4日のローテが、日本シリーズでは3人回しで3人とも中3日になる。
そうなると、第1戦に登板したエースは中3日で第4戦に登板、さらに中3日で最終戦の第7戦に登板するということになる。
A投手、B投手、C投手という3人回しなら、こういう先発ローテとなる。
第1戦 A
第2戦 B
移動日
第3戦 C
第4戦 A(中3日)
第5戦 B(中3日)
移動日
第6戦 C(中3日)
第7戦 A(中3日)
さらに時代が進むと、シーズン中は中5日、先発・中継ぎ・抑えの分業制が確立され、日本シリーズは4人回しとなった。
A投手とC投手は中4日登板、B投手は中5日登板、D投手は一度だけの登板となる。
しかしこの欠点は、エースは2試合のみの登板となり、3勝3敗で雌雄を決する第7戦には「第三の男」たるC投手が先発することである。
できれば日本一を決める第7戦では、エースのA投手を先発させたいのが人情だ。
第1戦 A
第2戦 B
移動日
第3戦 C
第4戦 D
第5戦 A(中4日)
移動日
第6戦 B(中5日)
第7戦 C(中4日)
そして現在では、シーズン中は6人回しの中6日が当たり前の時代である。
日本プロ野球のレギュラーシーズンは6勤1休なので、6人回しにするとキッチリ中6日で回転することとなり、先発投手は調整がし易いのだ。
さらに、この中6日というのが、日本シリーズではピタリと符合する。
日本シリーズを、シーズン中より1人減らした5人回しにすれば、以下のようになる。
第1戦 A
第2戦 B
移動日
第3戦 C
第4戦 D
第5戦 E
移動日
第6戦 A(中6日)
第7戦 B(中6日)
2トップのエースと二番手エースが、シーズン中に慣れた中6日での登板となる。
二番手エースが最終戦に先発するのも悪くない。
さらに、今シリーズでの中日で、B投手を吉見と置き換えたらどうなるか。
3勝3敗で最終戦までもつれ込んだ場合、日本一を決める決戦で中日はエースの吉見を万全の状態で送り込めるのである。
おそらく落合監督は、そこまで計算しているのだろう。