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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

フレンチ・フレア

 

7月2日(土)、ラグビーテストマッチの日本×フランスを観に行ってきた。

愛知県の豊田スタジアムへ、大阪府南部から日帰りの強行軍である。

 

コロナ以来、取材以外のスポーツ生観戦は全くしてこなかった。

しかし、コロナも落ち着いてきたので、もう大丈夫だろうと思ったわけである。

だが、そう思った途端に日本代表の選手からコロナ陽性者が続出したのは皮肉だったが……。

 

今回、愛知県という遠い場所で久々のラグビー観戦に踏み切ったのは、フランス代表のラグビーを目の当たりにしたい、と思ったからだ。

フランスのラグビーと言えば「シャンパン・ラグビー」「フレンチ・フレア」とも言われる魅惑溢れるプレーが特徴である。

 

今でも憶えているのが1984年、フランス代表が来日した時だ。

第1戦が大阪・花園ラグビー場で行われ0-52と全く歯が立たなかった。

第2戦の東京・国立競技場(旧)でのテストマッチはいささかマシになったものの、それでも12-40の完敗。

さらに、テストマッチの前哨戦として、当時は日本選手権6連覇中(この年度も優勝して7連覇を達成)だった新日鉄釜石(現:釜石シーウェイブスRFC)がフランス代表と闘い、6-65と「日本最強チーム」の釜石がズタズタにされた。

たしか関西ではサンテレビで放送されたと記憶しているが、フランス代表は若手中心の二本目だったにもかかわらずこの惨劇に、「強い釜石」しか見たことがなかった筆者にとってはショックだったのである。

 

日本×フランスの、これまでのテストマッチでの戦績は、日本の0勝9敗1分とまだ勝ったことがない。

前回、2017年の敵地フランスで行われたテストマッチでは、あと一歩までフランスを追い詰めるも23-23と惜しくも引き分けた。

だが、1984年の惨状を見たことのある筆者にとっては、あのフランスと引き分けるなんて信じられないことだ。

 

ちなみにフランスのワールドカップでの戦績は、優勝こそないものの準優勝が3回という強豪国。

今年のヨーロッパ6ヵ国対抗(シックス・ネーションズ)ではグランドスラム(全勝優勝)を達成し、現在では世界ランキング2位という北半球最強国である。

ただし、今回のフランス代表は若手中心のメンバー。

来年(2023年)の自国開催となるワールドカップを見据えて、選手層を厚くする狙いだ。

 

当初、筆者は豊スタに行くかどうか迷っていた。

7月2日と言えば、梅雨の真っ只中だからだ。

しかし、長期予報だと、今年の梅雨は早く明けるらしい。

愛知県の週間予報を見ても、どうやら雨の心配はなさそうだと判断し、思い切ってチケットを購入した。

それでも雨に備えて、安いが(と言っても4千円もした)屋根のあるゴール裏の北スタンドを選んだのである。

これが、後に奏功することになった。

 

午前8時過ぎに家を出て、キャッシュレスの時代にもかかわらず未だにICカードを使えない金剛バスに乗り込む。

ここで、携帯電話(スマホの時代にもかかわらず未だにガラケー)を忘れていたことに気付いた。

これで連絡手段はタブレットのみとなったが、まあ大丈夫だろうとタカを括る。

しかし、普段は携帯電話を時計代わりに使っていたため、ちょっと時刻を確認したい時でもいちいちタブレットを取り出さなければならないので、この日は苦労することになった。

 

実は1本前のバスでも時間的には充分だったのだが、既に特急券は購入しているので、渋滞でバスが遅れて電車に間に合わないと、その特急に乗り遅れてしまう。

ただでさえ金剛バスは本数が少ないので、30分も早くバスに乗らなければならなくなった。

 

既に購入した特急券というのは、近鉄特急の「ひのとり」だ。

今回、豊田行きのもう一つの目的は「ひのとり」に乗ることだった。

大阪難波近鉄名古屋を結ぶ名阪特急は1時間に2本のダイヤとなっており、「ひのとり」と「アーバンライナー」が交互にやって来る。

つまり「ひのとり」は1時間に1本というわけだが、2020年にデビューしたばかりとあって、その人気は圧倒的。

筆者が乗る予定の1本前(つまり1時間前)の「ひのとり」は、1週間前で既に満席となっており、それで筆者も慌てて特急券を予約購入したのだ。

本来なら、時間を気にせず当日に特急券を買おうと思っていたのだが、筆者が買った時刻の「ひのとり」の特急券も窓際はほとんど売り切れに近いほどだった。

ちなみに、前後の「アーバンライナー」はガラガラ。

「ひのとり」の方が200円高いのに、乗り心地の良さもあって「ひのとり」人気が窺える。

 

