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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

最強の称号・チャンピオンベルト物語〜その5

UNヘビー級選手権(United National)


日本プロレス時代、アントニオ猪木ジャイアント馬場に次ぐナンバー2的存在だった。
その猪木が1971年、米ロサンゼルスでジョン・トロスに勝ってNWAが管理・認定するUNヘビー級チャンピオンになった。
「UN」という団体があったわけではないが、日本ではなく本場のアメリカで奪い取ったチャンピオンベルトだったことに大きな価値がある。
しかし、冠に「世界」の二文字は付かず、また馬場が保持していたインターナショナル選手権に比べて歴代王者がマイナーだったため、UN王座は一段下と見られていた。
その扱いの低さが馬場の保持するインターナショナル選手権挑戦表明となり、猪木が日本プロレスを永久追放される引き金にもなった。
もっとも、永久追放の原因となったのは「猪木・日本プロレス乗っ取り未遂事件」であり、馬場への挑戦が直接の要因ではなかったのだが、当時のプロレスの常識では日本人同士が戦うこと自体ありえなかったのだ。
特に当時はNTVが馬場、NET(現在のテレビ朝日)が猪木をそれぞれエースとして売り出しており、どちらが負けてもイメージダウンになったのである。


猪木追放後は坂口征二がUNベルトを巻いたが、やはり馬場が保持するインターナショナルより格下扱いだった。
しかし、その坂口も猪木が興した新日本プロレスに参加、UNチャンピオンは高千穂明久(後のザ・グレート・カブキ)がなった。
その頃は馬場も全日本プロレスを興しており、インターナショナル・チャンピオンの座は大木金太郎に移っていたが、やはりここでも高千穂は大木に次ぐナンバー2という扱いだった。


間もなく日本プロレスは崩壊、UNチャンピオンも空位のままになっていた。
しかし、その後全日本プロレスで復活、ジャンボ鶴田がUNチャンピオンになった。
このとき、インターナショナル王座は全日本プロレスにはなかったが(後に復活)、エースの馬場はPWFヘビー級チャンピオンになっており、やはりUN王座はナンバー2的存在という感は拭えなかった。


その後、UNベルトは鶴田の代名詞的タイトルになるが、全日本プロレスで復活したインターナショナル・チャンピオンになるべく鶴田はUNタイトルを返上し、見事にブルーザー・ブロディを破ってインターナショナル・ベルトを腰に巻いた。
この頃、「第三の男」と言われていた天龍源一郎に「そろそろタイトルを」という機運が高まっており、天龍がリッキー・スティムボートとの王者決定戦に勝ち、UN王座に輝いた。
しかし鶴田より一歳年上の天龍はこのとき「なんでジャンボのお古のベルトを巻かなくちゃいけないんだよ」と自虐気味だったという。


御大の馬場がベルト争奪戦から撤退し、インター王者が鶴田、UN王者が天龍、PWF王者がスタン・ハンセンという図式が全日本プロレスで出来上がり、相変わらずUN王座はインターナショナルやPWFより格下の存在に変わりはなかった。
しかしその後、天龍革命が起きて、常に好勝負を繰り広げる鶴田×天龍の「鶴龍対決」が全日本プロレスにおける最大の売り物となり、鶴田と天龍は同格の扱いを受けるようになった。
やがてインターナショナル、PWF、UNの三冠を統一するという機運が高まり、1989年にインター王者の鶴田が、PWF・UN二冠王者だったハンセンを破り、三冠統一ヘビー級王座が生まれ、UNの単独王座というのはなくなった。


「ユナイテッド・ナショナル」という、いかにもアメリカ的な名称を持ちながら、日本に定着したUN王座。
さらに「チャンピオン」と銘打ちながら、常にナンバー2的存在だったUNヘビー級選手権はある意味奇妙な王座だったが、それ故に長期間にわたって歴史的価値を保持し続けていたタイトルだったとも言える。