今年(2016年)の夏を最後に、名門の名を欲しいままにしてきたPL学園の硬式野球部が休部となる。
来年度以降の新入部員募集の予定はなく、復活するかどうかは全くわからない。
つまり、今年の夏で敗れた(あるいは甲子園で優勝した)時点で、無期限の休部となるのだ。
ということは、今年の夏がPL学園硬式野球部の見納めになるかも知れないということである。
7月15日、PL学園にとって第98回全国高校野球選手権大阪大会の初戦(二回戦)が、東大阪市の花園セントラル・スタジアムで行われた。
高校野球の聖地ならぬ、高校ラグビーの聖地である花園ラグビー場の隣りというのも、何かの因縁か。
相手は、2011年の夏に甲子園出場して、今春の大阪大会ではベスト8に進出した東大阪大柏原。
部員が三年生のみの12人、しかも怪我人などで実質は補欠なしの9人で戦うというPL学園にとっては、荷が重すぎる相手である。
ちなみにPL学園の春季大会は、初戦(二回戦)で太成学院大高に2-9で8回コールド負け(太成学院大高は四回戦で公立校に敗退)。
正直言うと、PL学園は東大阪大柏原にコールド負けするだろうと思っていたのである。
私事で恐縮だが、東大阪大柏原は4年前に死んだ親友の母校だ。
平日で、雨が降っているにもかかわらず、花園セントラル・スタジアムは、収容人員1,500人を遥かに超える2,800人が集まった。
近隣の駐車場は全て満車、座れない多くの観客は立ち見、さらに外野場外から無料で観ている客もいる。
誰もが、最後になるかも知れないPL学園の姿を観ようというのだろう。
ちなみに筆者は、近隣の駐車場が全て満車だったので諦めかけていたところ、少し離れた所に駐車場があったことを思い出して、そちらへ車を走らせたところ、1台分だけ空いていた。
しかし、そこは身体障害者用のスペースだったので、ガードマンに「ここに停めてもいいですか?」と確認したところ「そこに停めてください」という返事だったので、なんとか車を停めることができた。
試合が始まっているにもかかわらず、チケット売り場前は長蛇の列
球場の外では、無料で試合を見ている客も多数
内野席も、スタンドから溢れた立ち見客でいっぱい
しかも報道陣は、地方大会初戦では異例の220人を数える。
大阪のみならず、全国ネットでPL学園最後の試合を報道しようというのだろう。
もちろん、PL学園が勝てば最後の試合にはならないのだが、それでも勝ったら勝ったで、かなりのニュースバリューになる。
だが、その可能性は限りなく薄い。
ところが、PL学園が意外な抵抗を見せた。
先攻の初回に、先制パンチの2点を奪ったのである。
いきなりのイケイケムード。
しかし、東大阪大柏原もその裏に実力を発揮し、2点を奪って同点に追い付く。
さらに、2回裏には3点を奪い、5-2と完全に試合の主導権を握った。
このままいけば、東大阪大柏原のコールド勝ちの流れである。
ところが、その後は東大阪大柏原が再三のチャンスを迎えるも、PL学園がギリギリの場面で大ピンチをしのいだ。
PL学園のマウンドをマウンドを守るのは、背番号2の梅田投手。
ここでもPL学園の苦しいチーム事情が窺える。
PL学園のマウンドに立つ背番号2の梅田投手
連続するピンチをしのぐうち、PL学園にも反撃ムードが現れた。
そして6回表、一死一、二塁のチャンスを掴み、水上の2点タイムリー2ベースで1点差に追い上げたのである。
スタンドは「ひょっとすると……」と、一気呵成にPL応援一色に染まった。
そのスタンドの期待に応えて、7回表には藤村が逆転2ランを放ち、1点リードを奪ったのである。
この時、スタンドのファンは誰しもが「逆転のPL」の再来を予感したに違いない。
しかし、1点リードが却って重荷に感じたのか、あるいは疲労したのか、梅田はその裏に1点を失い同点、さらに8回裏には四球を連発してとうとう1点リードを許してしまった。
そして9回表、遂にその瞬間が訪れたのである。
PL学園の反撃ならず、6-7で涙を飲んだ。
しかしその時、スタンドから大きな拍手が巻き起こった。
東大阪大柏原も、PL学園に引導を渡す素晴らしい試合をしたと言える。
試合終了後、東大阪大柏原の校歌を涙しながら聴くPL学園の選手たち
地方大会初戦敗退のチームに、大勢の報道陣が群がる
ちなみに、勝った東大阪大柏原にインタビューしている報道陣は1人だけ
冷たい雨が降りしきる中、決して暑くない夏が終わった。
しかし、「奇跡のPL」と呼ばれたPL学園にとって、最期に相応しい試合だったと言えよう。
いつの日か、甲子園で「PL GAKUEN」のユニフォームが復活することを願いたい。
PL学園の最期を告げるスコアボード
PL学園・硬式野球部(1955年<昭和30年>創部)
甲子園・春夏通算7回(春3回、夏4回)優勝(史上2位)
甲子園・春夏通算勝利数96勝(史上3位)
甲子園・春2連覇1981~82年(史上2校)
甲子園・春夏連覇1987年(史上7校)
※この数字は、戦後に創部した高校としては驚異的