11月7日に閉幕した平城遷都1300年祭に行ってきた。
近鉄線の大和西大寺駅近くに平城宮跡があり、そこがメイン会場となっている。
大和西大寺駅というのは近鉄奈良線と同・京都線(および橿原線)がクロスしており、奈良県でもキーステーションと言うべき重要な駅だ。
この駅から奈良市街、大阪(難波)、京都、橿原神宮へ行くことができる、近鉄線の要所である。
しかし不思議なことに、駅名の由来となっている西大寺はあまり知られていない。
大仏がある東大寺は超有名なのだが、西大寺という寺があることすら知らない人も多いだろう。
おそらく遷都祭に訪れた人も、ほとんどの人が西大寺は素通りしていたのではないか。
かくいう僕も、西大寺には行かなかったのだが。
大和西大寺駅から歩いて15分ぐらいのところに平城宮跡があり、入場料は無料だ。
会場内には奈良時代の衣装を貸し出している場所があり、この衣装を身に纏っている人が多くいたが、もちろん僕は着なかった。
会場内でいきなり目に飛び込んでくるのが、存在感いっぱいの大極殿である。
逆に言うと、大極殿以外に目立った建物はなく、だだっ広い広場が拡がっているだけだ。
それだけに大極殿には大勢の人が集まり、ここも入場無料だが中に入るのに15分ぐらい並んだ。
大極殿から外に出ると、特に整備されていない広場をひたすらテクテクと歩く。
ようやく東の端に辿り着き、そこにあったのは東院庭園だ。
東院庭園を離れると、また駅の方向へ戻るためにテクテクと歩きだす。
とにかく広い。
広すぎる。
なにしろ、平城宮跡の南部を近鉄電車が突っ切っているぐらいだ。
これだけ広いのにも関わらず、残念ながらせんとくんには出会えなかった。
途中でフードコート(というより出店)があったが、何も食う気にはなれなかった。
これから駅に戻るのも億劫だったが、偶然にもバスターミナルを発見し、無料シャトルバスが出ていたので、それに乗って大和西大寺駅に戻った。
これは駅近くにあった近鉄百貨店の屋上から撮った大極殿。
明治維新まで1000年以上も日本の都であり続けた京都と違い、僅か70年間しか首都機能を果たせなかった奈良は、平安時代以降は一つの地方都市でしかなかった。
平城京も平安京も唐の長安を手本にした、碁盤の目のような道が東西南北を走っている都市だが、京都は現在もその姿を残しているのに対し、奈良にはもうその面影はない。
京都では東西に走る道を北から順番に一条通、二条通と南に下って行き、十条通まであって現在でもその呼び名は残っている。
一条とは京都御所がある場所、要するに天皇が住んでいる場所だ。
奈良でも平城宮跡の辺りに一条町、二条町という地名は残っているが、京都ほど明確ではない。
そこから南下して三条大路、四条大路という地名があり、九条町まで続いているが、ここは既に奈良市ではなく大和郡山市だ。
そして京都の四条通、五条通というような太い幹線道路があるわけでもない。
奈良県民はあっさりしている県民性と言われ、大阪府に通勤する人が多いために大阪のベッドタウン化され「奈良府民」などと呼ばれているが、やはり京都のような歴史的なしつこさは感じられない。
歴史的にいえば京都の方が後発都市であり、奈良の方が深い歴史があるというのに。
とにもかくにも、平城遷都1300年祭は大勢の人を集め、成功だったと言える。
誕生した時には物議を醸したせんとくんも、それがかえって知名度を上げることになり、一躍人気キャラとなった。
問題はこの成功を今後、どう繋げるかである。
奈良には京都にも勝るとも劣らぬ史跡が目白押しなのだから。
ちなみに、2045年に東京―大阪間が開通するリニア新幹線は、京都ではなく奈良を通る予定になっている。