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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

国王in宮崎・11月18日―その3

古葉さんが帰られた後も本村さんは店に残り、我々も本村さんのテーブルでお話をさせていただき、片岡さんも引き続き仕事をおっぽり出して我々と一緒に酒を呑んだ。
本村さんのことは存じ上げていなかったが、帰阪してから調べてみると1986年に熊本鉄道管理局から外野手としてドラフト6位で中日に入団している。
国鉄がJRになる前年の話である。
その後は片岡さんとのトレードで広島、さらに福岡ダイエー(現・福岡ソフトバンク)と渡り歩き、実働5年、試合数53試合、安打数5本、本塁打数0本、打点0点、通算打率.179という成績を残してプロ野球界から去った。
残念ながら、プロ野球選手としては成功したとは言い難い。
でも、そんな本村さんだからこそ、野球を捨てきれない選手の気持ちがよくわかるのだろう。
いかにも豪快な片岡さんに比べ、本村さんは野球選手らしからぬ、非常におとなしい印象を受けた。
ちなみに、上の写真では中央が片岡さん、右端が本村さんである。
片岡さんは宮崎ゴールデンゴールズを立ち上げるとき、トレードの奇妙な縁で本村さんにコーチ就任を要請した。


ところで、広島出身で広島育ちの片岡さんがなぜ宮崎でお好み焼き店を経営し、宮崎ゴールデンゴールズの監督をしているのか?
答えは簡単、奥さんの実家が宮崎県にあるからである。
なぜ片岡さんは宮崎県人の現夫人と結婚したのか?
答えは簡単、カープが日南でキャンプを張っていたからである。


欽ちゃん球団茨城ゴールデンゴールズ」発足後、欽ちゃん球団が宮崎遠征し、宮崎県選抜チームと対戦した。
そのときの宮崎県選抜の監督だったのが片岡さんである。
試合後、片岡さんは萩本欽一さんから「宮崎でもゴールデンゴールズの姉妹球団を作ってくれないか」と相談を受け、宮崎ゴールデンゴールズを結成した。
宮崎県には社会人の硬式野球チームが無かったため、片岡さんも快く引き受けた。
宮崎県初の社会人硬式野球・宮崎ゴールデンゴールズの誕生である。
プロ野球ではキャンプ銀座と言われる宮崎県には、驚くべきことに社会人硬式野球チームが無かったのだ。


しかし、その後の道程は平坦なものではなかった。
欽ちゃんから頼まれて誕生した球団だから、欽ちゃんからの資金援助があると思うのが当然だろう。
だが、欽ちゃんからはなんの資金援助も無かった。
働きながらでも野球をやりたいと思っている選手を集め、そんな選手から会費を徴収し、お好み焼き屋で儲けた私財を投じてなんとか宮崎ゴールデンゴールズの運営を続けた。
欽ちゃん球団茨城ゴールデンゴールズには全日空という巨大なスポンサーが付き、また監督である欽ちゃんのネームバリューが大きいので、経営が成り立つ。
でも、宮崎ゴールデンゴールズはそうはいかない。
茨城ゴールデンゴールズは今年の社会人野球日本選手権に出場したが、宮崎ゴールデンゴールズは選手集めすらままならない。
クラブチーム選手権の日程が押してくると、平日の昼間に試合が組まれたりして、会社勤めの選手が試合に出場できないのだ。
これは全国の社会人野球クラブチームが抱える、共通の問題だろう。


それでもやはり、宮崎ゴールデンゴールズは他のクラブチームに比べて恵まれているとも思える。
欽ちゃん球団の姉妹球団として知名度はあるし、片岡さんや本村さんなど元プロ野球選手の指導者がいるので、選手は集まりやすい。
さらに、大手企業から資金援助を得ることができるそうだ。
その大手企業とは、なんと日本航空である。
欽ちゃん球団に援助を行っている全日空のライバル会社だ。
片岡さんは日本航空に「本当にいいんですか!?」と確かめたところ「いいですよ」と快諾をもらったそうである。
これからは茨城と宮崎における、ANA×JALのマイル争奪戦争が勃発するかも知れない。


日航から資金援助を受けることができたとはいえ、宮崎ゴールデンゴールズの運営は厳しそうだ。
球団を運営するにはまだまだ黒字には至らず、手弁当主義を続けていく以外に方法は無いようである。
でも、日航からの援助は片岡さんにとってありがたいものだっただろう。
日本の企業も、これまでの宣伝を目的とした企業スポーツから脱却して、地域クラブチームを発展させるという方向に向かっていって欲しいものだ。


そんな宮崎ゴールデンゴールズに対する熱い思いを聞かされたが、実はここではとても書けないプロ野球の裏話も聞くことができた。
まあハッキリ言って、ムチャクチャである。
書ける範囲のことを書くと、神宮でのヤクルト戦では、ヤクルト製品は飲み放題だったという。
片岡さんは試合前、冷蔵庫にあるヤクルト、ジョア、タフマン、ミルミル、ビフィールなど、タダで飲めるものはなんでも飲みまくり、試合開始時には腹を壊して試合には出られる状態ではなかったのだそうだ。


また、片岡さんは広島県立府中東高校の出身だが、野球では無名高校だった。
かつては北川工業という名前で高校野球界に君臨していた、巨人V9の左腕エースだった高橋一三や、日本最高の三塁コーチャーと言われた伊原春樹の出身校だが、片岡さんが在籍していた頃は野球設備も整っていなかった。
そこで東京にある創価高校に練習しに行っていたそうである。
この頃の創価高校は、広島出身の稲垣監督が指揮を執っていた関係で、片岡さんが練習することを許されていたようだ。
片岡さんの同期である、後にヤクルトで活躍する栗山英樹さんが、当時の創価高校に在籍していた。
ちなみに、片岡さん自身は、創価学会とはなんの関係も無いと力説していた。
さらに、栗山さんも学校が近かったから創価高校に入学しただけであって、創価学会の信者ではないそうである。


「今日、ここで聞いたことを週刊ベースボールに書いてもいいですか?」と片岡さんに訊いた。
「書いてもいいけど、宮崎ゴールデンゴールズのことだけ書いてくれ。××のことは絶対に書くなよ」と念を押された。
「当たり前です。そんな原稿を書いても、週刊ベースボールには絶対に採用されません」僕はそう答えた。


まあしかし、片岡さんは試合前に相当ムチャクチャしていたようである。
こんなこと、絶対に週刊ベースボールで書けるわけがない。
でも、大阪スポーツなら採用してくれるかな。


実に濃い野球界の裏話を聞かされ、片岡さんの店を後にした。
ちなみに、宮崎ゴールデンゴールズのHPはこちらである↓

http://miyazakigg.com/


(つづく)