夏の高校野球地方大会もいよいよ大詰め、ほとんどの都道府県で甲子園出場が決まった。
そんな中、大阪では昨夏全国制覇の大阪桐蔭高校が準々決勝で大阪偕星学園高校に敗れ、甲子園出場はならなかった。
大阪偕星学園なんてかなりの高校野球通でも聞いたことがないかも知れないが、それもそのはず僅か2年前の2013年に此花学院高校から改称したばかりだ。
この高校、甲子園出場が未だにないので全国的には無名だが、野球には力を入れており、大阪では強豪校として知られている。
かつて、PL学園高校の清原和博と同学年に、田原伸吾という選手が此花学院にいて、この選手はなんと高校通算78ホーマーという、清原を上回る当時の新記録を打ち立てていた(清原は64ホーマー)。
此花学院は大阪市内にあるが、野球部のグラウンドはPL学園と同じ富田林市にあり、夜はPL学園グラウンドの照明が見えるので、その灯りが消えてから30分後に練習を終えていたという。
つまり、PL学園よりも30分間長く練習することによって、当時最強と言われたPL学園に勝とうとしていたのだ。
しかし、田原や清原が三年時の夏の大阪大会準々決勝で此花学院はPL学園と対戦し、1-5で敗れている。
だが、田原はPL学園のエース・桑田真澄から意地の二塁打を放った。
ところで、此花学院は大阪市内にある、と書いたが、実は此花学院があるのは此花区ではない。
創立は戦前の1929年で、開校当時の校名は此花商業だが、学校があったのは当時の東淀川区(現在、その場所は北区になっている)。
その後、西区へ仮移転したりもしたが、一度たりとも此花区に足を踏み入れたことがないのだ。
なのになぜ「此花」という校名が使われたのかは不明である。
つまり、現校名になるまではずっと看板に偽りあり、だったのだ。
蛇足ながら、この高校は坂田利夫師匠の母校である。
もし大阪偕星学園が甲子園に出場したら、応援曲は是非とも「アホの坂田」か、その原曲である「メキシカン・ハット・ダンス」を使用してもらいたい。
「アホの坂田のテーマ」と「メキシカン・ハット・ダンス」との関係
さて、前述したPL学園は地名とは関係ない校名だが、校歌に問題がある。
「(前略)若人の夢 羽曳野の~♪(後略)」
という歌詞があるが、この部分を聞いてPL学園は富田林市ではなく羽曳野市にあると思い込んでいる人もいる。
実は桑田の母親も、PL学園は羽曳野市にあると思っていたようだ。
ちなみに、歌詞の中の「羽曳野」とは羽曳野市という意味ではなく、羽曳野丘陵のことである。
所沢市に狭山丘陵があるようなものだ。
残念ながら、かつては名門の名を欲しいままにしていたPL学園も、現在は野球部廃部はおろか、学校の存続そのものの危機となっている。
その富田林市には大阪府立河南高校がある。
富田林市の隣りには河南町があるのだが、河南高校はそこにはない。
ただ、河南高校という校名になったとき、河南町はまだ町制施行をしていなかった。
そもそも「河南」とは「河内の南」という意味なので、看板に偽りあり、とまでは言えず、しかも河南町なんて存在していなかったので河南高校という校名でもなんの問題もない。
同じことが大阪府立阪南高校にも言える。
阪南高校は阪南市ではなく大阪市住吉区にあるが、この高校が創立された時にはまだ阪南市の前身である阪南町は誕生していなかった。
「阪南」とは言うまでもなく「大阪の南」という意味なので、こちらも看板に偽りなし、と言えるだろう。
ただし、隣同士にある富田林市と河南町とは違い、大阪市と阪南市は遠く離れているので、阪南高校へ行く際には気を付けなければならない。
こちらはその名のとおり阪南大学の付属高校で、同大学が開校した時にはまだ阪南町(現:阪南市)はなかった。
そもそも、阪南町などという無個性な町名を付ける方が間違いだ。
ついでに言えば、河南町内にも阪南ネオポリスという住宅街があり、もちろん阪南市からはかなり離れている。
ちなみに、阪南大高校の前校名は大鉄高校で、「世界の盗塁王」福本豊の出身校だ。
しかし、同じ松原市内にある大阪府立生野高校はいささか問題がある。
こちらは生野区という立派な区名があるのに、いけしゃあしゃあと生野高校と名乗り続けているのだ。
此花学院が此花区ではなく生野区にあり、生野区にあるべき生野高校が松原市にあるという、腸捻転現象がずっと続いていたのである。
東京で言えば、JR山手線の目黒駅が目黒区ではなく品川区にあり、品川駅は品川区ではなく港区にあるようなものだ。
だが、生野高校にも事情があったようで、元々は生野村(現在の大阪市生野区)に開校したのだが、大阪市に編入されると工場が増えたため騒音が酷くなり、郊外に土地を求めて松原市に移転したのである。
その際「生野」の名前は残して欲しい、という要望により、生野高校という校名のままになったようだ。
看板に偽りありだが、その気持ちはわからなくもない。
極めつけは、なんといっても大阪市立高校だ。
私立校や府立校の場合は、他の区市町村にあっても仕方がない場合があるが、市立校ではそうはいかない。
大阪市立高校というからには当然、大阪市内にあるのが筋だろう。
ところが、大阪市立高校はなんと、大阪市からは遠く離れた枚方市にあるのだ。
大阪市内のド真中、淀屋橋駅から京阪電車に乗って約20分、田園風景の中に突然「大阪市立高校」の看板が見えたら、誰でも驚く。
ひらかたパークの近くなのに、こんな所まで大阪市内なのか、と。
あ、大阪以外の人に説明しておくと、「枚方」は「ひらかた」と読む。
大阪市立高校枚方校舎、などというのならまだわかるが、校名がそのまま「大阪市立」である。
それなのになぜ、枚方市に学校があるのか。
開校したのは1941年で、当時はまだ旧制中学だった。
最初は大阪市此花区(ここでもまた「此花」が出てくる)に仮校舎を設置したが、なにしろ戦時体制である。
大阪市内にこだわらず土地を探していたところ、京都府に程近い枚方町(現:枚方市)が誘致に名乗りを挙げた。
時は太平洋戦争が激化した1943年、爆撃の恐れがある大阪市内よりも、当時はまだまだ田舎だった枚方の方が都合が良かったのかも知れない。
その頃はまだ、大阪市立の中学校が他になかったので、特に名前が付かず大阪市立中学校となったのである。
戦後になっても枚方に留まり、学制改革により大阪市立高校となって現在に至っているわけだ。
なお、大阪市立高校は大阪市内のみならず、大阪市外(もちろん枚方市内からも)の生徒も受け入れている。
21世紀になり、大阪府議会は大阪維新の会が与党となって大阪都構想がブチ上げられ、2014年に党代表の橋下徹は大阪市立高校を大阪府立に移管すると発表した。
しかし「大阪市立」という校名に愛着があるOBはこの方針に反発。
そこで橋下は「だったら校名を大阪府立大阪市立高校にしよう」という案を出した。
こんな一貫性のない校名になったら、それこそ看板に偽りあり、である。
【追記】
7月31日、高校野球大阪大会決勝で大阪偕星学園が大体大浪商を4-3で破り、春夏通じて初の甲子園出場を決めた。
甲子園に「アホの坂田」が本当に流れるかも知れない!?