昨日、大阪桐蔭の中田翔がホームランを2本放ち、大島裕行(西武)が持つ高校通算本塁打記録の86本に並んだ。
昨秋、清原和博(オリックス)が持つ高校通算64本を破ったときには新記録は時間の問題と思われていたが、今夏の大阪大会で新記録達成は間違いないだろう。
その清原の記録・64本というのはいささか少ないような気がするが、これはPL学園の練習試合数が少なかったためと言われる。
そして清原と同学年で高校通算記録が清原を上回っていた男が同じ大阪にいた。
それが此花学院の田原という選手で、高校通算でなんと78本ものホームランを打っていた。当然、当時としては新記録である。
しかし、清原の影に隠れていたため、ほとんど騒がれなかった。
なぜ田原がこれだけのホームランを打てたのかというと、此花学院は練習試合が多かった上に、相手もあまり強くなかったからだと囁かれていた。
ただし、三年夏の大阪大会では準々決勝でPLと当たり、桑田からライトオーバーの2塁打を放っており、実力があったのは確かなようだ。
もっとも、この打席の時点ではPLの勝ちはほぼ決まっており、桑田は田原の好きなコースにこれでもかとストレートばかり投げた結果の2塁打だったようだ。
清原が一年のときから四番打者だったことはよく知られているが、実はこの年の大阪大会前、清原以上に騒がれていた一年生がいた。
それが「岡田二世」と言われた北陽の山本である。
この「岡田」というのはもちろん、現阪神監督の岡田彰布のことで、岡田自身も北陽で一年のときからレギュラーだった。
しかしこの年の北陽は大阪大会の8強にも入れず、ライバルの清原が甲子園で活躍したことにより、次第に忘れられた存在となった。
三年の時にはエースの渡辺(元・巨人)に四番の座を明け渡すようなこともあったが、清原出現の最大の犠牲者だったかも知れない。
だが、山本にしても田原にしても、長距離打者として一時的に清原以上だったことは厳然たる事実である。