筆者の家の最寄り駅は近鉄のため、乗車運賃は名古屋まで1本で行けるので、特急を利用しても新幹線利用より圧倒的に安い。

筆者が乗車した時間で言えば、新幹線利用だと1時間54分で名古屋に着くが、運賃は6.630円(内、特急料金は2,530円)もかかる。

一方の近鉄利用だと、時間は2時間47分もかかってしまうものの、運賃は4,250円(内、特急料金は1,840円)と新幹線利用より2,380円も安いのだ(「アーバンライナー」利用だと2、580円も安い)。

しかも、名古屋から乗り換え予定の名鉄名古屋駅近鉄名古屋駅のお隣り、連絡改札口まであるので移動は楽々である。

 

近鉄長野線近鉄南大阪線近鉄橿原線と乗り継いで、特急「ひのとり」に乗る予定の大和八木駅に到着。

しかし「ひのとり」発車まであと45分もある。

そこで駅構内にあるファミリーマートで、まずは缶ビールを買う。

大和八木駅橿原線ホームには「TORUFULL(トルフル)」という冷房の効いたスペースがあったので、そこでノンビリ座ってビールを嗜んだ。

 

大和八木駅橿原線ホームにある「TORUFULL(トルフル)」。ゲーム機もあった

 

「ひのとり」の発車時間が近付いたので、再びファミリーマートへ。

今度は車内で飲食するビールに缶酎ハイ、お茶に小さい弁当を購入し、大阪線ホームで「ひのとり」を待つ。

その間にも、さすがはJRを除く私鉄では日本一長い路線を持つ近鉄、まるでJR並みに様々な行先の特急が往来していた。

 

橿原線ホームの、京都行き特急

 

大阪線ホームに停車中、大阪難波行きの「アーバンライナー

 

大阪線ホームにやって来た、2階建て車両がある三重県の鳥羽行き「ビスタEX」

 

そして、いよいよやって来たのが真打ち「ひのとり」だ。

デザインが他の近鉄特急とは全く違うのが判るだろう。

 

近鉄名古屋行き「ひのとり」。スマホで写真を撮る人が多かった

 

▼「ひのとり」の車内

 

車内は予想通り、ほぼ満席。

筆者は窓際の席に座り、ビールを呑みながら滅多に見ることのできない近鉄大阪線名古屋線の車窓を満喫する。

コロナ以来できなかった久々の乗り鉄、鉄道旅だ。

もっとも、ほとんどが山間風景だったが、大阪線を過ぎて名古屋線に入り、次の停車駅である津あたりに来ると都会風景も垣間見える。

 

筆者の隣りに座っていたのは若い女性で、通路を挟んで他の2人の女友達と3人旅らしい。

3人は車中でずっと会話していたが、時々サッカーの話題が出てくる。

そうか、サッカーに興味があるのか。

筆者はラグビー日本代表のジャージを着ており、彼女らはそれに気付いただろうか。

いずれにしても、この「ひのとり」の乗客の中で、ラグビー目的なのは筆者ぐらいだろうな。

 

大和八木を出発してから1時間37分後、「ひのとり」はようやく近鉄名古屋に着いた。

乗客たちは席を立ち、ドアに向かう。

と、ここで遂に見付けた!

ラグビー日本代表のジャージを着た人が!!

この人も、関西からはるばる豊田へテストマッチを観に行くのか。

 

近鉄名古屋駅に停車中の2階建て特急「ビスタEX」

 

地下駅の近鉄名古屋駅から、同じ地下駅の名鉄名古屋駅へ向かう。

その前に、車内で呑んだビールが効いてきて、猛烈に小便がしたくなった。

慌ててトイレを探し、用を足す。

ビールのせいで長くなった小便をようやく終えて、近鉄名鉄の連絡改札口から名鉄名古屋駅に入った。

金剛バスでも使えないICOCAが、東海圏の名鉄で使えるのは便利である。

ところが、カオスと呼ばれる名鉄名古屋駅で迷ってしまう。

 

▼カオスと呼ばれる、地下駅の名鉄名古屋駅近鉄名古屋駅の隣りにある

 

当初の予定では、名鉄名古屋駅名古屋本線快速特急の特別車両券(ミューチケット)を買い、優雅に座って名鉄の特急を楽しむはずだった。

何しろ名鉄の特別車両券はたった360円なので、それで座って景色を楽しめるのなら、せっかく愛知県まで来たのだからそれぐらいの奮発は良かろう。

ところが、乗り換え時間は余裕があると思っていたものの、長過ぎる小便とカオスの名鉄名古屋駅に迷ったせいで、時間が無くなってしまう。

ようやくホームにある特別車両券の自動販売機を見付けたが、そこへ快速特急がやって来てしまった。

ここで、名鉄快速特急には自由席(普通の通勤電車と同じ)車両が付いていることを思い出し、特別車両券は諦めて自由席車両に乗り込む。

結局、満員だったため座ることはできなかったものの、ドアの近くだったので景色だけは堪能できた。

 

ところで、地元の人によると、名古屋駅から豊田市駅へ行くのに名鉄名古屋本線を使うのは、結構レアなルートだという。

普通は地下鉄を利用するのだそうだ。

そのせいか、日本代表のジャージを着た人は、快速特急の車内でも見られなかった。

まあ、これは時間が早過ぎたからかも知れないが。

 

そして、快速特急名鉄名古屋から20分かけて知立に到着。

ここから名鉄三河線の土橋および猿投方面に乗り換える。

 

知立駅に着いた名鉄快速特急

 

すると、快速特急の別の車両から、大勢の日本代表ジャージを着た人が降りてきた!

