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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

カミカゼ・ミサワ〜その2〜

1984年8月26日、田園コロシアムで二代目タイガーマスクが登場した。
田園コロシアムと言えば、空中殺法を日本に"輸入"したメキシカンレスラー、ミル・マスカラスが活躍し、夏の風物詩と言われた屋外会場である。
デビュー戦の相手は、やはりメキシカンのラ・フィエラ。
二代目タイガーマスク初代タイガーマスクのように空中殺法を駆使し、空手技も披露して、最後はタイガースープレックス'84でピンフォール勝ちした。


この頃、新日本プロレスから独立した長州力率いるジャパンプロレスが、全日本プロレスに乗り込んできて全面戦争が行われるようになった。
ジャパンプロレスの登場により全日本プロレス中継はゴールデンタイムに復帰、一気に注目を集めるようになった。
ヘビー級では全日本のジャンボ鶴田天龍源一郎と、ジャパンの長州力谷津嘉章、アニマル浜口の対決が注目されていた。
そしてジュニアヘビー級タイガーマスクのライバルとなったのが、「虎ハンター」の異名をとる小林邦昭である。
小林は新日本プロレス時代、初代タイガーマスクと死闘を繰り広げたライバル同士だった。
初代と互角に戦った小林が、二代目と戦うとどんな勝負になるのか?
ファンの興味はその一点に尽きた。


二代目タイガーマスクは小林とNWAインターナショナルジュニアヘビー級選手権を賭けて激突、予想を超える好試合になったが、小林の必殺技、フィッシャーマンズ・スープレックスピンフォール負けを許してしまう。
二代目タイガーマスクにとって、初めてのピンフォール負けだった。
初代タイガーマスクは一度もピンフォールを許しておらず、それだけに「やっぱり二代目は初代より弱いのか」というイメージをファンに植え付けた。
しかも、この試合でタイガーマスクは膝を負傷し、欠場を余儀なくされる。
だが、ケガから復帰した再戦で、小林から新技のタイガースープレックス'85でピンフォールを奪い、インタージュニアのチャンピオンになった。


しかし、身長185cmのタイガーマスクは、ジュニアヘビー級としては大き過ぎた。
やがてタイガーマスクはヘビー級に転向する。
この頃になると、最大のライバルだった小林も、長州力らと共にほとんどのジャパンプロレスの選手たちが新日本プロレスにUターンした。


タイガーマスクにとって、ヘビー級は過酷な世界だった。
小林に敗れたとはいえ、それ以外のジュニアヘビー級相手では連戦連勝だったのが、ヘビー級ではそうはいかない。
なにしろ相手になるのはスーパーヘビー級のスタン・ハンセンやテリー・ゴディ、日本人の超一流であるジャンボ鶴田天龍源一郎谷津嘉章らである。
「漫画から生まれたスーパーヒーロー」タイガーマスクがマットに沈むことも珍しくはなくなった。


長州力らジャパン勢の離脱は、三沢の後輩である川田利明に思わぬチャンスをもたらした。
ぬるま湯体質と言われた全日本プロレスに、ライバル団体の新日本プロレスからの派生団体・ジャパンプロレスが乗り込んで来たときには、さすがに緊張感が走った。
日本プロレスからはぬるま湯体質が一掃され、ジャパン勢と意地を張った熱い戦いを繰り広げた。
しかし、そのジャパンプロレスが去ってしまうと、元のぬるま湯体質に戻ってしまう。
そのことに危機感を持った男がいた。
天龍源一郎である。


天龍は、それまでタッグを組んでいたジャンボ鶴田にケンカを仕掛け、阿修羅原と共に天龍同盟を結成した。
「眠れる天才・鶴田を本気で怒らせること」を目標に掲げた天龍は、顔面にキックを容赦なく蹴り込むなどの妥協なきファイトを繰り広げ、「過激なプロレス」を標榜していた新日本プロレスのレスラーをも驚かせた。
特に驚いたのが「格闘プロレス」をモットーにしていた前田日明で、「天龍さんがこんな凄いプロレスをしているのならば、新日本も負けられない」とばかりに長州力の顔面に蹴り込み、眼底骨折という重傷を負わせてしまった。
この一件で前田は新日本プロレスを追放され、第二次UWFを設立した。


この頃、新日本プロレスでは三沢の先輩、越中詩郎がスターダムにのし上がりつつあった。
失意のメキシコ、後輩の三沢に出し抜かれた格好になった越中は、新日本プロレスに転身。
だが、新日マットは厳しいものだった。
「過激なプロレス」を標榜するだけに、その激しい動きにはなかなか付いて行けない越中の姿があった。
しかしそこは努力家の越中、たちまち新日マットに同化した。
その越中のライバルとなったのが高田伸彦(延彦)だった。
当時の高田は「なんで全日出身者とやらなくちゃならないんだ」と不満だったが、越中は全日本プロレス伝統の「受けの美学」を体現できるレスラーだった。
高田が越中の胸板に容赦なく蹴り込み、それを耐え抜く越中のファイトは「蹴る高田、耐える越中」でファンの共感を呼び「名勝負数え唄・ジュニア版」と呼ばれるようになった。
そんな高田も、兄貴分の前田と共に第二次UWFに参加することになる。


