7月2日の日記で、清原の同期であるスラッガー、此花学院の田原や北陽の山本のことを書いた(「清原以上だった男たち」参照)。
すると偶然にも、ベースボールマガジン社が最近出版したムック「にっぽんの高校野球・大阪編」で田原伸吾の単独インタビュー記事が載っていた。
記事から抜粋すると、田原は清原をライバル視したことはなかったという。
無名の此花学院の選手にとっては、甲子園で活躍するPL学園の選手など、雲の上の存在だったのだ。
通算ホームラン数で清原を上回っていたことについても、田原は「PLは練習試合数が少ないし、相手も強いから、単純に比較はできない」と語っている。
此花学院は大阪市にあるが(此花区ではなく、生野区)、野球部のグラウンドは富田林市にある。
富田林といえば、PL学園がある。
僕は富田林の近くに住んでいるので知っているが、此花学院野球部のグラウンドは、PL学園野球部のグラウンドよりもPL学園高校に近いという、ややこしい地理にある。
此花学院グラウンドからPL学園グラウンドのナイター照明が見えていて、当時はPLの照明が消えてから30分後、此花学院も練習を終えたという。
PLと同じ練習をしていたのでは、いつまでたってもPLには追いつけない、と。
このエピソードは当時、此花学院の田原のインタビュー記事で憶えているが、このムックにはそのことは載っていない。
田原は高校卒業後、明治大学に入り、1,2年は鳴かず飛ばずだったが、3年で初めて公式戦に出場してホームランも打ったという。
明大卒業後は熊谷組に入り、その後TDKに移ったのはこのブログのコメントでも我が国民が書かれていたとおり。
現在はシンガポール勤務ながら、日本に帰ってくると野球をするらしく、おそらく熊谷組がルーツであろう「熊球クラブ」でプレー中だという。