やはり、こんな早い時間でもラグビー・ファンが乗っていたのだ。

もちろん、彼らの行先は豊田スタジアムである。

 

三河線の電車は満員で、何とか座ることはできたものの人ばかりでとても景色など見られたものではない。

おそらく、普段は乗客など少ない路線なのだろう。

各駅停車しかないようで、ほとんどの区間が単線、無人駅も多いようだ。

 

知立を出て24分、ようやく豊田市駅に着いた。

名鉄名古屋駅からで言えば56分と、約1時間の旅だ。

豊田市駅には、他の路線からの乗客も多く、また愛知環状鉄道新豊田駅も隣接しており、まだ試合開始2時間前なのに日本代表ジャージを着た人が続々降りてくる。

筆者はまず、お土産を買うためT-FACE(旧:松坂屋豊田店)に寄った。

 

豊田市駅前は都会的な雰囲気

 

買い物を済ませ、いよいよ豊田スタジアムへ向かう。

シャトルバスも出ていたが、乗り場には長蛇の列ができていたので、歩いて行くことにした。

もちろん、歩いて行く人も日本代表のジャージだらけである。

ちなみに、筆者が来ていたのは二世代前、2011年のワールドカップの頃まで使用されていたオールド・タイプだ。

他の人はほとんど最新式のジャージばかりである。

実は、前売りではジャージ付きチケット(3千円プラス)も売られていたのだが、筆者が前売りを購入する頃には既に販売完了していた。

やむを得ず、筆者は恥ずかしいのを堪えてオールド・ジャージを着て行ったのである。

 

▼筆者が来ていたのは2011年W杯の頃の日本代表ジャージ(動画はフランス戦)


www.youtube.com

 

豊田スタジアムへ向かう人だかりは日本代表のジャージだらけ

 

それにしても、豊田スタジアムは駅から遠い。

大阪での、駅の近くにあるスタジアムに慣れている筆者からすると、かなりしんどい。

関西のプロ野球は鉄道会社が球団を持っていることがほとんどだったので、スタジアムは駅から近いのだ。

大阪でこれだけ駅から遠いスタジアムは、最近できたパナソニックスタジアム吹田ぐらいではないか。

しかも、豊田スタジアムへ行くには豊田大橋を渡らなければならないので、上り坂がある。

歩いて20分ぐらいかかっただろうか(何しろ携帯電話を忘れたので、正確な時間が判らない)、豊田大橋を渡る頃にようやく豊田スタジアムが見えてきた。

 

▼豊田大橋から見える豊田スタジアム

 

ようやく豊田スタジアムに到着。

2019年のワールドカップでは、日本がサモアを破った会場だ。

サッカーでは、Jリーグの名古屋グランパスの本拠地として知られる。

収容人員は44,380人を数える、国内有数の巨大スタジアムだ。

ここまで歩いてきて疲れたが、せっかくなので豊田スタジアムの外周をグルっと一周してみた。

 

豊田スタジアムのメイン・スタンド側

 

▼メイン・スタンド側の前には芝生広場があった

 

▼バック・スタンド側にも芝生広場が。キッチンカーによる飲食物販売も

 

▼北スタンドの可動式の屋根は故障中で、固定式に改修するらしい

 

スタジアムを一周し、いいかげん疲れたのでやっとスタジアム内に入る。

筆者が買ったチケットは北スタンドの2階席だ。

まるで大阪球場を思わせる急勾配のスタンドで、しかも2000年以降に完成したスタジアムの割りには前後の間隔が狭い。

客席の前に手すりが付いているのは危険防止だろうが、そのため左右への移動が困難だった。

普段なら前半と後半に1杯ずつビールを呑むのだが、何しろ筆者が座ったのは最悪のド真ん中の席。

売り子もおらず、横へ移動をするたびに隣りの人に迷惑がかかるし、席にはカップホルダーもないため、結局は試合前に1杯ビールを呑んだだけで、珍しく試合中は全く吞まなかった。

もっとも、前半が終了したときに隣りの人が席を立ったので今がチャンスとビールを買いに行ったものの、売店には長蛇の列ができていたため、後半開始には間に合わないと判断して諦めてしまう。

 

そもそも、売店の数が少なかった。

メイン・スタンド側には行かなかったのでどのような様子かは判らなかったが、売店ではパナソニックスタジアム吹田の方が遥かに充実している。

とはいえ、豊田スタジアムにはレストランがあるらしいが、こちらには行かなかった。

 