一方、天龍革命が起こった全日本プロレスでは、川田利明が天龍に押しかけ弟子になるように天龍同盟の一員になった。
天龍同盟に加わることは、川田にとって千載一遇のチャンスであった。
三沢と同じように高校時代はレスリングで国体優勝の経験を持つ川田も、プロレスラーになってからは器用な三沢と比較され「不器用」のレッテルが貼られた。
なにしろデビュー以来、シングル戦205連敗である。
しかし、層が薄くなった全日本プロレスではチャンスが巡ってくるかも知れない。
特に、反体制側の天龍同盟なら目立つこともできる。
このとき役に立ったのが、三沢が二代目タイガーマスクになるための空手特訓をした時に、練習パートナーとなった経験である。
川田の蹴りを主体にしたファイトが、天龍同盟の妥協なきファイトにマッチした。
川田は後に、UWF戦士のようにレガースを付けるようになる。


この後、全日マットは、ジャンボ鶴田谷津嘉章タイガーマスクザ・グレート・カブキを中心とする正規軍と、天龍源一郎、阿修羅原、サムソン冬木冬木弘道)、川田利明天龍同盟、そして外人の三軍に分かれてファイトすることになる。
つまり、川田は高校時代の先輩である三沢と常に戦う立場にあったが、不思議なことに川田は三沢と戦っているという気持ちはなかったという。
あくまで仮の姿、タイガーマスクと戦っているという認識しかなかった。
ちなみに、タイガーマスク時代は川田とタッグで連日のように戦っていたが、シングル戦は一度もない。


天龍革命後、最も注目されたカードはジャンボ鶴田×天龍源一郎の頂上対決だった。
ジャイアント馬場がメインから退いた後、全日本プロレスのエースとして君臨していた鶴田が「第三の男」にすぎなかった天龍にケンカを売られた。
そんな天龍にシングル戦で喉元にチョップを見舞われ、頭にきた鶴田は天龍の必殺技、パワー・ボムで高々と天龍を持ち上げ、天龍の後頭部をマットにめり込ませた。
泡を吹いて失神する天龍。
さらに攻撃しようとした鶴田だったが、天龍が起き上がらないのでそれもできない。
仕方がなくそのまま天龍に覆いかぶさり、鶴田がピンフォール勝ちした。
今回、三沢が不幸にもリング上で命を落としたが、このときの天龍も同じ目に遭っていたかも知れない、それほどの技だった。


負傷により天龍は欠場を余儀なくされたが、復帰して鶴田とのリターンマッチを迎えた。
この再戦で天龍は、自分が失神させられたパワー・ボム二連発をお見舞いし、鶴田に見事ピンフォール勝ちを収めた。
全てのファンがこの一戦に酔いしれ、両者と敵対していたスタン・ハンセンまでがリングに登場し、天龍の勝利を称えた。
新日本プロレスでは藤波辰巳(辰爾)×長州力が「名勝負数え唄」と呼ばれていたが、スケールでそれを遥かに上回る試合内容だった。


「鶴龍対決」と謳われたこの対決が全日本プロレスの黄金カードとなったが、このカードが突如、永遠に観られなくなった。
1990年、天龍源一郎は全日本プロレスを退社、新団体SWS(メガネスーパー・ワールド・スポーツ)にエースとして参加を表明。
バブル景気に沸いた時代、大手企業であるメガネスーパーがプロレス界に進出してきたことは、既存団体である全日本プロレス新日本プロレスにとって大激震だった。
メガネスーパーは選手のギャラはもちろん、引退後の保障や合宿所及び道場の充実を約束し、レスラーをかき集めた。
特に被害を被ったのが全日本プロレス
SWSに既に参加表明している天龍がいたため、天龍を慕うレスラーや、高待遇に魅力を感じた選手たちが続々とSWS参加を表明した。


団体設立以来、未曾有の危機にさらされる全日本プロレス
天龍が抜けるというだけで、全日本プロレスは大ピンチに陥るのだ。
天龍がいなくなると、ドル箱カードである鶴龍対決が組めなくなる。
それだけで集客減は計り知れない。
しかもそれだけではなく、主力、中堅、若手がみんな抜けていくのだ。
そして、川田は間違いなくSWSに参加するだろう、と言われた。
なにしろ、天龍同盟結成の時には押しかけ弟子になったくらいである。
川田が天龍の後を追うことは想像に難くない。
さらに、タイガーマスクもSWSに参加するだろうと思われていた。
リング上では敵対する天龍とタイガーマスクだが、私生活では天龍は三沢を可愛がり、よく呑みに連れて行っていた。
SWS事件が起こる数ヶ月前、新日本プロレスの東京ドーム大会で天龍とタイガーマスクがタッグを組み、長州力ジョージ高野と対戦していたくらいだ。
もしタイガーマスク三沢光晴がSWSに参加していたら、全日本プロレスは潰れていただろうと言われている。


1990年5月14日、東京体育館
このときは既に天龍同盟が解体され、タイガーマスクはそれまで敵対していた川田利明とタッグを組んだ。
相手は谷津嘉章サムソン冬木のコンビ。
この日の全日本プロレス中継は、実況が若林健司アナに解説がザ・グレート・カブキ
ちなみに、谷津、冬木、カブキの三選手はこの後間もなくSWSに移籍している。
このときの実況を再現すると、こうなる。


若林「(タイガーと川田が二人がかりで谷津に対し)お神輿バックドロップ!これはフットルースの連携ですよフットルース=川田&冬木のコンビ名)
タイガーマスクがしきりに自らの後頭部を叩き、川田に指示を送っている。ためらっていた川田がやがてタイガーマスクの紐に手をかける)
カブキ「おい、なにしてんだ」
若林「おっと?」

(川田、タイガーマスクの紐をほどく)
カブキ「なにしてんだ、なにしてんだ!」
若林「お、おああああー!」

タイガーマスク、自らの手でマスクを放り投げる)
若林「マスクを脱いだー!タイガーマスク、マスクを脱いだー!!三沢となって今、猛然と打って行ったー!!」


―つづく―

(文中敬称略)