秩父宮ラグビー場(行った回数:1回)
「西の花園、東の秩父宮」とも称される秩父宮ラグビー場。
まさしく日本ラグビーのメッカである。
国立競技場や明治神宮球場と共に東京の神宮外苑にあり、交通の便は非常にいい。
トップリーグはもちろん、関東大学の対抗戦やリーグ戦、日本代表のテストマッチも行われる。
戦後間もない1947年に完成した秩父宮ラグビー場は当初「東京ラグビー場」という名称だったが、日本ラグビー協会の総裁だった秩父宮雍仁親王の名を取り、1953年から現在の名称になった。
皇室の人がラグビー協会の総裁というのも凄いが、実は近鉄花園ラグビー場を建設するように進言したのも秩父宮親王である。
完成当初はナイター設備もあり、あの伝説となった1971年の日本×イングランドのテストマッチ(3−6で日本代表が惜敗)も、ナイトゲームで行われた。
その後、オイルショックにより1973年にナイター設備は撤去され、その後はデーゲームしかできない時代が長く続いたが、2007年に再びナイター設備が完成した。
トップリーグが発足し、そのメイン会場である秩父宮ラグビー場にナイター設備がないのはラグビー界にとっても不利益だったと言える。
プロスポーツ興行にとってナイトゲームは不可欠だろう。
ラグビーは休日開催が多いためデーゲームでも賄えるが、まだ暑さが残る初秋ではデーゲームでのプレーは選手にとって体力消耗が激しく、また日の短い冬場では天候が悪ければ夕方になると暗くなってしまう。
その点でも、花園ラグビー場にも早くナイター設備を設置してもらいたいものだ。
スコアボードは長い間手書きで、いち早く電光掲示板になった花園ラグビー場に後れを取ったが、1986年にようやく電光掲示板になっている。
しかし花園と違い選手名はスコアボードの下に手書きで記され、貧弱な感は拭えなかった。
それが2003年、オーロラビジョンによりリプレイも映し出される豪華なスコアボードに生まれ変わった。
ちなみに花園にはまだオーロラビジョンはなく、秩父宮が羨ましい限りである。
秩父宮ラグビー場の周りには都会だけに店が多くラグビーショップもあり、試合のある日は弁当屋などが繰り出してくる。
しかし、秩父宮ラグビー場のスタンド裏は実に殺風景だ。
と言ってもメインスタンドには入ったことがないのでわからないが、バックスタンド裏には申し訳程度の売店しかない。
花園ラグビー場の場合、メインスタンド裏には食堂やファーストフードの売店、ラグビーショップがあり、入口付近には入場無料のミュージアムまである。
バックスタンド裏にはメインスタンドほどではないとはいえ、立ち食い食堂にファーストフードの売店、ラグビーショップもあり、特に高校ラグビーの時は実に賑やかだ。
それに比べると、秩父宮ラグビー場は実に貧相である。
日本ラグビーのメッカの割りには、お粗末と言わざるを得ない。
ラグビー人気の低下を嘆くなら、まず設備面の充実を図るべきだろう。
スタンドは、さすがにラグビー専用だけあって陸上用トラックもなく、実に見易い。
芝生はかつて、冬になると枯れて茶色くなっていたが、現在では日本の他の競技場と同じく、冬芝は枯れずに常緑だ。
しかし、シーズン終盤になると過密使用のため、芝生が回復せず荒れ放題になってところどころ剥げるので、見た目も美しくなく、何よりも選手が怪我をしやすくなる。
芝生のメンテナンスも今後の課題であろう。
2019年、ラグビーワールドカップが日本で開催される。
今のところ、秩父宮ラグビー場はラグビー専用場として唯一、開催会場となっている。
だが、開催会場の予定となっている他の競技場(サッカーとの兼用球技場や陸上競技場)と比べると、設備やキャパシティ(収容人員25,194人)で著しく劣っている。
日本ラグビーのメッカとして、ワールドカップ会場にふさわしいラグビー場に改修することが、秩父宮ラグビー場に科せられた最大の命題だ。
秩父宮ラグビー場は、数々の名勝負を生み出してきた。
前述のイングランド戦や、1990年度の全国社会人ラグビー決勝、神戸製鋼×三洋電機でのイアン・ウィリアムスによる奇跡の同点トライなど。
そして秩父宮ラグビー場における最大の名勝負は、1989年の日本×スコットランドのテストマッチだろう。
日本代表が旧IRB(インターナショナル・ラグビー・ボード)加盟8ヵ国のメンバーを初めて打ち破った、記念すべき日となった(28−24で日本代表が勝利)。
1989年5月28日、秩父宮ラグビー場で行われた日本×スコットランドの伝説の一戦