もう一つ、苦言を呈するなら大型ビジョン。

試合中、ずっと映像を流してくれるのはいいが、出場選手や試合時間が判らない。

点数は表示してくれるものの、せめて試合時間ぐらいは常時わかるようにしてくれないものか。

野球で言えば、スコアは判るものの何イニングスか判別できないようなものだ。

 

▼1階席やメイン、バックは判らないがゴール裏の2階席は急勾配だった

 

この日は、7月初旬とは思えない快晴。

したがって、当初は気にしていた雨の心配は全くなかったが、何しろクソ暑い。

しかし、雨対策で買っていた北スタンドのチケットが功を奏した。

北スタンドの屋根が、雨除けにはならなかったものの日除けとして威力を発揮したのである。

ちなみに、豊田スタジアムの客席は南スタンドだけには屋根がない。

北スタンドも南スタンドも料金は同じなのに、なぜ南スタンドのチケットを買った人はそちらを選んだのだろう?

雨が降ればズブ濡れ、晴れたらクソ暑いに決まっているではないか。

その点、北スタンドは日陰になっているし、心地よい風も吹いていたので、暑さは全く感じなかった。

しかし、南スタンドは日光が直撃していたので、観客はみんな会場で無料配布されていた団扇を一生懸命あおいでいるのが遠目でも判る。

ちなみに、バック・スタンドには屋根があるものの、夕方は西日が差し込むため、屋根が全く役に立たず直射日光を浴びていた。

暑さは南スタンドと変わらなかっただろう。

ただ、試合開始は午後3時5分だったので、試合終了となる午後5時頃には、南スタンドとバック・スタンドにもかなり日陰の部分が多くなっていた。

 

▼午後3時頃。北スタンド(手前)とメイン・スタンド(右)は快適、南スタンド(向こう側)とバック・スタンド(左)は地獄の暑さ(多分)

 

▼午後5時頃には、かなりの部分が日陰で覆われていた

 

余談だが、スタンドで筆者と同じオールド・ジャージを着ている人を発見!

なんだか嬉しくなってきた。

そして、オールド・ジャージを着ている人が他にもチラホラいたので、自分一人だけじゃないんだとホッとする。

 

いよいよ試合開始時間が近付いてきた。

選手たちがピッチに出てくる。

そして両国の国歌演奏。

録音ではなく、生演奏だった。

 

▼両国国歌は生演奏

 

そして、遂にキックオフ。

試合開始早々、フランスが先制トライを挙げた。

これは、ひょっとすると大差になるのではないかという不安がよぎる。

しかし、ジャパンもすぐに反撃。

№8のテビタ・タタフがトライを挙げ、ジャパンが逆転に成功する。

タタフのパワーは、世界に通用することを示した。

後半、日本の暑さに慣れていないフランス代表がスタミナ切れを起こし、ジャパンが大金星を挙げるのではないかという期待を抱かせる。

 

スクラムを組む日本×フランス

 

しかし、実際は全く逆だった。

後半に入ると、若手中心のフランス代表はスタミナ切れを起こすどころか、ますますパワーが増す。

ジャパンがタックル・ミスをすると、もうダメだ。

他の選手がタックルしても、そこから湧き上がるフォローがあり、フランスが次々とトライを決める。

まさしくシャンパン・ラグビー、フレンチ・フレアだ。

ノーサイド直前にWTBのシオサイア・フィフィタがトライを挙げてジャパンが一矢を報いるも、終わってみると23-42。

完敗だった。

これが北半球最強の実力なのか。

一方のジャパンは、試合直前にメンバーが交代する不運があったものの、やはりコロナ以来のチーム作りの遅れが顕著だった。

ただ、姫野和樹や松島幸太朗らが戻ってくると、タタフやフィフィタらとのコンビも楽しみだ。

第2テストマッチは1週間後の7月9日(土)、東京・国立競技場。

ここでの闘いに期待しよう。

 

▼試合終了後、完敗にうなだれる日本代表の選手たち

 

実は、愛知県でのテストマッチ観戦は、今回が2回目。

1回目は今から14年前、2008年11月に行われた名古屋市瑞穂ラグビー場での日本×アメリカだった。

aigawa2007.hatenablog.com

 

ただ、当時と今回とでは、同じ愛知県内のテストマッチでも雰囲気が全く違う。

老朽化した瑞穂ラグビー場キャパシティーが約1万5千人に対し、2000年以降に誕生した豊田スタジアムは約4万5千人。

瑞穂は豊スタに比べて交通の便が良かったという点もあっただろうが、混雑に見舞われた記憶はない。

瑞穂の時は、席もメイン・スタンドに座れて、憶えていないがおそらく自由席だったのではないか。

もちろん、今回の豊スタは全席指定で、24,570人の観衆を集めた。

多分、14年前の瑞穂では1万人も入っていなかっただろう。

 

さらに、今回の豊スタのファンは、前述のように日本代表ジャージを着ている人が非常に多かった。

しかも、家族連れがやたら目立ったのである。

家族連れが多いということは、要するに子供が多いということで、雰囲気が非常に明るかったのだ。

14年前の瑞穂では、家族連れはあまり見た記憶がないし、日本代表ジャージを着た人はほとんどいなかった。

対戦相手がフランスとアメリカではファンも気合の入り方が違うとはいえ、やはり2019年のワールドカップの影響が大きかったのだろう。

 

ただ、今回も問題がないわけではない。

約4万5千人も入る大スタジアムに、観衆は約2万5千人。

何しろ、メイン・スタンドとバック・スタンドが前売り16,000円(当日券は17,000円)なのだから、コアなファン以外はなかなか手が出せない。

せめて、直射日光を浴びるバック・スタンドは、もっと安く設定すればよかったのではないか。

テストマッチで稼ぎたい気持ちは判るが、それなら料金設定をもっと低くして、観客動員でペイすればいいだろう。

その方がスタンドの見栄えもいいし、多くの人に生観戦してもらって、ファン層の拡大も見込めるに違いない。

 

▼大勢の日本代表ジャージを着た人で埋まった豊田スタジアムのスタンド

 

▼14年前の瑞穂ラグビー場。日本代表ジャージを着た人もなく、隔世の感がある

 

帰りは行き以上の大混雑。

何しろ行きの場合は時間が分散するが、帰りは試合が終わると一斉に駅へ向かうのだから当然だろう。

豊田市駅までの長い長い道のりを、長蛇の列にくっつきながらひたすら歩く。

午後6時発の電車に乗らないと、乗り継ぎの関係で帰宅が1時間も遅れてしまうのだ。

 

ようやく豊田市駅に到着。

どうやら午後5時45分の電車に乗れそうだ。

豊田には名鉄豊田市駅以外にも愛知環状鉄道新豊田駅もあり、また名鉄利用の場合も名古屋へ行くには筆者と同じ知立方面へ行く人と、地下鉄経由で行く人で分散するはずなのだが、それでも電車は混雑していた。

それでも、何とか行きと同じ名鉄三河線知立方面の電車に乗り込む。

もちろん、行き以上の大混雑だ。

 

知立駅で行きと同じ快速特急に乗り換えるが、ホームに人が溢れていて特別車両券の売り場が判らず、諦めて行きと同じく超満員の自由席車両に乗り込むことに。

結局、初めて乗る名鉄特急を楽しむことはできなかった。

 

知立駅にやって来た名鉄快速特急

 

名鉄名古屋駅に着き、近鉄名古屋駅特急券を買う。

帰りもまた「ひのとり」で、何とか窓際の席を取れたものの満席に近い状態だった。

しかも、特急券自動販売機での購入に手間取り、さらに車内で食べる弁当を買うためにコンビニに寄ったものの、レジは長蛇の列。

「ひのとり」では車内販売を行っていないので、飲食物を買っておく必要があったのだ。

なんとか発車までに間に合ったが、危うく「ひのとり」に乗り遅れるところだった。

 

「ひのとり」に乗って、一路大阪(その前に奈良)へ。

午後7時発だけに、いくら夏至に近い季節と言えども、名古屋の風景は夕闇に消えようとしていた。

昼間の快晴から一転、西の方から不気味な雲が伸びてくる。

完全に日が沈み、田舎に突入とあってほとんど景色が見えなくなったので、弁当を頬張ることにした。

 

ところで、行きは隣りが若い女性3人だったが、帰りの隣りは親子3人連れ。

その小さな女の子は、中日ドラゴンズの高橋周平のユニフォームを着ていた。

会話を聞いていると関西弁で、難波で降りるようなので、大阪在住のドラゴンズ・ファンなのだろうか。

両親が中日ファンなのかも知れないが、大阪で中日のユニフォームを着ている小さな女の子なんて見たことがない。

そういえばこの日、バンテリンドームで中日×阪神のデーゲームが行われていた。

つまり、愛知県ではプロ野球ラグビーテストマッチが同日に行われていたのである。

この親子は、バンテリンドームに行ったのだろうか。

筆者は元トラ番記者でありながら、阪神戦には目もくれずにラグビーを観に行ってしまった。

それはともかく、中日のユニフォームとラグビー日本代表ジャージが近鉄特急の座席に並んでいるというのも、奇妙な光景である。

 

午後8時38分、大和八木駅に到着。

ここで中日ファンの親子3人組と別れ、大阪線ホームから橿原線ホームへ降りる。

すると、いた!

日本代表ジャージを着た人が複数人!!

彼らもやはり、近鉄特急を利用して、日帰りでテストマッチを観に行ったのだろうか。

こんな物好きが、筆者以外にもいたのだ。

 

▼「ひのとり」を降りて、大和八木駅橿原線ホームには日本代表ジャージを着た人が

 

橿原線橿原神宮前行きが4分も遅れたので、橿原神宮前駅での乗り換え時間がギリギリになってしまう。

橿原神宮前駅で降りて、ダッシュして無事に南大阪線大阪阿部野橋行き区間急行に乗り込んだ。

今日の乗り換えは綱渡りばかりだが何とか間に合い、古市駅に到着。

ここから長野線に乗り換え、午後9時30分にようやく最寄り駅だ。

 

しかし「家に帰るまで」の遠足はまだ終わらない。

もう既に金剛バスは運行を終え(何しろ休日は午後8時45分が最終だ)、金剛タクシーが来る駅東口のタクシー乗り場に向かう。

そこには2人のオッサンオジサンがベンチに腰掛けて並んでいた。

乗り場は狭く、ベンチも短いので、筆者は立って並ばなければならない。

 

すると先頭のいかにも反社みたいな風貌のイカついオッサンオジサンが筆者に怒鳴った声をかけた。

「おい!どこへ帰るねん!?」

筆者はビビりながら「〇〇です」と答える。

すると反社のオッサンオジサンは、

「向こう(西口)に行った方がエエかも判らんど。さっき(タクシー会社に)電話したけど、30分ぐらいしたら行くってゆうてたのに、未だに来やがらん!」

怒りながら忠告してくれた。

西口からだとタクシー料金はやや上がるのだが、反社のオッサンオジサンの親切を無にするわけにもいかず、しかも一緒にいると暴力団との癒着を疑われかねないので西口に回って近鉄タクシーを待つことにした。

この駅では、東口は金剛タクシー、西口は近鉄タクシーと棲み分けをしているが、西口にはタクシーを待つ人はいなかったものの、タクシーがなかなかやって来ない。

田舎自動車会社の金剛タクシーはともかく(金剛バスと同じ会社)、大手の近鉄タクシーすら来ないとはどういうことだ。

もう諦めて、次の電車が来たら、タクシーの台数が多い一つ先の駅に行ってタクシーを待とうかなと思ったが、ようやく近鉄タクシーがやって来た。

近鉄タクシーは、東口が見える道路を通ったが、反社のオッサンオジサンはまだ待っているようだ。

 

結局、家に帰り着いたのは午後10時過ぎ。

午前8時過ぎに家を出て、14時間かけた長い長い遠足はようやく終わった。

 

 

【ここでクイズ】

文中に出てきた、以下の駅名は何と読むでしょう。

 

①土橋

知立

③猿投

 

答えはこちら。

【解答】

 

①土橋=つちはし

知立=ちりゅう

③猿投=さなげ

日本最長の私鉄・近鉄の最古路線

 

大阪府の南東部、富田林市の観光案内所「観光交流施設きらめきファクトリー」で、6月19日まで「富田林と近鉄展」が行われていた。

この展示会の存在を知ったのは、富田林市や河内長野市などが詳しく書かれている「奥河内から情報発信」というブログである。

creators.yahoo.co.jp

 

近鉄、即ち近畿日本鉄道と言えば、言うまでもなくJRを除く私鉄では日本最長路線を誇る鉄道会社だ。

では、その近鉄がどの部分から始まったのかご存じだろうか。

それは、1898年(明治31年)3月に柏原~道明寺~古市間に開通した河陽鉄道がその始まりである。

 

▼現在の近鉄の全路線図。赤く囲っている部分が近鉄の元祖・河陽鉄道

 

日露戦争が開戦したのが1904年(明治37年)で、それより6年も前なのだから、相当古い話だ。

翌月の4月には富田林まで開通している。

 

しかし、当時の南河内地方は人口が少なかったせいか、翌1899年(明治32年)には河陽鉄道は経営難に陥り、早くも解散。

とはいえ、その後を河南鉄道が引き継ぎ、路線は維持された。

1902年(明治35年)には長野(現:河内長野まで路線を伸ばし、柏原~長野間が全通して、南河内地方の大動脈となる。

 

1919年(大正8年)、河南鉄道は大阪進出を目指し、社名を大阪鉄道(大鉄)と変更した。

ちなみに、この大阪鉄道は二代目で、初代の大阪鉄道は現在のJRの関西本線大和路線)だ。

1922年(大正11年)、大鉄は道明寺から分岐して布忍まで開通させる。

道明寺柏原古市の間にある駅であり、したがって柏原~道明寺柏原線(現:道明寺線という支線に格下げされてしまった。

さらに、大鉄は布忍~大阪天王寺(現:大阪阿部野橋を開通させ、念願の大阪進出を果たす。

ここに、大阪天王寺~長野を結ぶ、現在の大阪阿部野橋河内長野の直通運転と同じ運行形態が実現した。

 

大鉄はさらに大和路延長路線を計画、1929年(昭和4年)に古市~久米寺(現:橿原神宮前を開通させ、さらに吉野鉄道(現:近鉄吉野線に乗り入れて大阪阿部野橋からの直通運転を開始、現在の近鉄南大阪線とほぼ同じ運行形態となる。

つまり古市以南は本線のルートから外れ、古市~富田林~長野長野線という支線になってしまった。

これにより、近鉄最古の路線である河陽鉄道は、道明寺~古市の1駅間のみが近鉄南大阪線の一部で、それ以外の柏原~道明寺および古市~富田林~長野は単なる支線に甘んじるようになったのである。

ただし、現在でも大阪阿部野橋河内長野は直通運転を行っており、乗降客数から言えば橿原神宮前方面よりもむしろ本線格だ。

 

近鉄の歴史は1898年に開通した河陽鉄道から始まった

 

▼現在の近鉄南大阪線。開通当時の道明寺~古市以外は支線となった(御所線は省略)

 

戦時中の1943年(昭和18年)には、上本町(現:大阪上本町と名古屋・伊勢方面を結んでいた関西急行鉄道(関急)に合併されて、現在の近鉄の原型が出来上がる。

翌1944年(昭和19年)には戦時体制により、軍部により南海鉄道(現:南海電気鉄道と合併させられ、近畿日本鉄道と改称した。

戦後の1947年(昭和22年)、近鉄は再び南海と分離して、現在に至っている。

 

前置きが長くなったが、それでは「富田林と近鉄展」を見ていこう。

写真は、商業ブログでなければOKという使用許可をいただいている。

 

まず、目を惹いたのが河南鉄道時代の時刻表。

1903年(明治36年)2月となっている。

つまり、日露戦争開戦の前年だ。

この頃は既に柏原~長野間が全通していたが、まだ天王寺大阪阿部野橋方面には達していない。

 

▼河南鉄道の路線図(「富田林と近鉄展」より)

 

なお、柏原と接続している「関西線」というのは関西鉄道(初代・大阪鉄道)即ち現在のJRの関西本線大和路線)だ。

長野と接続している「高野線」とは高野鉄道、つまり現在の南海電気鉄道高野線である。

現在の南海高野線難波駅が事実上の起点となっているが、当時の高野鉄道は汐見橋駅が起点だった。

いや、現在でも南海高野線の正式な起点は汐見橋駅なのだが、全列車が難波駅を起点としており、汐見橋駅から南海高野線に直通している列車はない。

現在の南海高野線は、岸里玉出駅から難波駅まで南海本線の路線を借りている、という考え方である。

 

それはともかく、当時の河南鉄道の時刻表が面白い。

柏原から長野までの、河南鉄道の各駅の発着時刻が載っているのは当然だが、他にも「湊町」「奈良」「汐見橋」という、河南鉄道以外の駅の発着時刻まで載っている。

「湊町」というのは現在のJR難波駅、「奈良」はJRの奈良駅汐見橋は前述のとおり南海高野線汐見橋線)の汐見橋駅だ。

つまり、当時の河南鉄道は、柏原長野に接続する他社線の起終点の発着時刻まで掲載していたのだ。

なんという乗客サービスだろう。

こんなこと、現在では考えられないが、明治時代の方が乗客の利便性を考えていたということだろうか。

 

▼1903年(明治36年)2月の、河南鉄道の時刻表(「富田林と近鉄展」より)

 

しかも、長野発の上り一番列車が午前5時4分とメチャメチャ早い。

ちなみに、現在の近鉄長野線河内長野始発は平日でも午前5時29分だ。

明治時代に、それほど列車の需要があったのだろうか。

この一番列車、終点の柏原着が午前5時45分で、つまり始発から終点まで41分かかっている。

現在の感覚から言うと遅いようにも感じられるが、何しろ当時は蒸気機関車だ。

しかも、急行など速達列車はなく各駅停車と思われるので案外速い。

柏原から関西鉄道に乗り継いで、大阪都心部の湊町に着くのが午前7時7分で、ちょっと時間がかかっている。

ただ、当時はまだサラリーマン社会になってなかったと思われるため、どのような人達が一番列車を利用していたのか興味深い。

ちなみに、柏原発の下り最終列車が午後9時52分発で、これも思ったより遅かったようだ。

最終列車は長野まで行かず富田林止まりだったようで、富田林着が午後10時20分。

当時は電灯もなく、夜は早かったように思われるが、それでも明治時代の人々は午後10時過ぎまで活動していたらしい。

 

▼河南鉄道で運行されていた海外製の蒸気機関車(「富田林と近鉄展」より)

 

▼電化された1928年(昭和3年)頃の電車。「金剛」とあるのは南海高野線の金剛駅ではなく、金剛山の登山客を乗せたハイキング列車(「富田林と近鉄展」より)

 

ここからは、戦後の富田林駅周辺を見ていただこう。

現在との対比も面白い。

 

▼1960年(昭和35年)頃の富田林駅の南口(「富田林と近鉄展」より)

 

▼2015年の富田林駅の南口(筆者撮影)

 

▼1960年(昭和35年)頃の富田林駅の南口前の道(「富田林と近鉄展」より)

 

▼2015年の富田林駅の南口前の道(筆者撮影)

 

▼1908~1910年(明治41~43年)頃、現在の富田林駅前にあるコノミヤエディオン付近で、競輪が行われていたという(「富田林と近鉄展」より)

 

▼2020年、富田林駅前のコノミヤエディオン(筆者撮影)



マット界をダメにした奴ら~武藤敬司

 

「マット界をダメにした奴ら」第18回は武藤敬司
先日、来年の春までに引退すると表明した。


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馬見丘陵公園の紫陽花

 

6月18日、奈良県北中部の馬見丘陵公園に行ってきました。

梅雨の時期の花と言えばそう、紫陽花です。

それでは、色とりどりの紫陽花をご覧ください。

 

 

 

▼ここからは額紫陽花

 

今回は時間の関係であじさい小径には行かなかったのですが、こちらも綺麗な紫陽花が咲いていることでしょう。

また、現在は紫陽花だけではなく、菖蒲も見頃なので、ぜひ馬見丘陵公園へ足を運んでください。

マット界をダメにした奴ら~三沢光晴

 

「マット界をダメにした奴ら」第17回は三沢光晴
三沢が亡くなったのは13年前のちょうど今頃だった。


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新大阪駅の謎

 

東京方面から東海道新幹線に乗って新大阪駅で降りた時、戸惑った経験はないだろうか。

新幹線が新大阪駅に近付くと、車内アナウンスが流れる。

東海道線おおさか東線と、地下鉄線はお乗り換えです」

 

ところが、新大阪駅で降りてJR在来線の構内へ行くと、東海道線の表記はどこにもない。

あるのは、おおさか東線と、JR京都線JR神戸線およびJR宝塚線、そして特急の案内だけである。

「これから東海道線に乗って吹田に行かなきゃならないのに、どのホームに行けばいいんだよ!?」

と怒り出す人がいるかも知れない。

 

実は、JR西日本では「東海道(本)線」という案内はしていないのだ。

JR西日本の管轄内を走る東海道本線のうち、京都駅~大阪駅JR京都線大阪駅~姫路駅をJR神戸線という愛称を使っている。

ちなみに、東海道本線の起点は東京駅だが、終点は大阪駅ではなく神戸駅

したがって、JR神戸線のうち、大阪駅神戸駅東海道本線で、神戸駅~姫路駅は山陽本線というややこしいことになる。

 

東海道本線なのに、新大阪駅の在来線構内では京都方面行きをJR京都線と表記

 

ところが、たとえ愛称であっても新大阪駅JR京都線に含まれるはずだが、なぜか大阪や三ノ宮方面行きはJR神戸線、宝塚方面行きはJR宝塚線と表記しているのだ。

これは、新大阪駅から大阪駅までは1駅しかなく、杓子定規にJR京都線と書くよりも、一目でどこへ行くのかが判るJR神戸線やJR宝塚線と表記する方が、利用客には判りやすいからである。

ついでに言えば、JR宝塚線というのも大阪駅篠山口駅の愛称で、正式路線は大阪駅~尼崎駅が東海道本線、尼崎駅~篠山口駅福知山線だ。

 

▼西の方へ向かう東海道本線は、JR神戸線およびJR宝塚線と表記

 

それではなぜ、東海道新幹線の車内では東海道線としかアナウンスしないのだろうか。

利用客にとっては判りづらく、不便である。

それは、東海道新幹線を運営しているのはJR東海だからだ。

JR京都線JR神戸線なんていうのはJR西日本さんが勝手に付けた愛称だから、ウチは正式路線名の東海道線を使うよ」

というわけである。

したがって、JR西日本が運営する山陽新幹線の車内では、新大阪駅に近付くと「JR京都線JR神戸線」とアナウンスするのだ。

何しろ、同じJRグループといっても、JR東海JR西日本は別会社なのだから。

なお、JRの新大阪駅には駅長が2人おり、1人はもちろんJR西日本、もう1人はJR東海に所属する駅長である。

 

ついでに言えば、東京駅での在来線では正式名称の東海道線を使用しているが、実はこちらもややこしい。

東京駅の在来線地上ホームには東海道線の他に山手線、京浜東北線、中央線、上野東京ラインなどの文字が並んでいるが、正式路線としては東海道本線中央本線東北本線となる。

「え、じゃあ山手線は?」

と思うかも知れないが、実は山手線には東京駅は含まれていないのだ。

山手線の正式路線は品川駅から新宿駅を経由して田端駅まで。

つまり、山手線は正確には一周していない。

山手線は、東海道本線および東北本線の路線を借りて、ようやく一周しているという考え方だ。

東北本線の起点は上野駅というイメージが強いが、正式な起点は東京駅で、京浜東北線上野東京ライン宇都宮線などというのは愛称であり、いずれも東北本線の一部である(京浜東北線東海道本線も含まれる)。

 

マット界をダメにした奴ら~スタン・ハンセン

 

「マット界をダメにした奴ら」第16回はスタン・ハンセン。
「世界の不沈艦」はアメリカでも有名だったのか?


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